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1996年8月

2015年09月27日 / 1996年新聞記事

1996年8月
1996年8月1日 沖縄タイムス
沖縄の作品にクレーム
アトピック・サイト主催側
→楚辺通信所

1996年8月1日 沖縄タイムス
もう一つの基地被害 駐留米兵と交通事故 下 村上有慶
事故後に居場所不明
連絡先も教えてもらえず
施設局の対応 米軍の駐屯擁護 泣き寝入り

1996年8月1日 沖縄タイムス
127万人の実験 第2部 軍用地と跡利用 22
再開発に基地の壁
コンベンションシティー
アフター施設を欠く
ままならない用地取得
「もうひとつ」 宝の持ち腐れ 待てない返還

メーンコア進展に動く市商工会

メモ
キャンプ・マーシー

1996年8月1日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 80
岩国市 山口県 中
基地の存在に疑問はない
滑走路移設が唯一の市民運動
→岩国基地

1996年8月2日 琉球新報
沖縄へのメッセージ 39
鶴見俊輔 哲学者
六月二十三日の終戦

1996年8月2日 琉球新報
沖縄「命こそ宝」 4
寛大な祈念碑
外国人も対等に刻銘
「イチャリバ兄弟」の哲学

1996年8月3日 沖縄タイムス
管制所の回線故障 民間航空機が遅延
「嘉手納ラプコン」
→訓練空域・水域

1996年8月3日 琉球新報
権利のための闘争 徳田博人
沖縄の姿を自ら選択
県民投票は権利行使の機会

1996年8月4日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
104号実弾砲撃演習
吉田勝廣氏 金武町長
基地経済に代わるものを
砲撃演習移転後の対策必要
→キャンプ・ハンセン

1996年8月5日 沖縄タイムス
基地内庁舎 棟上げ
読谷村役場
補助飛行場に来春完成

1996年8月5日 沖縄タイムス
日本の安全の出発点。
日米安保と沖縄の基地について

外務大臣 池田行彦
防衛庁長官 臼井日出男
上智大学教授 猪口邦子

日米のしっかりした関係が、アジアに安定感をもたらす
日米安全保障体制をより緊密にするために
基地の提供は日米安保条約による日本の役割
駐留軍用地特別措置法の手続とは
沖縄の米軍基地は整理・統合・縮小をめざす
→政府広報/外務省・防衛庁

1996年8月6日 沖縄タイムス
安保・沖縄で政府が広報
全国75紙に一斉に掲載
「一方的」と批判の声も

1996年8月6日 琉球新報
相次ぐ米兵犯罪に思う 上 篠崎正人
不満が増大し、規律を喪失
沖縄と佐世保 同一の背景と原因
「犯行の原因は個人的な資質か」 「劣悪な艦内居住環境」
→連載・基地 米兵事件・事故

1996年8月8日 琉球新報
相次ぐ米兵犯罪に思う 中 篠崎正人
ストレス強いる航海
長時間狭い艦内に拘束
「米艦マクラスキーの航跡」 「米軍を襲う組織疲労の影」

1996年8月9日 沖縄タイムス
終わらない戦後処理 1
無視される毒ガス被害者
いやされぬ戦争の傷跡

1996年8月9日 琉球新報
相次ぐ米兵犯罪に思う 下 篠崎正人
必要な米軍の再配備
正当性を失った存在
「手柄を立てる職場は街の中?」 「在日米軍基地は米本土に」

1996年8月11日 沖縄タイムス
「残せる物は残すべき」
具志川市議会
戦争遺跡を視察
教育民生委、保存に前向き
「上江洲のマヤーガマ」など7カ所
→沖縄戦

1996年8月11日 沖縄タイムス
基地跡地に「癒しの森」構想 宜野湾市
市民グループ市に提言
「森と水の会」近く発足
→普天間飛行場 跡地利用

1996年8月11日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 16
金武
伊芸区のジャフム岳
基地撤去願う区民の象徴
終戦後の艦砲射撃 基地全面撤去を決議

1996年8月12日 沖縄タイムス
終わらない戦後処理 2
根強い「国家補償」の声
被爆者らの高齢化進む

1996年8月13日 沖縄タイムス
県民投票への視点 インタビュー 4
新崎盛暉氏 沖大教授 沖縄近現代史
歴史的な第三の波
代表制民主主義を活性化
民衆の主体的要求 争点もっと明確に 結果は無視できぬ

1996年8月13日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 18
読谷 下
楚辺に2度の立ち退き命令
芸能に復興をたくす

1996年8月14日 沖縄タイムス
女と男のページ
政府に謝罪、補償求める
慰安婦問題に取り組む 尹貞玉(ユン・ジョンオク)さん講演会
言うこときかねば暴力 軍の倫理押しつけられ
民間基金の一時金を拒否
歴史の真実追究 被害者間の分裂 日本政府の責任

1996年8月14日 沖縄タイムス
終わらない戦後処理 3
元慰安婦の不信感消えず
「国の謝罪による償いを」

1996年8月15日 沖縄タイムス
旧日本軍裁いた英全記録発見
虐殺事件、生体解剖など判明
英国立公文書館で303件

1996年8月15日 沖縄タイムス
終わらない戦後処理 4
赤く塗られた住宅地図
51年間の思い 県民投票に

1996年8月15日 沖縄タイムス
遺そう戦世証言 沖縄戦〝声の礎〟運動音提唱 上 森口豁
体験者の高齢化に危惧
生の声のライブラリーを
ビデオによる収録 沖縄戦記録の三本柱 映像の力の大きさ

1996年8月15日 沖縄タイムス
127万人の実験 第2部 軍用地と跡利用 24
跡地にひしめく庁舎群
部分返還
苦悩の中「ベター」選択 嘉手納
跡地つなぎ街が成長 宜野湾
竜の落とし子 国が譲る番 ドーナツ減少

「カデナ」返還前提に空港都市構想

メモ
共同使用

1996年8月15日 琉球新報
沖縄へのメッセージ 42
井上清 歴史学者
民族一体化の道を

1996年8月16日 沖縄タイムス
遺そう戦世証言 沖縄戦〝声の礎〟運動の提唱 下 森口豁
証言ビデオを後世に
行政と市民の協力に期待
語りのありのままを 県の役割 新たな時代に向けて

1996年8月18日 沖縄タイムス
米軍機事故 2報告書を入手
本紙、米情報公開で
94年の嘉手納F15墜落 エンジントラブル原因

政府対応の鈍さ浮き彫り
→航空機事故

1996年8月18日 沖縄タイムス
情報公開で入手した米軍機事故(概要)
F15イーグル墜落
調査委員会の見解

FA18ホーネット 空中衝突
調査委員会の見解

解説
無視され続けた県の要求
→航空機事故

1996年8月18日 沖縄タイムス
最高裁判決に行政は従うべきか
仲地博琉大教授
〝妥協〟の政治的判断
主張続けるのが自治体の義務
→強制収用

1996年8月18日 琉球新報
ニュース透視鏡’96
基地従業員に2つの組合
安保容認の沖駐労
全駐労幹部に戸惑いも
県民投票に批判的 戦々恐々
→軍作業

1996年8月18日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 19
北中城村
瑞慶覧区、土地へのこだわり
何度も陳情行動展開

1996年8月20日 沖縄タイムス
寄稿
大工哲弘のヤマト唄への逆襲
島唄は国境を越える そんな事はどうでも…
金平茂紀・TBS「筑紫哲也ニュース23」担当デスク

1996年8月20日 沖縄タイムス
地元からの異論 基地移設の日米合意 上
読谷
飛行場返還に新条件
村「通信所と絡めるな」
→連載・基地 読谷補助飛行場 楚辺通信所

1996年8月20日 琉球新報
米軍マンホールから汚水
沖縄市の黙認耕作地 比謝川汚染の懸念も
→環境 嘉手納弾薬庫

1996年8月20日 琉球新報
「戦争体験」と「戦後責任」 上 石川為丸
沖縄と本土に差異
異質な世界に嫌悪感

1996年8月20日 沖縄タイムス
安保と沖縄 もつれ合う糸 1
基地返還
未知の領域で交渉難航
外務、防衛の足並みに乱れ
外務省の沈黙 解決に密約説

1996年8月21日 沖縄タイムス
正念場 基地問題 上
大詰めの折衝
波紋呼んだ吉元発言
政府の対応策が最大焦点
最高裁判決とは別次元 安保不変説にくさび 村山訪米が始まり シナリオは順調に進む

1996年8月21日 琉球新報
在沖米海兵隊
戦闘訓練生々しく
米ロ演習 インターネットに軍事色

1996年8月21日 沖縄タイムス
安保と沖縄 もつれ合う糸 2
極東戦略
前方展開の拠点に固執
日米に出発点から隔たり
流動化を警戒 無言の圧力

1996年8月22日 沖縄タイムス
地元からの異論 基地移設の日米合意 下
伊江
島には島の事情も
「現実踏まえ、地域振興」
→伊江島補助飛行場

1996年8月22日 沖縄タイムス
正念場 基地問題 中
現実対応
「20年で脱基地 可能」
県はシナリオに自信
痛み受け入れながら 許容範囲の嘉手納統合 地主の不利益を軽減 不可欠な海兵隊撤退

返還アクションプログラムと基地収入

1996年8月22日 沖縄タイムス
127万人の実験 第2部 軍用地と跡利用 25
軍転法適用
跡利用に苦慮する地元
「もっと県はかかわりを」
憶測が独り歩き 潜む問題点 まとまった土地

公有地の取り扱いも確実に

メモ
黙認耕作地

1996年8月22日 沖縄タイムス
安保と沖縄 もつれ合う糸 3
特別立法
強硬論封じ軟着陸探る
首相、解散の引き金回避
防衛庁は意欲 進展に好感触も

1996年8月23日 沖縄タイムス
正念場 基地問題 下
「嘉手納」統合
「地元反対なら無理」
日米の沖縄認識にずれ
これ以上まっぴらだ 地元の拒否で窮地に 日米正反対の懸念 百+百=百五十で
→嘉手納飛行場

1996年8月23日 沖縄タイムス
安保と沖縄 もつれ合う糸 4
沖縄振興
経済基盤整備に本腰
基地撤去悲願に安保の壁
急ピッチの調整 本土波及を懸念

1996年8月24日 沖縄タイムス
沖縄の進路 新たな振興策への提言 2
岡本行夫氏 国際コンサルタント
基地負担に特権的配慮を

1996年8月25日 琉球新報
日曜この人
新垣尚子さん UNV連絡調整官
ボランティア発掘が任務
自治体との橋渡し役も

1996年8月25日 沖縄タイムス
検証 住民意思の行方 2
直接と間接
「補完」と「否定」で相克
消化不良の県議会論議

1996年8月25日 沖縄タイムス
基地強制の系譜 最高裁判決を前に 上
法の矛盾
安保優先で無理な解釈
適正手続き欠く国
形式的につじつま合わせ

1996年8月25日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 20
伊佐浜強制接収 上
畑つぶされ住民放心
水豊かな美田、伊佐浜 「稲を植えるな」 未明の土地接収
→キャンプ瑞慶覧

1996年8月26日 沖縄タイムス
基地強制の系譜 最高裁判決を前に 中
反戦地主
「いつもだまされた」
矛盾は判決でも抑えられぬ

1996年8月27日 沖縄タイムス
検証 住民意思の行方 4
拘束力
結果が政府への圧力に
県の不明瞭 対応に疑問

1996年8月27日 沖縄タイムス
基地強制の系譜 最高裁判決を前に 下
重圧
特別法で無理重ね
「国は我慢を強いてきた」

1996年8月27日 琉球新報
那覇
県民投票は無意味
陸自幹部が朝礼で発言

阻害する発言 好ましくない
臼井日出男防衛庁長官の話

→村田秀信 陸上自衛隊第一混成団団長

1996年8月27日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 22
伊佐浜強制接収 下
ブラジルでも辛苦
外国移住なら… 農園の従業員に もう伊佐浜には…

1996年8月29日 沖縄タイムス
解説
二の足踏んだ大法廷
基地政策へ指摘避ける

知事会見要旨

→代理署名訴訟

1996年8月29日 沖縄タイムス
代理署名訴訟・最高裁判決 私はこうみる
古川純 専修大学教授 平和的生存権の救済を全面的に放棄した司法
新井章 弁護士(前茨城大教授) 政治的立場に従属した「法律の番人」の無理

米軍用地強制使用・代理署名訴訟の争点

県内の識者・関係者の声
■沖縄の主張死なず 芥川賞作家・大城立裕氏
■怒りおさまらぬ 有銘政夫違憲共闘会議議長
■三権に踏みにじられた 島袋善祐反戦地主
■審理尽くさずひどい 上原成信一坪反戦地主会関西・沖縄ブロック会長
■県民無視の姿勢あらわに 石原昌家沖縄国際大学教授

1996年8月30日 沖縄タイムス
代理署名訴訟 最高裁判決

読売新聞
「判決」に沿い沖縄解決へ努力を

北海道新聞
沖縄差別に目をつぶった司法

朝日新聞
最高裁も沖縄を拒んだ
日米安保を考える
憲法理念説かぬ大法廷 本土に向けた「反乱」 基地縮小への具体論を

毎日新聞
大法廷判決 基地集中の実態に冷淡だ
安全保障 沖縄の訴えにどう応える

中国新聞
司法は沖縄の心にこたえたか

1996年8月30日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
県民投票を前にして
無にするな自らの主張
どうする 50年の過重負担
問題の原点 求められる憲法判断 歴史の主人公に

1996年8月30日 沖縄タイムス
知事敗訴 最高裁判決 1
スピード審理
外交、防衛避けた判断
上告から4カ月で結論

1996年8月30日 琉球新報
核心評論
大法廷判決
〝沖縄の心〟に響かず 知事の選択幅狭める

1996年8月30日 琉球新報
検証・最高裁判決 2
東京都立大助教授 人見剛氏
「審査の範囲」を具体化
使用認定の審査必要

1996年8月31日 沖縄タイムス
ニュース断面
自民県連の「呼び掛け」撤回
イメージ低下懸念 「勇み足」との声も
賛否…大きな反響 「おしかり」 見解の相違
→「県民投票」への棄権呼び掛け。

1996年8月31日 沖縄タイムス
知事敗訴 最高裁判決 2
憲法の番人
行政への過度な謙譲
国民の信頼を失う恐れ





  


Posted by 糸満のカッパ at 18:18

1996年7月

2015年08月25日 / 1996年新聞記事

1996年7月
1996年7月1日 沖縄タイムス
ニュース断面
軽減の効果みられず
騒音防止協定締結から3カ月
米軍との認識にズレか
「夜間飛行は不可欠」 締結後に騒音増加 有名無実化?
→航空機騒音

1996年7月1日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 5
北谷町 上
シンボルの復元
生まれジマを子孫に
カーの復元 伝統業の継承
→連載・基地

1996年7月2日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 6
北谷町 中
字史編さん
上勢頭の歴史永久に
上勢頭誌の発刊 人材育成 ふるさとの再発見

1996年7月2日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第6部 土地収用の新展開 65
拒否の論理
勧告拒否は〝通過儀礼〟
最高裁判決後が本当の正念場に
淡々と拒否表明 〝県の総意〟を演出 〝潮時〟模索する県

1996年7月3日 沖縄タイムス
米海兵隊が特殊訓練
救難に即応
金武のレッド・ビーチ

1996年7月3日 琉球新報
沖縄へのメッセージ 32
文大彈 元済州新聞論説委員
他人ごとでない苦痛や負担

1996年7月3日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第6部 土地収用の新展開 66
温度差
政府と県に相互不信
機能の県内移設で評価分かれる
移設問題に苦言 いらだつ官邸 強まる県の反発

1996年7月4日 沖縄タイムス
津堅沖のパヤオ流出
もしや米艦船?
沖縄市漁協
→演習事故 訓練空域・水域

1996年7月4日 沖縄タイムス
127万人の実験 第2部 軍用地と跡利用 18
返還跡地で〝空中戦〟
日航対全日空
間置かずホテル建て 有効利用
地主会総会 一括貸し 一括転売

地料がスムーズな跡利用のネックに

メモ
VOA施設

1996年7月4日 琉球新報
沖縄へのメッセージ 33
東松照明 写真家
依然、安保が見える沖縄

1996年7月4日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第6部 土地収用の新展開 67
特別立法
衆院解散絡み先行き不透明
普天間返還など協議も大詰めへ
スケジュール闘争 アメとムチ 懐疑的

1996年7月5日 沖縄タイムス
具志川市
民間地域で小銃音
深夜 米ヘリも低空飛行
→演習事故 キャンプ・コートニー

1996年7月5日 沖縄タイムス
佐敷町
フナクブガマを調査
住民避難を語る戦跡に
→沖縄戦

1996年7月5日 沖縄タイムス
最高裁へ沖縄の訴え 代理署名訴訟 1
伊佐浜土地闘争 上
未明にブルのごう音
強制収用し基地建設
地響き 美田 だまし
→連載・基地 強制収用

1996年7月5日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第6部 土地収用の新展開 68
平行線
伝わらない沖縄の痛み
「安保の意義」を強調する委員ら
〝少数〟論議で花火 縦覧拒否は基地を温存? 苦言、捨てゼリフ

1996年7月6日 沖縄タイムス
撮った! 「幻の看板」 高嶋伸欣
「象のオリ」の旗、柵も
2回目の立ち入り参加
→楚辺通信所 強制収用

1996年7月6日 沖縄タイムス
最高裁へ沖縄の訴え 代理署名訴訟 2
伊佐浜土地闘争 下
恐怖と圧力の下で
苦しかった避難生活
叫び インヌミ 不安

1996年7月7日 沖縄タイムス
最高裁へ沖縄の訴え 代理署名訴訟 3
昆布土地闘争
銃剣におびえ結集
歌うことで勇気出す
一坪たりとも 布令20号

1996年7月7日 沖縄タイムス
久米島進攻の日々 国吉清健
伝達で救われた住民
「抵抗しなければ殺されない」
→沖縄戦

1996年7月7日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 7
北谷町 下
次世代への思い
エイサーの復活も
郷友会館建設 下勢頭エイサーの復活 共同体精神の継承

1996年7月7日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第6部 土地収用の新展開 69
0.2%の波紋
政府の特別立法に警戒感
「少数派抹殺」と怒る反戦地主ら
強まる〝沖縄たたき〟 欠落した地主への配慮 生活者不在の安保論議

1996年7月8日 沖縄タイムス
最高裁へ沖縄の訴え 代理署名訴訟 4
昆布土地闘争 下
非暴力の信念貫く
住民励ました支援の輪
非暴力 反基地 爆薬燃料

1996年7月8日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 8
宜野湾市 上
御獄を復元
次はソフト面の活動
ウブガーの復元へ 自治会との連携へ

1996年7月8日 琉球新報
‘96追跡
米軍の特殊作戦演習
テロ攻撃を想定
〝大規模訓練〟日常的に
→演習その他

1996年7月9日 沖縄タイムス
施設局職員が市議に漏らす?
「基地担当は反戦地主」
一坪反戦地主代表ら 卑劣な行為と反発
沖縄市

施設局は調査中

1996年7月9日 沖縄タイムス
米海兵隊報道部
婦女暴行の米兵、本国へ逃亡
容疑者監視の不備を露呈
→米兵事件・事故

1996年7月9日 沖縄タイムス
中野清光弁護団長インタビュー
高裁に差し戻すべき
基地の集中は差別
「戦後50年、意義大きい」
→強制収用

1996年7月9日 沖縄タイムス
最高裁へ沖縄の訴え 代理署名訴訟 5
宮森小ジェット機墜落事故
一瞬にして〝戦場〟
基地のない平和な県を
炎上 恐怖 義務

1996年7月9日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 9
宜野湾市 中
伝統芸能を再興
「大事に継承、誇りに…」
全員で草刈り 区民はひとつ 保存会結成も

1996年7月9日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第6部 土地収用の新展開 70
ホトトギス
民主主義のルールを否定
鳴かない沖縄を殺してしまう?

1996年7月10日 沖縄タイムス
安保と沖縄 ポスト普天間合意 1
正念場
のしかかる安保の重み
沖縄、条件付き返還に反発
首相の自負 ヤマ場は9月

1996年7月10日 琉球新報
‘96追跡
反戦地主個人情報漏えい疑惑
問われる公務員の資質
施設局も内部調査に着手
施設局員の〝発言〟 伏線 職業は明記されず 神経とがらす施設局

1996年7月11日 沖縄タイムス
騒音防止協定の夜間飛行制限
「緊急時想定訓練は例外」
海兵隊見解
→航空機騒音 要記事

1996年7月11日 沖縄タイムス
大田知事の意見陳述 全文
→代理署名訴訟 強制収用

1996年7月11日 沖縄タイムス
127万人の実験 第2部 軍用地と跡利用 19
新しい街 周到な計画
まちづくり
地域ぐるみが奏功 小禄金城
会社設立 効率よく土地活用
一本の電話 ふくらむ夢 新しい手法

地主や設計士らが積極的に勉強

メモ
那覇空軍海軍補助施設

1996年7月11日 沖縄タイムス
安保と沖縄 ポスト普天間合意 2
沖縄懇談会
「公私とも面倒見てくれ」
道を開いた財界大御所
「中山学校」 基地で激論

1996年7月11日 琉球新報
大田知事の意見陳述全文 代理署名訴訟上告審
→強制収用

1996年7月11日 琉球新報
大法廷傍聴記
沖縄国際大学 石原昌家
沖縄の苦悩 溶岩流となる
→強制収用

1996年7月12日
「職員しゃべった」
那覇施設局認める
「担当課長は反戦地主」問題
反戦地主会 「組織的だ」

1996年7月12日
ニュース近景遠景
表面化する〝反戦地主狩り〟?
軍用地強制使用
県民世論にくさび
特別立法への環境づくりか

1996年7月12日 沖縄タイムス
感動呼んだ知事陳述
代理署名訴訟最高裁弁論(記者座談会)
成るか審理差し戻し

審査権の範囲が焦点
県民投票の結果も絡む
→強制収用

1996年7月12日 沖縄タイムス
県側の上告理由書要旨
はじめに 適用違憲 審理の範囲 機関委任事務 公益判断 訴訟指揮
国側の答弁書要旨
駐留軍用地特措法の法令違憲について 法的手続き保障の違反主張について 駐留軍用地特措法の適用・運用違憲の主張について 嘉手納飛行場設置による憲法13条で保障される個人の生命・身体・健康などの人格権の侵害主張について 憲法14条(法の下の平等)、92条(地方自治の本旨)、95条(特別法の住民投票)違反の主張について
→強制収用

1996年7月12日 沖縄タイムス
争点表
代理署名の事務性格 駐留軍用地特措法適用の憲法判断 審査範囲 公益性の適否 土地・物件調書作成の手続き
→強制収用

1996年7月13日 沖縄タイムス
インタビュー
「石の声」発案した県立海邦高校教諭 金城満さん
23万の数の重み実感
→沖縄戦

1996年7月13日 沖縄タイムス
「不法占拠暦」の表示
無感覚は政府の思うつぼ
平良修
→強制収用

1996年7月13日 沖縄タイムス
安保と沖縄 ポスト普天間合意 4
自衛隊の確執
厳しい「歴史の教訓」
県はプレゼンス拡大警戒
感情の変化を期待 跡利用超える未来構想

1996年7月14日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
西田健次郎氏 自民党県連会長
県民投票への対応
静観し、内容を検証
薄れる超党派のきずな
→強制収用

1996年7月14日 沖縄タイムス
安保と沖縄 ポスト普天間合意 5
海兵隊の言い分
「力の均衡」に駐留必要
隊員教育や文化財に配慮
「変化」を期待 砲撃音響く金武の歓楽街

1996年7月14日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 10
宜野湾市 下
安仁屋郷友会
返還後、復活目指す
帰るための準備 後継者の育成 字の復活を

1996年7月16日 沖縄タイムス
航空自衛隊那覇基地 ミサイル施設を増設
新ターミナルビルの隣接地
航空関係者は反発
那覇空港 増える不安要素
→自衛隊

1996年7月16日 沖縄タイムス
安保と沖縄 ポスト普天間合意 6
新・後押し考
「後方支援」で実績狙う
問われる政治の重責
燃える制服組 政権枠の維持

1996年7月16日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 11
具志川市 上
いつか戻れると信じて…
井戸にもふたをし

1996年7月16日 琉球新報
沖縄へのメッセージ 35
下嶋哲朗 ノンフィクション作家
未来的な意志のあるところ

1996年7月18日 沖縄タイムス
127万人の実験 第2部 軍用地と跡利用 20
海を生かした街づくり
新商業圏
成功したハンビー地区
国の事業認定と海からめる
後発の強みと大型駐車場
流れた消費者 盛んな意気 魅力的な街

地主会主導で「区画整理」を運営

メモ
ハンビー飛行場

1996年7月18日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 72
湯布院町 大分 1
演習移転問題で危機に
米軍駐留時代の忌まわしい記憶

1996年7月19日 琉球新報
砂浜に実弾放置
大宜味村根路銘
→演習事故

1996年7月19日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 73
湯布院 大分 2
高まる米軍移転反対
自衛隊とは共存 沖縄と違う意識

1996年7月20日 沖縄タイムス
女子中学生ら致事件
ハンセンなどへの捜索
米軍が「不許可」回答
北部訓練場は1時間だけ
→キャンプ・ハンセン ブルー・ビーチ訓練場 ギンバル訓練場 キャンプ・シュワブ

1996年7月20日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 74
湯布院町 大分 3
「沖縄の痛みは分かる」
基地問題の全国ネットワークを

1996年7月21日 沖縄タイムス
リポート96
陸軍病院壕の保存活用 南風原町
全面公開の難しさ提起
調査委、現形保存を主張
→沖縄戦

1996年7月21日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 12
具志川市 下
戦前の集落調査
次の世代に誇りを
49軒が消える 字誌作りに取り組む 戦災地図作りも計画

1996年7月22日 琉球新報
沖縄に対する国側の思考様式~その歴史的体質 上 福島良一
「差別」意識が根底に
歴史的に作られる
はじめに 本土によっての沖縄戦 「差別」意識の形成要因

1996年7月22日 琉球新報
日本平和学会沖縄研究集会に寄せて
沖縄から世界平和への道を探る
平良研一 沖縄大学教授
平和と対じする潜在的暴力
沖縄問題解決へ

1996年7月22日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 75
御殿場市 静岡 1
白羽の矢立つ東富士
県道越え演習移転 強まる拒否反応
日本の心を撃つ演習 態度不明確な首長 移転反対派が9割

1996年7月23日 琉球新報
沖縄に対する国側の思考様式~その歴史的体質 中 福島良一
「同情」に潜む優越意識
情報欠如が理解妨げる
沖縄情報の欠如と誤解 誤解による「差別」の助長 沖縄への「同情」

1996年7月23日 琉球新報
「慰霊の日」もっとアピールを
陸培春 シンガポール聯合早報コラムニスト
説得力持つ沖縄の体験
軍国主義の害毒に対じを
→沖縄戦

1996年7月23日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 76
御殿場市 静岡 2
沖縄超える演習実績
米海兵隊の訓練 拠点化する東富士
慎重な自治体 正式通知はなく… 米軍に経済効果なし

1996年7月24日 琉球新報
インタビュー 平和・軍縮の展望 安保再定義を踏まえて 1 西川潤早大教授
国家より「人間安全保障」へ
自然との共生も課題

1996年7月25日 沖縄タイムス
米兵の立ち入り禁止へ
オフリミッツ 北谷町宮城海岸
制裁逆手に異例の対抗
「本来の環境に」と期待
→米兵事件・事故

1996年7月25日 沖縄タイムス
127万人の実験 第2部 軍用地と跡利用 21
公共施設取り込んだ街
みどり町
ニュータウンは市の核
地主も誇る軍用地転用
法整備前に地籍を確定
集団和解方式 事業費48億円 町名に夢託す

跡利用困難で再提供された土地

メモ
土地区画整理

1996年7月25日 琉球新報
インタビュー 平和・軍縮の展望 安保再定義を踏まえて 2 猪口邦子上智大教授
多層的安定化の枠組みを
「固定基地」の概念必要ない

1996年7月26日 沖縄タイムス
解説
〝不法〟の国側、どう抗弁
安保の履行義務 主張か
「象のオリ」の明け渡し提訴

提訴するのは自由
梶山官房長官

「明け渡し訴訟」の訴状(要旨)
請求の趣旨 請求の原因
→楚辺通信所 強制収用

1996年7月26日 沖縄タイムス
わかりやすい税金の話
軍用地の返還と税金

1996年7月26日 琉球新報
最高裁「異例のスピード判決」
沖大教授 新崎盛暉
県民投票にプラス
特別立法阻止への道も

1996年7月26日 琉球新報
インタビュー 平和・軍縮の展望 安保再定義を踏まえて 3 高柳先男中央大教授
構造的暴力なくす発想を
社会経済的な格差が根源

1996年7月27日 沖縄タイムス
滑走路沿い「ハブヒル」
ヘリポートの嘉手納統合案
県も「許容範囲」
周辺自治体は反発

1996年7月27日 琉球新報
インタビュー 平和・軍縮の展望 安保再定義を踏まえて 4 佐久川政一沖大教授
安保の客観的条件なくなった
沖縄の心を世界共通理念へ

1996年7月27日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 77
御殿場市 静岡 3
「東富士四原則」が移転の協議前提
使用協定を重視する地元
三本柱の協定 訴訟になった基地使用 高いハードル

1996年7月28日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 13 浦添市
字誌発行
今、やらねばの思いで
戦後50年の節目に字誌発行 綱曳きを復元

1996年7月28日 琉球新報
日本平和学会特別講演
核権力を超えて
本島等前長崎市長
「米軍基地」引き受けて初めてわかる沖縄の心
安保安住の日本人は嫌い

1996年7月29日 沖縄タイムス
公告縦覧訴訟・第1回口頭弁論
国が「基地公益論」
県側「知事の代行義務なし」
福岡高裁那覇支部

解説
地方自治の有り方に新視点
→強制収用 楚辺通信所

1996年7月29日 沖縄タイムス
県側準備書面要旨
訴権の濫用 クリーンハンドの原則に反する違憲違法な強制使用手続き 公告縦覧の代行 主務大臣 公益侵害の要件 審査の範囲
国側準備書面要旨
代行義務 機関委任事務 主務大臣 裁判所の審査範囲 公益侵害の要件
→強制収用 楚辺通信所

1996年7月29日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
日米安保条約
露骨な経済界の擁護論
見え隠れする米の戦略
法衣の裾から鎧 不安定な基盤 米国の二重基準

1996年7月29日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 14
嘉手納町千原 上
エイサーを復活
住民の誇り アピール
郷友会にエイサー保存会 町指定文化財に

1996年7月29日 琉球新報
沖縄「命こそ宝」 1
特攻艇の島
「集団自決」という虐殺
「軍夫」の労苦示す資料館
→連載・沖縄戦 慶良間海洋文化館

1996年7月29日 琉球新報
ニュース透視鏡’96
消化不良の日本平和学会
「再定義」の対抗軸見えず
非軍事化への示唆も
不十分な討論 見えていない沖縄 構造化した基地重圧

1996年7月30日 沖縄タイムス
もう一つの基地被害 駐留米兵と交通事故 上 新城俊昭
免許試験の義務化を
生かされなかった7・30
異なる交通法規 差別的な処遇 日米両政府の責任

1996年7月30日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 78
御殿場市 静岡 4
演習場移転は時代に逆行
「全面返還」で合意の東富士
脳裏よぎる苦い歴史 なお米軍駐留は必要か 終わらぬ戦後

1996年7月30日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 15
嘉手納町野郷
共進会を設立
伝統行事など活動

1996年7月30日 琉球新報
沖縄「命こそ宝」 2
反戦平和の館
苦悩を語る強烈な資料
依然闘う伊江島の地主たち

1996年7月31日 沖縄タイムス
もう一つの基地被害 駐留米兵と交通事故 中 海老原大祐
任意保険に加入せず
被害者補償も見舞金程度
両政府の怠慢 甘い保険認識 占領意識丸出し

1996年7月31日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第7部 本土の基地の街 79
岩国市 山口県 上
基地とは「共存共栄」路線
普天間の機能移設には懸念

1996年7月31日 琉球新報
沖縄「命こそ宝」 3
闘争の最前線
監視塔やサイレン設置
平和経済願い土地守る人々




  


Posted by 糸満のカッパ at 16:45

1996年6月

2015年08月21日 / 1996年新聞記事

1996年6月
1996年6月1日 沖縄タイムス
米軍グッズ撤去
ひめゆりの塔周辺の土産品店
なお態度保留の業者も
→沖縄戦

1996年6月1日 沖縄タイムス
りゅうきゅうねしあへの便り 辰濃和男
やわらかな抵抗
沖縄社会と文化の型

1996年6月1日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 1 上原正稔
満潮とともに出撃命令
2等兵、慶留間に上陸
→連載・沖縄戦

1996年6月2日 沖縄タイムス
パブリックアートを手掛ける
シュー・リー・チェンさんに聞く
「象のオリ」を1000本のポールで囲む
沖縄の「記憶」表現したい
フェンスの中に 沖縄の現実を米国に 進化するコンセプト
→楚辺通信所

1996年6月2日 琉球新報
普天間基地移設を逆手に 上 比嘉盛一
「移設条件」むしろ好機
大琉球経済圏築き自立
→普天間飛行場移設

1996年6月3日 沖縄タイムス
中国吉林省
旧日本軍の遺棄毒ガス弾
推定70万発、土壌も汚染
日本初の本格調査終了

1996年6月3日 沖縄タイムス
ニュース断面
基地内に貴重な〝文化財〟
自然破壊、「危急種」など絶滅の恐れ
県教育庁 来年度にも分布調査へ
先人が残した墓 御獄や洞くつも
自然 文化財
→環境

1996年6月3日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 2
訳注・上原正稔
3人を3発で仕留める
隊の先頭切って前進

1996年6月4日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 3
訳注・上原正稔
「子供殺すな」と叫ぶ
2日後、惨劇の現場埋める

1996年6月5日 沖縄タイムス
沖縄の基地存続を希望
豪ダウナー外相が発言

1996年6月6日 琉球新報
沖縄の海兵隊削減は可能
ブルッキングス研究所 マイク・望月主任研究員に聞く
有事に輸送能力限界
10万人政策は間違い もっと柔軟な戦略を

1996年6月6日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 17
日米政府に意思表示
県民の選択
基地問う初の投票
県民個々人が選択すべき課題は多い
従来と異なる 意義ある機会 「各論反対」も

移設条件
二者択一論超え幅広い議論を

メモ
住民投票条例

1996年6月7日 琉球新報
晴読雨読
平良宗潤
戦艦大和 吉田満著
日本の進路に責任を

1996年6月8日 沖縄タイムス
沖縄は重要な位置
前米国防省次官補ペンドレイ氏 安全保障で講演
→安全保障問題講演会(主催・県商工会議所連合会、県工業連合会、経営者協会)

1996年6月8日 琉球新報
ブルービーチ
米兵、民間人に銃口
吉田金武町長 「許せない行為」
→演習事故 ブルー・ビーチ訓練場

1996年6月8日 琉球新報
住宅地に米軍車両
生活無視、と住民
狭い町道、壁スレスレ
金武町伊芸区
海兵隊「道に迷った」
→演習事故

1996年6月8日 琉球新報
インタビュー ペンドレイ元国防次官補に聞く
基地は沖縄のためになる
アクションプログラム 将来的に疑問感じる

1996年6月8日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 4
訳注・上原正稔
島の人々の予測超え進む事態
第3戦隊出撃できず

1996年6月10日 沖縄タイムス
沖・高教組の「平和シンポ」
歴史教育 沖縄戦だけ切り取った
教師の姿勢 「慰霊の日」のメニューに
実践の在り方 発達段階に応じ教育を
平和教育 人権抑圧や軍隊排除も

1996年6月10日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 5
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
皆で「天皇陛下万歳!」
始まった集団自決

1996年6月11日 沖縄タイムス
民間人への米兵銃威嚇
米軍、事実認め謝罪
金武町 再発防止を要請
→演習事故

1996年6月11日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 6
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
夜間、住民が突撃
伊江島上陸、激しい攻防

1996年6月12日 琉球新報
電話連絡取れず「聞き取り不能」のケースも
戦時遭難船舶遺族会が抗議
県の渡航目的調査はずさん
〝超法規〟的措置で救済を
→沖縄戦

1996年6月12日 琉球新報
米軍
空域外でヘリ訓練
漢那漁港近く 「危険」と宜野座漁協
→演習事故 訓練空域・水域

1996年6月12日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 2
戦争は知らないけれど 2
夫婦で平和メッセージ
戦跡ガイドで歴史の真実伝える
沖縄に住む意義 消えたわだかまり
→連載・沖縄戦 瀬戸隆博・小波津さつき氏

1996年6月12日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 7
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
戦闘で残ったのは6人
アーニー・パイル撃たれる

1996年6月13日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 3
戦争は知らないけれど 3
不戦の誓い次世代に
戦争の実態学び 〝追体験〟の案内役
加害の側面を知る 沖縄の〝光と陰〟伝えたい
→島袋昇氏 比嘉康裕氏

1996年6月13日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 8
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
沖縄本島へ上陸
新参兵がわが隊に配属

1996年6月14日 沖縄タイムス
業者、借地権設定で暗躍
狙われた普天間基地
跡地利用に支障
宜野湾市や軍用地主会 返還後の対策急ぐ

1996年6月14日 不明
沖縄復興の50年
土木建築行政を振り返る
最も懸命だった昭和20~35年
20年9月1日 沖縄諮詢会に公務部新設
初代・松岡政保に始まる 沖縄の土木建築行政
物のない時代 軍政府の方針 住宅計画

規格住宅の開発
住宅不足に一定の役割果たす

1996年6月14日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 4
戦争は知らないけれど 4
年間通じて平和学ぶ
どうすれば戦争をなくせるか論議したい
復帰したのに米軍が 多様な基地への思い
→勝連町立(現・うるま市立)与勝中学校

1996年6月15日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 5
体験を追う 上
沖縄戦に衝撃受ける
これからも続く歴史を紡ぐ作業
体験者の熱意に共感 軍隊への嫌悪感
→古賀徳子氏

1996年6月16日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 6
体験を追う 中
平和の尊さを次代に
稲田小児童が絵画で戦争の恐ろしさ表現
→名護市立稲田小学校

1996年6月18日 沖縄タイムス
「壕内」立ち入り禁止の看板
読谷・チビチリガマ
「み霊を静かに眠らせたい」
遺族会、理解求める
→沖縄戦

1996年6月18日 沖縄タイムス
県民投票のリスクと効果
島袋純・琉大助教授
圧倒的な投票・賛成率は基地整理・縮小に追い風
思惑はずれれば政府のペースに

1996年6月18日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 1
別離の地
姉の遺骨 探す戦後史
「生き残った者の役目」と
→連載・沖縄戦

1996年6月18日 沖縄タイムス
逆転の波紋 県議選’96 5
県の基地政策
党派超え合意形成の正念場

1996年6月18日 琉球新報
沖縄へのメッセージ 28
森田芳雄元ラサ島守備隊長
安保は「公益」にあらず

1996年6月18日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 7
体験を追う 下
平和願い固い決意
ひめゆり資料館で言葉失う若い世代
戦争のない国を 将来へ伝えたい
→ひめゆり祈念資料館

1996年6月18日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 9
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
日本兵が斬り込み攻撃
前線地区は死体が散乱

1996年6月19日 沖縄タイムス
来年度 実態を把握
基地内文化財346件
県教育庁がリストアップ

1996年6月19日 沖縄タイムス
英国人も刻銘
「平和の礎」新たに1968人
23日〝慰霊の日〟

1996年6月19日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 2
後世の道標 上
史実を掘り起こす
糸満市の綿密な戦災調査
→糸満市史

1996年6月19日 琉球新報
反戦地主の平和学 知花昌一 上
象のオリ立ち入り
当然のことをしただけ
わくわく、どきどき国との交渉

1996年6月19日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 8
伝える 上
共に感じていきたい
戦争知る創作劇で〝基地包囲〟の試み
語り部との出会い 心を揺さぶる
→宜野湾市立嘉数小学校

1996年6月19日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 10
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
ドイツ降伏後、最後の決戦
生き残るチャンスないと覚悟

1996年6月20日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 1 宮城晴美
「家」制度と「集団自決」
83%が女や子ども
座間味島の「自決者」
別の視点 正確な数は 国体観念
→連載・沖縄戦

1996年6月20日 沖縄タイムス
短信
「インヌミから」再販

1996年6月20日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 3
後世の道標 下
6月7日に村長選
南部激戦、沖縄市は復興へ

1996年6月20日 琉球新報
反戦地主の平和学 下 知花昌一
戦争を語り継ぐ責任
チビチリガマで学んだ真実

1996年6月20日 琉球新報
平和行政は今 6.23「継承」から「創造」へ 上
転換期
「平和3事案」実現に全力
歴史的事実伝える方策探る

1996年6月20日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 9
伝える 中
基地問題の情報発信
〝怒り〟のやり場をインターネットに
海外からも賛同 仲間の運動を支援

1996年6月20日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 11
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
続出する戦闘疲労症
絶え間なく襲う死の恐怖

1996年6月21日 沖縄タイムス
大型ヘリは欠陥機
米海兵隊、18機を飛行停止
→CH53E

1996年6月21日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
車の名義人は6200万円支払え
北谷の母子3人死亡事故
米兵の賠償責任認める
泣き寝入りに〝断〟
「慣例」 ハードル 悲しみ
→米兵事件・事故

1996年6月21日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 2 宮城晴美
監視された住民たち
全住民に目印のマーク
悲鳴、日本軍に届かず
「サ」の文字 錯乱状態 日本兵の言葉

1996年6月21日 琉球新報
平和行政は今 6.23「継承」から「創造」へ 中
ハード優先
現場の声を生かす施策を
歴史観養うことが大切

1996年6月21日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 10
伝える 下
基地問題を教材化
沖縄の誇りを取り戻す活動
政治絡みでタブー視 耐えられない現実
→嘉手納町立屋良小学校 伊佐冴子教諭

1996年6月21日 琉球新報
’96 私の平和論 6・23 上 内海恵美子
重要な至る過程
「日の丸」肯定、否定 ともに平和運動で存在

1996年6月22日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 4
模索続く 平和教育
押し付けではダメ
石積みで自然体の供養

1996年6月22日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 3 宮城晴美
惨状を極めた「集団自決」
自決早い役場職員
教師も手段は異なる様相
家族単位で 役場職員の壕 戦後の苦悩

1996年6月22日 沖縄タイムス

平良宗潤さん(55)糸満高校教諭
平和の大切さ若い世代に

1996年6月23日 沖縄タイムス
6・23慰霊の日
平和の礎
新たに1968人が判明
課題は旧朝鮮出身者の刻銘

文化財に戦跡を
歴史、平和の意義重要
取り組む市町村増える

戦後処理
船舶犠牲者補償問題など まだ引きずる
粘り強い運動を展開

沖縄戦の犠牲者数―
いまだ確定できず
背景に50年余の歳月

1996年6月23日 沖縄タイムス
「不法占拠」の看板撤去
知花さんに施設局職員 「訴えるならどうぞ」
象のオリ
→楚辺通信所 強制収用 知花昌一氏

1996年6月23日 沖縄タイムス
戦世伝える砲弾池
戦跡も保存の方向
知念村・斎場御獄
→沖縄戦

1996年6月23日 沖縄タイムス
リポート96
平和教育と基地 嘉手納町
悩む教師の〝卵〟たち
どう埋める世代間ギャップ
→嘉手納飛行場

1996年6月23日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 5
生きていたあかし
短い命を礎に刻む
「戸籍なく」と遺族は安ど

1996年6月23日 琉球新報
着々進む県の平和事業
「歴史の語り部」に 軍司令部壕
80億円投じ資料館移転

主要施策の概要
第32軍司令部壕の保存・公開
平和祈念資料館の移転改築
国際平和研究所の設置
沖縄平和祭
→沖縄戦

1996年6月23日 琉球新報
平和行政は今 6.23「継承」から「創造」へ 下
ソフト面拡充
課題は人材育成
縦割り行政にジレンマ

1996年6月23日 琉球新報
’96 私の平和論 6・23 下 内海恵美子
個の主体性尊重を
大切な「積極的平和」の立場

1996年6月23日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 1
総論
基地接収で住民が分散
→強制収用

1996年6月24日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 4 宮城晴美
生き残った者の苦悩
敵につかまるよりは…
「カラサンシン」弾く祖父
のどのハンカチ 家長の戦後 戦争犯罪のしくみ

1996年6月24日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 2
沖縄市 上
再興の夢
いつかは故郷に…
ダムの底に消えた村 ダムに倉敷の名を残す

1996年6月24日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 12
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
与那原―那覇戦線で苦戦
銃弾一発が左手を貫通

1996年6月25日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 5 宮城晴美
2重・3重の自決「命令」
絶対服従の社会構図
天皇、日本軍、家長が〝死〟導く
「家」制度 銃後の「滅私奉公」 がんじがらめ

1996年6月25日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 6
メッセージ
歌で基地・戦争問う
草の根運動「だれかが…」

1996年6月25日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 13
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
戦友はほとんど戦死
少ない生き残りも皆負傷

1996年6月25日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 3
沖縄市 中
礎調査
〝記憶の糸たぐり〟
旧西里の地図を作成 郷友会の重み

1996年6月26日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 7
記念碑か慰霊碑か
反戦平和のシンボルに
礎刻銘は存在したあかし

1996年6月26日 沖縄タイムス
ウソの死亡告知書 大城勲
遺品のかけらもない
遺族の悲しみも倍増

1996年6月27日 沖縄タイムス
沖縄基地問題で小川和久さんに聞く
危険なあなた任せの国民性
基地は分散した上で国民の知恵で縮小を

1996年6月27日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 8
壕の中で「命どぅ宝」
那覇市平和ガイド
修学旅行生に沖縄戦伝える
→那覇市平和ガイド 又吉恵子氏

1996年6月28日 沖縄タイムス
「10・10空襲のあと疎開希望者は増えた」
石原教授が指摘
「集団自決は軍事的他殺」
→沖縄戦

1996年6月29日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
汚れた同盟
「日本人の誇り」とは何か
等身大でとらえたい安保論議
あいまいな決議 教科書の記述批判 事実の隠ぺい

1996年6月29日 琉球新報
96追跡
基地従業員の解雇問題
不安定な請負契約
労働者犠牲の現実浮き彫り
契約中途で従業員解雇 軍の都合で業務変更 厳しいMLC移行

1996年6月30日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 4
沖縄市 下
次代へ
字史づくり活発に




  


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1996年5月

2015年08月19日 / 1996年新聞記事

1996年5月
1996年5月1日 沖縄タイムス
沖縄と女性・人権 ‘96憲法講演会によせて 下 田港朝昭
よみがえれ憲法
軟弱外交に強い怒り
県の運動が全国起こす
「主権在民の原則」は 地位協定の不平等性 家永さんの来県

1996年5月1日 日本経済新聞
若者はいま 第84話
基地の島で 5
肌で感じたこと生かし語り部に
→大城和也氏

1996年5月2日 沖縄タイムス
緊急使用申し立ての国側疎明要旨
→強制収用 楚辺通信所

1996年5月2日 沖縄タイムス
基地のシマからの手紙 橋本・クリントン日米両首脳へ 上 山内徳信
「移設条件」付き返還
沖縄への差別が存在するあかし
民間と混在の基地は異常です
県民の心を理解し、「良き隣人」に
県民の願い 米軍基地の異常性 4つの理由
→連載・基地

1996年5月2日 日本経済新聞
若者はいま 第84話
基地の島で 6
冷たい東京…「独立研究会」で模索
→照屋みどり氏

1996年5月2日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 12
地主奔走 ゴルフ場建設
読谷
跡利用で村づくり
従業員の9割が地元「波及効果は大」
荒れ地に「夢」 無農薬に挑戦 地主会で成功

西海岸道路
新国道建設で活性化めざす

メモ
読谷補助飛行場

1996年5月3日 沖縄タイムス
基地のシマからの手紙 橋本・クリントン日米両首脳へ 中 山内徳信
「普天間返還」の合意
喜び、怒り混じる複雑な心境に
悲しい矛盾に満ちた沖縄の現実
これから新たな闘いが始まる
移設先も「NO」 強引な押し付け 内も外も土地は連続

1996年5月3日 沖縄タイムス
憲法 身近なものとして 4
平和創造
戦争のにおいイヤ
読谷村の画家 名嘉睦念 仕事も軍事色排除

1996年5月4日 沖縄タイムス
基地のシマからの手紙 橋本・クリントン日米両首脳へ 下 山内徳信
基地の県内たらい回し
あまりにも県民をばかにした策
抜本解決は米本国への移設です
アジア太平洋地域含め検討を
過密な米軍基地 憲法の形骸化 信頼しあえる関係へ

1996年5月6日 沖縄タイムス
嘉手納基地
何も変わらぬ騒音禍
防止協定はできたが… 4月は今年最高
→嘉手納飛行場 航空機騒音

1996年5月8日 沖縄タイムス
評論 元従軍慰安婦への償い 坂本義和
問われる国家の品格
決済迫る国連人権委
発想の貧しさ 無責任の体系 果たすべき決済

1996年5月9日 沖縄タイムス
米海軍アンテナを建て替え
泡瀬 固定化懸念と歓迎の声
→泡瀬通信施設

1996年5月9日 沖縄タイムス
今晩の話題
基地は動く

1996年5月9日 沖縄タイムス
基地ころがし 現地からの報告
6 104号越え実弾演習 金武町
演習廃止で初の町民大会
伊芸区独自で国に3回直訴
→連載・基地

1996年5月9日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 13
高い 県内土地価格
地料と地価
右肩上がりの相関関係
跡地利用に大きな負担回す
全国で11位 毎年アップ 「高いが感想」

先行取得
難航した那覇新都心地区事業

メモ
遊休化

1996年5月10日 沖縄タイムス
「普天間」飛行部隊 岩国市、受け入れへ動く
「拡大強化せず」条件に
経済効果の側面に期待感
頭越しの決定 撤去より移設
→海兵隊移設

1996年5月10日 基地ころがし 現地からの報告
7 瀬名波通信施設 読谷村
村内移設に地虫ら戸惑い
黙認耕作地なくなる恐れも

不明
県収用委の不許可決定要旨
→強制収用 楚辺通信所

不明
識者談話
客観的で妥当な判断
ポスト冷戦の安保論議を
仲地博教授 琉球大・行政法

民主主義の大義教示
通用しない法無視の主張
清水誠教授 神奈川大・民法

国民の常識にかなう結論
早稲田大学法学部長の佐藤英善教授(行政法)の話
→強制収用 楚辺通信所

1996年5月12日 沖縄タイムス
表層深層
政府揺るがす不許可決定
特別立法も難題山積
「日本の義務」に法的空白
落胆する首相 そでにされた打診 「隠し玉」
→強制収用

1996年5月12日 沖縄タイムス
不許可の波紋 「象のオリ」緊急使用 1
判断
「緊急使用」を徹底研究
法律解釈で全会一致
命令 重責
→連載・基地 楚辺通信所

1996年5月12日 沖縄タイムス
基地ころがし 現地からの報告
9 嘉手納弾薬庫地区 読谷村
返還合意施設に滑走路
言語道断 19日に総決起大会

1996年5月13日 沖縄タイムス
不許可の波紋 「象のオリ」緊急使用 2
予想外
国は手づまり状態
「採決を待つしかない」
苦悩 得策 不満

1996年5月14日 沖縄タイムス
不許可の波紋 「象のオリ」緊急使用 3
法見直し
与党二つに割れる
「政」の意思統一待つ「官」
肯定 ジレンマ 揺れ

1996年5月14日 沖縄タイムス
基地ころがし 現地からの報告
11 伊江島補助飛行場 伊江村
〝棲み分け〟もやむなし
地主「返還されたら死活問題」

1996年5月16日 沖縄タイムス
平和の礎刻銘者
23万6千95人に
→沖縄戦

1996年5月16日 沖縄タイムス
県民投票条例で補正予算を提案

1996年5月16日 沖縄タイムス
不許可の波紋 「象のオリ」緊急使用 4
根拠
基地の有機一体論
転換に〝自信〟見せた国
読み違え 波及

1996年5月16日 沖縄タイムス
基地ころがし 現地からの報告
12 北部訓練場 国頭村 東村
海への連結用地が条件
注目される候補地安波の動向

1996年5月16日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 14
自立へ 跡利用に本腰
経済界
県の計画に注文
「段階的返還でじっくり検討を」
「オール沖縄」 返還後を懸念 さまざまな声

産業創出
厳しい軍用地料並みの収入

メモ
経済団体

1996年5月17日 沖縄タイムス
不許可の波紋 「象のオリ」緊急使用 5
立ち入り
失敗した〝聖域化〟
私有地でカチャーシー
演出 言い訳 ひずみ

1996年5月22日 沖縄タイムス
日系二世の戦争体験
抜け落ちた視点
開戦で日本と決別
つらい思いが友好に貢献

1996年5月23日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 15
〝準公務員〟の身分が人気
基地従業員
高学歴の人材も就職
退職した男性
「基地撤去のわだかまり 抱え続けた35年だった」
実力優先主義 Uターン現象 米兵との議論

雇用確保策
返還時に欠かせない視点

メモ
雇用効果

1996年5月25日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
米兵による事件・事故の補償問題
多くは泣き寝入り
手術受けられないケースも
「米軍は信用できない」
→米兵事件・事故

1996年5月27日 沖縄タイムス
希少生物に痛しかゆし
基地内の動植物
保護と環境への懸念で論議へ
闘争に新たな視点
→環境 嘉手納弾薬庫地区

1996年5月27日 沖縄タイムス
希少動植物16種を確認
嘉手納弾薬庫で日米の学者
影響 最小限にと勧告

貴重な自然保全して
金城清子・県環境保健部自然保護課長
→環境 嘉手納弾薬庫地区

1996年5月27日 沖縄タイムス
米軍用ソノブイと判明 糸満市の落下物
→演習事故 自衛隊

1996年5月27日 沖縄タイムス
軍用地拒否の経済的意義 大田知事の決断を頌す 1 松田賀孝
衣食足りて基地の不義ただす
基地への依存度低下
存在に屈辱覚え忌避の念
総決起大会の意義 決起の理由 戦争への怨恨の情

1996年5月27日 沖縄タイムス
安保最前線の入砂島射爆場 渡名喜村
空爆に耐え40年余
胸痛む訓練の光景
日曜を除き昼夜続く
軍用地料は1300万円

1996年5月28日 沖縄タイムス
「平和の礎」追加刻銘進む
新たに1千968人分
「慰霊の日」前に据え付け

1996年5月28日 沖縄タイムス
ソノブイ問題
対潜哨戒機から落下
在沖米海軍艦隊司令部 嘉手納に帰投中

1996年5月28日 沖縄タイムス
社説
視点変えて基地を見ると
基地内に16種の希少生物 代替施設で全滅の恐れも あまりにも無神経な米軍

1996年5月28日 沖縄タイムス
軍用地拒否の経済的意義 大田知事の決断を頌す 2 松田賀孝
基地は生産的経済機能を阻害
増殖しない投入資金
産業と無関係の移転所得
循環しない基地資金 経済的価値の有無 「資本」でない資金

1996年5月29日 沖縄タイムス
嘉手納基地の管制中隊を解体へ
SACOとは別に部隊削減

1996年5月29日 沖縄タイムス
米機の訓練7ルート判明
全国6空域で年間404回低空飛行
岩国の市民団体調査
→岩国市職平和研究所

1996年5月29日 沖縄タイムス
軍用地拒否の経済的意義 大田知事の決断を頌す 3 松田賀孝
基地依存からの脱皮を
高い民間地の生産性
不条理な県民全体の受忍
生産性低い軍用地 軍用地料って 県経済の基地依存度は

1996年5月30日 沖縄タイムス
来春から全域調査
基地内文化財で県教育庁
3年計画 貴重な動植物も
→環境

1996年5月30日 沖縄タイムス
軍用地拒否の経済的意義 大田知事の決断を頌す 4 松田賀孝
国際交流拠点の構築を
他に類ない立地条件
基地を捨て「蓬莱島」へ
アジアとの交流 平和の要石に 国際交流の歴史

1996年5月30日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 16
利益薄い米軍直轄工事
建設業界
激しい受注競争でダンピングも
思惑絡み協同組合解散
「返還後」に熱い視線
ボンド制 少ない「新規」 思いやり予算

関連業界
貸住宅収入は年50₋60億円

メモ
契約事務所

1996年5月31日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
住民投票 再論
人民主権基礎に自治あり
実施過程は自決権への学習の場
議会制民主主義を補完 組織的利害はない 自立へ至る道


  


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1996年4月

2015年08月18日 / 1996年新聞記事

1996年4月
1996年4月1日 沖縄タイムス
不法占拠 米軍楚辺通信所 上
背負うツケ
異常事態に突入
破たん寸前の基地行政
→連載・基地 強制収用

1996年4月1日 沖縄タイムス
知花さんの陳述書(要旨)
→楚辺通信所 強制収用 知花昌一氏

知花さんの仮処分申立書 要旨
国の仮処分答弁書 要旨
→楚辺通信所 強制収用

1996年4月1日 沖縄タイムス
解説
ほころび増す「安保の紋所」
→楚辺通信所

1996年4月1日 沖縄タイムス
政府見解に矛盾
緊急使用の要件欠く
新崎盛暉沖大教授
→楚辺通信所

1996年4月1日 沖縄タイムス
「象のオリ」継続使用 政府見解に異議あり 江上能義
醜悪な政府の態度
→楚辺通信所

1996年4月2日 沖縄タイムス
不法占拠 米軍楚辺通信所 中
立ち入り禁止
日米見解を封印
しら切り通した政府

1996年4月2日 琉球新報
揺れる象のオリ 1
三線の音響かず
「終わりでなく始まり」
裁判勝利に強い決意
→連載・基地 楚辺通信所

1996年4月2日 琉球新報
識者評論
〝この瞬間〟象のオリの前で
梅林宏道 太平洋軍備撤廃運動国際コーディネーター
米市民も知る必要が
権力の非正統性明るみに
→楚辺通信所

1996年4月3日 沖縄タイムス
揺らぐ法治国家
政府〝不法占拠〟に躍起
つぎ込まれる膨大な人員、資金
知花さん「存在せぬ借料」
アリバイ 公用車 たばこ代

「政治的判断だ」
梶山長官発言で知花さん

現地警備本部解散
読谷「象のオリ」
→楚辺通信所 強制収用

1996年4月3日 沖縄タイムス
不法占拠を認めた国
借料でなく損害金払え
違憲共闘会 反戦など会見
→楚辺通信所

1996年4月3日 沖縄タイムス
「極東条項」による在日米軍削減案 上 梅林宏道
世論誘導の脅威論
必要か「4万7千人体制」

1996年4月3日 沖縄タイムス
不法占拠 米軍楚辺通信所 下
日米合意首脳会談
政府に焦りの色
連立与党内にきしみ

1996年4月3日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 6
島袋秀成さん(73)キャンプ・シュワブ
マンゴーなど果物植えたい

1996年4月3日 琉球新報
揺れる象のオリ 2
苦境の国側
「完全な拒否 難しい」
論拠の弱さあらわに

1996年4月4日 沖縄タイムス
「極東条項」による在日米軍削減案 中 梅林宏道
「かけもち部隊」の評価
安保体制の矛盾を露呈

1996年4月4日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 7
「ミルクプラント」従業員の闘い
工場閉鎖、MLCに身分移行

1996年4月4日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 8
3K産業
93年度は計2196億円
なお高い基地関連収入
政府予算も増えるばかり
雇用者所得や軍用地料が増
「県外受取」 額は2倍強に 自治省からも 「6兆円事業」

思いやり予算
年々広がる「肩代わり」の幅

メモ
産業構造

1996年4月4日 琉球新報
揺れる象のオリ 3
一坪の支え
「銃剣による接収と同じ」
国の暴挙に強い反発

1996年4月4日 琉球新報 レキオ
はいさい レッキーvol 360
草原へ帰る日の巻
→楚辺通信所

1996年4月 不明
今なお、山野に戦争のつめ跡 石垣島の戦跡地視察
日本軍の地下壕や砲台跡
→沖縄戦

1996年4月5日 沖縄タイムス
揺れる象のオリ 4
うねり
全国に沖縄支援の輪
「不公平」の理解広がる

1996年4月6日 沖縄タイムス
「極東条項」による在日米軍削減案 下 梅林宏道
即戦の沖縄海兵隊
日本防衛任務に関係ない

1996年4月7日 沖縄タイムス
リポート96
市の戦争遺跡調査 具志川市
早急な確認作業が必要
急激な環境変化で減少
→沖縄戦

1996年4月不明 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 8
徳森伸一(49)利美子(38)夫妻
家族の思い
なぜミルクだけ首になるの

1996年4月8日 沖縄タイムス
異常
「象のオリ」
「不法占拠」7日 見学者絶えず
注目の立ち入りめぐる動き
周辺住民は〝騒ぎ〟去りホッと
→楚辺通信所

1996年4月8日 沖縄タイムス
安保と沖縄 クリントン来日 1
事件後 目向けた米政府
譲れぬ軍事機能の維持
模索 負担 個別
→連載・基地

1996年4月8日 沖縄タイムス
沖縄に「独立」は可能か 自立論との関係で考える 上 我部政明
現実論への脱皮不可欠
異なる沖縄と日本からの視点
「独立」への展望 住む場所の違い 国民とは何か

1996年4月8日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 9
仲宗根亀次さん(56)
基地労働の苦悩
諸悪の根源で働いているのか!

1996年4月9日 沖縄タイムス
沖縄に「独立」は可能か 自立論との関係で考える 下 我部政明
21世紀型の国家構想を
国民国家は統合から分離へ
二つの「自我」意識 「自立」と「独立」 沖縄人の定義

1996年4月10日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 10
全駐労の葛藤
「雇用のアクションプログラム」を

1996年4月11日 沖縄タイムス
漁船近くに機銃弾
名護市辺野古 周辺上空に米軍ヘリ

名護市議団が施設局に抗議
→演習事故 訓練空域・水域

1996年4月11日 沖縄タイムス
訴え 首脳会談を前に 1
安里秀雄さん 違憲共闘会議事務局次長
沖縄の現状知って
1万人規模の本土集会へ
インパクト大きい

1996年4月11日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 9
模索する契約地主
反対一辺倒ではない
返還の〝独り歩き〟警戒
大きく重い県の責任
「地主の立場に考慮を」
老女の訴え 異議はない 目立つアラ

私の意見
志良堂博
跡利用に現実的「産業」創出を

メモ
普天間飛行場

1996年4月12日 沖縄タイムス
辺野古沖銃撃問題
訓練水域内で操業?
施設局 事実確認急ぐ
→訓練空域・水域

1996年4月12日 沖縄タイムス
辺野古沖銃撃問題
漁民「不安で操業できぬ」
訓練空域と漁場が隣接
→訓練空域・水域

1996年4月12日 沖縄タイムス
戦争マラリアの解決に感謝
篠原武夫
3億円の移籍で決着
実を結んだ各界の支援
→沖縄戦

1996年4月14日 沖縄タイムス
軍特委が現地踏査へ
漁船〝銃撃〟問題を重視
名護市議会
→演習事故 訓練空域・水域

1996年4月14日 沖縄タイムス
日米安保を考える
宝珠山昇前防衛施設庁長官
体制の補強が必要
有事に日本も戦う姿勢を

1996年4月14日 沖縄タイムス
「普天間」基地は動いた 展望と不安と 1
普天間第二小
28年間の危機感から解放
→連載・基地

1996年4月15日 沖縄タイムス
訴え 首脳会談を前に
宮城晴美さん 沖縄女性史研究家
「返還」素直には喜べない
民衆の支援が大切
→跡地利用

1996年4月15日 沖縄タイムス
「普天間」全面返還 中
有事対応で「共同研究」
安保の変容か、補強か
緊急有事にヘリ三百機 民間施設使用をにらむ 基地機能分散なお疑問

1996年4月15日 沖縄タイムス
「普天間」基地は動いた 展望と不安 2
宜野湾市の構想
教育、平和のセンターに

1996年4月16日 沖縄タイムス
名護漁協のパヤオ 訓練水域内に漂流
市軍特委が現場調査
→演習事故 訓練空域・水域

1996年4月16日 沖縄タイムス
見せかけの返還リスト
内包する自衛隊の枠組み
前田哲男氏談話

関係首長コメント
機能の強化は信義に反する 伊芸宏宜野座村長
責任もって跡地利用を 山内徳信読谷村長
実現できてうれしい 伊芸秀成金武町助役
これ以上は認められない 島袋清徳伊江村長
→跡地利用

1996年4月16日 沖縄タイムス
訴え 首脳会談を前に 5
新城馨さん 県軍用地等地主連合会長
共同宣言を踏まえ議論
制度的措置求める

1996年4月16日 沖縄タイムス
「普天間」全面返還 下
反発強める自治体
県にも避けられぬ課題
国に責任がある 県政の重要課題 嘉手納の軽減策

1996年4月16日 沖縄タイムス
「普天間」基地は動いた 展望と不安 3
戸惑う地主たち
跡地利用に国は責任を

1996年4月17日 沖縄タイムス
核心評論
極東有事
安保に魂入れる集団自衛権
アジア各国の信頼醸成必要
エビで鯨を釣る グレーゾーン活用へ

1996年4月17日 沖縄タイムス
「普天間」基地は動いた 展望と不安 4
全駐労の苦悩
闘争と職場 戸惑う若者

1996年4月17日 沖縄タイムス
検証 SACO中間報告 1
「前進」と「課題」が混在する中身
苦しい対応迫られる県
→連載・基地

1996年4月18日 沖縄タイムス
日米共同宣言
予想超える難問山積
県要望は一定の前進
共同宣言に主張は盛り込まれたか 基地の整理・縮小はどこまで進んだのか 地位協定の見直しはこれで十分と言えるか

1996年4月18日 沖縄タイムス
解説
極東以外の派遣に道
機能軽減は困難 在沖海兵隊

県内政党コメント
日米の方向を示した点評価 自民党県連 伊良皆高吉幹事長
「極東条項」の拡大は許せぬ 社民沖縄 新垣善春委員長
同盟関係高め歴史的な犯罪 社大党 喜納昌春書記長
安保のコスト公平に負担を 新進党 外間盛善幹事長
基地固定化の手段にするな 共産党県委 赤嶺政賢委員長
大国の都合で犠牲強いるな 公明沖縄 高良政彦県本部長
前進目指して現実的対応も さきがけ沖縄 島尻昇代表
→日米安保の再定義

1996年4月18日 沖縄タイムス
「日米共同宣言」を読んで
中西輝政 京大教授 「融解」の季節迎えた東アジアを見極めよ
新崎盛暉 沖大教授 議会審議ない声明は「民主主義」の空洞化

1996年4月18日 沖縄タイムス
沖縄県の要求と中間報告の比較

日米首脳会談の主なやりとり

沖縄県の要望と日米安保共同宣言

基地問題解決への県要望と解決内容

中間報告に盛り込まれた主な米軍基地
全面返還
普天間飛行場 安波訓練場 ギンバル訓練場 楚辺通信所 読谷補助飛行場 瀬名波通信施設 那覇港湾施設
部分返還
北部訓練場 キャンプ桑江 牧港補給地区 キャンプ瑞慶覧
継続検討
レクリエーション施設など

1996年4月18日 沖縄タイムス
「普天間」基地は動いた 展望と不安 5
嘉手納の怒り
黙っておれぬ機能移転

1996年4月18日 沖縄タイムス
検証 SACO中間報告 2
有事に民間空港施設などを使用
大きい「普天間」の代償

1996年4月18日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 10
伊江島
高い施設庁の助成
国に頼る離島の苦悩
70代の地主 「収入あるのは基地のおかげ」
収益は2% 見返り事業 跡利用計画

「迷惑料」
「民生安定施設」は特例扱い

メモ
伊江島補助飛行場

1996年4月19日 沖縄タイムス
辺野古沖銃撃事故
ミサイルも発射
海兵隊ヘリ 漁船を背に1発
先週 県へ報告
→演習事故

1996年4月19日 沖縄タイムス
立ち入り人数を制限
県収用委「象のオリ」調査
米軍「地下設備に影響」
一度に7、8人 先月は十数人入った
→楚辺通信所

1996年4月19日 沖縄タイムス
検証 SACO中間報告 3
部隊の再配置が可能なこと示す
小ぶりな整理・統合

1996年4月19日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 9 我部政明
ダレス・重光会談 下
沖縄基地は共通利益
米、統治に日本の介入認めず
日米両政府の課題 憲法改正へ向かう 旧住民の帰島に反対 優先順位の違い

1996年4月20日 沖縄タイムス
爆音の授業妨害
12年で2年分の損
嘉手納小山本教諭 データ基に試算
→航空機騒音 嘉手納飛行場 山本隆司教諭

不明
社説
平和乱す盗聴施設いらぬ
→楚辺通信所

跡利用のメリット創出を
→跡地利用

1996年4月21日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
国 緊急使用で窮地 象のオリ
不法占拠の正当性示せず
「緊急性は薄い」の声上る
→楚辺通信所 強制収用

1996年4月21日 沖縄タイムス
対潜作戦センター送信所建設問題 本部町
戦争加担施設造らせない
5年目迎える監視活動
→自衛隊 P3C対潜水艦作戦センター(ASWOC)送信所

1996年4月22日 沖縄タイムス
ウチナーからの安保再定義 宮里千里
全国の〝沖縄化〟か
生活レベルでの論議を
今日の悲劇 返還は移設 一種の希望

1996年4月22日 沖縄タイムス
検証 SACO中間報告 4
耐用年数超えた米の復帰前施設
移設統合は「渡りに船」

1996年4月22日 日本経済新聞
若者はいま 第84話
基地の島で 1
「あこがれのアメリカ」実は軍隊
→連載・基地 天顔真弓氏

1996年4月23日 沖縄タイムス
検証 SACO中間報告 5
今回の合意内容 最終の到達点か
新たな返還要求に逆風も

1996年4月23日 日本経済新聞
若者はいま 第84話
基地の島で 2
思い語り合い 意識の芽育てたい
→天顔真弓氏

1996年4月25日 沖縄タイムス
北中城村 立村50年
米軍進駐で村分断
5月20日に式典・祝賀会

1996年4月25日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 11
金武・宜野座
歳入支える基地収入
軍用地料で潤う区予算
「返還後」の財源消失に不安の声隠さない区長
1億6千万円 町村から区へ PTA会費も 将来を考える

基地依存度
自治体事情踏まえた跡利用を

メモ
キャンプ・ハンセン訓練場

1996年4月26日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 10 我部政明
沖縄への核配備
対ソ戦略上「抑止」として利用
核搭載機の配備で裏付け
沖縄基地を恒久施設へ 核兵器の沖縄貯蔵 冷戦と核戦略 核爆撃機の出撃基地

1996年4月26日 日本経済新聞
若者はいま 第84話
基地の島で 3
学生つなぎソフトに問題提起したい
→宮里辰徳氏

1996年4月28日 沖縄タイムス
不満残し受け入れ
「マラリア慰藉事業」で援護会
国の責任明記を条件に

1996年4月28日 沖縄タイムス
糸満市遺族会
平和の尊さかみしめ
「満霊之塔」を除幕
50年の胸のつかえ下りる
安らかに1万1700余柱

1996年4月28日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
大阪・東京集会の意味
数年来まれにみる熱気
沖縄側主催で幅広い層結集
沖縄的共闘体制 共通目標をもつ人々 沖縄を超えて

1996年4月30日 沖縄タイムス
米兵が校内に無断立ち入り 与勝高校
迷彩服で測量調査
→演習その他

1996年4月30日 沖縄タイムス
アンテナ設置し、データ集め
海兵隊、与勝高で作業

1996年4月30日 沖縄タイムス
伊志嶺善三弁護士に聞く
安保と憲法の矛盾露呈
米軍も使用する権利はない
→楚辺通信所の不法占拠1カ月。

1996年4月30日 日本経済新聞
若者はいま 第84話
基地の島で 4
沖縄の思い伝える〝イルカ〟目指す
→新屋敷弥生氏




  


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1996年3月

2015年08月17日 / 1996年新聞記事

1996年3月
1996年3月1日
1日 沖縄タイムス
「基地の恩恵は必要だ」
県、土地連理事会へ国際都市構想説明
出席地主ら不満表明
→跡地利用

1996年3月1日 沖縄タイムス
知事出廷 沖縄の訴え 代理署名訴訟 1
決断
基地重圧を問う
司法の独立に期待
注目集まる知事証言
積極姿勢 不透明さ
→連載・基地

1996年3月1日 沖縄タイムス
沖縄の人々に伝えたいこと
東京・潤徳女子高校
大切な知らせること 堀瀬さん
これからも考えたい 佐久間さん

1996年3月1日 沖縄タイムス
米軍基地と民族自決権 3 仲地清
フィリピン
基地撤去で経済自立
第2のシンガポール目指す

1996年3月1日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 5 我部政明
戦後日本の安保の枠組み
初めから不平等条約
米軍にとって優位な内容
わすか5条の条約 在日米軍の存在理由 対等な関係を 防衛計画への疑問

1996年3月1日 琉球新報
女たちの草の根外交 米国ピースキャラバン報告 7 天顔真弓
学生たちとの交流
軍隊の是非で議論
武力で真の平和築けない

1996年3月1日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 54 第4部 裁かれる基地政策
審査の範囲
国主張に沿う裁判所判断
実質審理狙う県 学会で強い支持

1996年3月2日 沖縄タイムス
知事出廷 沖縄の訴え 代理署名訴訟 2
揺れ 上
県幹部に自信も
知事署名で白熱の議論
いらだち やる気

1996年3月2日 沖縄タイムス
米軍基地と民族自決権 4 仲地清
沖縄
不可欠な自決権行使
県づくりに共通認識が大事

1996年3月2日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 55 第4部 裁かれる基地政策
入り口論争
「訴えは不適法」と県主張
機関委任事務か否かで鋭く対立

1996年3月4日 琉球新報
米軍グッズ 5月中に撤去へ
既に陳列やめた業者も
「戦跡にそぐわない」
ひめゆりの塔周辺土産品店
→沖縄戦

1996年3月4日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 56 第4部 裁かれる基地政策
手続きの瑕疵
調書作成、初の司法判断へ
注目される地主尋問の取り扱い

1996年3月5日 沖縄タイムス
県民の政治意識 琉大の調査分析から 3 比嘉要
メディアと投票行動
閲読派ほど関心高い
国政選挙の意思決定は電波
投票行動への影響 新聞と選挙への関心度 閲読時間と投票決定

1996年3月5日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 57 第4部 裁かれる基地政策
公益要件
知事は「公益判断」可能か
問われる執行命令 訴訟制度の意義

1996年3月5日 琉球新報
米軍が夜間砲撃演習
キャンプ・ハンセン 住民の「静かな夜」奪う
→演習その他

1996年3月6日 沖縄タイムス
夜間に実弾演習
金武町が抗議、米軍謝罪
→演習その他

1996年3月6日 沖縄タイムス
米兵暴行事件 衝撃その後 迫る判決 下
学校現場
基地〝教育〟新たに
教師ら「平和ガイド」発行へ

1996年3月7日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 5
国有地化
20年で64万平方メートル
那覇軍港の面積超える
経済的困窮を理由に買い上げ求める地主
球場の17個分 バブル崩壊後 「虫食い状態」 大蔵省管理に

国の利用方針
3分割で公共の用途を優先

メモ
軍用地外の国有地

1996年3月9日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 58 第4部 裁かれる基地政策
安保論争 上
「統治行為」背景に司法けん制
→連載・基地 強制収用

1996年3月11日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 59 第4部 裁かれる基地政策
安保論争 下
〝脱軍事型〟に無限の可能性
冷戦後も国の立場変化せず

1996年3月12日 沖縄タイムス
司法の立場から
新井章 茨城大教授
結審は無謀の極み
背景に素人的な政治判断

民主主義とは何か 傍聴した識者談話 公平さ欠いた裁判
禁じ手にされた忌避 新崎盛暉沖大教授
不信感募らせる結審 江上能義琉大教授
知事の言葉 後々まで 高良鉄美琉大教授
→強制収用

1996年3月12日 沖縄タイムス
傍聴席から
比屋根照夫琉大教授
県は不退転の決意で
実質審理避けた後味の悪さ
→強制収用

1996年3月12日 沖縄タイムス
大田知事証言(要旨)
→強制収用 要記事

1996年3月12日 沖縄タイムス
結審 代理署名訴訟 上
露骨な政府の本音
「安上がり論」に知事憤怒
公益 反論 痛み
→連載・基地 強制収用

1996年3月12日 琉球新報
識者はこうみる
石原昌家 沖縄国際大学教授
軍事基地の重圧切々と
自身の体験踏まえた重い証言
→強制収用

1996年3月14日 沖縄タイムス
結審 代理署名訴訟 下
「不法占拠」に対応
期限切れ後も継続使用
優位性 管理権 流動的

1996年3月14日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 6
拒否地主に重い税負担
アメとムチ
不公平生む国の補償
契約地主には地料を毎年増額
経済的不利益 10年の不均衡 酒とサシミで 少数での抵抗

3対3対3
民有地の多さから問題派生

メモ
米軍用地収用特措法

1996年3月15日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 6 我部政明
重光外相の集団安保提案
防衛力強化ももくろむ
間接的に米政府の意向
総合防衛・同盟条例 在日米軍への不満 核兵器持ち込みへの制約 日米関係の鍵・保守合同

1996年3月15日 琉球新報
揺らぐ司法への信頼 米軍基地代理署名訴訟 1
強制使用への通過儀礼
安保へ配慮にじませ
県民とかけ離れる
→強制収用

1996年3月16日 琉球新報
揺らぐ司法への信頼 米軍基地代理署名訴訟 2
国に同調? 訴訟指揮
基地関連の2裁判
スローペースで進む

1996年3月17日 琉球新報
揺らぐ司法への信頼 米軍基地代理署名訴訟 3
公正さ疑わせる人事交流
4人の国側代理人
「嘉手納」の裁判官出身も

1996年3月18日 琉球新報
揺らぐ司法への信頼 米軍基地代理署名訴訟 4
1970年ごろから転官が急増
定着した判・検交流
日弁連が是正求める

1996年3月20日 琉球新報
揺らぐ司法への信頼 米軍基地代理署名訴訟 5
背景に〝沖縄シフト〟の声
強引な手法支える?
公開にも努力必要

1996年3月21日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 1
金城政次郎さん(72) 那覇軍港
「自分の土地になぜ住めぬ」
→連載・基地

1996年3月22日 沖縄タイムス
亀井静香自民党広報本部長が講演
沖縄はわずかな税金でやれるのか
自民・中央官僚とのパイプの重要性強調

1996年3月22日 沖縄タイムス
判決直前 沖縄の訴え 代理署名訴訟 3
インターネット
回線通じ気軽に
若い世代も市民運動へ

1996年3月22日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 7 我部政明
安保改定の条件
日米関係の試金石に
日本へ「積極的」態度を勧告
国内基盤の弱さを露呈 協議という妙薬 支援に値する政権を 「後ろ向き」な日本

1996年3月23日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 2
佐喜眞道夫さん(49) 普天間飛行場 キャンプ・瑞慶覧
「基地返還は今しかない」

1996年3月23日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
民衆を信頼する政治を
世論は権力に立ち向かう後ろ盾
ぜひ 成功させたい住民投票
装われた公平性 行政と運動の相関関係 住民投票への動き

1996年3月24日 琉球新報
安保と沖縄 第1部 国家と住民 1
新・新条約
適用範囲と大幅に拡大
再改定に等しい再定義
「太平洋条項新設を」 政府内にも疑問の声

1996年3月25日 沖縄タイムス
代理署名訴訟争点と判決
→強制収用

1996年3月25日 沖縄タイムス
沖縄における憲法と安保
小林直樹
例をみない過重負担
「人間らしい」生活脅かす

1996年3月26日 沖縄タイムス
オリの周りにオリ!?
楚辺通信所
「シリに火」暁の突貫工事
県警は厳戒態勢
→強制収用

1996年3月26日 沖縄タイムス
「象のオリ」にフェンス
米軍の意向受け
「混乱回避」と施設庁
未明から騒然とした雰囲気

フェンスは既定方針
橋本首相

「法的根拠はその時点で」
防衛庁長官

1996年3月26日 沖縄タイムス
ニュース断面
政府「基地確保」に躍起
不法占拠 国の論理
実態論で逃げ切る
「フェンス」で守る法治国家
根拠 法解釈 手続き

象のオリ
二重フェンス設置へ
防衛施設庁 きょう「混乱回避」理由に

1996年3月26日 沖縄タイムス
行政法から
浜川清法政大教授
国が犯した初歩的誤り

憲法から
古川純専修大教授
あからさまな政策追随
→職務執行命令訴訟 強制収用

1996年3月26日 沖縄タイムス
判決 代理署名訴訟 上
国主張に沿う内容
「基地」に具体対応明示せず
言い渡し 使用権原 不信感
→強制収用

1996年3月26日 沖縄タイムス
土地の〝痛み〟 近づく不法占拠 1
大叔父の命日
受け継がれた運命の地
家族とともに〝墓参り〟
→連載・基地 強制収用

1996年3月26日 琉球新報
国、防護さく設置強行
「象のオリ」
「新たな土地接収」
反戦地主ら反発強める

1996年3月26日 琉球新報
安保と沖縄 第1部 国家と住民 3
不信感
沖縄は日本ではないのか
政府対応に膨らむ疑念
許せない閣僚発言 一本化された世論

1996年3月26日 琉球新報
期限切れ秒読み 「象のオリ」の強制使用 1
「自分の土地に入る」
知花昌一さん 祝いの宴を計画
→連載・基地 強制収用

1996年3月27日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 3
桃原カメさん(79) 普天間飛行場
もう基地に協力したくない

1996年3月27日 沖縄タイムス
判決 代理署名訴訟 中
調書作成に違法ない
地籍不明地で県主張退ける
一応の合理性 結論ありき

1996年3月27日 沖縄タイムス
土地の〝痛み」 近づく不法占拠 2
屋敷跡
終戦直後は米軍の墓地
安い賃金で草刈作業

1996年3月27日 琉球新報
期限切れ秒読み 「象のオリ」の強制使用 2
国の弁明
明確な根拠示せず
「施設の安定提供」を強調

1996年3月27日 琉球新報
安保と沖縄 第1部 国家と住民 4
自立志向
沖縄が離れていく
格差が薄れて自立論に弾み
カギは復帰後世代 大胆な経済方式

1996年3月28日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 4
知花洋子さん(41) 楚辺通信所
家族で「象のオリ」に入る決意

1996年3月28日 沖縄タイムス
判決 代理署名訴訟 下
問われる地方自治
検証に堪え得るか高裁判断
遺物 相反する判断 今後の検証

1996年3月28日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 7
地料決定
〝宝刀〟のぞかせる土地連
国との駆け引き
「契約」キーワードに増額迫る
セレモニー 20年に一度 6倍強の増額 議員の存在

使用協定
沖縄と様相異なる基地対策

メモ
地主会館

1996年3月28日 琉球新報
期限切れ秒読み 「象のオリ」の強制使用 3
警備
24時間体制で警戒
県外から応援、1500人規模に

1996年3月28日 琉球新報
安保と沖縄 第1部 国家と住民 5
本土エゴ
理念と現実に落差
条約の論議はないがしろに
海兵隊がやってくる? 「地元エゴ」見直しも

1996年3月29日 沖縄タイムス
「本土並み」騒音防止で合意
飛行高度、穏やかな設定
駐機場の移設は先送り
日米協定締結

合意内容は本土より後退 辺士名朝一北谷町長
実態に合わず納得いかぬ内容 新川秀清沖縄市長
進展何もなし県民合意せぬ 桃原正賢宜野湾市長
駐機場の撤去なしでは疑問 宮城篤実嘉手納町長

解説
実行面で望み薄
従来の自主規制を明文化 地元に強い失望感
→航空機騒音 要記事

1996年3月29日 沖縄タイムス
土地の〝痛み〟 近づく不法占拠 4
二つのガマ
51年前に沖縄戦の悲劇
今また基地の押し付け

1996年3月29日 沖縄タイムス
この人
卒業式にバラを贈り続ける
島袋善祐さん(59)
二女の発案で15年も続く

1996年3月29日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 8 我部政明
ダレス・重光会談 上
日本の防衛力増強を
在日米軍の削減、撤退の条件
時期尚早の安保改定 日米の相違点 日米安保委員会の設置へ

1996年3月29日 琉球新報
安保と沖縄 第1部 国家と住民 6
二つの風
タブー見直し論に弾み
沖縄困惑さえた中台間の緊張
3月の逆風 「時計を進める」

1996年3月29日 琉球新報
期限切れ秒読み 「象のオリ」の強制使用 4
支援
県収用委に要請相次ぐ
若い世代にも運動の輪

1996年3月29日 琉球新報
話の卵
不法占拠と米軍上陸

1996年3月30日 沖縄タイムス
〝地主の過去〟理由に拒否
知花昌一さんの土地立ち入り
諸冨長官が不用意発言
「日の丸焼き捨て」に言及

緊張高まる「象のオリ」

理由にならない 知花昌一さん
許せない発言 伊志嶺善三反戦地主会弁護団長の話

1996年3月30日 沖縄タイムス
50年の重み 軍用地主 軍雇用員 5
伊禮清さん(65) 嘉手納飛行場
元の姿に近い形で返還を

1996年3月30日 琉球新報
許せない個人攻撃
「立ち入り拒否」施設庁長官発言
知花さん強い憤り
施設庁実力排除を示唆

1996年3月30日 琉球新報
期限切れ秒読み 「象のオリ」の強制使用 5
複雑な村民
イメージ悪化を懸念
不測の事態発生恐れる

1996年3月31日 沖縄タイムス
揺れる傍受の塔
反基地コンサート
「沖縄に返せ」と大合唱
期限切れ〝前祝い〟に沸く
読谷

1996年3月31日 沖縄タイムス
梅林宏道さん講演
「極東」限定の在日米軍
安保条約に従えば大半は撤退すべき

今また「国益」の名のもとに

1996年3月31日 沖縄タイムス
大弦小弦
→楚辺通信所(象のオリ) 強制収用

1996年3月31日 沖縄タイムス
地中に埋まっている不発弾の情報提供を!
→沖縄県広告




  


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1996年2月

2015年08月13日 / 1996年新聞記事

1996年2月
1996年2月1日 沖縄タイムス
杭は打たれず 砂川闘争と「代理署名訴訟」 1
赤とんぼ
住民、15年の抵抗
軍事接収は10回以上 実力闘争から法廷へ
→連載・基地

1996年2月1日 沖縄タイムス
基地移転は日本政府しだい
海兵隊大佐インタビュー
海兵隊の役割
抑止力の意義を強調
「この地へのくさびが肝心」
→海兵隊移設 スチュワート・ワグナー大佐

1996年2月1日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 2
「補助参加却下」
「無法地帯だ」裁判所に失望
裏切られた期待 国民一人ひとりの問題
→連載・基地 有銘政夫

1996年2月1日 琉球新報
発信平和の心 沖縄からのメッセージ 4
訴え 下
みんなの心に「平和の礎を」
広島の「反核」と共通点探りたい

1996年2月不明 琉球新報
沖縄と日米安保 4 伊佐千尋
コザ事件
県民の屈辱的な思い
風化させるな米軍支配下体験
毒ガス貯蔵 県民の不満 怨念の火

1996年2月2日 沖縄タイムス
杭は打たれず 砂川闘争と「代理署名訴訟」 2
宮伝さん
反基地への思い熱く
国の圧力に抗した町長

1996年2月2日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 1 我部政明
沖縄返還と核の再持ち込み
露呈した政策的矛盾
米、密約疑惑にコメントなし
密約はあったのか あいまいな日本 有事の核持ち込み 米政府の思惑

1996年2月2日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 3
連帯
「好きなように」と母が理解
尊敬する母 〝時の人〟に
→有銘政夫

1996年2月2日 琉球新報
発信平和の心 沖縄からのメッセージ 5
文化
「沖縄の魅力伝えたい」
流派超えて舞踊を披露

1996年2月3日 沖縄タイムス
杭は打たれず 砂川闘争と「代理署名訴訟」 3
こだわり
「裁判官忌避」で抵抗
訴訟に7年、強制収用中断

1996年2月3日 沖縄タイムス
きずな求めて 30
軍用地地主
平和の願い、なぜ届かぬ
豊かな土地は基地へ
強制的な接収 夜間の逃避行 安保の代償

メモ
米軍の強制収用
→軍用地

1996年2月3日 琉球新報
新たに戦没者1,671人確認
平和の礎に追加刻銘へ
7000万円を計上 来年度予算
→沖縄戦

1996年2月3日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 4
チャンス
県外講演に確かな手ごたえ
全国に広がる輪 政府は論理的に矛盾

1996年2月3日 琉球新報
上野村が文化財指定へ
「中飛行場戦闘指揮所跡」「旧日本軍司令壕跡」
戦跡では宮古で初
→沖縄戦

1996年2月不明 琉球新報
発信平和の心 沖縄からのメッセージ 6
反響
生々しい声聞きたい
「被害者意識が強すぎる」との声

1996年2月4日 沖縄タイムス
県道封鎖要求していない
米軍が104号越え演習でマスコミ各社に発表文
県警が安全性考え実施
→キャンプ・ハンセン 演習その他

1996年2月4日 沖縄タイムス
杭は打たれず 砂川闘争と「代理署名訴訟」 4
切り崩し
「国のやり方汚い」
金で反対者抑え住民分断

1996年2月4日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 5
無念
母子のきずな裂く凶行
理由なき犯行 「なぜ娘が」

1996年2月5日 沖縄タイムス
ニュース断面
アクションプログラムに政府困惑
「全面返還ありき」は唐突
安保堅持の立場から難しい
→跡地利用

1996年2月5日 沖縄タイムス
ウオッチング24時
不発弾を水中爆破

1996年2月5日 沖縄タイムス
がじゃんびらを断念
「平和モニュメント」建設で
「街づくりに合わない」地元
「地元の理解得られず」市側
→沖縄戦

1996年2月5日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 53
第4部 裁かれる基地政策
機関委任事務
「拒否」根拠に委任限界論
地方分権論議で全国的関心呼ぶ

1996年2月6日 沖縄タイムス
杭は打たれず 砂川闘争と「代理署名訴訟」 6
国の〝空き地〟
依然残るつめあと
住民は平和利用を要望

1996年2月6日 沖縄タイムス
直言 国際都市構想 1
国土計画
下河辺淳氏 国土審議会会長
南玄関ではなく沖縄軸に
拠点性 議論先行 勝負
→跡地利用 要記事

1996年2月6日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 6
爆音 上
真夜中に3度も

1996年2月6日 琉球新報
沖縄と日米安保 5 伊佐千尋
本土と沖縄の落差
県民犠牲にあぐらかく
安保を問い質さない政府
意識の違い 事件と地位協定 安保見直し論

1996年2月7日 沖縄タイムス
杭は打たれず 砂川闘争と「代理署名訴訟」 7
その後
基地がモダンな街に
立川市の闘争を評価

1996年2月7日 沖縄タイムス
直言 国際都市構想 2
池田孝之氏 琉球大学教養部教授
都市計画
住民参加のまちづくりを
公共性 議論 代案

1996年2月7日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 7
爆音 下
赤く染まる〝移転地図〟
〝爆音移住〟

1996年2月8日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 1
最大「地主」は申告所得6位
高額法人
施設局 名称、額公表せず
ランキング 私有地の三割

節税で会社設立へ 実態のない業者も
不動産賃貸 地料の魅力

返還と跡利用―ご意見募ります 係から

メモ
嘉手納弾薬庫地区

1996年2月8日 沖縄タイムス
直言 国際都市構想 3
歴史認識
高良倉吉氏 琉大法文学部教授
アジアの動向調査必要
総動員 過去に学ぶ 組織と人材

1996年2月8日 琉球新報
沖縄と日米安保 伊佐千尋 6
関係の見直し
政府の無為無策に危惧
国民的議論への発展が重要
戦後五十年 首相、知事会談

1996年2月9日 沖縄タイムス
直言 国際都市構想 4
富川盛武氏 沖国大商経学部教授
アジアとの連結
空港、港の整備が重要
計量分析 連結 もろ刃の剣

1996年2月9日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 2 我部政明
国家安全保障研究メモランダム第5号(NSSM-5)
69年に返還検討を開始
背景に米国の核戦略転換
対日政策の文書 核の貯蔵権へ 検討の結果

1996年2月9日 沖縄タイムス
駐留米軍は撤退すべき
アジアに脅威なし
日本政策研究所ジョンソン所長
基地問題で講演
→海兵隊移設

1996年2月9日 沖縄タイムス
代理署名Q&A
きょう第2回口頭弁論
職務執行命令訴訟
国益と県益の闘い
〝緊急〟で国は使用延長も
→強制収用

1996年2月9日 沖縄タイムス
代理署名訴訟
県の第二準備書面(要旨)

国の第二準備書面(要旨)

県の第三準備書面(要旨)

代理署名訴訟争点表
→強制収用

1996年2月9日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 8
標的の集落 上
家屋打ち抜く銃弾
88年、伊芸区の決断

1996年2月10日 琉球新報
ニュース透視鏡’96
緊迫 代理署名訴訟
「国際関係もある」と裁判長
「知事尋問」で国側寄り あっけに取られた県側
→強制収用

1996年2月11日 沖縄タイムス
直言 国際都市構想 5
座喜味彪好氏 沖縄電力相談役
経済効果
貿易の自由化制度必要
地方の責任 座標 アジア化

1996年2月11日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 9
標的の集落 下
原状回復と跡利用セットで
豊原の二の舞懸念

1996年2月12日 沖縄タイムス
直言 国際都市構想 6
島袋純氏 琉大教育学部助教授
特別県制
琉球政府をモデルに
住民投票 自治州 「独立」カード

1996年2月13日 沖縄タイムス
ピースキャラバン
〝沖縄の声〟に反応冷たく…
被害伝えたことに意義
米国行動、折り返しに
団員ら「女性の人権と安保切り離せない」

1996年2月13日 琉球新報
米軍基地どう考える 米専門家にインタビュー 上 マイケル・グリーン氏
知事の計画は非現実的
能力維持し縮小、再編も
→連載・基地

1996年2月14日 沖縄タイムス
見逃しません 米軍機の爆音禍
嘉手納、普天間飛行場
県が騒音測定をオンライン化
瞬時に実態を把握
→航空機騒音

1996年2月14日 琉球新報
米軍基地どう考える 米専門家にインタビュー 中
マイク望月
海兵隊は撤退すべき
安保体制の強化を前提に

1996年2月15日 沖縄タイムス
軍事優先に変わりなし
解説
米側の基地縮小案
使用頻度低い地域を返還
最大限の政治効果狙う
→跡地利用 北部訓練場

1996年2月15日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 2
銀行ローン
「軍用地神話」に不安の波
300億円超える融資残高
地主と金融機関に寄せる〝返還の影〟
相談の電話 地料のうま味 揺さぶり 普天間要注意

地料と事業税
「特殊事情」で課税を免除

メモ
共済融資事業

1996年2月15日 琉球新報
米軍基地どう考える 米専門家にインタビュー 下
ナサニエル・セイヤー氏
戦略上重要な「沖縄」
海兵隊の部分撤退は可能

1996年2月15日 琉球新報
閉ざされた訴え 「訴訟指揮」の波紋 1
証人 上
大屋三千代さん(47)普天間第二小教諭
学校襲う爆音
米軍機に「ひかれる」
不平等な教育権 現状聞いてほしい

1996年2月16日 沖縄タイムス
正念場 沖縄の訴え 代理署名訴訟 1
知事の尋問期日
議論かみ合わず
基地はなぜ必要なのか
激論 不信感 揺れ

1996年2月16日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 3 我部政明
国家安全保障決定メモランダム第13号(NSDM-13)
〝緊急時に核〟が条件
沖縄返還で米政府が明記
米国の基本方針 沖縄返還への条件 隠されている事実

1996年2月16日 琉球新報
閉ざされた訴え 「訴訟指揮」の波紋 2
証人 下
山本隆司さん(38)嘉手納小教諭
基地の存在が夢を奪う
国へ「直訴」の機会失い憤り

1996年2月17日 沖縄タイムス
これでも「施設間移動」?
米海兵隊400人が行軍
一部が市街地一周
名護市と具志川市
→キャンプ・コートニー キャンプ・シュワブ 演習その他

1996年2月17日 沖縄タイムス
正念場 沖縄の訴え 代理署名訴訟 2
遊休化施設
国の対応に憤り
「使わないなら返して」
分断 コマ切れ 基準

1996年2月17日 琉球新報
閉ざされた訴え 「訴訟指揮」の波紋 3
支える 上 市民・大学人の会
原告、被告の主張、十分尽くせ
裁判所不在だ 不公平感ぬぐえぬ

1996年2月17日 琉球新報
メディアミックス・シンポ
基地返還と跡利用 上
2兆円産業 転換に賛否
県「跡利用に復興特別法」
→跡地利用

1996年2月18日 沖縄タイムス
県政プラザ
地中に埋まっている不発弾の情報提供を!
→広告

1996年2月18日 琉球新報
閉ざされた訴え 「訴訟指揮」の波紋 4
支える 下 違憲共闘会議
「司法の独立は望めない」
県民大会を開催し実質審理へ世論結集

1996年2月19日 沖縄タイムス
正念場 沖縄の訴え 代理署名訴訟 3
地籍不明地
増えた土地面積
ピタゴラスの定理を根底に
計測 矛盾 拒否
→島袋善祐氏

1996年2月20日 沖縄タイムス
ピースキャラバン
歩み出した〝路地裏外交〟 1
基地被害の実態訴え
許せぬ女性の人権無視
泣き寝入りさせない 子供の未来を考えて

1996年2月20日 沖縄タイムス
正念場 沖縄の訴え 代理署名訴訟 4
金武町伊芸区
8割が米軍用地
傷だらけの「沖縄富士」
カンパチ山 町民の怒り 生の声 裁判に

1996年2月20日 沖縄タイムス
沖縄の米軍 国吉和夫・石川真生合同写真展に寄せて
米軍の「公と私」あぶり出す
レンズの眼は厳しく温かく

1996年2月20日 琉球新報
閉ざされた訴え 「訴訟指揮」の波紋 5
平和地主 阿波根昌鴻さん(95)
署名訴訟も国の〝いじめ〟
基地使用認めた日本政府に怒り

1996年2月20日 沖縄タイムス
沖縄の米軍 国吉和夫 石川真生 合同写真展に寄せて 下 宮里千里
硝煙のにおいと体臭

1996年2月21日 沖縄タイムス
正念場 沖縄の訴え 代理署名訴訟 5
教育権
驚くエンジン音
児童ら爆音との闘い
至近距離 異常さ 光と影

1996年2月21日 琉球新報
村発展で基地誘致
「北米養秀」サンキ氏追悼集を掲載
在沖海兵隊誕生の秘話
→キャンプ・シュワブ

1996年2月21日 琉球新報
県の構想を基本的に評価
「基地返還と跡利用」シンポ

出席者
吉元政矩氏 沖縄県副知事
砂川直義氏 県軍用地等地主会連合会事務局長
稲嶺惠一氏 県経営者協会会長
宮城篤実氏 嘉手納町長
真栄城守定氏 琉球大学助教授
コーディネーター・琉球新報編集局長 三木健
総合司会・沖縄テレビアナウンサー 寺田麗子

基調報告
吉元副知事
ハブ空港建設で情報集積を
跡地利用へ機能分担策定も

砂川直義氏 県の計画・構想 簡単には認めぬ
稲嶺惠一氏 ふ化的機能持つ研究所設立重要
真栄城守定氏 嘉手納飛行場の軍民共用も一考
宮城篤実氏 「決断」「実行」へ返還計画を評価

国際都市形成と基地返還アクションプログラム(素案)

パネルディスカッション
「返還、地代補償が前提」
地権者も参加、論議必要

フロア討議
「政府は身勝手」
基地ゼロへ県民一致大事

基地関連収入の推移

まとめ
県民合意など多くの課題
実現へ共に知恵を

インタビュー
中山太郎氏 与党安全保障問題調査団長
必要な政府の積極姿勢 在沖米軍基地問題
→跡利用

1996年2月22日 沖縄タイムス
在沖米軍の電波妨害を追及
郵政大臣 原因特定できず
衆院逓信委
→演習事故 米兵事件・事故

1996年2月22日 沖縄タイムス
那覇軍港など整備
96年度の思いやり予算

1996年2月23日 沖縄タイムス
海兵隊 北部一帯で行軍
県道で民間車両も止める
→演習その他 キャンプ・ハンセン キャンプ・シュワブ

「米軍の行軍は施設間の移動」
外務省局長が答弁
→演習その他 キャンプ・シュワブ キャンプ・ハンセン

1996年2月23日 沖縄タイムス
訴訟指揮に関する県の意見書(要旨)

1996年2月23日 沖縄タイムス
正念場 沖縄の訴え 代理署名訴訟 6
爆音禍の集落
絶えない転出
「故郷が消える日」危ぐ
命の闘い 失望感 心の揺れ

1996年2月23日 沖縄タイムス
核と基地 安保と日本・沖縄 4 我部政明
NCNDの原則
通告されない仕組み
日本への核の持ち込み
核艦船の日本寄港 了解されてきた持ち込み 60年安保交渉の検証

1996年2月27日 沖縄タイムス
沖縄の人々に伝えたいこと 東京・潤徳女子高校 1
広げたい本当の平和 卜蔵さん
実行する大切さ知る 飯田さん
本土にいるのは偶然 鈴木さん
→沖縄戦

1996年2月27日 沖縄タイムス
米軍基地と民族自決権 1 仲地清
グアム
住民の内政自治を主張
将来の政治体制も研究

1996年2月27日 沖縄タイムス
民衆が司法を見放すとき―代理署名裁判の指揮を憂う― 森口轄
中央と仲良くダンス
尋常でない強引な訴訟指揮
コザ反米暴動 政治と裁判と民衆 司法の場と良心の砦
→軍用地 米軍統治時代

1996年2月28日 沖縄タイムス
沖縄の人々に伝えたいこと 東京・潤徳女子高校 2
平和の行動始めたい 太田さん
軽い感じ日本の平和 工藤さん
私も無責任さを痛感 大橋さん

1996年2月28日 沖縄タイムス
普天間基地で宙づり訓練
市街地にはみ出し飛行
→演習その他 普天間飛行場

1996年2月28日 沖縄タイムス
解説
「迅速性」重視した最高裁

補助参加申し立てに対する最高裁決定(要旨)

1996年2月28日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
闘いの原点と訴訟のゆくえ
強硬に裁判官の忌避を
期待できぬ公平な実質審理
知事の尋問 実質審理の拒否 不退転の決意で

1996年2月28日 沖縄タイムス
米軍基地と民族自決権 2 仲地清
パラオ
最後の信託統治領
有名無実化した非核憲法

1996年2月29日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 4
契約
3万人余が地主会委任
認められない更新拒否
「契約期間」解釈も主張ずれる県と国
国が一括転貸 一方的解約権 解除申し入れ

行政財産
覚書を交わし県有地を提供

メモ
復帰前の契約




  


Posted by 糸満のカッパ at 13:41

1996年1月

2015年08月11日 / 1996年新聞記事

1996年1月
1996年1月1日 沖縄タイムス
海兵隊よ さようなら
撤退を沖縄再生の契機に
求められる新たな県民運動の視点
日本防衛には不要
内部にも戦略価値低下論
居座る海兵隊 日本防衛? 小規模紛争 海兵隊撤退論
→要記事

安保と沖縄 日米首脳発言

1996年1月1日 沖縄タイムス
思惑交差の国と自治体

県道104号越え演習
厳しい受け入れ先の説得 新年度から調査を開始
那覇軍港
機能強化の側面も 浦添ふ頭の代替施設
読谷補助飛行場
全面的な返還目指す 移設先3町村は反対表明
→キャンプ・ハンセン 那覇港湾施設 新建設

1996年1月1日 沖縄タイムス
96新春対談
沖縄の歩むべき道は…
筑紫哲也 ニュースキャスター
大城立裕 作家

沖縄の独自性保ち 体制打破の戦略を
基地を〝人質〟と考え 筑紫
大田知事を支えよう 大城

沖縄の歴史は同化の過程
80年代は思想的転機
 安保で沖縄に甘えるな 大城
 本土側には理解いまだ 筑紫
〝差別〟は政治の場に
 今、地域の発言力が増した
しっぽで胴体揺さぶる

基地への認識変化
アジアの交流模索を 筑紫
 〝文化の拠点〟を目指せ 大城
文化を普遍的価値に
 90年代はひずみ修正に課題
異質性を保つには

1996年1月4日 沖縄タイムス
安保と沖縄 カウントダウン21 2
普天間飛行場 跡地利用構想
計画策定へ「東京委」設置
→連載・基地

1996年1月5日 琉球新報
通告外訓練は米空軍
津堅島水域
→訓練空域・水域

1996年1月5日 沖縄タイムス
安保と沖縄 カウトダウン21 3
泡瀬通信施設 跡地計画ない
米軍が壁の東部海浜開発

1996年1月6日 沖縄タイムス
りゅうきゅうねしあへの便り 辰濃和男
毒グモと基地
いくさぎらいの島

1996年1月7日 沖縄タイムス
安保と沖縄 カウントダウン21 4
読谷補助飛行場 集団農業計画
21世紀迎える「戦後処理」

1996年1月8日 沖縄タイムス
「代理署名」拒否問題 その思想的意味 上 比屋根照夫
政治家像の再生
民衆の情念に基盤を置く
求められている濁世に抗する姿
沖縄への連帯模索 政治家のあるべき姿 問われる高い志操
→強制収用 連載・基地

1996年1月9日 沖縄タイムス
安保と沖縄 カウントダウン21 5
北谷町の跡利用 国際村も誘致
「ニライの街」構想 推進

1996年1月9日 沖縄タイムス
「代理署名」拒否問題 その思想的意味 中 比屋根照夫
試金石としての沖縄
地方自治の原則を貫徹
沖縄こそ日本列島のシンボル
日本の民主主義は 〝沖縄〟の思想的意味 二つの極

1996年1月10日 沖縄タイムス
安保と沖縄 カウントダウン21 6
那覇港湾施設 跡利用で合意
基本に国際交流拠点の形成

1996年1月10日 沖縄タイムス
「代理署名」拒否問題 その思想的意味 下 比屋根照夫
アジアと沖縄
「再び加害者にならず」
国家を超えた連帯メッセージ
弱者への人間的痛覚 民族の差異を超えて 心身ともに傷つく沖縄

1996年1月10日 沖縄タイムス
論壇
「準備書面」を学校教育に
軍用地の強制使用裁判に思う
→強制収用

1996年1月11日 沖縄タイムス
解説
国側の準備書面
基地固定化裏づける
地理的重要性を指摘

国側準備書面
→強制収用

1996年1月11日 沖縄タイムス
「軍用地の継続を」
石川市地主会 一部返還に反対要請
→嘉手納弾薬庫地区 軍用地

1996年1月11日 沖縄タイムス
安保と沖縄 カウントダウン21 7
牧港補給地区 返還に慎重姿勢
ち密な計画策定めざす

1996年1月12日 沖縄タイムス
土地連理事会
県の構想に反対
説明会も拒否姿勢 早期返還を不安視
→軍用地

1996年1月12日 沖縄タイムス
基地での文化交流 山里米子
米軍が宣ぶ工作に利用
若い世代に否容認の学習を

1996年1月13日 沖縄タイムス
安保と沖縄 「代理署名」国の本音 上
基地を置くのに「適した場所」
移転にも膨大な費用かかる
沖縄の苦労分かるが…
→連載・基地 強制収用

1996年1月15日 沖縄タイムス
安保と沖縄 「代理署名」国の本音 中
「平和的生存権」を否定
個別の権利侵害 実態があいまい
国、司法の流れに自信

1996年1月15日 沖縄タイムス
対論 国際都市形成構想
比嘉安正参事監 国際都市形成及び基地返還推進対策プロジェクトチームリーダー
要望聞き制度を拡充
新城馨会長 県軍用地等地主会連合会
見えない跡利用計画
→跡地利用

1996年1月16日 琉球新報
未だ安い軍用地料 来間教授(沖国大)の論評を糾す 上 新城馨
零細地主が大半
家庭の年間収入 63.5%が400万円未満
→連載・基地 軍用地

1996年1月16日 沖縄タイムス
アジアと日本結ぶ南の拠点
求められる「返還」の手順
静観ながら国も関心

国際都市構想Q&A
基地含む全県の青写真

国際都市形成の展開
→跡利用

1996年1月16日 沖縄タイムス
RBCプライム2000
→「沖縄の基地は撤去できる」というテーマの意見広告。

1996年1月16日 沖縄タイムス
論壇
平良宗潤
職務怠慢はむしろ首相
高校生も知事を支持

1996年1月17日 沖縄タイムス
安保と沖縄 「代理署名」国の本音 下
「安保公益論」さらに強調
整理統合・縮小の政府見解と裏腹
憲法29条に反せずと反論

1996年1月17日 琉球新報
未だ安い軍用地料 来間教授(沖国大)の論評を糾す 下 新城馨
実勢価格の5分の1
北部訓練場施設は坪25円

1996年1月21日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
沖縄戦傷害者の会 本格要請へ
「戦争の傷」認めて
今月末から陳情活動展開
→沖縄戦

1996年1月21日 沖縄タイムス
牧港補給地区の跡利用計画(浦添市)
「返還」への期待と不安
反対論主流は経済的理由
→跡地利用

1996年1月22日 沖縄タイムス
慌ただしいホワイトビーチ
米軍艦船 2週間で18隻も寄港

ホワイトビーチの動き

→演習その他 ホワイト・ビーチ地区

1996年1月23日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第4部 裁かれる基地政策 50
平和的生存権
「重圧」裁く規範で主張
「軍事優先政策から住民を守る基本権」

1996年1月23日 沖縄タイムス
基地の保全と民生 米軍排水めぐる訴訟 上
新築住宅
念願の〝わが家〟にひび
米須さん「生活権侵害」で訴え
→キャンプ瑞慶覧 環境

1996年1月24日 沖縄タイムス
解説
「補助参加」反戦地主の訴え却下
福岡高裁那覇支部
国の主張に沿う決定
「機関訴訟に私人参加ならぬ」
→強制収用

1996年1月24日 沖縄タイムス
基地の保全と民生 米軍排水めぐる訴訟 下
口頭弁論46回
長期裁判で不自由な生活
床の損傷、補修もできず

1996年1月24日 琉球新報
高すぎる軍用地料 土地連の基地返還反対を糾す 上 来間泰男
農業所得を上回る
総額700億円、1人当たり280万円
→連載・基地 軍用地

1996年1月25日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第4部 裁かれる基地政策 51
平等原則
「憲法は自治体にも保障」
「基地偏在」は差別 審理対象外と国側

1996年1月25日 沖縄タイムス
軍用地主の周辺 交錯する基地返還 1
宜野湾市 不安解消へ連帯確認
構想は夢物語? 行政に衝撃走る 連帯で国に要請
→連載・基地 軍用地 普天間飛行場

1996年1月25日 琉球新報
高すぎる軍用地料 土地連の基地返還反対を糾す 下 来間泰男
跡利用の主人公は地主
実際は安定収入で意欲欠く

1996年1月26日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第4部 裁かれる基地政策 52
財産権
強制使用 既に半世紀
民法の2倍超す 事実上の権利侵害

1996年1月26日 琉球新報
早期返還に反対
軍用地主会が市長に要請
糸満市

1996年1月26日 沖縄タイムス
軍用地主の周辺 交錯する基地返還 2
那覇軍港 物流拠点構想に反発
県案は「暴走」 計画の一本化
→那覇港湾施設

1996年1月27日 琉球新報
米軍 遺跡にレーダー建設
勝連町・平敷屋
町の反発に一時中断
「航空機の気象観測用」 電波障害も懸念

1996年1月27日 沖縄タイムス
軍用地主の周辺 交錯する基地返還 3
旧東恩納弾薬庫 細切れ返還に不満
国の提示に不満 県と地主が対立
→嘉手納弾薬庫地区

1996年1月28日 沖縄タイムス
軍用地主の周辺 交錯する基地返還 4
名護市の一部返還 地料に頼る地域事業
年間1億円の収入 暮らし支える
→キャンプ・ハンセン

1996年1月28日 琉球新報
跡利用の取り組みを 続・土地連の基地返還反対を糾す 上 来間泰男
口先だけの「整理・縮小」
望まれる積極的意思表示
→連載・基地 軍用地

1996年1月29日 琉球新報
発信平和の心 沖縄からのメッセージ 1
意義
「基地沖縄」の実態全国へ
より多くの人と平和を考えたい
→連載・基地

1996年1月29日 琉球新報
沖縄と日米安保 伊佐千尋
国際情勢の変化
「日本が安保望んでいる」
清算無用論の米外交通
クリントンの外交政策 ソ連崩壊その後 日本政府の対応

1996年1月29日 沖縄タイムス
安保と沖縄 「基地返還計画」提出 上
ラチあかぬ細切れ返還
地元要求ベースに段階的縮小進める
→連載・基地 軍用地

1996年1月29日 沖縄タイムス
軍用地主の周辺 交錯する基地返還 5
恩納通信所 返還後10年は補償を

1996年1月29日 琉球新報
跡利用の取り組みを 続・土地連の基地返還反対を糾す 中 来間泰男
もはや経済的水準超える
「高すぎる地料」だから反対

1996年1月30日 琉球新報
発信平和の心 沖縄からのメッセージ 2
訴え 上
非暴力で暴力を排除
知事は研究の原点に戻った

1996年1月30日 琉球新報
沖縄と日米安保 2 伊佐千尋
大統領の沖縄訪問
戦後またしても犠牲に
復帰へ向かい苦しい一歩
非核三原則 沖縄県民の犠牲 軍用地接収

1996年1月30日 沖縄タイムス
安保と沖縄 「基地返還計画」提出 下
県案では実現は不可能
政府側には早くも戸惑いやけん制…

1996年1月30日 琉球新報
跡利用の取り組みを 続・土地連の基地返還反対を糾す 下 来間泰男
「第三者」にも発言権
損失覚悟で返還要求を

1996年1月31日 琉球新報
発信平和の心 沖縄からのメッセージ 3
訴え 中
沖縄こそが原告
女性の人権侵害 データで証明

1996年1月31日 琉球新報
重圧いつまで 代理署名訴訟の〝公益〟 1
「基地難民」
50年間、土地に戻れず 有銘政夫氏
→連載・基地 軍用地

1996年1月31日 琉球新報
沖縄と日米安保 3 伊佐千尋
核抜き・本土並み
具体的裏付けはなし
返還が安保体制強める
意思表示 キャラウェイ旋風 イモ・ハダシ論争

1996年1月31日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
住民投票は自立への一歩
条例制定で政府圧力を
期待できる民衆の意識改革
住民自立宣言 数字合わせの返還 直接請求権の行使




  


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1997年12月

2015年08月07日 / 1997年新聞記事

1997年12月
1997年12月1日 沖縄タイムス
「原点」を問う 基地と知事発言の軌跡 6
海上ヘリ基地
大田知事は県民に説明を
軍隊と暴力、人権で国際ネットを

1997年12月1日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
田中正造
民衆の戦いは時空超える
旧谷中村に沖縄の未来暗示
足尾銅山の鉱毒 小の虫、大の虫

1997年12月1日 沖縄タイムス
SACO点検 日米合意から1年 2
実弾砲撃演習
沖縄の痛み 本土に
授業中断や行事延期も
移動は訓練の一環 移転する住民も
→連載・基地

1997年12月1日 沖縄タイムス
解説
有事の戦傷米兵治療
新指針の実効性求める
関係省庁、具体案に苦慮

朝鮮、ベ戦争で協力
戦傷米兵の治療で

1997年12月1日 沖縄タイムス
米軍後発隊 沖縄へ帰還
→104号越え演習部隊

1997年12月1日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 1 揺れる 上
賛否決めかねる人たち
「無関心ではないが…」
基地に関し重い口
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年12月1日 琉球新報
新ガイドラインの医療支援
負傷米兵1000人の治療要求
日本の病院使用
朝鮮半島有事で米政府
死傷者12万人を想定
県内は180人

日本医労連中央執行委員・桂木誠志さんの話
戦争に巻き込まれる

1997年12月2日 琉球新報
SACO最終合意から1年
金武
104号越え
「移転後も被害変わらず」
キャンプ・ハンセン演習場 火器訓練で火災多発
ギンバル訓練は先送りも

北部
条件整備で調整中
北部・安波両訓練場の返還

読谷
瀬名波通信施設
継続使用を求める
地主会 行政の対応を批判

土地の返還予定年度 普天間以外の土地等の返還

→キャンプ・ハンセン ギンバル訓練場 北部訓練場

1997年12月2日 琉球新報
解説
SACO合意
軌道修正必至の情勢
普天間の動向で影響も

浦添
「何の進展もない」
軍港移設などで宮城市長

宜野湾市
「残るは困惑だけ」
傾斜地のキャンプ瑞慶覧

北谷
跡地利用策定を加速
キャンプ桑江 移設先は反対も
→普天間飛行場 ギンバル訓練場 牧港補給地区 那覇港湾施設 キャンプ瑞慶覧

1997年12月2日 琉球新報
変わる基地構造 SACO合意の前途 1
重心移動
本土の2200倍の基地密度
過重の北部さらに集中化
→連載・基地

1997年12月2日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 2 揺れる 下
隣近所とは話せない
複雑な住民感情
「双方の言い分聞かないと」

1997年12月2日 琉球新報
論壇
石原昌家
今、「命どぅ宝」の正念場
基地容認は「心」の自殺行為

1997年12月3日 琉球新報
住民投票
反対多数なら返還凍結
普天間基地で首相が示唆
→普天間飛行場移設

1997年12月3日 琉球新報
ヘリの騒音ひどい
名護市議会基地対策特別委
普天間基地周辺を調査
海上基地 「新たな論議必要に」
→航空機騒音

1997年12月3日 琉球新報
今年1月にもジュゴン確認
宜野座村漢那沖
→普天間飛行場移設

1997年12月3日 琉球新報
変わる基地構造 SACO合意の前途 2
機能強化
航空・地上部隊を一体化
兵力の削減は手つかず

1997年12月3日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 3
慎重
賛成か反対かで苦悩
「投票日までには…」
地域の和に配慮

1997年12月3日 琉球新報
米軍演習でまた山火事
キャンプハンセン 小銃の訓練中
→山林火災

1997年12月3日 琉球新報
公開審理から
那覇軍港 キャンプシールズ トリイ通信所
→強制収用 那覇港湾施設 キャンプ・シールズ トリイ通信施設

1997年12月3日 琉球新報
教育講演会
教科書採択に力を
徳武敏夫・沖国大講師が講演
30年余家永裁判を支援
→教科書

1997年12月3日 琉球新報
「平和教育」分科会
欠けてきた加害者の視点
→沖縄戦

1997年12月4日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
「賛成3割、反対6割あり得ず」
名護市活性化促進市民の会
→普天間飛行場移設

1997年12月4日 琉球新報
遊び庭
80分の旅 當山忠

1997年12月4日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 4
無関心
友人の間でも話出ない
「辺野古が遠くピンと来ない」
組合で関心持つ人も

1997年12月4日 琉球新報
漁港に米軍ゴムボート
金武町浜田漁港
事前の連絡なし
「エンジン故障」と接岸
→演習事故

1997年12月4日 琉球新報
米海兵隊員
民間地域で銃構える
宜野座村が抗議、調査要請
→演習事故

1997年12月4日 琉球新報
9時間近く延焼
ハンセン基地山火事 焼失面積は調査中
金武
→山林火災

1997年12月4日 琉球新報
米軍車両の赤土ばらまきで抗議
金武町と中川区
→演習事故 環境

1997年12月4日 琉球新報
地中海の小さな独立国 マルタを訪ねて 上 渡口善明
沖縄との交流求める
平和維持のため連携望む

1997年12月5日 琉球新報
MV-22の騒音数値公表求める
ヘリ基地反対協が防衛庁に
→普天間飛行場移設

1997年12月5日 琉球新報
変わる基地構造 SACO合意の前途 3
光明見えぬ空域問題
海上基地で制限拡大も
海、空も危険な軍民混在

1997年12月5日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 5
伝える
苦悩の声集め、名護へ
宜野湾の女性らが運動
基地撤去の輪広げる

1997年12月5日 琉球新報
地中海の小さな独立国 マルタを訪ねて 下 渡口善明
沖縄同様のヨコ社会
〝マルタタイム〟に驚く

1997年12月6日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
海上基地候補地でヘリ試験飛行
名護市辺野古
施設局「騒音は基準内」
推進派「賛成派の拡大に」と評価
反対派「2機だけで判断できず」

宜野座村も騒音を調査
→普天間飛行場移設

1997年12月6日 琉球新報
施設局職員、名護で戸別訪問
来週から、最大限動員
荻長官表明
→普天間飛行場移設

1997年12月6日 琉球新報
変わる基地構造 SACO合意の前途 4
懸念
軍隊に事件事故が付随
不十分な過去の適正補償

1997年12月6日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 6 伝える 中
基地でいいこと何もない
苦しみ辺野古に持って行けぬ
県内移設反対訴え

1997年12月7日 琉球新報
〝追い風〟になるかは微妙
解説
北部振興策 首長らは歓迎の意向
一部には具体策なく不満も

政府側の会見
振興策は負担への対応
投資視促進で税制も検討
→普天間飛行場移設

政府の狙い
振興策で「賛成」てこ入れ
なりふり構わず条件付き

振興策要旨

村岡官房長官発言要旨
→普天間飛行場移設

1997年12月7日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 7 伝える 下
普天間の経験を名護に
沖縄に政策変える力
平和運動に展望

1997年12月8日 琉球新報
海上基地の是非を問う
名護市民投票座談会
出席者
安里進氏 名護市活性化促進議員協議会会長
新垣誠福氏 名護市活性化促進市民の会会長
大城敬人氏 名護市議野党市議団事務局長
宮城康博氏 海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会代表

活動状況と情勢
「条件付き」で追いついた 賛成派
100%近い投票率求める 反対派
投票結果への対処
尊重しながら現実対応を 賛成派
守るのが民主主義ルール 反対派

振興策と引き換えに容認 賛成派
北部振興策の評価
現実味を帯びた振興 賛成派
基地とのリンク疑問 反対派

賛否の理由
2105年には撤去 賛成
海兵隊、安保と無関係 反対
ヘリポート基本案評価
使用協定結ぶこと 賛成
海域は〝死の海〟に 反対
→普天間飛行場移設

1997年12月8日 琉球新報
北部振興策
投票結果で差出る
鈴木開発長官が認識示す
→普天間飛行場移設

1997年12月8日 琉球新報
変わる基地構造 SACO合意の前途 5
固定化
国・県民の譲歩を提起
SACOは「兵力削減ノー」

1997年12月8日 琉球新報
砲弾をむき出し
大城議員 海兵隊の搬送を追及
→演習その他 大城敬人議員

1997年12月8日 琉球新報
米軍の射撃標的が漂流
長さ2.4メートル重さ226キロ
11管、船舶に注意喚起
本島東方海上
→演習事故 演習海域・水域

1997年12月9日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
名護・数久田区 賛成派が集会
施設局長も異例の出席
「年間30億円が市に」と説明
→普天間飛行場移設

1997年12月9日 琉球新報
那覇防衛施設局
海上基地へ理解求め
きょうから個別訪問 「ゆいまーる運動」
→普天間飛行場移設

1997年12月9日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
施設局が〝ローラー作戦〟
200人の職員動員
振興策のパンフ配布 「基地」に協力訴え
「民主主義への干渉」反対派猛反発
→普天間飛行場移設

1997年12月9日 琉球新報
変わる基地構造 SACO合意の前途 6
運用規制
監視の動き強まる
使用協定締結が不可欠

1997年12月9日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 8
苦渋
この機会を逃しては…
基地は今のままでいいのか
返還凍結に危機感

1997年12月10日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
「強気」「慎重」反応さまざま
賛成派 数字に落胆せず
反対派 予想より厳しい
琉球新報・毎日新聞 名護市民世論調査
双方、本番へ決意新た
→普天間飛行場移設

1997年12月10日 琉球新報
30代以上に高い関心
海上基地 12・21住民投票
解説
根強い基地への抵抗
重い問いに向き合う市民

建設の是非
男性は賛否きっ抗
反対 40代と60代に20%の差
工法について
「あくまで反対」49%
「埋め立て」挙げる市民も
知事の姿勢
「投票前に意思表示すべきだ」48%

名護市民投票アンケート調査
市民投票に関心があるか
男60代以上「非常に関心」
若者に多い「無関心派」
市民投票に行くか、行かないか
「行く派」94%で圧倒
20代男女の低さ目立つ
政府の反応
厳しく受け止める
移設計画の挫折を懸念
賛成派拡大に手ごたえも

質問と回答

識者評論
調査結果を読む
保坂廣志琉大教授
「支持政党なし」がカギ
県民は総じて平和志向
→普天間飛行場移設

1997年12月10日 琉球新報
交付金増額は20億円程度
久間防衛庁長官が明かす
→普天間飛行場移設

1997年12月10日 琉球新報
国交労総合事務局支部が抗議
ヘリポートパンフ配布で
→普天間飛行場移設

1997年12月10日 琉球新報
個別訪問中止せず
古堅氏らの抗議に久間長官
→普天間飛行場移設 古堅実吉衆院議員

1997年12月10日 琉球新報
施設局の戸別訪問
「住民自治への干渉」
ヘリ基地反対協が抗議声明
→普天間飛行場移設

1997年12月10日 琉球新報
海上基地建設成功を、と決議
豊かな沖縄つくる母の会
→宜野湾市で開催。「豊かな沖縄をつくる母の会」(饒辺享子会長) 普天間飛行場移設

10日 琉球新報
あの手この手の説得作戦
賛成派とは懇談会も
施設局職員 北部振興策を前面に
海上基地建設問題

住民投票への違法な干渉
自由法曹団が抗議声明

1997年12月10日 琉球新報
「北部の発展を確信」
活性化市民の会

1997年12月10日 琉球新報
普天間飛行場の移転先私案
改めて問う、なぜまた沖縄なのか?
池澤夏樹
県外に候補地探せ
好条件そろう「島」はある

1997年12月10日 琉球新報
変わる基地構造 SACO合意の前途 7
理想と現実
問題は多方面に
真剣な議論求める知事

1997年12月10日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 9 広がる 上
〝反基地〟訴える女性たち
身軽、気軽に参加
運動の展開に手ごたえ

1997年12月11日 琉球新報
県内移設で初審判
知事、市長の政治生命かかる
解説
2年間のうねりの総決算
〝基地のたらいまわし〟に批判も

海上基地に対する賛成、反対両派の論点

不在者投票はじまる

1997年12月11日 琉球新報
個別訪問に抗議
海上基地建設に反対する女性の会

1997年12月11日 琉球新報
賛否両代表に聞く
条件付き賛成
新垣誠福会長 活性化市民の会
県全体の将来判断
一票でも勝つよう頑張る

反対
宮城康博代表 ヘリ基地反対協
沖縄歴史の転換点
良識ある市民の選択信頼

賛否の声
賛成派
辺野古の街づくりにまい進 辺野古活性化促進協議会長の島袋勝男さん(58)
名護市発展の千載一遇 名護市活性化促進市民の会青年部長の照屋栄治さん(36)
沖縄全体の振興につながる 仲地さん(35)
反対派
基地建設推進は恥ずかしい ヘリ基地反対協の大城基さん(30)
海、山も基地も包囲される 命を守る会の許田正康さん(62)
重圧が続くかの分かれ目 ヘリ基地を許さないみんなの会代表の新城春樹さん(62)
基地の是非を考えよう 二見以北十区の会の山城園子さん(39)

1997年12月11日 琉球新報
対論 海上基地建設は是か否か 上
国場幸一郎 国場組会長
北部振興へのチャンス
民間との共有も検討を

池原貞雄琉大名誉教授
陸海生物への影響懸念
地球環境は国際的論議を

1997年12月11日 琉球新報
遊び庭
住民投票と責任
仲西真希

1997年12月11日 琉球新報
海上基地12・21住民投票
財政の基地依存は7.9%
データで見る海上基地と名護市振興策
所得の推移 名護市産業別純生産(1985-94)

シュワブの被害が相次ぐ
米軍基地の占有率は市町村で15位
普天間飛行場と海上基地の比較
住民一人当たりの基地密度
市町村別米軍基地占有率一覧
名護市基地関係財政収入決算額状況
米軍関係事件・事故
名護市の米軍基地の割合
基地関連収集の多い自治体上位5位(95年度)

1997年12月11日 琉球新報
岐路に立つ 12月21日名護市民投票 10 広がる 下
気になる投票の行方
辺野古だけの問題ではない
関係深い東海岸

1997年12月11日 琉球新報
砲弾無こん包輸送で意見書
具志川議会
→演習その他

11日 琉球新報
対論 海上基地建設は是か非か 下
田久保忠衛 杏林大学教授
安保の必要性説くべき

前田哲男 東京国際大学教授
地方自治の原点に返れ

1997年12月12日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
ニュース透視鏡’97
対立深まる賛否両派 名護市
命は空気だけで守れぬ 賛成派
政府の振興策は買収だ 反対派

1997年12月12日 琉球新報
海上基地関連年表

1997年12月14日 琉球新報
海上基地住民投票 対論企画インタビュー
志位和夫共産党書記局長
永久化許す 最新鋭基地
投票に大きな意義
ノーなら撤去迫るべき
知事は公約貫いて

野中広務自民党幹事長代理
普天間返還への岐路
全体考え知事決断を
移設なければ返らない
建設で振興策充実

1997年12月14日 琉球新報
普天間返還棚上げも
海上基地で久間長官会見「市の判断大事に」

1997年12月14日 琉球新報
ニュースここが知りたい
質問 基地交付金とは何ですか
基地交付金
固定資産税の代替 使途制限ない財源

1997年12月14日 琉球新報
日曜評論
比嘉幹郎 ブセナリゾート社長
国際化と沖縄
→普天間飛行場移設

1997年12月16日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
毎日が投票日
加熱する不在者投票
2697人、有権者の7%突破
賛成派が組織動員
反対派 「趣旨逸脱」と反発

1997年12月16日 琉球新報
企業動員
「望ましくない行為」
実施本部が緊急会議 チラシ配布し趣旨徹底

1997年12月16日 琉球新報
ドキュメント住民投票 あと5日
活性化各事務所
「マスコミは遠慮を」
施設庁長官が訪問、激励

1997年12月16日 琉球新報
普天間基地
名護市移設を容認
宜野湾市商工会 理事会で方針決定

1997年12月16日 琉球新報
海上基地建設問題
クロス討論
活性化促進市民の会
前田裕継副会長
反対派➡賛成派
規模は現在の5分の1
北部振興策に大きな期待

ヘリ基地反対協
宮城康博代表
賛成派➡反対派
返還こそ振興の原点
建設は県民の努力台無しに

1997年12月16日 琉球新報
ウオッチング住民投票 1
遊説
静かな集落に〝訴え〟こだま

1997年12月16日 琉球新報
選択の時 名護市民投票の行方 1
揺れる心
「私たちの投票で決めるのが怖い」
堂々巡り、やり切れなさ抱え
投票場に並ぶ厳しい表情

1997年12月17日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
大宜味村が基地反対決議
名護市に新たな提起
振興策と自然保護に揺れる
宜野座村松田区 きょう考える集会

「平和の火」名護にゴール

大宜味村
北部市町村議会で「海上基地反対」は初

1997年12月17日 琉球新報
ドキュメント住民投票 あと4日
双方に支援の輪広がる
名護市議会 情勢探り合う議員たち

1997年12月17日 琉球新報
投票率の行方
80%台達成が焦点
両派高い投票率を予想
得票
過半数獲得にしのぎ
率に連動した得票がカギ

名護市住民投票Q&A

インタビュー・名護市住民投票の焦点
国民・住民投票を活かす会 今井一事務局長
条例制定の署名大きい
過半数の意思は尊重すべき

1997年12月17日 琉球新報
拒否なら「返還できない」
海上基地住民投票
村岡官房長官が本紙と会見

1997年12月17日 琉球新報
名護市に若者が働ける場がありますか。
今の名護市では、若者の20%は職につけていません。
名護市を活性化するために、条件付き賛成に「○」をつけてください。
→広告

1997年12月17日 琉球新報
ウオッチング住民投票 2
個別訪問
冷え込む夜もビラを手に

1997年12月17日 琉球新報
選択の時 名護市住民投票の行方 2
市長の苦悩
「住民投票で決着したい」
問題は賛否拮抗した場合
知事静観の中、孤立無援

1997年12月18日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
投票まであと3日
大詰め迎える集票合戦
賛否両派、市街地に重点

1997年12月18日 琉球新報
普天間飛行場 海上基地 点検
海上基地 普天間の機能を踏襲
普天間の機能 ヘリ中心に70機配備
海兵隊の現状 普天間に部隊の大半 第一海兵航空団
海上基地の機能 運用は今後、米側と調整
V-22オスプレイ 21世紀初頭に配備か

1997年12月18日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
「静観はできない」
「建設反対」訴える 宜野座村松田区民集会
父母らが自主開催 騒音被害を懸念

1997年12月18日 琉球新報
地域回りの運動続ける
賛成派

1997年12月18日 琉球新報
「企業動員は条例違反」
野党市議団 実施本部に申し入れ

1997年12月18日 琉球新報
不在者投票 5000人目前
有権者の13%に迫る

1997年12月18日 琉球新報
ドキュメント住民投票 あと3日
保革議員の動き活発
不在者投票 野党市議動議に与党反発

1997年12月18日 琉球新報
不在者投票
外封筒署名に疑問と不安
実施本部 「プライバシー守られる」

1997年12月18日 琉球新報
反対が76% 沖大生アンケート

1997年12月18日 琉球新報
建設反対でアピール相次ぐ

1997年12月18日 琉球新報
選択の時 名護市民投票の行方 3
対立の構図
加熱する運動に戸惑う市民
「海上基地の是非」問う投票
反対か振興策かの選択に

1997年12月18日 琉球新報
ウオッチング住民投票 3
炊き出し
昼夜300人分 条例の範囲内強調

1997年12月19日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
終盤戦に波紋広げる 辺野古区行政委「条件付き賛成」
賛成派「運動の追い風に」
反対派「一部の判断 暴挙」
賛成派 〝号外ビラ〟刷りローラー作戦
反対派 区事務所に押し掛け抗議

1997年12月19日 琉球新報
海上基地でWWFJ 建設中止求め意見書

1997年12月19日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
辺野古区行政委
「条件付き賛成」確認
住民投票後 正式決定へ

区民無視の暴走 将来に禍根残す
島袋等ヘリポート基地建設阻止協議会「命を守る会」事務局長

1997年12月19日 琉球新報
ジュゴンの食み跡の可能性
NGOが辺野古沖調査

1997年12月19日 琉球新報
施設局職員の個別訪問批判
法律家4団体がアピール

1997年12月19日 琉球新報
「企業動員確認できず」
実施本部が市議団に回答

1997年12月19日 琉球新報
「静かに生活させて」
紙芝居で海上基地考える
精薄施設・名護学院

1997年12月19日 琉球新報
ジュゴンのえさ19種類確認
高教組も調査結果発表

1997年12月19日 琉球新報
選択の時 名護市民投票の行方 4
集落分断
区再生にかける思いは同じ
村八分恐れ多くを語らず
経済振興の起爆剤か、否か

1997年12月19日 琉球新報
ウオッチング住民投票 4
看板
大型化で目を引く 道路管理で撤去も

1997年12月19日 琉球新報
30年前の出来事 海上基地に2⊡ゼネストを思う
新崎盛暉
返還「凍結」は不可能
政府に居直れぬ事業あり
→米軍統治時代

1997年12月19日 琉球新報
漁業水域で米軍降下訓練
漁船の周辺で 計3回約30人が着水
中城湾港内
→演習事故

1997年12月19日 琉球新報
漁業水域へのパラシュート降下
「身の危険感じた」
漁船の20メートル先に兵士着水
→演習事故

1997年12月19日 琉球新報
米空軍が訓練実施
漁業水域でのパラシュート降下
漁協も対策検討
→演習事故

1997年12月19日 琉球新報
コザ騒動、威嚇発砲は5発
米軍文書で明らかに 「再発の可能性大」と分析
沖縄市が入手
→米軍統治時代

1997年12月19日 琉球新報
すべての港で非核証明
来年4月から高知県

1997年12月19日 琉球新報
‘97年末回顧 県内 比嘉良彦
論壇
飛びかった「自立論」
現実の危機意識を投影

1997年12月20日 琉球新報
ドキュメント住民投票 あと1日
宣伝活動 目まぐるしく
「良心」と「発展」呼び掛け

1997年12月20日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
審判 5つのシナリオ
拮抗なら判断微妙

1997年12月20日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
「不当介入には毅然と」反対派
「千載一遇のチャンス」賛成派
反対派 賛成派

1997年12月20日 琉球新報
建設業協北部支部に協力願い
不在者投票で実施本部

1997年12月20日 琉球新報
「事件・事故イヤ」建設反対94.6%
コザ高で海上基地模擬投票

1997年12月20日 琉球新報
インタビュー
賛成派
屋部笑美子さん 名護市活性化促進協議会・女性の会
10年後の名護を見て
反対派
中村愛子さん ウーマンパワーズ代表
悔しさが運動の原動力

1997年12月20日 琉球新報
名護投票に寄せて
目取真俊氏 芥川賞作家
進む道決めるのは県民

1997年12月20日 琉球新報
選択の時 名護市住民投票の行方 5
最終情勢
票読みに両派は苦心
賛成派〝政府援護〟で猛追
反対派、市街地浸透へ全力

1997年12月20日 琉球新報
米特殊部隊、金武湾で洋上訓練
〝密入国〟騒ぎで捜査も
→演習その他

1997年12月20日 琉球新報
漁業水域でのパラシュート降下
無謀な訓練に怒り
沖縄市漁協緊急理事会 22日、施設局に抗議

空・陸軍特殊部隊が降下
空軍広告局が明らかに
→演習事故

1997年12月20日 琉球新報
海上基地の反対を決議
読谷村議会

1997年12月20日 琉球新報
ロケット弾直撃で山火事
キャンプシュワブ 1時間燃え5000平方メートル焼失
→山林火災 キャンプ・シュワブ

1997年12月20日 琉球新報
沖縄に迫り来る第二の暴行事件
チャルマーズ・ジョンソン 日本政策研究所所長
海上基地
改善ならない県内移設
必要なら首相の選挙区に
沖縄に駐留する理由ない 日米首脳合意に反する 正気でない飛行場建設 計画反対を支援

1997年12月21日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
海上基地に市民の審判
名護市住民投票 きょう投開票
大勢は午後10時半ごろ判明

1997年12月21日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
解説
不在者投票で自信 賛成派
冷静に受け止める 反対派

基地反対か振興策か
みどころ 市民の判断が焦点に

海上基地に対する賛成、反対両派の争点

1997年12月21日 琉球新報
ジョンソン博士から反対協に激励文
→チャルマーズ・ジョンソン日本政策研究所所長

1997年12月21日 琉球新報
80-85%に達するか
市長選並みの投票率予想

1997年12月21日 琉球新報
両選対 最後のアピール
活性化促進市民の会 ヘリ基地反対協

判断材料にする…
比嘉名護市長

1997年12月21日 琉球新報
インタビュー 勝算はわれに
賛成派
活性化市民の会 新垣誠福会長 各層へ指示広がった
ヘリ基地反対協 宮城康博代表 圧力に屈しない市民

1997年12月21日 琉球新報
Uターンしたくても帰れない若者の声が聞こえますか。
本土へ行った大学生の大多数が、Uターン希望者なのですが…。
名護市を活性化するために、条件付き賛成に「○」をつけてください。

1997年12月21日 琉球新報
論壇
当山栄
軍事基地との共存拒否したい
ベトナム、湾岸と直結した沖縄

1997年12月22日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
「歴史的勝利」沸く反対派
反対派
〝市民の良識が実結んだ〟
2300票差、賛成派も勝利宣言
賛成派
「結果を評価したい」
判断は市長と知事に

名護市長会見
「これ以上ありません」
比嘉市長会見 談話読み上げる会場去る

1997年12月22日 琉球新報
解説
強い基地への抵抗感
政府、住民の不安ぬぐえず

国会議員コメント
基地縮小の選択肢だった 仲村正治衆院議員(自民)
今後も市民の協力求めたい 嘉数知賢衆院議員(自民)
結果は謙虚に受け止める 下地幹郎衆院議員(自民)
日米政府の猛省促したい 上原康助衆院議員(社民)
橋本内閣の失態だ 白保台一衆院議員(新進)
市民の歴史に残る勝利だ 古堅実吉衆院議員(共産)
海兵隊撤退要求すべき 島袋宗康参院議員(二院クラブ)
海上ヘリ断念すべき 照屋寛徳参院議員(社民・護憲)

1997年12月22日 琉球新報
基地問題への影響
「きん差」に重いかじ取り
県民へ分かりやすい説明を

1997年12月22日 琉球新報
政府の押し付け はね返す
ドキュメント住民投票 決断の日
名護市民の重い決断に幕
それぞれの思い込め一票

投票理由

辺野古区の命を守る会
努力が報われた
カチャーシーで喜び分かつ

息をのみ開票状況に見入る
緊張に包まれた体育館

1票への思い
「市民の良識だ」
政府に憤り、反対貫いた田港清治さん

活性化のため活動続けたい
辺野古活性化促進協

「正しいことをやったと満足」
二見以北の会

市長や知事判断踏まえ対応検討
県漁連・照喜名会長

1997年12月22日 琉球新報
海上基地 12・21住民投票
橋本政権に大きな打撃
対米関係で威信低下
首相の立場
名護市長ら説得へ
振興策の上積みは困難

政府の反応
移設への反発読めず
普天間白紙化で揺さぶりも

米国の立場
住民の意思に衝撃
安保への影響に懸念も

投票率
予想通りの高得票率
全体的に女性の関心高く

反基地の意思 明確に示した
仲地博琉球大教授(行政法)の話

1997年12月22日 琉球新報
解説
混迷深める沖縄政策

名護市長コメント

県内政党コメント
結果は実質上の勝利 自民党県連・翁長雄志幹事長
政府の干渉はね返した 社民党県連・新垣善春委員長
反対票には歴史的重み 社大党・新垣重雄書記長
基地にノーの審判下した 共産党県委・赤嶺政賢委員長
政府は真しに受け止めよ 新進党県連 上原吉二副会長
県内の代替基地意味ない 公明沖縄・高良政彦本部長
北部振興はほかにも可能 民主党沖縄・島尻昇代表

1997年12月22日 琉球新報
反対派 建設阻止へ決意新た
海上基地
「断念」訴え街頭アピール
巻き返し狙う賛成派

「白紙撤回まで運動を継続」
辺野古の反対派住民

1997年12月22日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第20部
重い審判 名護市住民投票の波紋 1
建設「ノー」
海上基地に強い警戒
振興策に首ひねる市民

1997年12月22日 琉球新報
識者評論
今井一氏
全国に胸張れる水準
次は国民全体が答えを出す番

1997年12月23日 琉球新報
住民投票記者座談会
2300票差の判断焦点に
反対派は勝利にも危機感
生活者の視点が共感呼ぶ

1997年12月23日 琉球新報
インタビュー 名護住民投票
リチャード・アーミテージ氏 移転の約束は約束
マイケル・グリーン氏 米国に危機感なし

1997年12月23日 琉球新報
住民投票 本土有力紙「社説」特集
日本経済新聞
名護投票踏まえ 国・県は打開努力を
産経新聞
市長の前向き決断に期待
西日本新聞
名護市民が突き付けたもの
毎日新聞
市民は苦渋の選択をした
読売新聞
ヘリポート建設へ現実劇判断を
朝日新聞
名護市民の意思を生かす道

1997年12月23日 琉球新報
住民投票 結果に思う 上 新崎盛暉沖大教授
人間の誇り内外に
市長は市民分裂の回復を

1997年12月23日 琉球新報
漁業水域でのパラシュート降下
改善申し入れ
沖縄市漁協が施設局に抗議

1997年12月24日 琉球新報
住民投票 結果に思う 下 真栄城守定琉大助教授
票差に微妙な意味
政治的対応の含み持つ

1997年12月24日 琉球新報
憤り、歓迎、反対…評価割れる
海上基地の期限付き使用
ヘリ基地反対協 辺野古の海を破壊
活性化促進市民の会 大いに期待できる
辺野古活性化促進協 あくまで埋め立て

海上基地を受け入れを
条件賛成派が市に要望
名護市

1997年12月24日 琉球新報
市長、「民意」に鉄のカーテン
反対協との面談を一方的に打ち切る
海上基地問題

1997年12月24日 琉球新報
検証 名護市民投票 上
玉虫色の投票結果
成果強調する政府 防戦強いられた反対派

1997年12月24日 琉球新報
重い審判 名護市住民投票の波紋 3
動揺
予想外の票差に衝撃
窮地に立たされる市長

1997年12月24日 琉球新報
104号越え、本土へ移転
キャンプ・ハンセンで山火事も
金武
→山林火災

1997年12月25日 琉球新報
辞めることで争い避けたい
比嘉市長が海上基地受け入れ表明
〝決死〟の覚悟で告げる
にじむ行政トップの苦悩

受け入れ、辞職 困惑の自民県連

1997年12月25日 琉球新報
政治生命かけ「決断」
「全く予想外の展開」
県が動揺と戸惑い

テレビの速報に驚きの声
那覇防衛施設局

県政与党
責任放棄と反発
自民「大変な英断」と評価

比嘉鉄也市長一問一答
基地を一時あずかる
市民の苦しみは私の責任

遺言状は北部の振興
会談での比嘉市長の発言要旨

1997年12月25日 琉球新報
市長に〝政府の圧力〟
受け入れを歓迎
なお慎重に地元対策
政府

解説
政府振興策 不可欠と判断

大田知事一問一答
意見集約の時間必要
2015年の話は一切ない

1997年12月25日 琉球新報
「信じられん、無責任だ」反対派
「政府の意向で動いた」
反対協 市長の容認に怒り

市民の声に従うべき
民主団体も一斉に反発

名護市民の反響

1997年12月25日 琉球新報
「やった」と喜びに沸く
活性化促進市民の会 〝大英断〟と市長賞賛

市長は卑怯だ
辺野古区命を守る会 怒り、失望あらわに

基地所在首長の談話
振興と基地で苦悩… 親泊康晴那覇市長
県民に苦渋強いた政府 新川秀清沖縄市長
政治生命断ち振興策 宮城篤実嘉手納町長
急転直下という感じ 辺士名朝一北谷町長
苦渋に満ちた選択 蔵当真徳勝連町長

1997年12月25日 琉球新報
識者コメント
市長追い込まれていた 我部政明琉大教授
民意の結果を伝えるべき 高良鉄美琉大教授
民衆に対する信頼感みられず 新崎盛暉沖縄大教授
市長の英断評価したい 知名洋二・県経営者協会会長
総合的な見地から判断したい 照喜名朝進・県漁連会長

1997年12月25日 琉球新報
橋本・大田会談要旨

1997年12月25日 琉球新報
重い審判 名護住民投票の波紋 4
模索
県益の判断がカギ
政治決断の難しさに苦悩

1997年12月25日 琉球新報
検証 名護市民投票 下
首相、僅差の思惑外れ苦悩
米政府もいらだちが失望へ

1997年12月25日 琉球新報
住民投票結果に思う 下
惠隆之介氏(ジャーナリスト)
まず知事が前面に
比嘉市長に過重な負担

1997年12月25日 琉球新報
「地位協定の不備 触れず」
海老原さん 勝訴にも不満残す
米兵による死亡事故判決

解説
社会の支援が課題
→日米地位協定

1997年12月25日 琉球新報
津見島水域での降下訓練中止を
県が米軍に申し入れ
→訓練空域・水域

1997年12月25日 琉球新報
米基地全面返還を表明
嘉手納町宮城町長 〝段階的縮小〟を転換
→嘉手納飛行場

1997年12月25日 琉球新報
返還に反対 継続使用表明
読谷村瀬名波通信施設軍用地主会
→軍用地

1997年12月25日 琉球新報
普天間飛行場跡利用基本計画を策定
地主、商工会などがまとまる
→跡地利用

1997年12月25日 琉球新報
市有地提供拒否言明
新川沖縄市長
→強制収用 自衛隊

1997年12月25日 琉球新報
排水溝からPCB検出
北谷キャンプ瑞慶覧
→環境

1997年12月25日 琉球新報
泡瀬通信施設から土砂が流出
→環境

1997年12月25日 琉球新報
なぜ名護市民が踏み絵を
比嘉名護市長辞職
苦しい胸のうちを吐露
融和に期待感示す

1997年12月26日 琉球新報
出直し市長選で決着へ
海上基地問題 知事決断が焦点
新市長の判断が優先
普天間返還凍結の可能性も
市長選の意味 建設容認の場合

名護市長選へ支援を
橋本首相、自民党に要請

バトンは市から県へ
防衛庁長官 知事の容認決断求める

浦添市長、移設反対を表明
県の意見聴取に
→普天間飛行場移設

1997年12月26日 琉球新報
任終われば大衆に消える
「歴史に名残す市長」
活性化促進市民の会会見 受け入れ高く評価
最終決着まで活動展開

〝怒りの声〟続々と
全国から比嘉市長にファクス

1997年12月26日 琉球新報
対立の構図は変わらず
解説
再び海上基地の是非問う
市長の決断にも審判

比嘉市長一問一答
決断延ばせば亀裂深まる

1997年12月26日 琉球新報
「海上基地受け入れ」の比嘉市長声明

1997年12月26日 琉球新報
核心評論
名護市長の決断
「国政」救った比嘉市長
辞任で問題は先送り
→共同通信編集委員 尾形宣夫

1997年12月26日 琉球新報
重い審判 名護市住民投票の波紋 5
市長辞職
苦渋の〝政治決断〟
評価は真っ二つに割れる

1997年12月27日 琉球新報
核心評論
「裏切られた民意」
大田知事は民主養護を
政治生命かけ決断すべき時
→共同通信編集委員 伊高浩昭

1997年12月27日 琉球新報
混迷する海上基地問題
知事決断ずれ込む可能性も
出直し市長選も行方左右
覆された決断 強まる知事包囲網

1997年12月27日 琉球新報
点検’98沖縄予算 2
基地関連
もつれた海上基地調査費
米政府へのメッセージ?

1997年12月28日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
名護市長 海上基地「受け入れ」の背景
政府、自民が大攻勢
強引決着のシナリオも

1997年12月29日 琉球新報
沖縄経由飛ぶ米軍機
153機が超低空飛行
岩国から高度150メートルで飛来
市民団体が実態調査、冊子に
→演習その他

1997年12月29日 琉球新報
普天間飛行場 移転先私案2
馬毛島あたりはどうですか?
池澤夏樹
市街地から離れた無人島
問題は日本政府の勇気

1997年12月29日 琉球新報
海上基地ヘリポートと環境問題 その展望 上 饒平名光雄
墜落は北部訓練場周辺に集中
快適生活の喪失、健康被害も
1、安全の問題 (1)ヘリコプター事故 (2)山林原野の焼失 2、ヘリコプター騒音

1997年12月30日 琉球新報
海上基地ヘリポートと環境問題 その展望 中 饒平名光雄
漁業、生態、海浜への影響懸念
避けられない重油流出
3、油汚染の問題 4、生活汚水の問題 5、亜熱帯の風景 6、北部の宝庫

1997年12月30日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
海上基地建設問題
知事、再び「苦渋の決断」へ
支持母体は「反対」の公算
後援会の決意 決断迫る与党

1997年12月30日 琉球新報
津堅島訓練水域
事前通告なく演習?
漁船がヘリと米兵を目撃
→訓練空域・水域

1997年12月31日 琉球新報
海上基地ヘリポートと環境問題 その展望 下 饒平名光雄
遠隔地の無人島に移設を
自然価値は2兆3000億円
7、北部の環境価値 8、むすび おわりに





  


Posted by 糸満のカッパ at 13:30

1997年11月

2015年08月04日 / 1997年新聞記事

1997年11月
1997年11月1日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 徳武敏夫 10
地域に根差す教育を
教科書選択は教師の責任
→教育

1997年11月1日 沖縄タイムス
基地が新種を〝保護〟
新発見で森林見直しを
→北部訓練場 環境

1997年11月1日 沖縄タイムス
米軍との交渉 披露
トイレで待ち伏せ、歴史語り合い…
「読谷村の挑戦」出版
→岩波ブックレット「沖縄・読谷村の挑戦―米軍基地内に役場をつくった」 読谷補助飛行場

1997年11月1日 沖縄タイムス
りゅうきゅうねしあへの便り 辰濃和男
海を愛し海に死ぬ
乱開発怒った吉嶺さん
→吉嶺全二氏 環境

1997年11月2日 沖縄タイムス
「平和研」が初会合
会長に東江氏 年度内に基本計画
→沖縄国際平和研究所(仮称) 沖縄戦

1997年11月2日 沖縄タイムス
国土審議会計画部会報告(沖縄関係記述)
はじめに 基地問題を抱える沖縄の振興 地域整備の基本方向 施策の展開方向

1997年11月3日 沖縄タイムス
新ガイドライン最前線 基地の島からの報告 上
奄美・喜界島
「象のオリ」に反対
防衛庁OB地主の苦悩
村八分も覚悟 軍事情報提供
→連載・基地

1997年11月4日 沖縄タイムス
草刈中に「バーン!」
庭先で不発弾?
男性が2カ月の重傷
嘉手納町
金属片飛び散り刺さる
→不発弾

1997年11月4日 沖縄タイムス
新ガイドライン最前線 基地の島からの報告 中
鹿児島・下甑島
自衛隊 住民の1割
「違法出動」批判に結束
都会の論理 フライング

1997年11月5日 沖縄タイムス
政府、基本案提示
海上ヘリ基地
シュワブ沖が適地
桟橋と箱型の2工法
久間長官、名護市と県に説明

基本案の骨子
→普天間飛行場移設 要記事

5日 沖縄タイムス
噴き出す「調査不備」の声
解説
運用面や環境への影響
予測難しい施設
撤去時期も明示されず

識者談話
住民側に立つ検討が必要 仲地博・琉球大教授(行政法)の話
陸上航空施設が望ましい 軍事アナリスト・小川和久氏の話
→普天間飛行場移設

1997年11月5日 沖縄タイムス
「なぜ要請文受け取らぬ」
海上ヘリ基地反対
市民団体ら施設局に抗議
面会求め座り込み

1997年11月5日 沖縄タイムス
海上ヘリ基地基本案の要旨
はじめに 海上ヘリポートの概要 海上ヘリポートの安全対策 生活環境に与える影響 自然に与える影響 経済効果 おわりに

騒然 久間長官と鉢合わせ
→普天間飛行場移設

1997年11月5日 沖縄タイムス
名護市活性化促進市民の会
会員1万5987人に
反対派も再び署名へ
海上ヘリ問題 正念場
→普天間飛行場移設

1997年11月5日 沖縄タイムス
金属片30数個を採取
嘉手納の爆発 県警が現場検証
→不発弾

1997年11月5日 沖縄タイムス
月間報告 10月

1997年11月5日 沖縄タイムス
アリラン慰霊のモニュメント 橘田浜子
全国の支援で建立
9日に渡嘉敷村で式典
→沖縄戦

1997年11月6日 沖縄タイムス
「評価」「批判」市民二分
海上ヘリ基地政府案
「説明聞いただけ」
比嘉市長笑顔で淡々
不信と期待入り乱れ
辺野古周辺 ヘリ基地反対協 活性化促進の会
→普天間飛行場移設

1997年11月6日沖縄タイムス
海上ヘリ基地 環境への影響
立場を超え対策必要
サンゴ ジュゴン 藻場

漁業影響示さず不満
概要説明に照喜名会長
県漁連

知事「民意の動向見守る」
→普天間飛行場移設

1997年11月6日 沖縄タイムス
海上ヘリポート 政府基本案(全文)
はじめに 現地調査の結果について 海上ヘリポート基本案 おわりに

普天間飛行場と海上ヘリポートとの比較
→普天間飛行場移設

1997年11月6日 沖縄タイムス
久間防衛庁長官の一問一答
地元の理解得るよう努力
→普天間飛行場移設

1997年11月6日 沖縄タイムス
海上基地・政府案 識者の分析 亀山統一 1
説明不十分な「文書」
計り知れない国民の税負担
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年11月6日 沖縄タイムス
新ガイドライン最前線 基地の島からの報告 下
沖縄・那覇空港
安全な空願う操縦士
認定されない「ニアミス」
事前情報なし 嘉手納ラプコン
→訓練空域・水域

1997年11月6日 沖縄タイムス
視座
沖縄修学旅行 柴田健
受け入れ態勢の充実望む

1997年11月7日 沖縄タイムス
沖縄戦を教訓に世界へ平和発信
糸満市摩文仁
平和祈念資料館起工式
展示面積5倍に
→沖縄戦

1997年11月7日 沖縄タイムス
検証海上ヘリ基地 政府基本案 1
潮流よどめばダメージ
辺野古の海
沖合斜面にサンゴの群生
リーフ内では刺し網漁
→連載・基地 普天間飛行場移設 要記事

1997年11月7日 沖縄タイムス
上野省策先生のこと ましきみちこ
描き続ける戦争の記憶
現れる豊かな物語性

1997年11月7日 沖縄タイムス
海上基地・政府案 識者の分析 2 藤井治夫
見えない明るい未来像
頭よぎる横須賀の失敗

1997年11月8日 沖縄タイムス
海上基地・政府案 識者の分析 3 梅林宏道
安全面で新たな脅威
重要なポイント欠く説明

1997年11月8日 沖縄タイムス
波紋広げる「現実対応」
解説
海上ヘリ基地
知事発言 流れは「容認」
立場…率直に訴えるべき

ニュース断面
政府・名護市の反応
「期待感は持てない」
行政の限界 ジレンマに立つ知事
投票への懸念 冷ややかな反応 厳しい選択

推移見守りたい
比嘉盛光宜野湾市長の話
→普天間飛行場移設

1997年11月8日 沖縄タイムス
大田知事の会見内容(要旨)
→普天間飛行場移設

1997年11月8日 沖縄タイムス
自民、現実的対応を評価
真意図れず、と支持政党
知事の容認示唆発言
→普天間飛行場移設

1997年11月8日 沖縄タイムス
識者談話
仲地博琉大教授
現実対応は即、容認か 問題は「移設条件付き」
新崎盛暉沖大教授
今こそ歴史に学べ リーダーは政治的洞察力を
→普天間飛行場移設

1997年11月8日 沖縄タイムス
社説
県民の願いは非現実的か
知事は真意を説明すべき 「普天間の次」も県内移設 21世紀を左右する課題だ
→普天間飛行場移設

1997年11月8日 沖縄タイムス
検証海上ヘリ基地 政府基本案 2
現地調査
「最低限3年間は必要」
具体的なデータ示さず
→普天間飛行場移設

1997年11月9日 沖縄タイムス
海上ヘリ基地
業界団体が激しい争奪戦
2工法巡りPR
環境、経費面で一長一短
→普天間飛行場移設

1997年11月9日 沖縄タイムス
社説
共同訓練に危機感持とう
→自衛隊

1997年11月9日 沖縄タイムス
多事争論 筑紫哲也のかわら版
空気
正体不明のかくれみの

1997年11月9日 沖縄タイムス
海上基地・政府案 識者の分析 4 水口憲哉
明確でない〝水域〟変更
問われる軍事優先か否か

1997年11月10日 沖縄タイムス
海上基地・政府案 識者の分析 5 小川和久
展望欠く官僚の発想
建設までの〝経済メリット〟
→普天間飛行場移設

1997年11月10日 沖縄タイムス
海上ヘリ基地建設 容認示唆発言を否定
「県内移設は反対」
知事 反対協に表明
「言質とれた」と反対協
→普天間飛行場移設

1997年11月10日 沖縄タイムス
反戦のシンボルに
慰安婦の慰霊碑を建立
渡嘉敷島
慰霊祭に100人余 韓国からも出席
→沖縄戦

1997年11月10日 沖縄タイムス
社説
平和発信の資料館に期待
→県平和祈念資料館 沖縄戦

1997年11月10日 沖縄タイムス
検証海上ヘリ基地 政府基本案 3
野生動物への言及なし
「無風、快晴が前提」と批判

1997年11月11日 沖縄タイムス
海上ヘリ基地
政府が市議会に説明
名護 野党、調査不備で追及へ
→普天間飛行場移設

1997年11月11日 沖縄タイムス
海上ヘリ基地
説明打ち切りに野党反発
栗原政務次官ら 予定時間過ぎ理由に
→普天間飛行場移設

1997年11月11日 沖縄タイムス
ヘリ基地反対協議会 署名活動スタート
名護市活性化促進会 久辺支部を設置
→普天間飛行場移設

1997年11月11日 沖縄タイムス
那覇空港
自衛隊機の車輪破裂
1時間余閉鎖 機体から一時発火
→自衛隊

1997年11月11日 沖縄タイムス
民間機 一瞬緊張
自衛隊機事故
嘉手納に緊急着陸
乗客イライラ3時間

軍事優先は問題 前野航空安全支部議長

3機の民間機は 那覇へ飛び立つ

対応に追われる那覇基地

ドキュメント
→自衛隊 嘉手納飛行場

1997年11月11日 沖縄タイムス
燃料タンク破損し引火
自衛隊機タイヤ破裂事故
調査委が原因究明
飛行訓練を中止、機体点検
→自衛隊

1997年11月11日 沖縄タイムス
「危険と隣り合わせだ」
自衛隊機タイヤ破裂
空港で足止めの客ら
航空安全推進会議 民間と事故の定義も違う

事故の再発防止を
那覇市、自衛隊機に抗議
→自衛隊

1997年11月11日 沖縄タイムス
米国強制収容
被害者は名乗りを
戦争中の中南米日系人

1997年11月11日 沖縄タイムス
検証海上ヘリ基地 政府基本案 4
運用
戦闘・輸送機も離着陸
機体洗浄、雨水の処理は?

1997年11月11日 沖縄タイムス
海上基地・政府案 識者の分析 6 目崎茂和
ジュゴンの環境破壊
世界的には保護水面指定

1997年11月12日 沖縄タイムス
海上基地・政府案 識者の分析 7 渡久山章
巨大構造自体が問題
自然のとらえ方大ざっぱ

1997年11月12日 沖縄タイムス
署名2万2千人に
名護市活性化市民の会
→普天間飛行場移設

1997年11月12日 沖縄タイムス
検証海上ヘリ基地 政府基本案 5
夜間飛行
自粛は「努力目標」
すべて米軍任せの運用
→航空機騒音

1997年11月12日 沖縄タイムス
高温部に触れ出火
タンクから漏れた燃料
自衛隊機事故

1997年11月12日 沖縄タイムス
社説
軍民共用の危険いつまで
代償大きい自衛隊優先 忘れられた民間航空約束 装い新たも居すわりでは

1997年11月12日 沖縄タイムス
「選択」を前に 海上基地の現場から 1
二見以北、賛否で二分
基地と振興に揺れる住民
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年11月13日 沖縄タイムス
騒音、環境に質問集中
海上ヘリ基地
政府、地元に初の説明
住民納得せず怒号、混乱
→普天間飛行場移設

1997年11月13日 沖縄タイムス
「時間制限」やじ怒号
海上基地説明会
住民小競り合い
政府側職員 足早に退場

賛成と反対で緊迫感
→普天間飛行場移設

1997年11月13日 沖縄タイムス
12.21海上ヘリ住民投票
住民説明会での質疑応答(概要)
久志・豊原・辺野古地区 二見以北
→普天間飛行場移設

1997年11月13日 沖縄タイムス
「選択」を前に 海上基地の現場から 2
千載一遇の思い
山原は置き去りのまま
したたかな戦略 やっと光が…

1997年11月13日 沖縄タイムス
検証海上ヘリ基地 政府基本案 6
基地交付金
「経済効果」で論議呼ぶ
市民投票、争点の一つに

1997年11月14日 沖縄タイムス
国道に煙 住宅街緊迫
米軍倉庫火事
ゴム焼けたにおい
浦添市 「立ち入り調査も」
→牧港補給地区

1997年11月14日 沖縄タイムス
牧港補給地区で火事
倉庫に薬品 付近住民が一時避難

1997年11月14日 沖縄タイムス
延焼すれば大事故
自然発火を疑問視
専門家

化学車など5台が出動
浦添消防署
→牧港補給地区

1997年11月14日 沖縄タイムス
恩納村PCB問題で施設局
基地外に仮保管計画
谷茶の国有地 村議会が抗議決議
→環境 自衛隊

1997年11月14日 沖縄タイムス
12.21海上基地市民投票
名護市観光協が条件付き賛成
理事会一致で決定
「促進の会」と歩調合わせ運動
→普天間飛行場移設

1997年11月14日 沖縄タイムス
米軍 地元に謝罪
タンク落下
→航空機事故

1997年11月14日 沖縄タイムス
ハンセンまた火災
→山林火災 キャンプ・ハンセン

1997年11月14日 沖縄タイムス
事前協議経ず米軍出撃
米外交文書入手を発表
共産党

1997年11月14日 沖縄タイムス
「選択」を前に 海上基地の現場から 3
保守地盤での住民運動
「安保」には踏み込まず
寄せ書きも緑色 小さな力でも…

1997年11月15日 沖縄タイムス
海上基地説明会
質疑応答かみ合わず
住民「観光立県に基地いらぬ」

名護市長不在で抗議団、肩すかし
市観光協会の意思表明問題

海上基地 住民説明会での質疑応答
屋我地地区 羽地地区
→普天間飛行場移設

1997年11月15日 沖縄タイムス
燃えたのは有害物質
米軍倉庫火災
次亜塩素酸カルシウム
海兵隊が訂正発表
→牧港補給地区

1997年11月15日 沖縄タイムス
米軍倉庫火災
不信感募らす住民
「軍の事故 欺まん目立つ」
→牧港補給地区

1997年11月15日 沖縄タイムス
浦添市長 米軍に通報体制改善申し入れ
市議会 臨時議会で「抗議決議」提案へ
→牧港補給地区

1997年11月15日 沖縄タイムス
社説
有害物質の公表を求めよ

1997年11月15日 沖縄タイムス
基地への依存に悩み
発展目指す米領グアム

1997年11月15日 沖縄タイムス
「選択」を前に 海上基地の現場から 4
北部町村の胸中
「振興策 名護だけのもの」
北部全体の問題 思い複雑

1997年11月16日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
キャンプ・キンザー火災
市民に募る不信感と怒り
米軍の訂正「信じがたい」
→牧港補給地区

1997年11月18日 沖縄タイムス
キンザー火災事故
住民に不安与えた
浦添市議会が抗議決議
→牧港補給地区

1997年11月18日 沖縄タイムス
火災再発防止せよ
県、米軍や関係機関に要請
→牧港補給地区、キャンプ・ハンセン

1997年11月18日 沖縄タイムス
基地に有害物なし
米軍、浦添市議会に弁明
→牧港補給地区

1997年11月18日 沖縄タイムス
「選択」を前に 海上基地の現場から 5
名護市の立場
ヘリと振興の間で揺れる
歴史の遺恨 振興のてんびん

1997年11月19日 沖縄タイムス
海上基地 住民説明会での質疑応答 概要
名護地区 屋部地区

1997年11月19日 沖縄タイムス
12.21海上基地 市民投票
解説
説得力に欠けた政府
住民の判断、困難な状況

1997年11月19日 沖縄タイムス
復帰25周年への視点 政府式典を問う 上 原田誠司
確認すべき「復帰」の終焉
「自立」の思想 磨く時代へ
脱特別措置へ 新しい分権自治

1997年11月19日 沖縄タイムス
「選択」を前に 海上基地の現場から 6
宜野湾の思い
「二者択一」ではない
共通の問題意識が 押し付けるわけには…

1997年11月19日 沖縄タイムス
タイムス ダーヴァ
ほぼこのくらい図鑑
「これまでに撃ち込まれた砲弾の数って…」
43940発=(小学校体育館フロアを埋める)+3940発
→キャンプ・ハンセン

1997年11月20日 沖縄タイムス
コザ騒動の米民政府資料発見
沖縄市調査
上陸前の基地建設計画も
米公文書館から約1300枚
→米軍統治時代

1997年11月20日 沖縄タイムス
復帰25周年への視点 政府式典を問う 中 大城冝武
〝基地〟では真の振興望めず
平和機関の審査推進を
狡猾な政府 異質性への目覚め

1997年11月20日 沖縄タイムス
核心評論
復帰25周年記念式典の意味
基地返還の行方占う
祝賀よりも政治色濃い催し

1997年11月20日 沖縄タイムス
「選択」を前に 海上基地の現場から 7
若者の立場
市民投票で意思を示す
話題を避ける 投票には行く

1997年11月 不明
「戦争マラリア」次代に
記念誌「忘勿石」が再販
→「忘勿石」(忘勿石之碑保存会) 沖縄戦

1997年11月21日 沖縄タイムス
復帰25周年への視点 政府式典を問う 下 新城和博
「復帰」なんて忘れよう
幻想の「本土なみ」振興
「格差」の奴隷 〝愛〟の不在

1997年11月21日 沖縄タイムス
米海兵隊
薬品の回収中に出火
火災事故の経緯を発表
→牧港補給地区

1997年11月21日 沖縄タイムス
シュワブ周辺
絶滅危ぐ9種確認
政府の対策本部 住民には説明せず
→普天間飛行場移設

1997年11月21日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
海上基地 宜野座村と金武町の反応
北部振興絡みで静観
政府説明ないことは不満

1997年11月21日 沖縄タイムス
日本科学者会議・海上基地調査報告
建設の根本問う「ジュゴンの餌場」
20~30億円の 基地交付金 疑問
さんご礁 海水の滞留 藻場とジュゴン マングローブ 油汚染の可能性 騒音 事故と犯罪 政府基本案に対する見解
→普天間飛行場移設

1997年11月21日 沖縄タイムス
沖縄国際シンポ 上 小川忠
「世界への貢献」探る
26日 かりゆしアーバンリゾート那覇
オピニオン リーダーが集合

1997年11月22日 沖縄タイムス
沖縄国際シンポ 下 小川忠
「文化」を切り札に
沖縄こそ非軍事の拠点へ

1997年11月22日 沖縄タイムス
ニュース断面
すれ違いの〝復帰式典〟
振興策も結果次第?
式辞で〝区切り〟つかず
「25年」のズレ 党内のズレ 時期のズレ 幕引き

1997年11月22日 沖縄タイムス
論評 江上能義 琉大教授
総理大臣式辞
冷え冷えとした中で挙行
過酷な選択強いる

1997年11月22日 沖縄タイムス
解説
首相式辞
県民の願いとは程遠く
基地、振興策いまだ不透明

1997年11月22日 沖縄タイムス
社説
二者択一は認められない
聞けなかった首相の決意 県の要望に沿った振興策 問われる復帰式典の意義

1997年11月22日 沖縄タイムス
視点
論説委員 新里正次
式典を見て
基地問題解決の通過点
振興策とのリンクにじむ

1997年11月22日 沖縄タイムス
基地押し返した「文化の力」
3周年迎える佐喜眞美術館
「芸術表現」にこだわる

1997年11月23日 沖縄タイムス
記者座談会
評価分かれた「復帰式典」
関心低かった県民
政府・県に協調路線も
沖縄振興策 式典の裏側 市民投票 基地問題

1997年11月23日 沖縄タイムス
基地被害 本土に
県道104号越え演習移転
教職員組合のアンケート調査
授業や行事に支障
演習場近くで騒音深刻
→演習被害

1997年11月26日 沖縄タイムス
米軍が排煙監視センター設置
日本の産廃施設は危ない
過去、ダイオキシン検出 厚木基地

1997年11月26日 沖縄タイムス
「原点」を問う 基地と知事発言の軌跡 1
県民大会
島ぐるみで怒りぶつける
子供の尊厳を守れなかった…
→連載・基地

1997年11月27日 沖縄タイムス
「倉庫にはまだ劇物ある」
化学物質事故のあったキャンプ・キンザー
元基地従業員が証言
民間地域に隣接
米軍側は安全性強調
→牧港補給地区

1997年11月27日 沖縄タイムス
嘉手納の爆発事故
20ミリ砲弾の可能性
県警科学捜査研が鑑定
→不発弾

1997年11月27日
「原点」を問う 基地と知事発言の軌跡 2
対峙
強制使用に異議申し立て
条件闘争ではありません

1997年11月28日 沖縄タイムス
振興策は海上基地が条件
政府 市民投票で対応策

1997年11月28日 沖縄タイムス
立教大学の門奈教授ゼミが調査
沖縄のメディア 民衆の立場で報道
当たらぬ「反体制批判」
地方の声と中央がぶつかるだけ

1997年11月28日 沖縄タイムス
「原点」を問う 基地と知事発言の軌跡 3
「普天間」返還
理念と現実の間で揺れる
政治は生き物…ある時は矛盾も

1997年11月28日 沖縄タイムス
論壇
大西照雄
海上基地は「負の遺産」
容認は県民の願い打ちのめす

1997年11月29日 沖縄タイムス
米軍車両 道路に赤土 金武
→演習事故 ギンバル訓練場

1997年11月29日 沖縄タイムス
「原点」を問う 基地と知事発言の軌跡 4
県民投票
ボール投げるも捕手不在
自立心を持ちうるかの判断基準

1997年11月30日 沖縄タイムス
通信所跡のPCB問題 恩納村
汚泥仮保管施設の工事中断
地元は村内設置に反対
→環境

1997年11月30日 沖縄タイムス
沖縄の米軍基地
SACOの返還合意区域
→県内米軍基地地図

1997年11月30日 沖縄タイムス
SACO合意から1年
実態は〝基地のたらい回し〟
「104号越え実弾砲撃演習」移転、唯一の進展

1997年11月30日 沖縄タイムス
鈴木長官 本紙と会見
投票結果の影響大
北部振興とは別問題
→名護市民投票 普天間飛行場移設

1997年11月30日 沖縄タイムス
社説
米軍の態度はこれ程違う
→環境

1997年11月30日 沖縄タイムス
「原点」を問う 基地と知事発言の軌跡 5
代行応諾
県内移設へ苦悩の始まり
6年間で最も難しい決断だった

1997年11月30日 琉球新報
海上基地 促進派、反対派が集会
千春さん 妥協すべきは妥協を
島田牧師 基地で繁栄は夢物語
辛口トークで夢と現実語る 紙芝居で基地の危険性訴え
→松山千春氏 島田善次牧師

1997年11月30日 琉球新報
米軍車両から赤土
金武町中川区
国道などにまき散らす
石川署 道交法違反で捜査




  


Posted by 糸満のカッパ at 15:21

1997年10月

2015年08月03日 / 1997年新聞記事

1997年10月
1997年10月1日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 第2部 私はこう見る 2
纐纈厚山口大教授
国家主義を植え付けられるのが怖い
総動員体制に拍車かかる
日の丸・君が代 新指針と経済 市民の安全保障

1997年10月2日 沖縄タイムス
久志十区の会結成へ
海上ヘリ建設阻止目指す
12日に総会
→普天間飛行場移設

1997年10月2日 沖縄タイムス
沖縄の米軍基地と東南アの安定
米カンザス大で討論と講演会
米海兵隊の削減否定 アーミテージ元国防次官補
沖縄の負担、不公平 平恒次教授
戦略的に極めて重要 アウアー所長
→平良恒次イリノイ大学教授、ジェームス・アウアー日米研究センター所長

1997年10月2日 沖縄タイムス
村岡官房長官に聞く
基地と振興策は別
全県自貿、県民の了解前提

1997年10月2日 沖縄タイムス
進む基地閉鎖 訪米調査団インタビュー 下
吉田勝彦西部地区班団長 県商工労働部次長
軍施設を民間転用
米国と同じ基準適用を

1997年10月2日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 私はこう見る 3
志方俊之帝京大教授
より重要性増す沖縄での日米協力
支援態勢が双方向になる
どう評価するか 集団的自衛権 沖縄での意味

1997年10月2日 沖縄タイムス
国防総省「日本組」 新指針への道 2
落としどころ発見
暴行事件で本音を把握

1997年10月2日 沖縄タイムス ほーむぷらざ
彩職賢美 294
砂川かおりさん 沖縄環境ネットワーク会員
「女性」と「若者」をキーワードに、これからの社会を模索

1997年10月2日 沖縄タイムス
記者私論
木村文
新ガイドライン
想像力豊かに論議深めたい

1997年10月3日 沖縄タイムス
落胆 安ど 渦巻く夜
修正条例案可決
推進協「リコールだ」
与党側「議論尽くした」
笑み浮かべ「市民の意見で進める」 市長会見

「市民の思い 踏みにじる」
→普天間飛行場移設

1997年10月3日 沖縄タイムス
解説
「四択」めぐり対立
すり替えられた「署名の意義」
→普天間飛行場移設

1997年10月3日 沖縄タイムス
「許せぬ」と怒り
住民団体の反応
かえって勇気わいた 命を守る会
中間層の声反映される 活性化市民の会

名護市議会ドキュメント

住民投票の意味知らない 今井一さん(国民・住民投票を活かす会事務局長)
住民に新たな選択の道残る 笹口孝明新潟県巻町町長
市民を賛成に誘導する内容 仲地博琉球大教授(行政法)
選択肢の項目 市民は熟慮を 前田哲男東京国際大教授(安全保障論)
反対多くても説得力はない 志方俊之帝京大教授(国際関係論)
→普天間飛行場移設

1997年10月3日 沖縄タイムス
市民投票条例案を修正可決

政府の反応
「年内決着」修正へ
「投票、反対派有利」と判断

識者コメント
争点ぼかし危惧 島袋純
→普天間飛行場移設

1997年10月3日 沖縄タイムス
基地立ち入り
地主の申請再び拒否
強制使用 採決への影響必至
→強制収用

1997年10月3日 不明
「基地立ち入り」可決
金武町議会が全会一致
→町議会の基地内立ち入り拒否 キャンプ・ハンセン 山林火災

1997年10月4日 沖縄タイムス
県収用委
申請の基地調査を中止
「地主拒否」で方針
公開審理、年内結審は無理

公平な審理に不可欠
米軍の基地立ち入り拒否 反戦地主ら声明
→強制収用

1997年10月4日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 私はこう見る 4
我部政明琉大教授
戦争想定の一方的な議論はおかしい
有事起こさぬ努力が大切
どう評価するか 周辺事態 日米での動き 論議は十分か

1997年10月5日 沖縄タイムス
ニュース断面
沖縄問題「区切り」の政府復帰記念式典
思惑通りの打ち上げ困難に
海上ヘリ、全県自貿で地元混乱
ぼける「宣言」 けん怠感も

1997年10月5日 沖縄タイムス
「海上ヘリ」の行方 名護市民投票条例可決 2
与野党の思惑
揺れ動いた可否
流れを変えた市長発言

1997年10月5日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 私はこう見る 5
小川和久氏
安保破棄を恐れてきたのはアメリカ
日本の立場認識し主体性を
どう評価するか 米軍にとっての日本 沖縄の役割

1997年10月6日 沖縄タイムス
「海上ヘリ」の行方 名護市民投票条例可決 3
2つの市民運動
勢いづく容認派
対応に苦慮する推進協

1997年10月6日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 上 石川真生
二見の照屋さん
嘉手納で被害実感
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年10月6日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 私はこう見る 6
水島朝穂
冷戦的発想やめアジアの「安保」を
海外へ緊急展開能力も保持
治癒不可能な違憲性 武力によらぬ方法

1997年10月6日 沖縄タイムス
日米討論 東アジアの安保と沖縄 1
平恒次氏
不公平な基地負担
日本全体の非軍事化を

1997年10月7日 沖縄タイムス
日米討論 東アジアの安保と沖縄 2
ジェームス・アウアー氏
重要度、以前より増す
マリン削減は「半島」次第

1997年10月7日 沖縄タイムス
月間報告 9月

1997年10月7日 沖縄タイムス
「海上ヘリ」の行方 名護市民投票条例可決 4
知事の態度表明
目算狂い遠のく
「普天間」宙に浮く事態も

1997年10月7日 沖縄タイムス
唐獅子
ヒージャーミーの兵隊
吉田健正 桜美林大学国際学部教授
→沖縄戦

1997年10月8日 沖縄タイムス
吉嶺全二さんの死を悼む 宇井純
サンゴ礁の定点観測編みだす
遺志継いで環境保全を
→環境

1997年10月8日 沖縄タイムス
「海上ヘリ」の行方 名護市民投票条例可決 5
崩れたシナリオ
手詰まり状態の国
県や市との調整は投票後

1997年10月8日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 中 石川真生
久志地区建設業会
早く振興策要求を

1997年10月8日 沖縄タイムス
日米討論 東アジアの安保と沖縄 3
リチャード・アーミテージ元国防次官補
日本の貢献に期待
新防衛指針の法的整備を

1997年10月9日 沖縄タイムス
日米討論 東アジアの安保と沖縄 4
リチャード・アーミテージ元国防次官補
沖縄は重要な拠点
「朝鮮」次第でマリン不要も

1997年10月9日 沖縄タイムス
社説
沖縄戦後資料館が欲しい

1997年10月9日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 下 石川真生
建設業の社員
区民の立場で反対

1997年10月10日 沖縄タイムス
10・10空襲と避難民 上 福地曠昭
沖縄上陸作戦の開始
3万人が北部に疎開
→連載・沖縄戦

1997年10月10日 沖縄タイムス
ズームアップ
海上ヘリポート 実施計画の年内策定断念
政府
「地元合意」が前提
作業は既定方針通り進行
→普天間飛行場移設

1997年10月11日 沖縄タイムス
10・10空襲と避難民 下 福地曠昭
受け入れで一致協力
班別に分け各家庭に

1997年10月12日 沖縄タイムス
瀬名波通信施設
継続使用で立て看
地主会が返還反対表示
→跡地利用

1997年10月13日 沖縄タイムス
ヘリ基地いらぬ
「二見以北十区の会」結成
→普天間飛行場移設

1997年10月13日 沖縄タイムス
敷居高いよ! 沖縄大使の事務所
二重、三重に〝警備〟
「在外公館を参考にした」

1997年10月15日 沖縄タイムス
新聞週間企画 「偏向」を問う 1
批判勢力の話
似通った二紙の論調
→連載・基地 要記事

1997年10月16日 沖縄タイムス
県内で初の国際政治学会 我部政明
安全保障の将来を論議
沖縄に関する討議一般公開

1997年10月16日 沖縄タイムス
裁判判決で思うこと
キャロリン・B・フランシス
男性中心の日本の法制度
→米兵事件による裁判

1997年10月19日 沖縄タイムス
日本国際政治学会秋季研究大会 初日
政府が解決すべき基地
報告
宮城悦二郎 県公文書館館長 県民に責任を転嫁
我部政明 琉球大教授 基地提供は限界に
→米軍統治時代

1997年10月19日 沖縄タイムス
沖縄問題 「50年間の犠牲」前提に
討論/質疑応答
「75%の基地」が事件の元凶
「人権」で広範にアピール

部会3/国際政治の中の島嶼地域
「構造的沖縄差別」を示唆
2項対立から「離散共同体」へ

報告/「沖縄基地と日米関係」
阪中友久 青山学院大教授 日本も応分に負担
長元朝浩 沖縄タイムス学芸部長 市民の安全保障を

1997年10月20日 沖縄タイムス
日本国際政治学会秋季研究大会 最終日
部会5/日米関係史
最大の狙いは有事協力
新防衛指針の背景分析

部会6/東北アジアの安保
集団安保見直す時
「柔軟な考え方」を強調

報告/「海洋アジアの国際関係」
白石隆 京都大学教授 500年の目で沖縄を
山影進 東京大学教授 海の時代は過渡期

1997年10月20日 沖縄タイムス
討論
田中恭子 静岡県立大教授 海外交易に有利な沖縄
藤原帰一 東京大学助教授 安保後の秩序は不透明
小川忠 国際交流基金アジアセンター アジアの「知の拠点」に
高嶺朝一 琉球新報副論説委員長 「基地カード」使え

フロアとの質疑
地方の主体性発揮しよう

1997年10月20日 沖縄タイムス
新聞週間企画 「偏向」を問う 5
自衛隊取材
つきまとう「便宜供与」

1997年10月21日 沖縄タイムス
新聞週間企画 「偏向」を問う 6
役割
沖縄の実情を伝えねば

1997年10月21日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 1 徳武敏夫
何を問うてきたか
「権力」の介入許さず
民衆の戦争責任も提起
→連載・沖縄戦

1997年10月22日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 2 徳武敏夫
出版労働者の活動
信じ難い検定例も
背景に戦争肯定の思想

1997年10月22日 沖縄タイムス
北朝鮮の中距離ミサイル
沖縄の米基地も標的
米議会で証言
亡命の元外交官ら

1997年10月22日 沖縄タイムス
沖縄関係フィルム
県公文書館への寄贈ストップ
研究家が差し止め提訴
米国立公文書館に保存の2000本
→米軍統治時代 沖縄戦

1997年10月22日 沖縄タイムス
ほぼこれくらい図鑑
海上ヘリポートを那覇市街地に持ってきたら
→要記事 普天間飛行場移設

1997年10月23日 沖縄タイムス
米軍用地強制使用 不明地は却下の可能性
解説
双方の主張 平行線

渡久地会長代理と上間委員が欠席

いつも女性が犠牲/暫定がすでに25年
証言
大城保英さん 地主
又吉京子さん 一坪反戦地主

産業振興の阻害要因
3人が具体的実態報告
→強制収用

1997年10月23日 沖縄タイムス
対論 沖縄
地元紙の報道は「偏向」か
田久保忠衛 杏林大教授
復帰時の論調続く
言論の競争にこそシンポが

門奈直樹 立教大教授
歴史的痛みを代弁
中央に対し市民の論理で
→要記事

1997年10月23日 沖縄タイムス
戦跡保存の課題 全国シンポジウムを踏まえて 上 吉浜忍
目玉は「壕に入る」
「戦争」が見える平和学習へ
壕の教育力 モノによる沖縄戦継承

1997年10月24日 沖縄タイムス
沖縄の歴史、文化学び犯罪起こさないで
米兵教育用のビデオ制作へ
原島大使企画「住民感情理解してほしい」
→米兵事件・事故

1997年10月24日 不明
米軍基地撤去と新ガイドライン
軍事評論家・藤井氏講演
有事で最前線基地化
海兵隊撤退 国民世論で
→藤井治夫氏 軍事評論家

1997年10月24日 沖縄タイムス
戦跡保存の課題 全国シンポジウムを踏まえて 中 吉浜忍
戦争の実相語る
取り組み弱い県内自治体
来年沖縄で集会 沖縄の戦跡の現状 南風原町が先駆け

1997年10月24日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 3 徳武敏夫
演劇人の支援
納得できない検定
「検閲と同じ」と批判

1997年10月24日 沖縄タイムス
ぬちぐすい 高齢社会を迎える住宅づくり 21 村上有慶 沖縄職業能力開発短期大学校
沖縄の住宅事情 1
約84%の住宅が戦争により焼失
戦後は「規格家」に仮住まい
「規格家」 軍政府による応急住宅の建設
→米軍統治時代

1997年10月25日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 4 徳武敏夫
国民の教育権
地域と手を携えて
国の内容立ち入り許さず

1997年10月25日 沖縄タイムス
戦跡保存の課題 全国シンポジウムを踏まえて 下 吉浜忍
地域に戦跡公園を
沖縄戦追体験の場に
壕は歴史的遺産 加計呂麻島の戦跡

1997年10月26日 沖縄タイムス
静けさや 基地にしみ入る 不満の声
被害説明に驚きも
視察10分足らず
外相「普天間」へ

1997年10月26日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 5 徳武敏夫
水の音サラサラに直せ
湯川秀樹の反核も削除

1997年10月28日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 6 徳武敏夫
杉本判決に自民反撃
世界に通用しない制度に

1997年10月28日 沖縄タイムス
PCBなど移して保管
恩納通信所
防衛施設局が方針
近くの基地へ 米軍は引き取り拒否

「早期撤去を願っている」
恩納村の大城助役
→環境

1997年10月28日 沖縄タイムス
沖縄こそ平和発信の拠点に
鼎談
おもろに「殺す」の言葉ない―大田
平和な島の精神を世界に―土井
「平和の礎」に沖縄の心が―シュミット
→大田昌秀 沖縄県知事、土井たか子 社民党党首、シュミット元西ドイツ首相

1997年10月29日 沖縄タイムス
米軍機燃料タンク
FA18から落下?
インディペンデンス艦載
→航空機事故

1997年10月29日 沖縄タイムス
船舶の航路上 通報なかった
燃料タンク落下
八重山市町村会、抗議へ
→航空機事故

1997年10月29日 沖縄タイムス

振興拠点 国へ申請
中南部を国際貢献都市に

1997年10月29日 沖縄タイムス
米国新聞にみる沖縄戦 県史資料編を発行
宮城悦二郎
「集団自決」に衝撃受ける
自国の被害も逐一報道
→沖縄戦

1997年10月29日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 7 徳武敏夫
最高裁は政府の番犬
文部省に教育統制与える

1997年10月30日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 8 徳武敏夫
沖縄戦の真実を削除
軍隊の残虐行為隠す検定

1997年10月30日 沖縄タイムス
米軍機燃料タンク漂流
通報体制の不備批判
八重山市町村会が抗議へ
→航空機事故

1997年10月30日 沖縄タイムス
訓練中に切り離す
米軍機のタンク落下 県、石垣島で調査
→航空機事故

1997年10月30日 沖縄タイムス
恒久平和願い慰霊祭
韓国人戦没犠牲者悼む
→沖縄戦

1997年10月30日 沖縄タイムス
沖縄分は62億円
基地・調整交付金の配分

沖縄県の基地交付金・調整交付金

1997年10月30日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
安保再定義の裏
地球課題に関連 沖縄基地
人類共通の利益顧みない米国
米国が増加量の半分 米国の二重基準

1997年10月31日 沖縄タイムス
12.21海上ヘリ市民投票
選択迫られる市民
名護市
広報活動を本格化
投票率70%以上目標

影響少ないと歓迎
知事の意思表明、年内にも
政府
ヘリ、振興策を加速
取り組み最終局面に

海上ヘリ基地建設の是非を問う市民投票の流れ

海上ヘリポート問題の経過
→普天間飛行場移設

1997年10月31日 沖縄タイムス
解説
投票率アップが課題
今後、双方の議論に注目

1997年10月31日 沖縄タイムス
材質は人体に悪影響
県、迅速な対応求める
米軍機タンク落下
→航空機事故

1997年10月31日 沖縄タイムス
沖縄、太平洋の平和交流拠点に
総合開発法を抜本見直しへ
首都機能移転に対応
次期全総で国土審部会

1997年10月31日 沖縄タイムス
家永教科書裁判の32年 真実の教育を求めて 9 徳武敏夫
「集団自決」
「日本人同士」でも殺害
88年に沖縄出張法廷実現




  


Posted by 糸満のカッパ at 10:57

1997年9月

2015年07月31日 / 1997年新聞記事

1997年9月
1997年9月1日 沖縄タイムス
継承「沖縄戦」 家永教科書訴訟を終えて 中
出張法廷
悲劇の実相に迫る
教科書記述に闘争成果
→連載・沖縄戦

1997年9月1日 琉球新報
第3次家永訴訟判決を考える 上 石原昌家
日本国家への不信感を助長
→連載・沖縄戦

1997年9月1日 琉球新報
インタビュー
県の米基地調査団に参加する 玉城清氏 全駐労沖縄地区本委員長
閉鎖後の雇用対策参考に
基地従業員から聞き取りも
→軍作業

1997年9月2日 沖縄タイムス
継承「沖縄戦」 家永教科書訴訟を終えて 下
教育現場
新たな闘いに決意
浸透した家永「精神」

1997年9月2日 琉球新報
97年版警察白書
特殊部隊の体制強化
テロ対策法の整備も課題

1997年9月2日 琉球新報
都心から250キロ不発弾
旧議会棟前工事現場 掘削中、弾頭に当たる
「こんな街中で…」

復帰から114万発を処理
不発弾

1997年9月2日 琉球新報
八重山戦争マラリア
「陣中日誌」は焼却
元軍人の遺族が証言 〝軍命〟裏付ける資料
→沖縄戦

1997年9月3日 沖縄タイムス
解説
手続き上は地方排除 収用委の裁決権残す
「勧告」…国・県の主張入れた折衷案

特措法再改正、検討へ
政府の評価 「妥当な結論だ」
→強制収用

1997年9月3日 沖縄タイムス
分権に逆行、安保押しつけ
当山尚幸会長 県収用委員会
地権者の権利保護に疑問
手続きの風通しを

中野清光弁護士 代理署名訴訟・県弁護団長
法律を空洞化
基本的権利揺るがす

基地従業員へのサービス低下懸念
全駐労・玉城委員長

連合が分権委勧告を批判

国の強権に反発強める
8関係市町村長コメント
米軍政下時代に戻っていくようだ 親泊康晴那覇市長
さらなる犠牲に激しい憤り覚える 新川秀清沖縄市長
返還期限を示し事態の解決を 宮城健一浦添市長
地方本来の姿がなくなってしまう 比嘉盛光宜野湾市長
国の思惑に沿う土地使用を懸念 辺士名朝一北谷町長
基地の安定使用 背後に見え隠れ 吉田勝広金武町長
声の封じ込めは断じて許せない 当真嗣清読谷村助役
希薄になりそう話し合いの余地 宮城篤実嘉手納町長
→強制収用

1997年9月3日 沖縄タイムス
西尾勝座長 分権委行政関係検討グループ
財産権保護には理解
地方自治体を〝損な役回り〟から解放
→強制収用

1997年9月3日 沖縄タイムス
核心評論
有事法制論へ波及懸念
→強制収用

1997年9月3日 沖縄タイムス
検証・第三次教科書訴訟判決 高嶋伸欣
最高裁判断に重大な欠陥
恣意的な文部省検定基準
「集団自決」記述を強要 教科書に記述
→教科書

1997年9月3日 沖縄タイムス
全駐労苦悩の転換 「基地撤去」から「雇用」へ 上
妥協点
雇用不安実感する若手
ベテランは〝反基地〟に思い
委員長の試み ベテランの苦悩
→軍作業 連載・基地

1997年9月3日 琉球新報
金武町議会の基地内調査
米軍が立ち入り拒否
9月定例会で抗議決議へ
→環境 キャンプ・ハンセン ギンバル訓練場

1997年9月4日 沖縄タイムス
ハンセンでまた山火事
→キャンプ・ハンセン 山林火災

1997年9月4日 沖縄タイムス
全駐労苦悩の転換 「基地撤去」から「雇用」へ 中
優良企業
整理・縮小後を見据え
「職業訓練」始めた沖駐労
二重加入も20人 約9000人が応募

1997年9月4日 沖縄タイムス
照射 復帰後25年の沖縄 42 砂川哲雄
戦争マラリアと慰藉事業 上
政治決着に割り切れぬ思い
解決について正反対の認識
批判と反論 本質的な解決か
→連載・沖縄戦

1997年9月4日 琉球新報
第3次家永訴訟判決を考える 中 安仁屋政昭
天皇の軍隊の本質明らかに
→教科書

1997年9月4日 琉球新報
文化ノート
日本・沖縄近代史の史料目録発表
我部山梨学院大教授
→我部政男教授

1997年9月5日 沖縄タイムス
全駐労苦悩の転換 「基地撤去」から「雇用」へ 下
片思い
雇用問題どう受け止める
全駐労に答えぬ沖縄
首切るなら基地返せ 「不参加もあり得る」

1997年9月5日 沖縄タイムス
照射 復帰後25年の沖縄 43 砂川哲雄
戦争マラリアと慰藉事業 下
問題解決への啓発を評価
死者の声 どう聴くかが根本
国への不信感 戦争体験継承の意味

1997年9月5日 琉球新報
米軍が日本の25港湾の資料作成
金武、那覇も
寄港反対運動から麻薬実態まで500項目
→ホワイト・ビーチ地区 那覇港

1997年9月5日 琉球新報
第3次家永訴訟判決を考える 下 高嶋伸欣
違法な検定を見落とした判決

1997年9月6日 沖縄タイムス
地主の立ち入り再申請
キャンプ瑞慶覧など12施設、3日分
適正審理上、必要
施設局「事務的に処理」
県収用委
→強制収用

1997年9月6日 沖縄タイムス
在沖海兵隊の削減当分ない
ク総司令官が言明

1997年9月6日 琉球新報
近い将来での削減ない
クルーラック米海兵隊総司令官が講演
沖縄駐留は同じ規模維持

1997年9月7日 沖縄タイムス
民間機や管制域を制限
米軍機の活動側面支援
有事法制で政府方針

1997年9月7日 沖縄タイムス
美術月評 8月 浦本寛史
仲里安広展
国家や権力の狭間で
現代思想取り入れた鏡

1997年9月7日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
玉城清氏 全駐労沖縄地区本部委員長
「普天間」で解雇が現実味
若者に不安広がる 組合が雇用を県民に提起
→軍作業

1997年9月7日 琉球新報
インタビュー 民意と基地問題 上
佐久川政一氏 県民投票推進協議長
国策にかすむ県民意思
「基地と経済の取引は弊害もたらす」
→連載・基地

1997年9月7日 琉球新報
検証 県民投票 今井一
沖縄の中だけで運動完結
県外巻き込む努力必要
→要記事

1997年9月8日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 1 石川真生
守る会の金城さん
燃え尽きるまで
→連載・基地

1997年9月8日 琉球新報
嘉手納爆音訴訟控訴審の現場検証
ごう音 耳つんざく
北谷町砂辺
これで分かったでしょう
嘉手納では〝音なし〟

「調査やり直して」嘉手納住民
→航空機騒音

1997年9月8日 琉球新報
嘉手納爆音訴訟証人
山本剛夫・京大名誉教授に聞く
「謙虚に現場を見るべき」
司法に公正さと勇気求める
→航空機騒音

1997年9月8日 琉球新報
インタビュー 民意と基地問題 下
宮城康博氏 名護市民投票推進協代表
埋まらない行政との距離
「投票はSACO合意差し戻す端緒」

1997年9月8日 琉球新報
家永訴訟の32年 佐藤学
教科書の歴史こそ多様に
認定制度の検討を

1997年9月8日 琉球新報
歴史の真実と教育の自由 江口圭一
国家権力介入の不当性を印象づけた教科書裁判

1997年9月9日 沖縄タイムス
「米軍はアンフェアだ」
嘉手納爆音訴訟の現場検証
普段より少ない飛行数
「意図的」と原告団
→航空機騒音

1997年9月9日 沖縄タイムス
管理、利用方法を模索
「北部国有林」で初会合

北部訓練場内国有林の概況

1997年9月9日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し学習会
2国間軍事協約の強化
東京国際大・前田哲男教授
沖縄へ一方的押し付け

1997年9月9日 沖縄タイムス
「有村善一の眼」出版によせて 石原昌家
世界的視野で考え投稿
論理的で創造性豊かな発想

1997年9月9日 琉球新報
嘉手納爆音訴訟控訴審現場検証
北谷町砂辺
裁判官、騒音を実感
終了後にタッチ&ゴー
→航空機騒音

1997年9月10日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 2 石川真生
守る会の仲村さん
みんなでやらんと

1997年9月11日 沖縄タイムス
〝象のオリ〟で解任式
来月から要員縮小
「SACO」による基地返還

1997年9月11日 沖縄タイムス
文化ノート
基地と非日常

1997年9月11日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 3 石川真生
普天間高校生の体験
進路を変えたよ

1997年9月11日 琉球新報
アジアにらむ空母島 日独平和フォーラム沖縄に参加して 上 梶村太一郎
今も続く核の人質
歴史体験で独に近い沖縄

1997年9月12日 琉球新報
新うちなー歴史探訪 舞台、人むぬがたい 137
戦時中、捕虜も水をくむ 金武町
屋嘉のウフカー(大井戸)
区民の信仰対象に
→沖縄戦 米軍統治時代

1997年9月12日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 4 石川真生
宜野湾市職労
何かやらないと

1997年9月12日 琉球新報
沖縄独立と共生の思想 大橋愛由等
大震災で国家の冷酷さを痛感

1997年9月12日 琉球新報
アジアをにらむ空母島 日独平和フォーラム沖縄に参加して 下 梶村太一郎
世界変えた非暴力民主主義
沖縄の市民にも可能性

1997年9月13日 沖縄タイムス
論評 知事代行応諾から1年 1 新崎盛暉
ヤマトの論理 受容
「国際都市」と引き換えに
→強制収用

1997年9月14日 沖縄タイムス
混雑ピーク時 離着陸避ける
那覇空港
ニアミス防止で自衛隊
運輸省勧告に基づき8月から
→自衛隊

1997年9月14日 沖縄タイムス
運輸省も危険予見
離島の空港建設に「壁」
米軍が沖縄周辺の空域専用も
→訓練空域・水域

1997年9月14日 沖縄タイムス
論評 知事代行応諾から1年 2 米盛裕二
振興策は取引材料
立ち戻ってほしい原点に

1997年9月14日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から
米軍支配下の空
広がる「聖域」に不安
「いまでも狭いのに…」
→連載・基地 訓練空域・水域

1997年9月15日 沖縄タイムス
論評 知事代行応諾から1年 3 高良鉄美
〝県民主役〟の重み痛感
真の平和実現の原動力

1997年9月15日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から 1
米軍 自衛隊 民間機ひしめく嘉手納ラプコン
米軍支配下の空
有事への準戦時体制
狙いは沖縄方式の全国化
→連載・基地

1997年9月15日 沖縄タイムス
対論 海上ヘリポート
辺野古活性化促進協議会長 島袋勝雄氏
県、建設賛成のはず
真剣に考えてほしい振興策…

名護市民投票推進協議会代表 宮城康博氏
禍根残してはならぬ
求めたい安心して暮らせる市
→普天間飛行場移設

1997年9月15日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から 2
米軍輸送
かん口令で砲弾運搬

1997年9月16日 沖縄タイムス
論評 知事代行応諾から1年 4 江上能義
目立つ国のごう慢さ
県の見通し甘さで主導権

1997年9月16日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から 3
軍事情報の交換
毎日飛ぶ対潜哨戒機

1997年9月17日 沖縄タイムス
重大案件には住民投票 名護市の海上ヘリ 今井一
聡明な判断下す賢者に
全国に主権在民の範を

住民投票 全国の動き
条例制定は8県10自治体
→普天間飛行場移設

1997年9月17日 沖縄タイムス
人物地帯
ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会代表
宮城康博さん
→普天間飛行場移設

1997年9月17日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 5 石川真生
業者の言い分
次の策も考えて

1997年9月17日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から 4
後方地域支援
姿変え得る民生協力

1997年9月18日 沖縄タイムス
「戦争マラリアと慰藉事業」批判への反論 上 篠原武夫
問題の経緯、認識に疑問
犠牲者の名誉回復が会の運動
大田氏のひぼう中傷 疎開先認識に誤り
→連載・沖縄戦

1997年9月18日 沖縄タイムス
論評 知事代行応諾から1年 5 高里鈴代
基地対応にねじれ
ふと、気付けば「振興策」

1997年9月18日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 6 石川真生
国場組会長の思い
沖縄への踏み絵だ

1997年9月18日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から 5
補給
燃料、食料を備蓄供給

1997年9月18日 沖縄タイムス
プリズム
「金とのバーター」を危惧
→下地幹郎衆院議員(自民) 普天間飛行場移設

1997年9月19日 沖縄タイムス
「沖縄とは質の違う訓練」
米軍夜間砲撃訓練で施設局
→演習その他

1997年9月19日 沖縄タイムス
また火災 100ヘクタール消失
ハンセン演習場 7時間燃える
今年11件目 原因は迫撃砲
→山林火災 キャンプ・ハンセン

1997年9月19日 沖縄タイムス
米軍機騒音
半数以上が基準超す
県環境保健部 35地点で測定
→航空機騒音

1997年9月19日 沖縄タイムス
28日午前に処理作業
旧県議会棟前で発見の米国製250キロ爆弾
半径500メートル 1万人避難 交通規制も
→不発弾

1997年9月19日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 7 石川真生
賛成派の徳田さん
がまんしようよ

1997年9月19日 沖縄タイムス
「戦争マラリアと慰藉事業」批判への反論 下 篠原武夫
遺族は軍命の明記 強く主張
平和学習に貢献する慰霊碑
碑文に因果関係 平和の尊さ後世に

1997年9月19日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から 6
機雷除去
「有事に派遣」も検討

1997年9月19日 沖縄タイムス
この人 この本
無言館 窪島誠一郎さん
戦没画学生の人生ドラマ
あふれる自己表現の喜び

1997年9月20日 沖縄タイムス
平和への案内人目指す
中部で初のガイド養成講座
→沖縄戦

1997年9月20日 沖縄タイムス
10兆円の借款要請を基地の代償として政府に 上 宮国英勇
琉球処分に似た事態
意図は沖縄を実験台に
→連載・基地

1997年9月21日 沖縄タイムス
10兆円の借款要請を基地の代償として政府に 中 宮国英勇
名護市に2兆円支援
政権崩壊前に振興策確立

1997年9月21日 沖縄タイムス
海上ヘリポート建設 君たちはどう思う
48%が「知らない」
高校生の意識調査
予想以上の無関心層
高教組 「生きた教育が弱い」
→普天間飛行場移設

1997年9月21日 沖縄タイムス
論評 知事代行応諾から1年 6 石原昌家
基地固定化を露出
加害、被害の歴史認識を

1997年9月22日 沖縄タイムス
対論 海上ヘリポート
下地幹郎・衆院議員(自民)
基地と振興策は別論
知事が先だち判断すべき

照屋寛徳・参院議員(社民・護憲)
移設は「基地の強化」
住民投票条例制定に努力を
→普天間飛行場移設

1997年9月22日 沖縄タイムス
10兆円の借款要請を基地の代償として政府に 下 宮国英勇
基金で返還地買い上げ
国有地にし、跡利用じっくり

1997年9月22日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 8 石川真生
島田牧師の決意
原則論以外ない

1997年9月22日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から 7
民間港湾使用
戦争行為の手助けも

1997年9月23日 沖縄タイムス
建設反対60%賛成21%
沖縄タイムス 海上ヘリ・名護市民世論調査
住民投票 7割が賛成
「知事は直接関与を」40%
→普天間飛行場移設

1997年9月23日 沖縄タイムス
地域の意識差浮き彫り
海上へリポートで名護市民調査
知事の姿勢 不信感29%(久志)
久志と名護 「建設賛成」に11%も開く
→普天間飛行場移設

1997年9月23日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 安保の現場から 8
周辺地域の有事に対処
→前田哲男氏の話

1997年9月24日 沖縄タイムス
空も海も軍事優先
動き出す「実践マニュアル」
日米新防衛指針
民間施設への影響必至
那覇空港 沖縄海域 民間港湾

「新たな重圧」に怒り 那覇市長
→自衛隊

1997年9月24日 沖縄タイムス
有事で対米協力拡大
掃海、臨検など40項目
日米新防衛指針を決定
周辺、地域特定せず

日米新防衛指針の骨子

基地の固定化懸念
新ガイドラインで知事
→自衛隊

1997年9月24日 沖縄タイムス
解説
日米新防衛指針
民間地域も前線基地に
こんどは日米のキーストーン

地元の声聞かず危険な一歩
各地で広がる批判の声
長崎 神戸 新潟 小樽

思い出す総動員法
新垣善春平和運動センター議長

また加害者の立場
野原全勝県平和委員会代表理事

県の従来の権限も国に移行
我部政明琉大教授(国際政治学)

軍事で解決するものはない
水島朝穂早稲田大教授(憲法学)
→自衛隊

1997年9月24日 沖縄タイムス
演習場でまた火事
給油装置爆発の危険も
北部訓練場内

1997年9月25日 沖縄タイムス
原因は給油装置のスイッチ切り忘れ
北部訓練場の出煙

1997年9月25日 沖縄タイムス
座談会 「集団自決」の検証 言葉の背景を探る 上
出席者
金城重明 沖縄キリスト教短大名誉教授
安仁屋政昭 沖縄国際大学教授
朴寿南 映画監督

金城 文部省追認の判決
安仁屋 実態とかけ離れる
朴 「慰安婦」の名と同じ

1997年9月25日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 9 石川真生
二の舞は忍びない
嘉数の仲里さん

1997年9月25日 沖縄タイムス
新日米安保体制を探る 1
同盟の変質
新領域に踏み込んだ指針
避けられぬ憲法論議

1997年9月25日 沖縄タイムス
識者談話 新ガイドライン
新崎盛暉・沖大教授
最大の被害やはり沖縄
加害の視点に転換も

1997年9月25日 沖縄タイムス
嘉手納飛行場 意見陳述のポイント

〝消滅〟による世代断絶
村落共同体への影響 高良勉さん

人間らしい生活に戻せ
環境と健康問題 池宮城紀夫さん

事故におびえる日々
教育現場から 伊佐冴子さん

「公共の利益」とは無縁
歴史と機能 大城保英さん

1997年9月25日 沖縄タイムス
主な基地関係市町村の反応
宜野座村 浦崎康克村長
具志川市 仲本景美市長
読谷村 当真嗣清助役
北中城村 喜屋武馨村長
嘉手納町 宮城篤実町長
知念村 志喜屋新孝村長
金武町 吉田勝広町長
勝連町 蔵当真徳町長
沖縄市 新川秀清市長
北谷町 辺士名朝一町長
宜野湾市 比嘉盛光市長

1997年9月26日 沖縄タイムス
座談会 「集団自決」の検証 言葉の背景を探る 中
援護法の適用は問題 安仁屋
一般補償法要求すべき 朴
恐怖心と軍の強制が要因 金城

1997年9月26日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 10 石川真生
大浦の宮里さん
災いの元残すな

1997年9月27日 沖縄タイムス
明朝 県庁前で不発弾処理
1万人が避難対象
病院やホテル対応に苦慮
避難できぬ患者 処理時間設定に不満 開店時間ギリギリ 路線バスう回運行

1997年9月27日 沖縄タイムス
座談会 「集団自決」の検証 言葉の背景を探る 下
朴 「礎」が戦争責任を免責
金城 本来の願いから欠落が
安仁屋 責任追及の強い姿勢を

1997年9月28日 沖縄タイムス
対論 海上ヘリポート
国場組代表取締役会長 国場幸一郎氏
「北部飛行場」が発想
軍民供用で、一大観光策を

島ぐるみネットワーク事務局長 真喜志好一氏
「逃げ腰」の大田知事
名護市民を分断、孤立化に

1997年9月29日 沖縄タイムス
この不安いつまで
不発弾処理
入院患者も観光客も 1万人が避難
ガラリ中心街
対策本部 病院 国際通り ホテル 避難場所

1997年9月29日 沖縄タイムス
対論 海上ヘリポート
帝京大教授 志方俊之氏
「意味ない」県外移設
4通りの選択肢は賢明

東京国際大教授 前田哲男氏
県内移設「おかしい」
ハワイ、米国も検討を

1997年9月29日 沖縄タイムス
魚眼レンズ
基地置き去りの振興策に疑問
吉岡攻さん

1997年9月29日 沖縄タイムス
進む基地閉鎖 訪米調査団インタビュー 上
渡久地政弘 東部地区班団長
横断的な取り組みを
跡地の環境問題にも敏感

1997年9月30日 沖縄タイムス
ガイドライン見直し 私はこう見る 1
高良鉄美琉大教授
確かに憲法の枠飛び出す
違憲か合憲か 政府の狙いは 集団的自衛権 憲法はどうなる

1997年9月30日 沖縄タイムス
進む基地閉鎖 訪米調査団インタビュー 中
玉城清 全駐労沖縄地本委員長
在職中に技能訓練
国防総省が雇用対策

1997年9月30日 沖縄タイムス
海上ヘリ 県民世論調査
政党支持別では賛否が対照的

新指針43%が否定
肯定的な見方も36%

知事の姿勢8割が評価

「自民」支持も67%
住民投票への賛成意思
→普天間飛行場移設

解説
県民世論に逆行する「意見書」
→普天間飛行場移設

1997年9月30日 沖縄タイムス
比嘉市長の意見書補足説明要旨
手続きに3カ月必要
中間派の意見把握したい
→普天間飛行場移設 比嘉鉄也名護市長

1997年9月30日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
海上ヘリポートと新ガイドライン
民衆に打ち込むくさび
今なお君臨する帝国主義
木更津空港の存在 基地負担は減らず

1997年9月30日 沖縄タイムス
嘉手納基地
一部早期返還を要求
町議会が復帰後 初の議決
→嘉手納飛行場


  


Posted by 糸満のカッパ at 12:56

1997年8月

2015年07月29日 / 1997年新聞記事

1997年8月
1997年8月1日 沖縄タイムス
核心評論
攻守逆転
大田知事の決断促す
首相、沖縄に〝返球〟
→普天間飛行場移設

1997年8月1日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン 128万人の選択 10
否定された県の要望=一国二制度
研究者の視点
原田誠司 長岡短期大学教授 上
10年前倒しの〝実験〟
倒産、失業者増大明らか

1997年8月1日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 1 宮里松正
はじめに 一九七一年副主席に就任
忘れえぬ「あの日」
→米軍統治時代

1997年8月2日 沖縄タイムス
ANK・空自機ニアミス
「衝突の危険性あった」
運輸省 防衛庁などに改善要望
→航空機事故 自衛隊 那覇空港

1997年8月2日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 2 宮里松正
米軍基地 戦後アジアの激変で固定化
新たな接収始まる

1997年8月2日 琉球新報
論評 新崎盛暉沖大教授
知事は原点に戻れ
不可解な県の調査容認
→普天間飛行場移設

1997年8月2日 琉球新報
動き出した海上基地 ボーリング調査許可の波紋 上
固く口閉ざす知事
県幹部 国と地元にげた預ける
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年8月2日 琉球新報
政治人類学 一期生たちの夏 5
春名真章氏(共産)
唯一の野党
党名変えては前進ない
国会は国民生活から遊離
風頼みの党と違う パートナー不在

1997年8月3日 沖縄タイムス
「平和世創人ちむどんどん」公演
思い熱く
問い直す平和

1997年8月3日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン 128万人の選択 11
グローバル経済下での沖縄企業
研究者の視点
原田誠司 長岡短期大学教授 下
優位性の形成必要
新地域産業政策の提示を

1997年8月3日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 3 宮里松正
施政権返還 米、核付き自由使用条件に
強硬な姿勢で要求

1997年8月3日 琉球新報
国連環境特別総会 参加リポート 上 砂川かおり
知られていない問題
基地がもたらす環境汚染
→環境

1997年8月3日 琉球新報
ニュースここが知りたい
嘉手納ラプコン
進入管制で基地中心に米軍が業務行う空域
→Rader Approach Control 訓練空域・水域

1997年8月3日 琉球新報
動き出した海上基地 ボーリング調査許可の波紋 中
なぜ辺野古ならいいのか
地域差別に憤る住民

1997年8月3日 琉球新報
政治人類学 一期生たちの夏 6
辻元清美さん(社民)
与党のメリット
自民単独よりは連立
ガイドライン立法化が潮時
落差はある 中曽根氏はライバル

1997年8月4日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
「基地の全面返還」打ち出す
〝交付税算定〟が引き金
町の将来 自ら切り開く
嘉手納町長 宮城篤実氏
→嘉手納飛行場 軍用地

1997年8月4日 沖縄タイムス
ズームアップ
実施なし満1年
パラシュート降下訓練
読谷、186回で停止
→読谷補助飛行場 演習その他

1997年8月4日 沖縄タイムス
海上基地だけが選択肢ではない 藤井治夫
「ノー」と言う政府に
基地使用決定は主権事項
「木更津」の条件十分 英に米地上戦闘兵力なし
→普天間飛行場移設

1997年8月4日 沖縄タイムス
揺れる「基地建設」 海上ヘリボーリング調査許可 上
区民は比較的冷静
調査後をにらむ容認派
→普天間飛行場移設 連載・基地

1997年8月4日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン 128万人の選択 12
研究者の視点
この構想 実現しないし、させてはならない
来間泰男 沖縄国際大学教授 上
現状分析せず提案
報告書、既存企業を軽視

1997年8月4日 琉球新報
国連環境特別総会 参加リポート 下 砂川かおり
新たな基地が汚染源に
環境浄化の計画づくりを

1997年8月4日 琉球新報
動き出した海上基地 ボーリング調査許可の波紋 下
合意形成への一里塚
調査許可に安どの政府

1997年8月5日 沖縄タイムス
米軍
県議会の基地立ち入り拒否
「納得できない」与野党反発
→跡地利用 普天間飛行場 要記事

1997年8月5日 沖縄タイムス
「戦争の20世紀」を総括
世界平和都市市長会議が開幕
36カ国地域から 240人広島、長崎に集う

ドーム登録はやはりエゴ
本島・前長崎市長が講演

1997年8月5日 沖縄タイムス
揺れる「基地建設」 海上ヘリボーリング調査許可 中
「再び県民投票を」
「自治事務」解釈論も

1997年8月5日 琉球新報
妹は日本軍の道案内をしていた母の背で撃たれ…
「なんとか国の補償を」
比嘉武徳さん(58)名護
新証言 本紙報道きっかけ 基に再申請
県にも協力求める
91年に申請 〝証拠不十分〟で却下
→沖縄戦

1997年8月6日 沖縄タイムス
揺れる「基地建設」 海上ヘリボーリング調査許可 下
静観決め込む知事
「申請許可は県政の合意」

1997年8月7日 沖縄タイムス
基地跡の汚染学ぶ
女たちの会が実情報告
→環境 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会

1997年8月7日 沖縄タイムス
月間報告 7月

1997年8月7日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン化は沖縄らしさを喪失する 上 金城睦
社会は弱肉強食化
地場産業に決定的打撃

1997年8月8日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン化は沖縄らしさを喪失する 下 金城睦
地域の特性生かす
多方面からの議論必要

1997年8月8日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 宮里松正 4
民意抜き 頭越しの施政権返還交渉
基地撤去要求せず

1997年8月9日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 宮里松正 5
基地提供 5年間の時限立法を制定
県民への影響黙殺

1997年8月9日 琉球新報
’97 8・15 「物語」は復権するか 上
民衆史、民俗学も歴史
埋め込まれた物語再発見を
純粋化の仕掛け 残された者の声 守るべき価値

1997年8月11日 沖縄タイムス
基地関連交付税
沖縄市、北谷町が上位
嘉手納町は7位ランク
本紙試算
騒音など指標に入らず
→航空機騒音

1997年8月11日 琉球新報
恩納村・キャンプハンセン演習場
実弾訓練が激化
「県道越え」移転後 自然破壊 深刻に
→演習事故 キャンプ・ハンセン

1997年8月11日 琉球新報
ルポ 第32軍司令部壕
保存・公開へ厚い壁
新たな作業坑必要 修復に多額の費用
→沖縄戦

1997年8月11日 琉球新報
’97 8・15 「物語」は復権するか 下
法という思想の必要性
国家への思考停止国日本
消費文化の台頭 逆転の思考 生の連続性

1997年8月12日 琉球新報
米暗号文が語る 消えた船影 上
激戦と悲劇 浮き彫りに
米軍に傍受された暗号
日本船を待ち伏せ攻撃
→連載・沖縄戦

1997年8月13日 沖縄タイムス
市民投票求め署名提出
海上ヘリポート
有権者の半数突破
名護市推進協 市選管が名簿審査
→普天間飛行場移設

1997年8月13日 沖縄タイムス
「過半数は予想以上」
海上ヘリ 市民投票請求
署名、重く受け止める県
本格論議は11月ごろ

はっきりと意思表示を
ジャーナリストで「国民・住民投票を活かす会」事務局長の今井一氏の話

著名活動を終えて
ヘリポート基地建設の是非を問う 名護市民投票推進協議会 代表・宮城康博

「市民投票」想定される流れ

→普天間飛行場移設

1997年8月13日 沖縄タイムス
「基地ノー」を数字化
解説
〝ボール〟は市議会に
自己決定権…学んだ県民
→普天間飛行場移設

1997年8月13日 琉球新報
米暗号文書が語る 消えた船影 中
米軍、出発前から監視
対馬丸 最後の「肉声」

1997年8月13日 琉球新報
第6回公開審理詳報
伊江島補助飛行場 瀬名波通信施設 嘉手納弾薬庫
→強制収用

1997年8月14日 沖縄タイムス
平和教育に求められるもの '97沖縄市親子平和大使 中
教師のジレンマ
少ない平和学習
「学力向上」で時間限られ
→沖縄戦

1997年8月14日 沖縄タイムス
若き世代の夢語り ちむどんどん沖縄公演記 上 秋吉拓史
よく分からんけど沖縄に興味
基地や戦争のこと考えるきっかけに

1997年8月14日 沖縄タイムス
署名2万人の重み 名護市民投票 上
動揺隠せぬ市、与党議員
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年8月14日 琉球新報
8月15日の特攻 真栄田節男
死を命令する残酷さ
認められなかった個人の尊厳

1997年8月14日 琉球新報
8・15 その日がくれば 上 徐勝
今も続く南北分断の苦痛
日本人の偏見にも問題

1997年8月14日 琉球新報
米暗号文書が語る 消えた船影 下
沈没船の書類入手
上陸前から激しい海戦

1997年8月14日 不明
夏 風景 8月
置き去りにされた民家にも 灼熱の日はふりそそぐのだ
→沖縄戦 嘉手納弾薬庫地区

1997年8月15日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾を全面撤去
「嘉手納」から韓国へ
米国防省報道官が明言
毎日新聞報道
→環境

1997年8月15日 沖縄タイムス
署名2万人の重み 名護市民投票 中
成果
運動乗り越えた市民
「良識」の結実に満足感

1997年8月15日 琉球新報
8・15 その日がくれば 下 徐勝
日米覇権政策が抑圧生む
実現しない東アジアの平和

1997年8月16日 沖縄タイムス
ウラン不安
「鳥島で回収急げ」残りなお1300発
機密の壁に怒り

1997年8月16日 沖縄タイムス
署名2万人の重み 名護市民投票 下
八方ふさがり
那覇軍港の二の舞?
「知事再結団」のケースも

1997年8月16日 沖縄タイムス
わしたシマ1番 33 金武町
英語の看板が集中
Aサインライブで活性化を


タコライスの生みの親
儀保松三さん(68)
苦しい中でアイデア

この逸品
一人で食べきれない
チキンバラバラ

1997年8月17日 琉球新報
「日独平和フォーラム」に寄せて 川満信一
戦争防ぐ市民の力
歴史認識を沖縄から問う

1997年8月17日 琉球新報
ニュースここが知りたい
思いやり予算
在日米軍の経費の70%日本が負担

1997年8月18日 琉球新報
てぃるるカレッジ
戦争と女性 上 若桑みどり氏
関係が深い 戦争と美術
→沖縄戦

1997年8月19日 平和の画像 97 夏 5
平和を願って歌い続ける
大きなうねりの導火線に
→喜納昌吉氏

1997年8月20日 琉球新報
沖縄と家永教科書訴訟 教育の自由求めて 1
田港朝昭・琉大名誉教授
家永氏のテープ携え 全県に「声」届ける
支援する会、初代事務局長
→教科書

1997年8月21日 琉球新報
てぃるるカレッジ
戦争と女性 下 若桑みどり 千葉大教授
女性も戦争共犯者
男女の境界なくし平和を

1997年8月21日 琉球新報
海外初の沖縄日本復帰論 論文紹介とコメント 上 崎原貢
米に明確な根拠示す
篠田ハワイ教授が先陣
コメント 本文 コメント
→ハワイ大学人文学部歴史学科名誉教授・篠田稔博士 米軍統治時代

1997年8月21日 琉球新報
沖縄と家永教科書訴訟 教育の自由求めて 2
山吉まゆみ 県憲法普及協議会事務局
「教師と父母の連帯が重要」
家永氏の沖縄講演を実現

1997年8月22日 琉球新報
きょう対馬丸撃沈から53年
遺族会、沈没地点の特定求める
新たに2カ所浮上

きょう慰霊祭
小桜の塔
→沖縄戦

1997年8月22日 琉球新報
海外初の沖縄日本復帰論 論文紹介とコメント 下 崎原貢
復帰の理論的基礎提供
運動史に光あてたい
本文 本文 コメント 本文
→米軍統治時代

1997年8月23日 琉球新報
反戦地主の島袋善祐さん(沖縄市)
基地内所有地立ち入り
昨年秋と年末 キャンプ・シールズ
収用委調査同行は拒否
「国が手落ち隠すため?」
→強制収用

1997年8月23日 琉球新報
基地機能強化への懸念も
海上基地建設に関する名護市議アンケート
住民投票条例制定 15人が「議会制度の否定」

海上基地問題に関する名護市議アンケート

解説
地域振興策が絡む
名護市議会 過半数は制定否定派
→普天間飛行場移設

1997年8月23日 琉球新報
宮古島配置の陸軍海上挺進第四戦隊の戦史記録抜粋
平良市総合博物館紀要に掲載
従軍記録や体験記…
千円の棺桶 激しい宮古空襲 敵の動きの情報も 調査、保存・記録を
→沖縄戦

1997年8月23日 琉球新報
八重山平和祈念館が完成
〝戦争マラリア〟末代まで継承
収集の物品も展示
→沖縄戦

1997年8月23日 琉球新報
沖縄と家永教科書訴訟 教育の自由求めて 4
新城俊昭・陽明高教諭
独自の歴史教科書作る
「社会の検定受けた」

1997年8月25日 沖縄タイムス
基地内立ち入り延期
県収用委
地主の同行、不可欠
米軍に拒否理由求める

解説
実質審理の姿勢
→強制収用

1997年8月25日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
安里進氏 名護市議会新政会会長
市民投票より振興策が前提
→普天間飛行場移設

1997年8月26日 沖縄タイムス
ハンセン内に今秋 苗木5千本余植樹
岡本首相補佐官が報告
→キャンプ・ハンセン 島田懇談会

1997年8月26日 沖縄タイムス
代理署名は国の直接事務
米軍用地強制使用手続き
土地明け渡し代執行も
県、関係首長ら反発
地方分権委方針

分権委第3次勧告の要旨
→強制収用

1997年8月26日 琉球新報
グラフ’97
広大な黙認耕作地
読谷村喜名 「旗すがし」で旧集落しのぶ
→嘉手納弾薬庫地区

1997年8月26日 琉球新報
沖縄と家永教科書訴訟 教育の自由求めて 5
金城重明 沖縄キリスト教短大名誉教授
敵がい心植え付けられ
集団自決の素地に

1997年8月27日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
二つの韓国
基地に不安の民衆視野に
反米軍運動 全国に拡大
米軍犯罪の糾弾 将来への不安 反基地の運動

1997年8月27日 沖縄タイムス
第32軍司令部壕
平和施設の拠点に整備
沖縄戦、実相を後世へ
中枢部分の一部公開も
検討委が県に基本計画
→沖縄タイムス

1997年8月28日 沖縄タイムス
若き世代の夢語り ちむどんどん沖縄公演記 秋吉拓史 下
一緒に平和を考えてほしい
思っていることを そのままぶつける

1997年8月28日 琉球新報
ロケット砲訓練激しく
キャンプハンセン 騒音被害変わらず
金武町
→キャンプ・ハンセン 演習被害

1997年8月29日 沖縄タイムス
日米防衛協力指針の見直し
米、那覇港使用を要求
周辺有事 全国十数カ所

解説
与党内協議に影響
米提示のリスト

前田哲男東京国際大学教授(軍縮安全保障論)の話

1997年8月29日 沖縄タイムス
「陣中日誌」は軍が焼却処分
八重山・戦争マラリア
参謀長の遺族が証言
犠牲者援護会篠原武夫会長 「思いがけない形で判明」
→沖縄戦

1997年8月29日 沖縄タイムス
秘密のファイル 日米関係の裏面史 下 第2部 祖国との訣別
山本長官機の撃墜
暗号解読で二世に勲章
「わな」かと疑う 人種差別の批判

勝敗決した〝Z文書〟
ヤマダらの翻訳で裏をかく
終戦1年早める 作戦変更せず
→日本語技術文献責任者ヨシカズ・ヤマダ三等技術軍曹、ジョージ・ヤマシロ二等軍曹

1997年8月29日 沖縄タイムス
OSSの日系要員
日本兵の心に訴えたビラ
共産党員たち 発光キツネ
→OSS:米戦略事務局

1997年8月29日 琉球新報
旧日本兵の酒井さん「山下寅雄」死去
「忘れられない波照間」
戦争マラリア
疎開は〝軍命〟と証言
「犠牲は個人の責任でない」
援護会の篠原会長 遺族の思いを代弁
→沖縄戦

1997年8月30日 沖縄タイムス
「沖縄戦」の違法性認めず
第3次家永教科書訴訟最高裁判決
「集団自決」の記載必要
七三一部隊の検定は違法

判決骨子

裁判闘争から引退 原告の家永三郎氏の話

→教科書

1997年8月30日 沖縄タイムス
社説
問われるべき「歴史認識」
不満残した最高裁判決 継承したい沖縄戦の教訓 大きい教科書訴訟の成果
→教科書

1997年8月30日 沖縄タイムス
表層深層
第3次家永教科書訴訟で最高裁判決
リベラル派の気概押し通す
可部氏退官後に弁論 3件の違法判断 裁判長の権限

32年の裁判は不毛だった
文部省で長く家永教科書訴訟に携わった菱村幸彦・国立教育研究所所長の話
検定のずさんさ示す判決
細菌戦部隊研究者の常石敬一・神奈川大教授(科学史)の話
教科書神話が打破された
大田尭・東大名誉教授(教育学)の話
→教科書

1997年8月30日 沖縄タイムス
解説
世界史的事件に幕
行政追認にとどまらぬ判断

家永訴訟年表

判決要旨

上告審で争われた検定意見

→教科書

1997年8月30日 沖縄タイムス
第一審の原告側証人
安仁屋政昭・沖国大教授
「集団自決」はなかった
立証の事実認めず
→教科書

1997年8月31日 沖縄タイムス
26年ぶり「基地撤去」掲げず
全駐労沖縄が運動方針転換
雇用対策を前面に
→軍作業

1997年8月31日 沖縄タイムス
多事争論 筑紫哲也のかわら版
誤解
なぜ「集団自決」なのか
→教科書

1997年8月31日 沖縄タイムス
継承「沖縄戦」 家永教科書訴訟を終えて 上
判決の意味
正念場はこれから
理解訴えさらに研究を





  


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1997年7月

2015年07月27日 / 1997年新聞記事

1997年7月
1997年7月1日 沖縄タイムス
来春の高校教科書
高嶋・琉大教授が分析
最近の県民運動が はや歴史的事実に
記述の変化に注視を
増えた沖縄の記述 「天皇メッセージ」 不完全な条文引用

解説
従軍慰安婦の検定
内外の批判に「基準」を明示
文部省

教科書の見本刷
教育事務所で閲覧可能

→教科書

1997年7月1日 沖縄タイムス
「居酒屋独立論」を糾す―新崎盛暉氏への反論 高良勉
「激論会」に無責任な批判
思想や文化運動の発展に無理解
天に唾する態度 許されぬ傍観者的批評
→要記事

1997年7月2日 琉球新報
ホワイトビーチ統合発言の焦点
発言の「真意」ぼかす知事
統合の可能性事実上認める
→ホワイト・ビーチ地区 那覇港湾施設

1997年7月2日 琉球新報
97政局を展望する
志位・共産党書記局長
「双頭の翼賛」操る自民
これからは自共対決に

1997年7月2日 琉球新報
沖縄から日米安保を問う 第16部
動き出す〝有事〟 新ガイドラインの行方 1
苦悩する県
期待の一方、警戒も
真正面からの批判控える
→連載・基地

1997年7月3日 沖縄タイムス
教科書と沖縄
新城俊昭
日本の多様性伝える
→教科書

1997年7月3日 琉球新報
山撃ち砕いた4万4千発
爆音など住民被害が多発
→キャンプ・ハンセン 演習事故

1997年7月3日 琉球新報
動き出す〝有事〟 新ガイドラインの行方 2
戸惑う自治体
那覇空港使用を懸念
「憲法枠内」と期待、疑念も
→連載・基地

1997年7月4日 沖縄タイムス
接収の体験 切々と
公開審理
生々しさ 涙誘う
阿波根さん映像で訴え
→阿波根昌鴻氏

反戦の思い 親から子へ
平安山さん一家 4人が意見陳述
→強制収用

1997年7月4日 沖縄タイムス
地主取り違え問題
弁明書の延期願 建設省に提出
県収用委
→強制収用

1997年7月4日 沖縄タイムス
収用委の公開審理
年内採決は微妙
伊江島の拒否地主 土地闘争を証言
→強制収用

1997年7月4日 沖縄タイムス
ニュース断面
実弾砲撃演習本土移転
富士山麓に砲音響く
住民の反応、比較的冷静
受け止め 県是 演習充実
→演習その他

1997年7月4日 沖縄タイムス
あれ? 「米国用地」
米国、指摘され書き換えへ
→陸軍貯油施設 北谷町砂辺~嘉手納町兼久にある貯油施設

1997年7月4日 琉球新報
県道越え演習
移転はしたけれど…
迫撃砲で大規模山火事 民間地域まで3百メートルに迫る
2千平方メートル以上消失
目立つ実弾訓練の激化
恩納村恩納 キャンプ・ハンセン
→山林火災

1997年7月4日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
砲撃訓練の本土移転
目に見える形の負担軽減
釈然としない部分も
少女乱暴事件が口火 理解しづらい部分残る 難しさを浮き彫り

1997年7月4日 琉球新報
「米軍ヘリが旋回 我慢できない」
宜野座村惣慶区住民から苦情
→航空機騒音 キャンプ・ハンセン 夜間訓練を行う

1997年7月5日 沖縄タイムス
米軍
変われば変わるもの
基地内戦跡を案内
旧集落の住民らが見学
→嘉手納飛行場 沖縄戦

1997年7月5日 沖縄タイムス
動き出した住民投票 名護市民の試み インタビュー 1
仲村善幸氏(50)名護市民投票推進協議会事務局長
「署名目標」必ず達成
全国に協力の輪広げたい
懇談会通し浸透図る 御嵩町の闘いを参考に 原点に戻って判断を
→普天間飛行場移設 連載・基地

1997年7月5日 琉球新報
戦時中の記憶まざまざと
旧住民対象に史跡・戦跡見学
嘉手納基地
→嘉手納飛行場 沖縄戦

1997年7月6日 沖縄タイムス
ニュース遠景近景
北富士の米海兵隊実弾演習
期限切れ控え神経使う国
撃ちっ放しの沖縄と大差
→演習その他

1997年7月6日 沖縄タイムス
動き出した住民投票 名護市民の試み インタビュー 2
島袋純氏 琉球大学教育学部助教授(行政学)
厳しい条例案制定
民意重視は世界のすう勢
全国では失敗例多い 国益反する権利も 県民投票の意義考えて

1997年7月6日 沖縄タイムス
今も残る無数の弾痕
100年目のデンシンヤー
石垣市
→沖縄戦

1997年7月6日 琉球新報
動き出す〝有事〟 新ガイドラインの行方 3
県内政党の視点
ガイドライン見直し
報告の評価対立
集団的自衛権などで議論

1997年7月7日 沖縄タイムス
家永教科書訴訟の最高裁口頭弁論に寄せて―沖縄戦に関する争点部分の解明― 上 石原昌家
謎解きのような複雑性
検定に国の巧みな意図
→連載・沖縄戦

1997年7月8日 沖縄タイムス
嘉手納基地内戦跡
住民ら感慨深げ
米軍の案内で見学
→嘉手納飛行場 沖縄戦

1997年7月8日 沖縄タイムス
動き出した住民投票 名護市民の試み インタビュー 3
西川征夫氏(52)辺野古区ヘリポート建設阻止協議会代表
政治論争ではない
嫌なもの押し付けないで

1997年7月8日 沖縄タイムス
家永教科書訴訟の最高裁口頭弁論に寄せて―沖縄戦に関する争点部分の解明― 下 石原昌家
沖縄戦の真実曲げる国
住民信用しなかった軍部

1997年7月8日 沖縄タイムス
沖縄研究はいま
移民史論 下 金城功
現地調査を踏まえ研究 編集の中心は地域史に

1997年7月9日 沖縄タイムス
動き出した住民投票 名護市民の試み インタビュー 4
渡久地政弘氏 連合沖縄会長
「変化させる気迫」必要
率、票数で過半数なら成功

1997年7月10日 沖縄タイムス
基地撤去意見広告に米国から67通の反響
大分のグループ
戦時中の日本軍の残虐さにも目を向けて
否定的考えにこそ耳傾けたい
→「米紙意見広告を実現する会」(事務局:大分県湯布院町)

1997年7月10日 琉球新報
嘉手納基地
激しさ増す夜間騒音
航空機離着陸 防止協定効果なく
北谷町砂辺

北谷町航空機騒音測定比較表
→航空機騒音

1997年7月11日 沖縄タイムス
自立・独立論者たちの怠惰 「居酒屋独立論」への補足 新崎盛暉
21世紀研の成果提示を
そこから本格論議は始まる
自立論議に賛同 沖縄的テーゲー

1997年7月12日 沖縄タイムス
米機騒音 心身むしばむ
県調査委追加報告
→航空機騒音

1997年7月12日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 29 我部政明
アメリカの基本的態度
国際共産主義運動の脅威
日本の沖縄残存主権を強調
「アメリカ人の感情」も指摘
日本の責任分担 ダレスの概念

1997年7月12日 琉球新報
動き出す〝有事〟 新ガイドラインの行方 4
識者の視覚
憲法のなし崩し懸念
「後戻りできない新指針」

1997年7月13日 第3次家永教科書訴訟
沖縄戦、七三一部隊争点
18日に最高裁で口頭弁論
「集団自決」 「時期尚早」
→教科書

1997年7月14日 琉球新報
動き出す〝有事〟 新ガイドラインの行方 5
運動体の立場
ガイドライン見直し
沖縄が攻撃目標に
憲法守る闘いの強化必要

1997年7月15日 沖縄タイムス
ニュース断面
政府の対応 この落差
実弾砲撃演習場移転
本土自治体に手厚く
防音や交付金 本年度だけで66億円
ハンセン、金武町に住宅防音対策なし
砲音は対象外のはず 米軍演習〝特需〟 はたまた〝逆差別〟?
→演習その他 キャンプ・ハンセン

1997年7月15日 沖縄タイムス
国の加筆命令は「軍隊が国民殺した」事実を薄めるため
18日に第3次教科書訴訟上告審 家永三郎氏に聞く
住民の「集団自決」は「自発死」ではない
「32年間の最後 勝ちたい」
→教科書 沖縄戦

1997年7月15日 沖縄タイムス
吉元副知事
米軍用地強制使用手続き事務
「国の直接執行」に反対表明
法体系からも好ましくない
→強制収用

1997年7月15日 琉球新報
基地全面撤去の可能性は少ない
オニール総領事が離任

1997年7月15日 琉球新報
動き出す〝有事〟 新ガイドラインの行方 6
沖縄への影響
有事駐留で負担軽減
日米両政府 「基地縮小はSACOで」

1997年7月16日 沖縄タイムス
12基地 初の立ち入り
県収用委
地主と8月末から
地籍不明確地など調査

地主取り違え却下採決
18日、建設大臣に弁明書提出

→強制収用

1997年7月16日 沖縄タイムス
今年の防衛白書
沖縄の地理的優位性を強調
アジアの緊張にらむ
沖縄駐留理由の諸説
世界戦略の拠点基地

我部政明・琉大教授 政治的駆け引きに利用
前田哲男・東京国際大教授 主眼は既得権の保持に

→自衛隊

1997年7月17日 沖縄タイムス
「沖縄戦の史実」どう判断
第3次家永教科書訴訟・上告審口頭弁論
あす、最高裁第3小法廷
「個別個所の違法性」に注目
一、二審、主張認められず
原告、国の認識、全く相反

「集団自決」が最大の争点
家永氏 32年締めくくる陳述
弁護士ら「裁量権濫用論」展開

沖縄戦以外の争点

1997年7月17日 沖縄タイムス
一審・那覇地裁出張尋問
「母に手をかけた」
金城教授が衝撃の証言
→金城重明 沖縄キリスト教短期大学教授 教科書

1997年7月17日 沖縄タイムス
「集団死」 石原昌家 沖国大教授
「他殺」の「認」「不認」が問題
厳密な言葉の吟味、点検を

1997年7月17日 沖縄タイムス
平和と民主主義の教育を目ざして 徳武敏夫
教科書から歴史の真実消す
恣意的、理不尽な検定
→教科書

1997年7月18日 沖縄タイムス
家永教科書裁判
「集団自決」に複雑な思い
県内関係者 重大な関心

1997年7月18日 沖縄タイムス
ニュース遠景近景
事前調査監視二カ月余
ボーリング前に気勢
着実に広がる支援の輪
ヘリポート建設阻止協
→普天間飛行場移設

1997年7月19日 沖縄タイムス
第3次家永訴訟上告審
踏み込んだ判断に期待
係争32年の教科書内容
緩和策で様変わり
自民党に検定廃止論も

上告審で争われた主な記述

口頭弁論 傍聴記
高嶋伸欣・琉大教授
消せぬ虐殺の事実
成果引き継ぐ「横浜訴訟」
→教科書

1997年7月19日 沖縄タイムス
日本の姿勢 諸外国も注目
歴史認識論に影響
どこまで広げる違法認定

家永氏意見陳述要旨
国側答弁書要旨
→教科書

1997年7月19日 沖縄タイムス
在沖米海兵隊
即応体制の強化狙い?
司令官交代 少将から中将に格上げ

「情報公開法でとらえた在日米軍」などの著書の梅林宏道さんの話

1997年7月20日 沖縄タイムス
日本が前線基地化に
ガイドライン見直しの問題点
戦争参加の恐れも
空港、港湾使用に懸念
→自衛隊

1997年7月20日 沖縄タイムス
インタビュー
水島朝穂・早稲田大学教授(憲法学)
理性、想像力で推理を
補給、輸送に落とし穴
「巧み」な表現 憲法違反の役務強制提供 見えない軍備強化へ
→自衛隊

1997年7月21日 沖縄タイムス
戦争遺跡の保存を
長野で初の全国シンポ
→沖縄戦

1997年7月22日 沖縄タイムス
署名活動反応をみる 名護市民の試み 上
海上ヘリポート問題
有権者の50分の1クリア
今後の運動に弾みつく
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年7月23日 沖縄タイムス
署名活動反応をみる 名護市民の試み 中
海上ヘリポート問題
反響にこぼれる笑み
市街地で好調な滑り出し

1997年7月24日 沖縄タイムス
署名活動反応をみる 名護市民の試み 下
海上ヘリポート問題
関与は手続き範囲内
市の対応に冷めた空気も

1997年7月24日 琉球新報
旧日本軍の陣地壕か
嘉手納弾薬庫地区内
崖下に3つの洞穴
入り口2メートル四方、奥行き20メートル
→嘉手納弾薬庫地区 沖縄戦

1997年7月25日 琉球新報
バックナー中将 戦死異説 1 山岸洋一
砲撃による死亡に疑問
日本軍陣地既に存在せず
→連載・沖縄戦

1997年7月25日 沖縄タイムス
5日間で3回入出港
原潜きょうWビーチに
→ホワイト・ビーチ地区 原潜・艦船寄港

1997年7月25日 沖縄タイムス
嘉手納爆音訴訟
心身症の発生率は2倍
医師ら再び身体的被害を証言
→航空機騒音

1997年7月26日 沖縄タイムス
W値75で身体に被害
嘉手納爆音訴訟控訴審口頭弁論
「影響無視できぬ」
学者ら住民救済求める
85以上「騒音性難聴」の恐れ
→航空機騒音

1997年7月26日 沖縄タイムス
在沖海兵隊削減問題
米学者グループの提言に海軍省否定
軍事戦略上、現兵力は必要

1997年7月26日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 30 我部政明
岸訪米へ
対等な日米関係求める
米軍の再入権を認めて
地上部隊の撤退 事前の秘密会談

1997年7月26日 琉球新報
「主権」及ばない沖縄の空
5・15メモ追加10文書
米軍訓練空域にすっぽり
新たに不信募る
→日米地位協定 訓練空域・水域

1997年7月26日 琉球新報
解説
基地の全面使用を容認
管制権移管合意、25年も放置
改善要求は必至

国連軍
嘉手納など3基地
米以外も使用可能
有事の拠点確保狙う
→日米地位協定

1997年7月26日 琉球新報
進入管制は米軍独占
沖縄航空交通管制
日本が業務できるまで
「暫定期間中」で合意

周波数などは非公開に
5・15メモに

嘉手納ラプコン
「返還の状況にない」
日本側の要求に米側回答
→日米地位協定

1997年7月26日 琉球新報
民間機の安全に不安定要素
「有事の備え」と懸念
反発強める中部の首長

「情けない対米追従」
政府対応に憤る民主団体
→日米地位協定

1997年7月26日 琉球新報
バックナー中将 戦死異説 2 山岸洋一
曲折経た記念碑変遷
破損などで「丘」離れる

1997年7月27日 琉球新報
解説
軍用地収用事務
大勢は直接執行反対
県内世論
国権限拡大に危機感
分権委の良識に期待感も

「最後の砦のカード」
関係者談話 募る国への不信感
現行以上の整備必要なし 親泊康晴那覇市長
強引なやり方になると大変 辺士名朝一北谷町長
法定受託にするべきだ 宮城篤実嘉手納町長
→強制収用

1997年7月27日 琉球新報
収用事務 私はこう考える

仲地博氏 琉大教授
土地収用法制に従うべき
権利者保護は法定受託

西田健次郎氏 自民党県連会長
県は何らかの形で関与を
事務の引き上げ反対
→強制収用

1997年7月27日 琉球新報
政治人類学 一期生たちの夏 1
下地幹郎氏(自民)
「基地は我慢」を県民選択
中央政界の美辞に違和感
自立自助を説く 重複立候補をなくせ

1997年7月27日 琉球新報
日曜評論
比嘉幹郎 ブセナリゾート社長
沖縄の政治文化

1997年7月29日 沖縄タイムス
解説
国の「直接執行」の方向か
県要望、反映の可能性も
地方分権委
米軍用地強制使用でヒアリング

大田知事の陳述要旨
→強制収用

1997年7月29日 沖縄タイムス
嘉手納町長
整理・縮小から全面返還へ
「基地」で方針変換
交付金算定方法に不満
→嘉手納飛行場

1997年7月29日 琉球新報
バックナー中将 戦死異説 3 山岸洋一
「女学生が近付き自爆」
真実味ある当時のうわさ

1997年7月30日 沖縄タイムス
ちむどんどん・沖縄公演 知花勝志
基地、平和、命とは?
沖縄を一緒に考えよう

1997年7月30日 琉球新報
バックナー中将 戦死異説 4 山岸洋一
米軍に一大衝撃与える
欧米流には「不名誉な死」

1997年7月31日 沖縄タイムス
嘉手納基地内の町有地
町長、契約拒否も
返還が進まない場合
→嘉手納飛行場

1997年7月31日 沖縄タイムス
思潮97
海上ヘリポート建設 新崎盛暉
県の将来大きく左右
共有できるか市民運動
光と影の両面 逆格差論の現在
→普天間飛行場移設

1997年7月31日 沖縄タイムス
北谷町上勢頭 戦前の暮らし再現
10年かけ字誌発刊
集団聞き取り30回の労作
→嘉手納飛行場

1997年7月31日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
緊迫する海上基地調査
亀裂残し〝見切り発車〟か
知事の「協力」発言 不信募らせる反対派
→普天間飛行場移設

1997年7月31日 琉球新報
バックナー中将 戦死異説 5 山岸洋一
自然石でできた祈念碑
バックナー丘に建てられた?



  


Posted by 糸満のカッパ at 16:04

1997年6月

2015年07月24日 / 1997年新聞記事

1997年6月
1997年6月1日 琉球新報
ニュースここが知りたい
平和3事案
平和祈念資料館改築
旧32軍司令部壕調査
平和研究所設置事業
→沖縄戦

1997年6月2日 沖縄タイムス
海上ヘリポートの問題点 上
亀山統一琉大助手に聞く
避けられぬサンゴの全滅
危機的な赤潮の発生も
→普天間飛行場移設 環境 要記事

1997年6月2日 沖縄タイムス
天皇 首相に辞任求める
木戸幸一回顧録を公開
講話時の退位も進言
きょうから国会図書館

戦争責任は近衛元首相に
東条元首相には同情

1997年6月3日 沖縄タイムス
海上ヘリポートの問題点 下
亀山統一琉大助手に聞く
「大変危険な飛行場」
圧倒的に少ない調査日数
→普天間飛行場移設 要記事

1997年6月3日 沖縄タイムス
県議の立ち入り拒否
米軍「運用上」を理由に
→SACOで許可された基地内立ち入り 日米地位協定

1997年6月4日 沖縄タイムス
「私は囚人に等しく、無力」
英文の昭和天皇独自録を派遣
開戦阻止できない立場強調

1997年6月4日 沖縄タイムス
風防ガラス落下
生命脅かす重大事故
嘉手納、北谷町議会が決議
→航空機事故

1997年6月4日 沖縄タイムス
研究 教育 発信が柱
検討委 報告
平和研究所の構想固まる
知事 基本計画策定へ
→沖縄戦

1997年6月4日 琉球新報
米海兵隊準機関誌
「沖縄から移駐を」
海上基地めぐり誌上論戦
→「マリンコー・ガゼット」。ロバート・ハミルトン氏、ジェームス・ディオン氏、カールトン・マイヤー氏。海兵隊移設 要記事

1997年6月5日 沖縄タイムス
595人追加刻銘へ
総数23万6690人に 23日式典
平和の礎
→沖縄戦

1997年6月5日 沖縄タイムス
家永教科書裁判 徳武敏夫
教科書には歴史の真実を
→教科書

1997年6月5日 琉球新報
インタビュー
東江康治会長 県国際平和研究所設置検討委員会
積極的な平和を研究
アジアの国々と信頼関係高める
→沖縄戦

1997年6月5日 琉球新報
沖縄独立論の新展開 比嘉良彦
「脱国家の自立論」が起点
アジアとの共生を探る

1997年6月5日 琉球新報
ベトナム友好の旅 上 福地曠昭
ハノイ
「知事の親書」携えて
16人の訪問団を「熱烈歓迎」

1997年6月6日 沖縄タイムス
「即通報」で合意 日米合同委
→航空機事故

1997年6月6日 沖縄タイムス
本年度 追加刻銘は595人
韓国出身43人も
県、次年度以降も特定調査
平和の礎

沖縄平和祭 主な日程
→沖縄戦

1997年6月6日 琉球新報
ベトナム友好の旅 中 福地曠昭
ハイフォン
「5・15」トップで伝える
平和運動強調する代表

1997年6月6日 琉球新報
解説
防衛施設局の不服審査請求
「公益」か「財産権」か
建設相側の論拠に注目

収用委員会の審理・採決と暫定使用の流れ

那覇防衛施設局
却下採決の取り消し求める理由
県収用委員会の却下採決の取り消しを求める理由
1 採決申請書等の補正が認められるべきであり、却下採決は不当と考える理由
2 却下採決の理由が不当であると考える理由
→強制収用

1997年6月6日 琉球新報
インタビュー
県収用委員会会長に就任した 当山尚幸氏
権限が形骸化したと思わない
地権者へ 実質的内容に入って
起業者へ 答えようという態度を
→強制収用

1997年6月7日 沖縄タイムス
基地から〝赤土水〟 金武
→環境 ギンバル訓練場

1997年6月7日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 26 我部政明
岸信介の論理 4
沖縄、小笠原返還を提案
日本 防衛力強化へ努力
「米国の利益にもかなう」
反対運動障害に 返還後も基地存続 憲法改正も視野に
→連載・基地

1997年6月7日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
地主取り違え審査請求
反戦地主
建設省をゆさぶり
「施設局はうそついていた」
→強制収用

1997年6月7日 琉球新報
ベトナム友好の旅 下 福地曠昭
友好の促進
望まれる沖縄の援助
県の事務所設置に大きな期待

1997年6月8日 沖縄タイムス
ニュース断面
動き出した〝市民投票署名〟
ヘリ基地建設是非を問う!
注目される世論喚起
議会通過などハードル多く
署名活動に全力 カギ握る市議会 幅広い運動に
→普天間飛行場移設

1997年6月8日 沖縄タイムス
那覇空港での空自・ANK機ニアミス
「空中衝突の危険あった」
運輸省 管制官の不手際指摘
→那覇空港 自衛隊 航空機事故

1997年6月8日 沖縄タイムス
那覇空港 なお危険に
ニアミス調査報告
懸念とされる有事使用
三者の軍民共用化も
昨年の自衛隊機着陸 1万回以上
→那覇空港 自衛隊 航空機事故

1997年6月8日 琉球新報
ニュースここが知りたい
米軍事故通報体制
外務省の日米安保課が直接県に連絡
→米兵事件・事故 航空機事故

1997年6月8日 琉球新報
平和の礎
戦死者595人を追加刻銘
総数は23万6660人に
→沖縄戦

1997年6月9日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 1
悠久の歴史と戦禍の傷抱く 斎場御獄の砲弾池
→連載・沖縄戦

1997年6月9日 沖縄タイムス
アジア・太平洋の共生 北京国際シンポジウムに参加して 上 安里英子
国歌を超える民衆の連帯
構造的な抑圧を排す
北東アジアの非核化を
沖縄問題への言及 対話の場の役割

1997年6月9日 琉球新報
識者評論
我部政明琉大教授
事実の蓄積で実現
日米統合作戦へと展開か

1997年6月10日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 2
豊見城村金良の石垣
艦砲射撃の激しさ伝える
→連載・沖縄戦

1997年6月11日 琉球新報
語り継ぐ沖縄戦 6.23 中・北部に見る 1
「家族を始末しろ」と脅す
沖縄市美里 集団〝自決〟相次ぐ
川上さん、地元の記録つづる
→連載・沖縄戦

1997年6月11日 琉球新報
論壇
吉田健正
現代の〝アカ狩り〟
ジャーナリズムの暴走を憂う
→一坪反戦地主

1997年6月11日 琉球新報
基地内外問わず通報
米軍機事故で日米合意
原島大使が会見 通報体制前向き対応
→航空機事故

1997年6月12日 沖縄タイムス
本年度中の返還 事実上凍結
ギンバル訓練場
岡本補佐官、吉田町長と懇談
跡利用の未定がネック
→ギンバル訓練場 跡地利用

1997年6月12日 沖縄タイムス
評論
「指針」見直しを考える
五十嵐暁郎
外交 安保で根本的論議を
国際社会に明確な顔示せ
グレーゾーン 周辺諸国の反応 重要な意味

1997年6月12日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 3
西原町小波津の石塀
無言で戦禍物語る弾痕
→連載・沖縄戦

1997年6月12日 琉球新報
語り継ぐ沖縄戦 6.23 中・北部に見る 2
女子青年団の悲劇
生き残ってもつらい
→嘉手納町 ウカマジー 連載・沖縄戦

1997年6月12日 琉球新報
奉安殿 県内で4カ所確認
撤去逃れた理由は不明 遺跡として保存訴え
志村・山梨学院大
→沖縄戦 志村欣一教授

1997年6月13日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 4
弾雨の跡生々しく哀れ 嘉数高台のトーチカ

1997年6月13日 琉球新報
語り継ぐ沖縄戦 6.23 中・北部に見る 3
瑞慶覧、名幸ガマ
命運分けた投降の誘い

1997年6月14日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 27 我部政明
マッカーサーの岸評価
有能な政治家と評価
現実踏まえた対日政策を
対等な関係づくり早急に
軍事領土に関心 政治家、岸を評価 一方的な岸提案

1997年6月14日 琉球新報
即応予備自衛官の募集開始
普段は会社員、有事に前線へ
全国で初 九州、沖縄で勧誘
→自衛隊

1997年6月14日 琉球新報
沖縄人のココロ
陸培春
ヤマトに頼らずに 平和精神を世界へ
→要記事

1997年6月15日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 5
糸満市摩文仁の金井戸川
あの光景 忘れられない

1997年6月15日 琉球新報
ニュースここが知りたい
集団的自衛権
共同して第三国からの攻撃を排除できる権利

1997年6月16日 琉球新報
語り継ぐ沖縄戦 6.23 中・北部に見る 4
海上特攻艇秘匿壕
建設の主力は朝鮮人軍属
→北谷町白比川 金武町メーバル(字金武)

1997年6月17日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 6
北谷町・ウカマジーの砲座
2発だけ発射、米軍の標的に

1997年6月17日 沖縄タイムス
米軍優先へ法整備も
外相 周辺有事の空・海港提供で
参院内閣委
「後方地域支援も安保の枠内」表明

1997年6月17日 沖縄タイムス
魚雷ゴロゴロ 豊見城で弾頭4発
→不発弾

1997年6月17日 沖縄タイムス
省庁再編 どうなる開発庁
緊急インタビュー
佐高信氏 評論家
沖縄の自立にどう貢献
公共事業型ならリストラを

1997年6月17日 沖縄タイムス
県道越え演習廃止合意
解説
「目に見える初の成果」
迫撃砲演習など続行 不発弾処理は困難視

米軍の規律維持や地域振興をしっかり 北海道・厚岸町
背景に政治的配慮 訓練時期決定で防衛庁
→キャンプ・ハンセン

1997年6月17日 琉球新報
語り継ぐ沖縄戦 6.23 中・北部に見る 5
石川岳で避難生活
死んだ妹を背負って

1997年6月17日 琉球新報
県道104号越え実弾砲撃訓練
「緊急」除き廃止
移転訓練の日程、場所決定
日米合同委で合意

「地元の期待に沿うもの」
大田知事 一定の前進と評価
→キャンプ・ハンセン 演習事故

1997年6月17日 琉球新報
104号移転
課題は「不発弾」「赤土」
地元の金武町長 日米政府に対応求める

「村に平和が戻ってくる」
恩納村喜瀬武原
→キャンプ・ハンセン 演習事故

1997年6月17日 琉球新報
どうしてこんなことに… アメリカから見た新防衛指針
チャルマーズ・ジョンソン氏 日本政策研究所所長
無視された中間報告
情報与えられない米国民

1997年6月17日 琉球新報
社説
「来て、見て、感じる」
基地問題報道の出発点
中央の関心、振興策へ 閉塞状況に陥る恐れも

1997年6月18日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 7
徴用で造られ今は牛舎に 座喜味の掩体壕

1997年6月18日 沖縄タイムス
ほぼ原寸大図鑑
弾痕残る着物
母の盾となったのか 背負う息子は死んだ
→要記事

1997年6月18日 琉球新報
587基の碑、126の詩歌収録
沖縄全島、鹿児島を慰霊行脚
玉城村の平山是昭さん
3年かけ資料集完成

1997年6月18日 琉球新報
終わらぬ戦後 私の「6・23」 1
補償受けずに55年
金城ツルさん(81)
証明できない夫の戦死
沖縄戦で焼失した勲章
厚い国の壁
毎年却下され続け

1997年6月19日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 8
具志川市川田、護岸沿いの銃眼
1発の弾丸も発射されず

1997年6月19日 ホームプラザ
慰霊の日特集
平和への誓い新たに
陸軍病院壕、糸数壕で沖縄戦の実相に触れる
韓国人慰霊塔、白梅の塔に知られざる沖縄戦を見る
→沖縄タイムス

1997年6月19日 琉球新報
語り継ぐ沖縄戦 6.23 中・北部に見る 7
学童の戦時・戦後体験
収容後も臨戦態勢続く

1997年6月19日 琉球新報
終わらぬ戦後 私の「6・23」 2
比嘉徳栄さん(87)
娘の戦死補償認めて
「解決せずには死ねない」
米機の機銃掃射で死亡 同じ骨壺

1997年6月19日 琉球新報
民衆と戦争犠牲 ’97 6・23 上 新城俊昭
徴兵制で県民を動員
忌避者18年に約800人

1997年6月19日 レキオ
あなたのまちの「慰霊塔・碑」はどこですか?
県内五百八十基以上を巡拝した僧侶・平山是昭さん
→沖縄戦

1997年6月20日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 9
石川市のヌチシヌジガマ
避難民300人が3カ月暮らす

1997年6月20日 琉球新報
語り継ぐ沖縄戦 6.23 中・北部に見る 8
米軍上陸地モニュメント
子亡くし嘆く母のレリーフ

1997年6月20日 琉球新報
民衆と戦争犠牲 ’97 6・23 中 新城俊昭
元凶は米の軍産複合体
国際的な平和運動必要

1997年6月21日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 10
不自由な身体で堀った 愛楽園の退避壕

1997年6月21日 沖縄タイムス
ラジモハン・ガンジー氏インタビュー
基地問題 対話の解決を
祖父の「非暴力主義」提示

民衆と戦争犠牲 ’97 6・23 下 新城俊昭

1997年6月21日 沖縄タイムス
丸木位里追悼展を見て 金城明美
「沖縄戦」に目が語る事実…

1997年6月21日 琉球新報
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 28
同盟国・日本の貢献とは
共産主義へのガード堅く
米の軍事政策に理解求める
性能向上の核実験主張
会談の減数指示 六つの論点 核への国民感情

1997年6月21日 琉球新報
暗号で見る沖縄戦 米情報公開文書から 上 保坂広志
暗号解禁
目に見えない「情報戦争」
人間が犯した戦争の断面
→連載・沖縄戦

1997年6月22日 沖縄タイムス
ズームアップ
沖縄市の「事前契約」拒否の波紋
国、再び厳しい対応迫られる
特措法適用されず
自衛隊基地
過去に那覇市の例 区別できない基地 跡地は自然公園に
→強制収用

1997年6月22日 沖縄タイムス
94歳 平和の決意 力込め
記録映画 製作進む
歴史語り「心の勉強も必要」
伊江島の阿波根昌鴻さん
「温かさ感じる」 監督の高岩さん
→高岩仁監督 米軍統治時代

1997年6月22日 琉球新報
絶望状況から集団死へ
ハワイ在住の上原進助さん
石原沖国大教授が聞き取り
「チビチリガマ」に貴重証言
→沖縄戦

1997年6月22日 琉球新報
記録、追体験が活発化

取り組みの傾向
平和ガイドが浸透
各地で養成講座を開設
5年前より増加
住民主導へ模索も

課題
担い手の育成急務
慰霊塔だけが23町村
→沖縄戦

1997年6月22日 琉球新報
調査結果を読む
石原昌家 沖国大教授
県と市町村、ネットワーク構築を
アジア見据えた平和事業不可欠
→沖縄戦

1997年6月23日 沖縄タイムス
島出るに出られず
ラサ島陣中日誌に「慰安所」
最後まで軍と一緒
名前や本籍の一覧表も
→沖縄戦

1997年6月23日 沖縄タイムス
洪鍾佖・韓国明知大教授
43人の「礎」追加刻銘に尽力
確認作業、遺族の説得 今後も続けていきたい
→沖縄戦

1997年6月23日 沖縄タイムス
52年目の「慰霊の日」
再び「殉国美談」化の動き
沖縄戦学習の呼び掛けを
半世紀後の証言の重み 再び台頭する殉国教育
→高嶋伸欣さん 琉大教授・投稿 沖縄戦

1997年6月23日 沖縄タイムス
新資料館で「沖縄の心」発信
平和祈念資料館改築
戦争体験継承し、平和を希求

従来の9倍規模に拡充
今秋着工、99年に開館

平和事業
平和研究所設置、司令部壕保存も
→沖縄戦

1997年6月23日 沖縄タイムス
平和宣言(全文)
→沖縄戦

1997年6月23日 沖縄タイムス
砲撃演習の移転
大砲や軍用車両積み込む
那覇軍港 迷彩色のトラック並ぶ
→演習その他

1997年6月23日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 11
日本兵に追い出されて 宮古南静園の防空壕跡

1997年6月23日 沖縄タイムス
照射 復帰後25年の沖縄 36 比嘉康雄
契約拒否の心 上
軍事基地は戦争を前提
沖縄戦の悲惨を想起
核爆撃機の墜落 国は保障する
→要記事 強制収用

1997年6月23日 琉球新報
刻銘拒否の遺族も
「平和の礎」
韓国出身者の刻銘作業に携わる洪氏インタビュー
「日本軍に加担」と厳しい反応
一方、「沖縄だから認める」
→沖縄戦

1997年6月23日 琉球新報
民衆と戦争犠牲 ’97 6・23 下 新城俊昭
沖縄にも慰安所
中学生でも学び取れる
→沖縄戦

1997年6月23日 琉球新報
暗号で見る沖縄戦 米情報公開文書から 下 保坂広志
米軍の暗号作戦
膨大な資料を収集
作戦の犠牲になった住民
→沖縄戦

1997年6月24日 沖縄タイムス
せんせいの1日 6
平和学習の先生
金城明美さん 中城小学校
AM7:58読み聞かせで森川養護へ 11:35中城で算数 PM6:59特別活動指導案づくり
親の記録は多くの亡き人々の足取り
貯金注ぎ絵本「つるちゃん」出版
→沖縄戦

1997年6月24日 沖縄タイムス
暗闇で52年前□□□
史跡・戦跡平和ガイド 要請講座生が糸□□□
→沖縄戦 上記記事の裏面

1997年6月24日 沖縄タイムス
無銘の証言 52年目の慰霊の日 8 上
比・ミンダナオ島 子供7人の性別すらわからず
新天地 砲弾が夢砕いた
→連載・沖縄戦

1997年6月24日 沖縄タイムス
平和宣言
間接的加害者になる恐れ
知事 有事の際の強い懸念表明
→沖縄全戦没者追悼式 沖縄戦

1997年6月24日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 12
竹富島の穴あきヒンプン
屋敷ひっそり戦争の傷跡
→沖縄戦

1997年6月24日 沖縄タイムス
照射 復帰後25年の沖縄 37 比嘉康雄
契約拒否の心 下
身勝手な本土側の論理
契約維持は子孫に禍根
戦争につながる基地 沖縄の主体性を
→要記事 強制収用

1997年6月24日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
52年目の慰霊の日
平和宣言に漂う危機感
防衛指針見直しが影落とす
間接的加害者に ガイドラインに注視 平和の道は遠く
→沖縄戦

1997年6月24日 琉球新報
ハンセン演習場
「104号」去っても山火事
3週間で4回目 えい光弾が原因か
→演習事故 キャンプ・ハンセン

1997年6月25日 沖縄タイムス
104号越え演習は去ったが…
依然激しい基地被害
金武町
通常訓練は増加傾向
頻発する山火事
→演習事故 キャンプ・ハンセン

1997年6月25日 沖縄タイムス
無銘の証言 52年目の慰霊の日 9 下
戦争は恐ろしく あまりにも残酷
体験語る口は重く

1997年6月25日 沖縄タイムス
鎮魂の夏 戦争遺跡は今 13
3家族、12人が「集団自決」 恩納村安冨祖の壕跡

1997年6月25日 琉球新報
女優の田中喜子さん 沖縄テーマに現代劇
知花昌一さん夫妻モデル ウチナーグチも特訓
来月、東京で上演
在沖基地の広さに驚き

1997年6月25日 琉球新報
久志の全13区が建設反対
海上基地
10区は事前調査も「ノー」
名護市が意思確認調査

久志13区、海上基地で意思確認調査

→普天間飛行場移設

1997年6月25日 琉球新報
「チビチリガマ」集団死の背景 家永裁判上告審に寄せて 上 石原昌家
「集団自決」は軍事的他殺
住民の投降、絶対許さず
→連載・沖縄戦

1997年6月26日 沖縄タイムス
なぜ刻銘されない
「礎」へ ハンセン病戦没者約500人
差別 偏見も背景に
名誉回復訴える関係者
→沖縄戦

1997年6月26日 沖縄タイムス
ハンセン内で油漏れ
地下埋設の輸送管から
→キャンプ・ハンセン 環境

1997年6月26日 琉球新報
迷惑施設と多数者の論理 杉田敦
国家レベルの専制に限界
重要な沖縄、御嵩の提起
決定権の単位 独占への抵抗 手痛い反撃

1997年6月26日 琉球新報
「チビチリガマ」集団死の背景 家永裁判上告審に寄せて 中 石原昌家
私の体験
住民にスパイ嫌疑
友軍が銃突き付け尋問

1997年6月27日 沖縄タイムス
増えた「沖縄」記述
高校教科書検定
基地への関心反映
教育現場の要望高まる

資料提供が大切/県民認識に近い
高嶋伸欣・琉球大教育学部教授の話
新城俊昭・陽明高校教諭の話
→沖縄戦

1997年6月27日 沖縄タイムス
高校教科書の主な沖縄関係記述
→沖縄戦

1997年6月27日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾の影響で対立
米下院公聴会
微粒子が人に害と専門家
→環境 鳥島射爆撃場 米下院人的資源小委員会の湾岸戦争症候群に関する公聴会

1997年6月27日 琉球新報
「チビチリガマ」集団死の背景 家永裁判上告審に寄せて 下 石原昌家
私の体験
地獄のような壕内
投降呼び掛けにも応じず

1997年6月28日 沖縄タイムス
ニュース断面
動き出した「名護市民投票」
署名目標1万3000人
市側に不快感隠せず
民主的な体質へ 市民の思いに期待 静観の政府、県

名護・市民投票に関する条例案骨子

1997年6月28日 沖縄タイムス
あれから一年 <石の声>は今 浦島悦子
耳を澄ませば聞こえてくる
新しいいのちの芽生え
→沖縄戦 佐喜眞美術館<石の声>

1997年6月28日 琉球新報
パラシュート実演中止
在沖グリーンベレーのミスで
厚木基地

1997年6月30日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
住民投票と民主政治
自らの意思決定を確立
納得できぬ「雲散霧消」の見解
有権者53%の重み 代替ヘリで動き
→普天間飛行場移設

1997年6月30日 沖縄タイムス
象のオリ前 看板が撤去
→国による389日の不法占拠 強制収用

1997年6月 不明
第32軍の暗号記録入手
米公文書館で保坂琉大教授
米軍の解読裏付ける
全300ページ 住民スパイ説解□□
日本軍は情報戦でも敗北

1997年6月 不明
32軍の暗号記録入手
未着手の研究分野
太平洋戦争の解明に不可欠



  


Posted by 糸満のカッパ at 12:08

1997年5月

2015年07月20日 / 1997年新聞記事

1997年5月
1997年5月2日 沖縄タイムス
復帰25年 沖縄の今 下
消えない核への疑念
手届かぬ基地に無力感

一口メモ
核持ち込み疑惑

→嘉手納弾薬庫地区 キャンプ・シュワブ

1997年5月2日 沖縄タイムス
沖縄と憲法 上 山内敏弘
理念空洞化の50年
依然、驚かされる県民の生活

1997年5月2日 沖縄タイムス
戦争の傷癒えぬ地に基地は異常
軍縮運動家のフレイザーさん
父親は元米兵で嘉手納で家庭生活
「基地はなくすべきだ」
ベトナム戦争従軍 心の傷で両親離婚
→ステファニー・フレイザー氏

1997年5月3日 沖縄タイムス
沖縄と憲法 下 高良鉄美
「命どぅ宝」が根底に
前文の理念と「平和の礎」

1997年5月3日 沖縄タイムス
米軍による基本的人権の侵害
なにゆえ沖縄だけが…
→要記事

1997年5月4日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
沖縄からのメッセージ事業
基地過重の実態訴える
米国の「建国理念」も引用
県観光文化局長 照屋寛孝氏
→「沖縄のメッセージ事業」

1997年5月4日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 7 石川真生(写真家)
ウミンチュの誇り
「海が好きでたまらん」
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年5月5日 沖縄タイムス
次代への扉 復帰25年から 上
地域史を掘り下げ
新城俊昭さん 将来の沖縄像を模索
痛みとして 父の死、原点に 道しるべ

1997年5月5日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
全駐労の雇用問題
「雇用」の道筋つけたい
中長期的対応が当面の課題
雇用対策室長 神山操氏

1997年5月5日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 8 石川真生(写真家)
清香は奮闘中
「トコトンやらんと」

1997年5月6日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 9 石川真生(写真家)
汀間区の団結 上
「大きな声で反対を」

1997年5月7日 沖縄タイムス
国際女性ネットワーク集会 那覇市・てぃるる
軍隊と人権、女性と子ども
アメリカ・フィリピン・韓国・日本
各国の実態を報告

1997年5月7日 沖縄タイムス
砂浜に新たな有刺鉄線
キャンプ・シュワブ境界
「立ち入り禁止」の立て看板も

1997年5月7日 沖縄タイムス
ニュース断面
緊迫度増した海上ヘリポート問題
賛否の意思明確に
反対派は徹底抗戦の構え

1997年5月8日 沖縄タイムス
復帰25年 沖縄の今 2 第2部「経済編」
アジアに向く
「経済特区」で規制緩和要望
物流拠点の誘致訴え
石垣島に台湾資本 関税障壁でとん挫

1997年5月8日 沖縄タイムス
あの時 あれから 1
1971年1月7日
毒ガス移送 怒りのまなざし
→連載・戦後史

1997年5月8日 沖縄タイムス
ズームアップ
県収用委員会 今後の見通し
なくなった〝目標〟
法改正で審理長期化か
→強制収用

1997年5月9日 沖縄タイムス
県収用委員会
地主取り違え強制使用手続き問題
瑕疵は治癒せず
きょう臨時会 共有地の一部却下へ
→強制収用

1997年5月10日 沖縄タイムス
常識的に判断した
県収用委 採決経過を説明

審査請求の断念を求める
自由法曹団が声明

→強制収用

1997年5月10日 沖縄タイムス
財産権問題 厳格に
仲地博琉大教授に聞く
却下は妥当な判断
再び問われる「法治国家」

採決申請 却下理由(全文)

→強制収用

1997年5月10日 沖縄タイムス
ニュース断面
国の手続き瑕疵
法改正の予期せぬ「墓穴」
国の過失で審理長期化か
改正がなければ 問題点を次々指摘 土地の明け渡しを
→強制収用

1997年5月10日 沖縄タイムス
手続き「ずさん」
違憲共闘など五者協が声明
→強制収用

1997年5月10日 沖縄タイムス
活動方針決定
三連協が役員会開く
→「嘉手納飛行場へのヘリポート移設反対 沖縄市、北谷町、嘉手納町連絡協議会」

1997年5月10日 沖縄タイムス
在沖米軍基地
「県民は過重負担」
米上院外交委で全会一致
→要記事

1997年5月10日 沖縄タイムス
レンズでのぞいた日米安保 1
「湾岸なら行ったよ」
戦場体験持つ予備役

1997年5月10日 沖縄タイムス
復帰25年 沖縄の今 4 第2部「経済編」
模索する自立への道
地に足を着けた経済を
甘さが見える県の姿勢
冷める沖縄への関心 人工栄養で生きる

1997年5月10日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 24 我部政明
岸信介の論理 2
安保改定の必要性訴える
国民の認識全面に
沖縄返還は急務と見ず
領土問題の解決 優先順位に疑問

1997年5月11日 沖縄タイムス
レンズでのぞいた日米安保 2
「出るんですよ、幽霊が」
激戦の地で仲良く訓練

1997年5月11日 沖縄タイムス
米軍兵力4年期見直し 沖縄海兵隊に影響なし
東アジア重点配備を継続
2大地域紛争対処も変えず

兵力削減は6万人程度

→QDR(4年ごとの国防計画の見直し)

1997年5月11日 沖縄タイムス
復帰25
急浮上する「独立論」
沖縄の自立探り再燃
出版、討論会、ラジオ番組も
アジアの視点に立てば/未来考える手法として
→大山朝常氏

1997年5月12日 沖縄タイムス
レンズでのぞいた日米安保 3
「敵は北方にあり」
何を目指す雪中訓練

1997年5月12日 沖縄タイムス
台湾・植民地の旅 上 又吉盛清
日本人の生き方を考える
「侵略」の原点を探る試み

1997年5月12日 沖縄タイムス
振興策とリンク 整理縮小を希求
基地問題めぐる県民意識 ~世論調査から~ 福島良一
知事の〝実利獲得〟戦略を評価
日米安保条約に対する認識 基地負担軽減への期待 基地縮小と沖縄振興策

質問と回答

1997年5月13日 沖縄タイムス
台湾・植民地の旅 下 又吉盛清
原住民を徹底弾圧
日本、沖縄の戦争責任問う

1997年5月13日 沖縄タイムス
点検・沖縄米軍基地
返還は名ばかり いつまで続く

基地は動いたか
県内移設の条件付き
「新たな基地建設」を警戒

50年の重圧
暴行事件に怒り爆発
「沖縄は何なんだ」と抗議

海兵隊撤退
安全保障論議の行方問う
〝国際都市〟のネック

ガイドラインと沖縄
周辺の「有事」想定
米軍への後方支援活動

識者談話
県民の真剣さ歴史に蓄積
我部政明 琉大教授

→要記事

1997年5月13日 沖縄タイムス
復帰25
沖縄の在日米軍基地
SACOの返還合意区域
→要記事

1997年5月15日 沖縄タイムス
識者評論 復帰25年
岡本恵徳琉球大教授
日本の政治体質 衆目に
「特措法」が自立論に活気

新藤宗幸立教大教授
問われる「国益」の決定
沖縄の自治、全面保証を

1997年5月15日 沖縄タイムス
沖縄からの逆照射 陸培春
軍国主義の台頭映る
アジアへの半生ない社会

1997年5月16日 沖縄タイムス
レンズでのぞいた日米安保 4
「今だ、飛び出せ」
目指すは敵地潜入

1997年5月16日 沖縄タイムス
識者評論
芥川賞作家 又吉栄喜氏
粘り強く主体貫く知事
変わらぬ体質「軍隊はノー」

1997年5月17日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 我部政明 25
秘密外交の開始
内乱への米軍介入を排除
強固な政権樹立めざす
保守合同で派閥対立解消
二つの文書 安保改定へ

1997年5月17日 沖縄タイムス
カバーパネル落とす
普天間所属CH53ヘリ また通報遅れ
→航空機事故

1997年5月17日 沖縄タイムス
米軍ヘリ部品落下
死の危険と隣り合わせ

普天間基地所属機の落下事故

1997年5月17日 沖縄タイムス
ヘリポートに揺れる街
名護市久志地域の人々
「写真展に寄せて」 石川真生
住民の葛藤わかって
両派とも堂々の議論を

1997年5月18日 沖縄タイムス
レンズでのぞいた日米安保 5
血であがなった「沖縄」
基地名は無名戦士たち

1997年5月19日 沖縄タイムス
レンズでのぞいた日米安保 6
海兵隊はどこへでも
異国の地に異国語の看板

1997年5月19日 沖縄タイムス
国際都市構想の展望
先導地区設定がカギ
百以上の事業貼り付け

国際都市形成における拠点構成

国際都市形成推進アクションプログラム

主要な導入プロジェクトの展開

1997年5月19日 沖縄タイムス
第3次家永裁判
「集団自決は日本軍に誘導・命令」
最高裁が口頭弁論 沖縄戦の記述も争点
→沖縄戦

1997年5月19日 沖縄タイムス
動く国際都市 自立へのシナリオを読む 1
田中直毅氏
県民との議論必要
規制緩和の定義あいまい

1997年5月20日 沖縄タイムス
「通報の遅れ、容認できぬ」
米軍ヘリ部品落下事故
守られない改善合意
県が関係機関に厳重抗議
→航空機事故

1997年5月20日 沖縄タイムス
動く国際都市 自立へのシナリオを読む 2
福島駿介氏 琉大教授
従来の手法打破を
普天間はモデルとして重要

1997年5月21日 沖縄タイムス
動く国際都市 自立へのシナリオを読む 3
高野孟氏 「インサイダー」編集長
世界的展望で返還を
嘉手納のハブ空港化に注目

1997年5月21日 沖縄タイムス
ニュース断面
兵力削減盛り込まれず
米の4年期防衛見直し
大田知事「悲観しない」 両国世論に期待つなぐ
引き続き削減訴え 在沖海兵隊変化なし 兵力削減の環境を

1997年5月21日 沖縄タイムス
記者のメモ
米軍事故には強い姿勢で
原島秀毅氏
→外務省の原島秀毅沖縄大使

1997年5月21日 沖縄タイムス
基地立ち入り 拒否を連発
「SACO合意」無視
自治体の申請に米軍
市民団体など反発強める

1997年5月22日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 1 石川真生
「僕の宝を奪うな」
嘉陽夫妻の愛情
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年5月22日 沖縄タイムス
動く国際都市 自立へのシナリオを読む 4
真栄城守定氏 琉大助教授
大きな仕掛け不要
見えてこない〝県民参加〟

1997年5月23日 沖縄タイムス
8人に騒音性難聴
嘉手納爆音訴訟、医師の証言重く
妊婦、子供にも影響
「健康被害」見守る住民
→航空機騒音

1997年5月23日 沖縄タイムス
三者協で積極的に
通報遅れ 議題へ取り上げの意向
那覇防衛施設局長
→航空機事故

1997年5月23日 沖縄タイムス
ニュース断面
ヘリ部品落下事故の通報遅れ
日米の合意、機能せず
運用不徹底を露呈
意識のズレの問題も
通報作業部会を設置 通報回路の閉そく 現地ルート作動せず
→航空機事故

1997年5月23日 沖縄タイムス
是非を問う 全県フリーゾーン構想 5
下地健造氏 アメリカン大短大部客員教授
県民に判断材料の提示を
現状分析 国の壁

1997年5月23日 沖縄タイムス
医学的証明に期待
嘉手納爆音訴訟控訴審
難聴の発生は当然
住民ら医師出廷を歓迎
→航空機騒音

1997年5月23日 沖縄タイムス
解説
嘉手納爆音訴訟
健康への影響が焦点
国内トップレベルの専門家が調査
どう判断 現実と受忍限度
→航空機騒音

1997年5月23日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
公務外米兵事故賠償請求
SACO合意の実効性問う
逃げ得許さぬ制度へ試金石
→米兵事件・事故

1997年5月24日 沖縄タイムス
嘉手納基地爆音訴訟の控訴審
高い低体重児の出生率
「子供に悪影響」
大学教授が証言
→航空機騒音

1997年5月24日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 2 石川真生(写真家)
母親たちの署名活動
「子供のために反対」

1997年5月26日 沖縄タイムス
ズームアップ
オキナワ・マリンが特集
海兵隊不要論に反論
適地、財政支援を強調
過密基地には触れず
→要記事

1997年5月26日 沖縄タイムス
プリズム
実弾演習できず、米軍イライラ
→演習その他 キャンプ・ハンセン

1997年5月28日 沖縄タイムス
照射 復帰25年の沖縄 29 栄野川安邦
「一坪」共有者の思い 上
売り渡された沖縄
「法的怪物」で事実上併合
大国の介入 屈辱の日

照射 復帰25年の沖縄 30 栄野川安邦
「一坪」共有者の思い 下
権力の冷酷な策略
県民は「捨て石」ではない
〝正義〟の厚化粧 大政翼賛政治

1997年5月29日 沖縄タイムス
〝祖国〟再考 大城冝武
基地跡地に国連本部を
→要記事

1997年5月29日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 4 石川真生(写真家)
賛成派と反対派 下
「条件闘争はしない」

1997年5月30日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 5 石川真生(写真家)
行政委員長
「区と共に反対していく」

1997年5月30日 沖縄タイムス
ニュース断面
米軍用地公開審理
起業者と地主 論議かみ合わず
許せない「憲法より安保」優先
地主側、法改正を糾弾
答える姿勢を、と注文 特措法改正は不当 供託の前提を欠く

1997年5月30日 沖縄タイムス
みえぬ出口 地主ら反発
公開審理
国あいまい回答に終始

「楚辺」の部隊は安保を逸脱している
知花さん意見陳述
→知花昌一氏

1997年5月30日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
沖縄独立論の虚実
居酒屋談議の域出ず
〝酔い〟さめれば現実に戻り
二つの企画 責任の欠如 本土の立場

1997年5月30日 沖縄タイムス
戦争の愚かさ語り継ぐ
西原町平和事業推進委員会
新たに映画、特別展開催
具体的に訴える手法採る
→沖縄戦

1997年5月30日 沖縄タイムス
楽しく美しい夢のある住宅を目指して 最終回
新・平和祈念資料館
→沖縄戦

1997年5月31日 沖縄タイムス
米軍機また部品落下
今度は風防ガラス
施設局 県に通報せず
→航空機事故

1997年5月31日 沖縄タイムス
F15風防落下
相次ぐ事故に怒り
詳細明かさぬ連絡に不信
3年前は墜落
→航空機事故

1997年5月31日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 6 石川真生(写真家)
19歳の意見
「軍は遊びに行く所」





  


Posted by 糸満のカッパ at 15:47

1997年4月

2015年07月17日 / 1997年新聞記事

1997年4月
1997年4月1日 沖縄タイムス
不法占拠が2年目に…
読谷村・米軍楚辺通信所
→知花昌一氏 象のオリ

1997年4月2日 沖縄タイムス
「憲法」の実相 施行50周年によせて 6 加藤裕
平和的生存権
試練に立つ平和主義
今こそ憲法の輝き広めるとき
画期的な日本国憲法 平和への努力怠る政府

1997年4月4日 沖縄タイムス
沖縄 特措法改正 上
政権の生命線
安保堅持で決断
与党枠組み変更の導火線か
→連載・基地

1997年4月4日 沖縄タイムス
法改正 国会提出 米軍基地問題、新局面へ 1
抜本改正の動き加速
強権的な対応に不信感
色あせた切り札 土壇場で何できる ぎりぎりの選択は
→連載・基地

1997年4月7日 沖縄タイムス
見直し進む米軍事戦略
2大地域紛争対処は維持へ
陸軍にしわ寄せ
日本も成行きを注視
地域紛争 兵力削減 兵器近代化

4年期防衛見直し

10万人態勢は堅持
在沖海兵隊の撤退望めず

海兵隊削減を要請へ
大田知事 11日 6度目の訪米

1997年4月7日 沖縄タイムス
8月上旬に沖縄公演へ
「ちむどんどん」
→「平和世創人ちむどんどん」

1997年4月8日 沖縄タイムス
拒否へ36人手続き
嘉手納旧飛行場権利獲得期成会
「団結し土地守る」
軍用地主ら 権利回復めざす
→沖縄戦 嘉手納飛行場

1997年4月8日 沖縄タイムス
大田知事なぜ出席せぬ 衆院特別委参考人招致
特措法改正
訪米より意見陳述を
市民団体や政党が疑問視
むしろ不当性訴える好機
→強制収用

1997年4月8日 沖縄タイムス
記者のメモ
知事の立場思えばこそ「出席を」
→上間毅県議(社大党)

1997年4月9日 沖縄タイムス
沖縄 この格差 上
ひずむ政権枠組み
保・保台頭で新たな綱引き
安保の踏み絵に自社さ危機
分断作戦 深い苦悩

1997年4月10日 沖縄タイムス
特措法改正 県民世論調査
反対の7割が拒否感
賛成の3割「仕方ない」
賛否の理由 低い若者の関心 ヘリポート反対6割
→強制収用

1997年4月10日 沖縄タイムス
米軍への施設・区域の提供は、日本が果たさなければならない責任です。
→広告 政府広報/防衛庁・外務省・内閣官房

1997年4月11日 沖縄タイムス
沖縄 この落差 下
基地負担の溝
覆うべくもない屈辱感
「予防外交」に重点的努力を
退路を断った首相 基地の危うさ不変

1997年4月11日 沖縄タイムス
急転海上ヘリ 県、名護市 調査容認 1
政治生命かけた決断
「事前にシナリオ」の声も
→普天間飛行場移設

1997年4月12日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 21 我部政明
安保改定へ加速
野党、日米関係を批判
保守も「不平等」に不満
背景に「ジラード事件」
国会で苦境 打開に改定へ 沖縄、新安保に

1997年4月12日 沖縄タイムス
急転海上ヘリ 県、名護市 調査容認 2
状況変化
見え隠れした〝兆候〟
「建設ノー」の姿勢どこまで

1997年4月13日 沖縄タイムス
「米軍10万人体制が多国籍企業支える」
渡辺教授 「憲法と沖縄」で講演
→渡辺治 一橋大教授

1997年4月13日 沖縄タイムス
記者のメモ
さすがの〝野次将軍〟もだんまり
→下地幹郎衆院議員(自民) 古堅実吉衆院議員(共産党)

1997年4月13日 沖縄タイムス
急転海上ヘリ 県、名護市 調査容認 3
いらだつ官邸
泥かぶらない知事
「タレント…」との批判も

1997年4月14日 沖縄タイムス
急転海上ヘリ 県、名護市 調査容認 4
知事の自問
国会決議〝担保〟に
ぎりぎりの選択で苦悩

1997年4月15日 沖縄タイムス
急転海上ヘリ 県、名護市 調査容認 5
駆け引き
「県切り捨て」に傾く
政府の追い立てに反発

1997年4月15日 琉球新報
遊び庭
バイバイ伊佐のバブルボックス
當間早志
→跡地利用 要記事

1997年4月16日 沖縄タイムス
国会リポート
埋まりそうにない「ギャップ」
椎名氏が〝歴史のIF論〟
海兵隊存続の疑問
→椎名素夫氏 要記事

16日 沖縄タイムス
米海兵隊撤退に執念もやす
解説
大田知事 訪米要請の狙い
「基地」解決への近道
米国内にも見直しの声

兵力削減や基地の計画的返還を

ビンガマン米上院議員との一問一答

1997年4月16日 沖縄タイムス
名護市長の説明拒否
久志10区長ら「絶対反対」
代替ヘリ問題
→普天間飛行場移設

1997年4月16日 沖縄タイムス
急転海上ヘリ 県、名護市 調査容認 6
住民感情
調査容認に批判
北部地区労 幅広い運動再構築

1997年4月16日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
復帰25
交錯する思惑
見えぬ兵力削減の道
手探り続くポスト特措法

1997年4月17日 沖縄タイムス
恥多き特措法改正
國弘正雄
3つの基本条件喪失
非情なヤマトの国会
→強制収用 要記事

1997年4月17日 琉球新報
新安保の指針 1
深まる日米協力
アジアの紛争抑止装置へ
中間報告で新たな姿現出

1997年4月18日 沖縄タイムス
参院本会議傍聴
照屋反戦地主会長ら逮捕
威力業務妨害の容疑
→強制収用 照屋秀伝会長 知花昌一反戦地主

1997年4月18日 沖縄タイムス
表層深層
「平和のコスト」なお沖縄に
広がる翼賛政治の不安
上滑りの安保論議
縮小、削減の課題重く
気色ばむ首相 果たせぬ公平 政治の窒息

首相の指導力評価 米政府

→強制収用

1997年4月18日 沖縄タイムス
12施設、5・15から暫定使用
改正法、21日にも公布・施行
象のオリは直ちに補償金供託

不法占拠の可能性なくす
損失補償担保に継続使用
改正の内容 改正の骨子

→強制収用

1997年4月18日 琉球新報
新安保の指針 2
軍事支援の限界
防衛庁
機雷、情報提供で論議狙う
法制局との健保解釈が焦点
米側の熱い期待 問題提起

1997年4月18日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
揺れる海兵隊
在沖駐留は「朝鮮有事」想定
訓練区域なく 内部に否定的意見も

1997年4月19日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 22 我部政明
国内の安保改定論議
岸とマッカーサーの秘密会談
高まるナショナリズム
「対等性」はあくまで国内対策
報道に神経尖らす 「不平等」に反発 安保改定の輪郭が浮上

1997年4月19日 沖縄タイムス
揺れる山原 海上ヘリポート問題 1
住民投票
民意を内外に示す
労組、市長の翻意に対抗
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年4月19日 沖縄タイムス
反戦地主ら逮捕
参院議員が釈放要請
警視庁 21人全員きょう送検

新聞労連が抗議声明

八重山でも法改正糾弾

「不当逮捕」と主張
照屋さん 知花さん

→強制収用

1997年4月19日 琉球新報
新安保の指針 3
総力態勢の要求
比重増す民間の対米協力
空港や港湾の使用は難航も
千項目の要求 悪夢の再現

1997年4月19日 琉球新報
「ヘリポートに揺れる街 名護市久志地域の人々」写真展に寄せて 石川真生
「日本政府は頭がいいよ」沖縄県人同士で闘わせるんだから
→普天間飛行場移設 要記事

1997年4月20日 沖縄タイムス
揺れる山原 海上ヘリポート問題 2
繰り返す歴史
半強制で基地建設
区の整備を条件に交渉

1997年4月20日 琉球新報
5・15後の沖縄施策 インタビュー 上 岡本行夫首相補佐官
1国2制度の目的化疑問
米軍兵力構成の日米協議は当然

1997年4月21日 沖縄タイムス
直訴兵力削減 知事訪米リポート 上
軍港統合案の提示
「やまれぬ思い」吐露
知事発言に予想以上の反応
いつでも検討する 以前にも打診 要請ではない

1997年4月21日 沖縄タイムス
「憲法」の実相 施行50周年によせて 1 伊志嶺善三
復帰の原動力
憲法は〝法の元締め〟
悲惨な戦争への反省から誕生
世界に誇れるもの 基地が憲法脅かす

1997年4月21日 沖縄タイムス
米海兵隊 狭い沖縄離れ海外へ
豪の演習に大規模参加

1997年4月21日 琉球新報
新安保の指針 5
政界再編に連動
合従連衡の引き金に
憲法解釈めぐり論議必至

1997年4月21日 琉球新報
5・15後の沖縄施策 インタビュー 下 原島秀毅沖縄大使
三者協で適切な対応
解決のメカニズムを早急に
→要記事

1997年4月21日 琉球新報
暴かれる爆音禍 嘉手納訴訟証人尋問 上
「砂辺の住環境は異常」
騒音なくても耳鳴りが…
→連載・基地 航空機騒音

1997年4月22日 沖縄タイムス
揺れる山原 海上ヘリポート問題 3
辺野古合衆国
各地から移り住む
組織の在り方に疑問も

1997年4月22日 沖縄タイムス
直訴兵力削減 知事訪米リポート 中
すれ違い
打ち砕かれた期待
「10万人」で厳しい反応
機先を制する 削減明記は絶望的 ガード堅い政府側

1997年4月22日 沖縄タイムス
「憲法」の実相 施行50周年によせて 2 三宅俊司
県民投票の意義
民主主義実現の手段
住民発議権の行使は重要
住民48万人の意思 拘束される行政行為

1997年4月22日 沖縄タイムス
国会決議
大胆な振興策を
「兵力削減」表現避ける
きょう本会議で採択

衆院沖縄決議案の全文

1997年4月22日 琉球新報
暴かれる爆音禍 嘉手納訴訟証人尋問 中
保育室の窓が開けられない
子供の発達に影響も
→航空機騒音 嘉手納飛行場

1997年4月23日 沖縄タイムス
揺れる山原 海上ヘリポート問題 4
二見以北の怒り
振興なく合併後悔
いやなものを押し付け

1997年4月23日 沖縄タイムス
直訴兵力削減 知事訪米リポート 下
希望
学者仲間らが激励
知事の演説に大きな拍手
グレイターゲット 沖縄経験者の感想 平和のかなめ石に

1997年4月23日 沖縄タイムス
ニュース断面
失望感強い「国会決議」
素案になかった兵力削減
不透明な〝緩和策〟
「国際都市」に制度措置もなく
繰り返し 免罪符 疑問

県コメント(要旨)

1997年4月23日 沖縄タイムス
記者のメモ
〝県民を二重三重にも愚弄〟
→古堅実吉衆院議員(共産)

1997年4月23日 沖縄タイムス
鳥島ウラン検出
高濃度に怒り、不安
住民、事故後怖さ知る
→環境 鳥島射爆撃場

1997年4月23日沖縄タイムス
改正特措法
きょう公布・施行
施設庁、県に文書通知へ
→強制収用

1997年4月23日 琉球新報
暴かれる爆音禍 嘉手納訴訟証人尋問 下
他より高い未熟児出産率
騒音が母胎に悪影響

1997年4月23日 琉球新報
適正な賠償実現求め提訴
石川市の死亡事故 帰国元米兵相手に初

解説
SACO報告の実効性追及へ

→米兵事件・事故

1997年4月24日 沖縄タイムス
104号演習廃止
不便な生活から解放
「勉強にも集中」喜ぶ生徒
→キャンプ・ハンセン 演習その他

1997年4月24日 琉球新報
見えぬ解決の糸口 混迷続く基地問題 3
泥縄
国追い詰めた、と評価
反戦地主 地道な闘いの継続訴え

1997年4月25日 沖縄タイムス
揺れる山原 海上ヘリポート問題 5
東西の温度差
働き口ができれば
経済振興願う商店主ら

1997年4月25日 沖縄タイムス
核と安保と沖縄返還 密使若泉敬の半生 上 具志堅勝也
自ら命を絶つ覚悟
大田知事や県民に遺書
取材拒否 沖縄に殉じる 憂国の士
→沖縄戦後史

1997年4月25日 沖縄タイムス
象のオリ
不法占拠状態に幕
特措法改正で暫定使用に
→楚辺通信所 知花昌一氏 強制収用

1997年4月25日 沖縄タイムス
浮体式ヘリポート
海域の生態系変質
海洋研究者ら初見解
→普天間飛行場移設

1997年4月25日 琉球新報
見えぬ解決の糸口 混迷続く基地問題 4
海上基地
無条件反対、期待、あきらめ
揺れる辺野古住民

1997年4月25日 琉球新報
ニュースここが知りたい
QDR
4年ごとに行われる戦力構成見直し

1997年4月26日 沖縄タイムス
第3部 核と基地 安保と日本・沖縄 23 我部政明
安保改定への岸の論理
首相として初の訪米前に
日米協力の強化を提起
国民感情を利用し交渉へ
基本的関係 安保と米軍の影響

1997年4月26日 沖縄タイムス
砲音移転 104号越え実弾演習 上
住民に安ど 戸惑い
なくなる県道封鎖 文集に平和の祈り
「素直に喜べぬ」
本土移転「心痛い」
悔し涙 揺れる
→キャンプ・ハンセン 演習その他

1997年4月26日 沖縄タイムス
核と安保と沖縄返還 密使若泉敬の半生 中 具志堅勝也
日米間で秘密合意
ハ氏、議事録の効力否定
安保廃棄の恐れ 核に「イエス」も 確実な保証を

1997年4月26日 沖縄タイムス
対象の8割「反対」
代替ヘリポートで住民署名
阻止協 あす区民総会に提出
名護市辺野古
→普天間飛行場移設

1997年4月26日 琉球新報
見えぬ解決の糸口 混迷続く基地問題 5
一段落
関心薄れる沖縄問題
政府、基地から経済振興へ

1997年4月27日 沖縄タイムス
砲音移転 104号越え実弾演習 中
「住民の不安から反対」
玖珠町長 受け入れや同意ではない
矛盾だ 時間を

1997年4月27日 沖縄タイムス
辺野古の活性化で促進協
埋め立て積極的に 区民16人で結成
代替ヘリポート問題
→普天間飛行場移設

1997年4月27日 沖縄タイムス
米空軍2等軍曹を送検
沖縄署が強制わいせつで

被害者の女性に米大統領も同情

→米兵事件・事故

1997年4月28日 沖縄タイムス
砲音移転 104号越え実弾演習 下
制約多く撤退論も
海兵隊 過去に訓練事故重なる
射角謝る 不満増加も

1997年4月28日 沖縄タイムス
住宅防音工事始まる
実弾演習場の5移転地
「当然」とはいえ…
→演習その他

1997年4月28日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
土着政党を全国へ発信
沖縄問題の大半は「基地」
社大党書記長 新垣重雄氏

1997年4月28日 沖縄タイムス
自衛隊の米軍への情報提供
一見地味だが対米協力の柱
目に見えない分野で事実上「歯止め」なし
→自衛隊

1997年4月28日 沖縄タイムス
社説
「4・28」で問われたこと
沖縄が切り離された「日」 第二、第三の「琉球処分」 基地機能の維持を原則に

1997年4月28日 琉球新報
在沖海兵隊
2司令官の階級格上げ
苦情処理将校も配置へ
→第三海兵遠征軍の司令官と在沖海兵隊基地キャンプ・バトラー司令官の階級。

1997年4月29日 沖縄タイムス
宮城町長
施設局を嘉手納に
18首長の署名携え要請
→自衛隊 嘉手納飛行場 宮城徳実町長

1997年4月29日 琉球新報
見えぬ解決の糸口 混迷続く基地問題 7
平和運動再構築
全国ネットに活路
在日米軍削減で連携強化

1997年4月30日 沖縄タイムス
核と安保と沖縄返還 密使若泉敬の半生 下 具志堅勝也
歴史的事実を残す
呵責の念も理由の一つ

1997年4月30日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
いま、沖縄が問われている
真の豊かさとは
基地が〝病理〟もたらす
沖縄社会のひずみ 変革か、基地との共生か
→要記事

1997年4月30日 沖縄タイムス
機軸の行方 憲法50年 1
灰色の自衛権
変化した九条解釈
防衛指針めぐり論争再燃
抑制した役割 憲法と安保の溝
→自衛隊

1997年4月30日 沖縄タイムス
復帰25年 沖縄の今 上
「基地縮小」訴え続ける
問題解決始まったばかり

1997年4月不明
基地内に赤がわら屋根
役場新庁舎が完成
沖縄の伝統にこだわり
読谷村
22、23日 一般公開


  


Posted by 糸満のカッパ at 10:39

1997年3月

2015年07月16日 / 1997年新聞記事

1997年3月
1997年3月1日 沖縄タイムス
りゅうきゅうねしあ への便り 辰野和男
基地名にもの申す
戦功者の名に占領意識
→要記事

1997年3月2日 琉球新報
‘97追跡
米軍の直轄工事と環境汚染
国内法や条例の規制及ばず
初歩的な防止措置もなし
怒りに拍車 〝限界〟
→環境 泡瀬通信施設

1997年3月2日 沖縄タイムス
通報遅れ 県民いつもカヤの外
劣化ウラン弾
国内貯蔵 ヤミの中
米軍 法規制の対象外?
→環境 鳥島射爆撃場

1997年3月2日 沖縄タイムス
PCB
米国内では詳細に調査
県内汚染 いまだ原因不明
→環境 キャンプ瑞慶覧

1997年3月2日 沖縄タイムス
梅林宏道氏に聞く 太平洋軍備撤廃運動国際コーディネーター
汚染個所の徹底調査を
軍事機密より環境と健康
→環境

1997年3月3日 沖縄タイムス
大転換沖縄 第2部 きしむ制度 28
特別措置
容易でない依存心解消
零細企業保護に必要

1997年3月3日 琉球新報
屋良朝苗と沖縄戦後史 上 福地曠昭
「祖国と同一の教育必要」
米軍に屈せず信念貫く
→連載・戦後史 要記事

1997年3月4日 沖縄タイムス
大転換沖縄 第2部 きしむ制度 29
沖縄開発庁 1
「基地問題」所管とせず
くすぶり出す不要論

1997年3月4日 沖縄タイムス
今、いいたい 基地・特措法改正 1
「本気で説得したのか」
生徒会活動が転機になった新名春子さん(17)
国へ不信感つのる
「返還で困る地主も」
→連載・基地

1997年3月4日 沖縄タイムス
法改正の論理を問う 1 古川純 専修大教授
憲法の原則を損ねる
無理目立つ政府の対応

1997年3月4日 琉球新報
屋良朝苗と沖縄戦後史 下 比嘉良彦
「復帰それ自体が目的」
無条件の信頼を祖国に
→連載・戦後史

1997年3月4日 琉球新報
「住民生活を完全に無視」
県道104号越え実弾演習
2週連続に強い反発
安富祖稔伊芸区長 移転でなく廃止要求
金武町
→キャンプ・ハンセン 演習その他

1997年3月5日 沖縄タイムス
大転換沖縄 第2部 きしむ制度 30
沖縄開発庁 2
省庁の出向者で構成
「親省庁」優先に批判も

1997年3月5日 沖縄タイムス
県道封鎖で影響は?
米軍の104号演習
住民に基地の賛否も問う
金武町 緊急アンケート
→キャンプ・ハンセン 演習その他

1997年3月5日 沖縄タイムス
今、いいたい 基地・特措法改正 2
「基地返還は徐々に」 爆音常襲地で25年働く前川喜市さん(67)
最終的には全面へ
「騒音は慣れんよ」
→連載・基地

1997年3月5日 琉球新報
特措法改正は違憲
米軍用地強制使用
百万人署名呼び掛け
反戦地主 「公開審理が無意味化」
→強制収用

1997年3月6日 沖縄タイムス
今、いいたい 基地・特措法改正 3
「魂に鉄条網の囲い」 象のオリの中に入った詩人の高良勉さん(47)
見えにくい差別図
日本全体の問題だ
→連載・基地

1997年3月6日 沖縄タイムス
法改正の論理を問う 3 清水誠 神奈川大教授
民主社会の根幹崩す
二重、三重にも国辱的行為
→強制収用

1997年3月6日 琉球新報
バルブボックス撤去
宜野湾市伊佐
交通渋滞の緩和へ
→軍用地 パイプライン

1997年3月6日 琉球新報
大転換沖縄 第2部 きしむ制度 31
沖縄開発庁 3
ぎくしゃくした関係
軸足の相違に不信感

1997年3月6日 琉球新報
ずさんな米軍の護岸工事
防止策せず 海の汚濁進む
泡瀬通信土砂流出
→環境 泡瀬通信施設

1997年3月6日 沖縄タイムス
泡瀬通信施設
米軍また土砂野積み
沖縄市漁協など強く反発
→環境 泡瀬通信施設

1997年3月6日 沖縄タイムス
127万人の実験 第4部 インタビュー 48
地主の意向
砂川直義氏 県軍用地等地主会連合会事務局長
不明確な国際都市形成 実効性のある計画示せ
土地連の姿勢 土地の利用

県土利用
来間泰男氏 沖縄国際大学教授
農業や製造業の展開は マイナス面を見据えて
農業の国際化 国の負担必要

跡利用基金

→跡地利用

1997年3月7日 沖縄タイムス
今、いいたい 基地・特措法改正 4
ぬーがわったーびけん コザの街で生まれ育った照屋隆司さん(30)
不公平に強い不満
米に逆らえぬ政府
→連載・基地

1997年3月7日 沖縄タイムス
法改正の論理を問う 4 我部政明 琉大教授
正念場の「沖縄問題」
無視できぬ未契約地主

1997年3月7日 琉球新報
乏しい「機密扱い」の理由
5・メモ覚書要旨
安波訓練場 奥間レストセンター 八重岳通信所 恩納通信所 ギンバル訓練場 レッドビーチ訓練場 ブルービーチ訓練場 知花サイト 楚辺通信所 読谷補助飛行場 天顔桟橋 キャンプ・マクトリアス キャンプ桑江 泡瀬通信所 普天間飛行場 牧港補給地区 那覇港湾施設 那覇サービスセンター 陸軍貯油施設 鳥島射爆撃場 久米島射爆撃場 浮原島訓練場 津堅島訓練場 瀬名波通信所
→日米地位協定

1997年3月7日 琉球新報
米軍の自由使用を後押し
解説
「5・15メモ」
有名無実の一面も
密室協議の実態浮き彫り

空対地訓練も許容
17施設の未公開部分判明
→空対地訓練の許容はキャンプ・ハンセン

政府、復帰前の合意 文書の一部公開検討
施設、区域使用条件など
→日米地位協定

1997年3月7日 琉球新報
沖縄では合意事項無視
「演習場立ち入り合意」文書
本土より厳しい規制
内容は春秋各1週間 実態は年1回数日間
入会権者に厚い基地の壁
→日米地位協定

1997年3月7日 琉球新報
日米政府の姿勢に怒り
金武町
「条件に自ら違反」
立ち入りを強く要求
→ブルー・ビーチ訓練場

「県民をだまし続けた」民主団体
山川勇沖縄平和運動センター副議長
反戦地主会、照屋秀伝さん
渡久地政弘連合沖縄会長
→日米地位協定

1997年3月7日 琉球新報
まるで〝軍事 植民地〟
基地関連首長
「5・15メモ」
沖縄差別の実態浮き彫り
「なぜこれが非公開」
→日米地位協定

1997年3月8日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾発射
「大気汚染は見られず」
米軍が鳥島の環境調査
→環境 鳥島射爆撃場

1997年3月8日 沖縄タイムス
5・15メモ
首長ら怒りあらわ
「県民無視した運用だ」
→日米地位協定

1997年3月8日 沖縄タイムス
解説
押し切られた政府
制服組の意向を前面に

5・15メモ 経過

識者談話
宮里政玄氏 独協大教授 アメリカ外交史
難しい「契約」変更
機能維持を詳細に規定
→日米地位協定 要記事

1997年3月8日 沖縄タイムス
梅林宏道氏 太平洋軍備撤廃運動国際コーディネーター
すべて公開すべき
政治問題化を恐れた政府

我部政明氏 琉大教授
核兵器の明記ない
軍事機密でも要求を…

1997年3月8日 沖縄タイムス
今、いいたい 基地・特措法改正 5
「魚がいなくなった」 米軍演習に憤る久米島漁協長の上原幸一さん(69)
貴重な漁場使えず
「国会も実態調べて」

1997年3月8日 沖縄タイムス
法改正の論理を問う 5 伊藤憲一 青山学院大学教授
その場しのぎの弥縫策
国の業務へ抜本的整備を

1997年3月8日 琉球新報
ニュース透視鏡’97
注目される「5・15メモ」公開
波乱含み橋本・大田会談
県、兵力削減求め対抗姿勢
→日米地位協定

1997年3月8日 琉球新報
あばかれた実態 5・15メモ25年目の中身 上
金武町
突然の立ち入り禁止
ブルービーチ 住民から遠のく砂浜
→連載・基地 ギンバル訓練場

1997年3月8日 琉球新報
劣化ウラン弾30発を回収
日米が鳥島を再調査
→環境 鳥島射爆撃場

1997年3月9日 沖縄タイムス
社説
5・15メモから見えるもの
秘密にしてきた理由は 住民対策上の秘匿だったか 本当の秘密事項はどこに

1997年3月9日 沖縄タイムス
5・15メモ 基地固定化の契約 上
250ページの〝契約書〟
特段の「機密」ない
運用の全体像解明は困難?
→日米地位協定

1997年3月9日 沖縄タイムス
動き出すタウンセンター構想(嘉手納町)
ロータリーに再開発ビル
〝カンフル剤〟は施設局誘致
→嘉手納飛行場

1997年3月9日 沖縄タイムス
米軍用地特措法改正を聞く 各党インタビュー
伊藤茂氏 社民党幹事長
にわかに賛成とはいえない
各レベルの論議が必要
→強制収用

1997年3月9日 沖縄タイムス
今、いいたい 基地・特措法改正 6
黙っていれば容認に 代替ヘリで区民大会を開いた、仲嶺久美子・高江区長
次の世代への責任
末恐ろしい国の方策

1997年3月9日 琉球新報
あばかれた実態 5・15メモ25年目の中身 中
嘉手納町、読谷村
日米政府に強い不信感
NBCや降下訓練 危険にさらされる住民
→連載・基地 嘉手納飛行場 読谷補助飛行場

1997年3月9日 琉球新報
検証 「5・15メモ」 2
告示なき空域が存在
施設庁「公表」への対応に苦慮
→連載・基地 訓練空域・水域

1997年3月10日 沖縄タイムス
5・15メモ 基地固定化の契約 中
米軍に幅広い裁量権
空対地実射も可能
情勢に応じ自由に使える

1997年3月10日 沖縄タイムス
砲弾に食われた山
緑林吹き飛んだ恩納連山
1995年11月29日撮影 1997年3月6日撮影
→キャンプ・ハンセン 要記事

1997年3月10日 琉球新報
南風原町宮城字誌 「戦災調査」から 上 花城清元
字民の戦死率は7割前後
0歳、60代で8割超す
宮城の位置と状況 分析の元にした資料 編集意図 分析結果1
→連載・沖縄戦 要記事

1997年3月10日 琉球新報
あばかれた実態 5・15メモ25年目の中身 下
宜野湾市、那覇市
制限ない普天間飛行場
米軍最優先の那覇軍港
→那覇港湾施設

1997年3月10日 琉球新報
検証「5・15メモ」 3
政府
「公開しても支障ない」
原則非公開で秘密扱いに

1997年3月11日沖縄タイムス
5・15メモ 基地固定化の契約 下
欠落した安全対策
フリーハンドの使用
米軍による米軍のための…

1997年3月11日 沖縄タイムス
大転換沖縄 第2部 きしむ制度 32
沖縄開発庁 4
不要なら組織防衛せず
廃止は県民にマイナス

1997年3月11日 沖縄タイムス
施設局にラブコール
嘉手納町で誘致の横断幕
→自衛隊

1997年3月11日 琉球新報
南風原町宮城字誌 「戦災調査」から 下 花城清元
最後は大見武収容が大半
未解明の部分多い防衛隊
分析結果2
→連載・沖縄戦 要記事

1997年3月11日 琉球新報
検証「5・15メモ」 4
目隠しの基地行政
県、全覚書の公開を要求

1997年3月12日 沖縄タイムス
マラリア慰藉事業が終了へ
29日に石垣市で追悼式
バンナ公園に慰霊碑
→沖縄戦

1997年3月12日 沖縄タイムス
大転換沖縄 第2部 きしむ制度 33
沖縄開発庁 5
軽視の県姿勢に疑問
官邸主導は短期決戦型

1997年3月12日 沖縄タイムス
異なる住所でなぜ?
強制使用手続きミス
「国は、でたらめ」
一坪反戦地主会 法律上許されない
→日米地位協定

1997年3月12日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 1
鳥島射爆撃場
「廃弾処理」記述に疑念
地元 使用兵器の明確化要望
→連載・基地 環境

1997年3月13日 沖縄タイムス
127万人の実験 第4部 インタビュー 49
安全保障
宮里松正氏 前衆議院議員
ハワイ並み基地縮小を 中国含めた〝体制〟探れ
最優先の課題 一つひとつ処理

人材育成
宮城豊氏 県経営者協会顧問
産業企業誘致どうする 地元密着型の教育必要
産官学の連携 港湾の一部を貸す

暫定施設

1997年3月13日 沖縄タイムス
米軍用地強制使用 県収用委公開審理
国は346日も不法占拠 地主側
審理にはなじまない 施設局

「これは登記簿殺人だ」
施設局の別人申請を批判
一坪反戦地主会

→強制収用

1997年3月13日 沖縄タイムス
審理終え怒りの地主ら
特措法改正に反発
「施設局はルール無視だ」
→強制収用

話し合う姿勢あるのか
責任逃れは許されない
「改正」で審理無意味に
土地いつになれば戻る

1997年3月13日 沖縄タイムス
申請理由への求釈明要旨
前文 申請理由 手続き
→軍用地強制収用。第二回公開審理

1997年3月13日 沖縄タイムス
財産権制限の論証せず
解説
米軍施設用地強制使用の第2回公開審理
政府の〝弱点〟印象付け
求釈明 収用委も慎重な構え

ニュース断面
「兵力削減論」が活発化?
混迷深める「強制使用」

→強制収用

1997年3月13日 沖縄タイムス
演習やめて93%
金武町の住民アンケート
「県道封鎖の影響」は3割
→演習その他 キャンプ・ハンセン

1997年3月13日 沖縄タイムス
嘉手納基地の騒音増加
北谷町、防止協定から1年間調査
夜間飛行は約2倍
→航空機騒音

1997年3月13日 琉球新報
検証「5・15メモ」 5
基地所在市町村
ほかにも取り決めが…
メモ入手で新たな疑念 国の対応に注目

1997年3月14日 沖縄タイムス
米軍用地特措法改正を聞く 各党インタビュー
志位和夫氏 共産党書記局長
基地押し付ける差別立法
土地強奪は国際法違反

1997年3月14日 琉球新報
米軍基地と日米安保 1 我部政明
基地の使用状態知るべき
78年以後公開ない5・15メモ
→連載・基地 日米地位協定

1997年3月14日 琉球新報
検証「5・15メモ」 6
公開の次は見直し
県 基地の監視強化に不可欠

1997年3月14日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 2
ブルービーチ訓練場
民間地域に銃口向ける
町民の立ち入りも原則禁止

1997年3月14日 琉球新報
具志川市に1度も連絡なし
天顔桟橋弾薬積み下ろし
「5・15」運用配慮欠く
昆布自治会 施設局の態度に反発

1997年3月15日 沖縄タイムス
争点 沖縄基地法改正 1
上原康助 社民党外交防衛部会長
日米で縮減明示を
安保全面否定には戻れず
→連載・基地

1997年3月15日 沖縄タイムス
平和ガイド 人気上々
那覇市 1年間に49校案内
経済効果1億4000万円 独自の計算ですが…
→沖縄戦

1997年3月15日 沖縄タイムス
解説
主権免除の原則を維持
「新横田基地公害訴訟」
依然、聖域の外国政府

1997年3月15日 沖縄タイムス
宙に浮く米国の賠償負担
日本が全額、肩代わり

1997年3月15日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 3
北部訓練場 安波訓練場
ヘリの騒音被害恒常化
水源地域の汚染に懸念も

1997年3月15日 琉球新報
米軍基地と日米安保 2 我部政明
5・15メモの特徴
特別な訓練を実施か
北部訓練場など3施設 変わらぬ使用条件

1997年3月15日 琉球新報
米国相手の訴え却下
「裁判権は及ばない」
新横田基地訴訟で判決
東京地裁八王子支部

1997年3月16日 沖縄タイムス
政治Q&A
米軍基地5・15メモ
復帰前と同じ使用条件も
法改正のためやむなく公表

1997年3月16日 沖縄タイムス
争点 沖縄基地法改正 2
山崎拓 自民党政調会長
県民の理解を確信
負担の代償措置が振興策

1997年3月16日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
比嘉幹郎氏 学者訪米事業団・団長
海兵隊削減 超党派で訴え
米国にも説明責任
人材育成への協力要請も

1997年3月16日 沖縄タイムス
在沖米軍 日本本土に移すべき
米国防大学戦略研究所 「戦略評価・97年版」で指摘
安保維持に必要
「県内移転では解決しない」
反基地運動 同盟関係にダメージ
→要記事

1997年3月16日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 4
楚辺通信所
賠償責任追わない米軍
住民無視の取り決めに怒り

1997年3月16日 琉球新報
米軍基地と日米安保 3 我部政明
5・15メモの特徴と疑問
「核兵器」の記述なく
より高いレベルの秘密か

1997年3月17日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 5
牧港補給基地
開発妨げる制限水域
撤廃要請もなしのつぶて
→牧港補給地区

1997年3月17日 琉球新報
米国人の生活風景 基地内のひとびと 10 島仲真貴子
「国歌」に直立不動
〝プロ意識〟に関心
→連載・基地

1997年3月17日 琉球新報
平和学習へ意欲みなぎる
ボランティアガイド養成講座
70人がフィールドワーク
修学旅行増加に対応
→沖縄戦

1997年3月18日 沖縄タイムス
南風原陸軍病院壕群
新発見の壕 保存を検討
貴重な手掘り構造
陸上競技場 工事と調整必要
病院壕群検討委
→沖縄戦

1997年3月18日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 6
天顔桟橋
弾薬船寄港、通知せず
施設局の姿勢に不信感

1997年3月19日 沖縄タイムス
改正特措法成立 基地問題の今後 2
実効性ない〝国内移転〟
基地そのものを抵抗のカードに
沖縄の痛み すり替え 返還の動き

1997年3月19日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 7
普天間飛行場
国内法無視した廃油処理
基地優先の運用に怒り

1997年3月20日 沖縄タイムス
改正特措法成立 基地問題の今後 3
「国の論理」浮き彫りに
「必要最小限」にも「問題視」の声なく
知事、暗然 政府の重圧 逮捕を利用

1997年3月20日 沖縄タイムス
沖縄 島々の創成 太古からのメッセージ 沖縄の聖地 300
渡嘉敷村字渡嘉敷 3 安里英子
集団自決跡地にたたずむ
いまだ癒えぬ魂たち
米軍、本島に先立ち 慶良間に上陸す
→沖縄戦

1997年3月20日 琉球新報
米軍基地と日米安保 6 我部政明
事前協議制の構造
「裏と表」の合意で機能
核再持ち込みも可能に

1997年3月21日 沖縄タイムス
改正特措法成立 基地問題の今後 4
地方の「抵抗権」奪う
県収用委に〝白旗〟求める首相の発言
名目は暫定 徹底論議を 審理は続く

1997年3月22日 沖縄タイムス
騒音「包囲網」を強化
航空機騒音測定オンラインシステム
米軍基地周辺
→嘉手納飛行場、普天間飛行場、那覇空港

1997年3月23日 沖縄タイムス
改正特措法成立 基地問題の今後 5
担保提供で「損失補償」
過去にも例なく憲法上も問題
問題点 無力感

1997年3月23日 沖縄タイムス
民主主義の殿堂に
読谷村新庁舎が落成
門柱に平和の郷・自治の郷

1997年3月23日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 8
キャンプ・シュワブ、辺野古弾薬庫
不安招く化学兵器疑惑
復帰前と同じ自由使用保障

1997年3月24日 沖縄タイムス
米軍・104号演習
異例の突然中止
「日程の変更」と続行示唆
→演習その他 キャンプ・ハンセン

1997年3月24日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 9
嘉手納弾薬庫
疑惑絶えない核兵器貯蔵
「住民生活への配慮ない」
→嘉手納弾薬庫地区

1997年3月24日 琉球新報
米国人の生活風景 基地内のひとびと 11 島仲真貴子
春は「買車」の季節
〝ピンキリ〟ずらり

1997年3月25日 沖縄タイムス
5・15メモの概要
北部訓練場 伊江島補助飛行場 キャンプ・シュワブ キャンプ・ハンセン 金武ブルー・ビーチ訓練場 嘉手納弾薬庫地区 楚辺通信所 読谷補助飛行場 天顔桟橋 キャンプ・コートニー トリイ通信施設 嘉手納飛行場 キャンプ瑞慶覧 ホワイト・ビーチ地区 普天間飛行場 鳥島射爆撃場 久米島射爆撃場 出砂島射爆撃場 沖大東島射爆撃場 海空軍訓練区域の指定

未公開文書の一覧

1997年3月26日 沖縄タイムス
断行 特措法改正 緊迫する「強制使用」 上
橋本と大田
思惑と苦悩が交錯
首相、安保体制維持に腐心
信頼と隔たり 実といらだち 異なる立場
→連載・基地

1997年3月26日 沖縄タイムス
「強権」再び 特措法改正へ 1
国の新たな土地強奪
〝改正〟に名を借りて
→連載・基地

1997年3月26日 沖縄タイムス
暫定使用と補償を本則明記
楚辺も不法占拠状態回避
特措法改正案の内容判明
→軍用地

1997年3月26日 沖縄タイムス
インタビュー
米海兵隊撤退に賛成 反対

マイク・モチヅキ 上級研究員
撤退で沖縄の負担軽減を
海空軍に緊急展開に重点

パトリック・クローニン米国防大教授
有事で血を流すのは米兵
柔軟な戦力の備えが必要

1997年3月27日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾による鳥島の環境汚染調査
未回収地域は10倍の数値
科学技術庁の原子力安全課 大森課長が発表

科学技術庁の話

→環境

1997年3月27日 沖縄タイムス
断行 特措法改正 緊迫する「強制使用」 中
反発と危機感
改正の違法性訴える
惑わされず、公開審理で
政府の怠慢 裏切りはない 混迷政局に関心

1997年3月27日 沖縄タイムス
「強権」再び 特措法改正へ 2
土地は国に盗まれた
所有権訴える地主ら

1997年3月27日 沖縄タイムス
基地の照明 星奪う
球陽高科学クラブ
光の公害を追及
動植物の生態にも影響
→環境

1997年3月27日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 10
嘉手納飛行場
全国一の爆音禍続く
米軍機運用の制限なし

1997年3月27日 琉球新報
騒音防止協定締結から1年
滑走路変更で悪化 北谷
嘉手納 宜野湾 微減だが実効性に疑問
→航空機騒音

1997年3月28日 沖縄タイムス
断行 特措法改正 緊迫する「強制使用」 下
埋まらぬ落差
苦悩といらだちの社民
「不法占拠」覚悟で論議を
与党・すれ違い 野党・混とん 政府、自民・譲歩も

1997年3月28日 沖縄タイムス
「強権」再び 特措法改正へ 3
中部一の農地だった
滑走路へと姿変える

1997年3月28日 沖縄タイムス
嘉手納地主会契約拒否
賛同の電話相次ぐ
施設局は戸惑う

無念さ晴らす
名嘉真会長の話

→強制収用 軍用地

1997年3月28日 沖縄タイムス
「もう土地は貸さない」
嘉手納の軍用地主
契約拒否へ立ち上がる
国の不当性もアピール
→強制収用 軍用地

1997年3月28日 琉球新報
識者コメント
特措法改正
法治国家の理念に反する
仲地教授 「多数者による専制だ」
収用委の意欲 そがぬか心配 新井章弁護士(前茨城大教授)
法治主義を破壊する改悪 室井力名古屋大名誉教授(行政法)
不遡及の原則に反する改正 新垣勉弁護士(反戦地主会弁護士)
→強制収用 軍用地

1997年3月28日 琉球新報
インタビュー
宝珠山前防衛施設庁長官
特措法改正は不要
海兵隊削減は時期尚早
途中でのルール変更 法治国家としてわがまま
→強制収用 軍用地

1997年3月29日 沖縄タイムス
「強権」再び 特措法改正へ 4
唯一の土地が国有に
「政府は沖縄捨てた」

1997年3月29日 沖縄タイムス
ニュース断面
嘉手納旧飛行場・地主11人 「契約解除」の狙い
法的効果は不透明
奪われた土地取り戻したい
インパクト 和解勧告 戦後処理
→強制収用 軍用地

1997年3月29日 沖縄タイムス
施設局誘致を決議
嘉手納町議会 「利便性高い」
→自衛隊

1997年3月29日 沖縄タイムス
沖縄市長
予約契約 拒否へ
陸自に提供の市有地
→自衛隊

1997年3月29日 沖縄タイムス
観光の一翼を 67人に認定証
平和・歴史ガイド
「広げたい平和の輪」
→沖縄戦

1997年3月29日 沖縄タイムス
悲しみは終わらない
戦争マラリア犠牲者の遺族 思い複雑
きょう追悼式

「自分の手で慰霊碑を」
波照間島出身の保久盛康さん

新しい出発点に
遅すぎた「決着」悔いも
幸せな生活築くよう
援護会の篠原武夫会長

→沖縄戦

1997年3月29日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 11
ホワイトビーチ
2年前に訓練を計画
使用認める記述なし メモ違反の指摘も
→ホワイト・ビーチ地区

1997年3月29日 琉球新報
「慰藉事業」終了へ
戦争マラリア問題
きょう慰霊碑除幕
遺族の戦後に一応の終止符
→沖縄戦

1997年3月30日 沖縄タイムス
「強権」再び 特措法改正へ 5
消えぬ戦争への憎しみ
耳を貸さない司法

1997年3月30日 沖縄タイムス
陸軍病院壕の保存(南風原町)
「戦跡文化財」どう活用
公開に向けた作業具体化
→沖縄戦

1997年3月30日 沖縄タイムス
対論 特措法改正
展望なく形式優先の政府

対論者
前田哲男・東京国際大学教授
田中明彦・東京大学助教授
基本認識 勝手なルール変更 「兵力構成」協議こそ課題
法改正の是非 基地固定化は問題 尊重されるべき財産権
政局への影響 再編のカギ握る正念場の社民党
→強制収用

1997年3月30日 琉球新報
総点検 在沖米軍基地 5・15メモの〝虚実〟 12
キャンプ・コートニー
陸上での訓練は違反
地域は「第2水域」に限定

1997年3月31日 琉球新報
米国人の生活風景 基地内のひとびと 12 島仲真貴子
軍人は〝20年定年〟
軍も再就職の手伝い

1997年3月31日 琉球新報
歴史をどう伝えるか 上 坂本多加雄
慰安婦記述への違和感
歴史教科書にまつわる常識
オーソドックス 特徴的事項とは 自覚化への努力

1997年3月31日 琉球新報
揺れる世界の中で 新崎盛暉
国際紛争と絡む「特措法」
アメリカ人の異常な多さ もはや米国に抗する力なし 安保を背景に対露強硬姿勢




  


Posted by 糸満のカッパ at 09:45

1997年2月

2015年07月14日 / 1997年新聞記事

1997年2月
1997年2月2日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
嘉手納基地の燃料流出
改善されぬ連絡体制
事故から5時間半も経過
→環境 嘉手納飛行場

1997年2月4日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 15 船越義彰
米軍目前、敗残兵も動揺
敵中突破し糸満を目指す
→連載・沖縄戦

1997年2月4日 琉球新報
世界最速の米輸送艦寄港
ホワイトビーチ
米豪合同演習に参加
→高速輸送艦カペラ ホワイト・ビーチ地区

1997年2月4日 琉球新報
嘉手納基地
爆音(70デシベル以上)2万3000回超す
2年連続増加 返らぬ静かな夜
→航空機騒音 嘉手納飛行場

1997年2月5日 沖縄タイムス
爆音 2万3千回
昨年1年の嘉手納基地 過去5年で最高
→航空機騒音 嘉手納飛行場

1997年2月5日 沖縄タイムス
随想
中国人になり損ねた先島の人々 上
久貝徳三
琉球国3分割の危機
日本が待遇改善で妥協案

1997年2月5日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 16 船越義彰
「生」への光明見出す
捕虜になることへの願望

1997年2月6日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 17 船越義彰
降伏勧告ビラに心揺れる
米軍の希望に繋がる言葉

1997年2月9日 琉球新報
臨港道路で消える特攻艇「秘匿壕」
平良市
埋もれた歴史 解明待たれる
別の壕群を史跡指定へ
「千円の棺桶」 市の手落ちを批判
→沖縄戦

1997年2月10日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 18 船越義彰
掃海艇に投降した兵士
日本軍が発砲…一瞬目を疑う

1997年2月10日 琉球新報
女性・平和行政推進室を新設
糸満市機構改革案まとまる

1997年2月11日 沖縄タイムス
データ待ちで「遅れ」
劣化ウラン弾誤射
外務省・科技庁
「積み込み場所」不明
必要なら調査,回収も

政府としてデータ分析
外務省が釈明

無人島でも安心できない
「情報公開法でとらえた在日米軍」「隠された核事故」などの著書がある梅林宏道氏の話

解説
「強制使用問題」に波及か 米軍、政府への不信増幅

→環境 鳥島射爆撃場 重要記事

1997年2月11日 沖縄タイムス
使用禁止弾なぜ国内に
実射3回も
ずさん管理 露呈
通報体制、機能せず

改善は言葉ばかり
県、日米政府に抗議の構え

劣化ウラン弾誤射 経緯と政府見解
概要(米側からの連絡) 米側との協議の経緯 安全性 政府の取り組み 注、核兵器に該当せず

1997年2月12日 沖縄タイムス
米軍報道部との一問一答
「カタログの誤りだった」
劣化ウラン弾誤射
使用禁止ではなく有事以外は不使用

1997年2月13日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾と知って使用
日本で禁止の記載漏れ
在日米大使館が田英夫氏らに
「有事に必要」と米大使館側

1997年2月13日 沖縄タイムス
照射 復帰後25年の沖縄 11 吉浜忍
地域史と沖縄戦記録 上
若者参加で体験を継承
南風原町12字すべてを調査
悉皆法で 時間との闘い
→連載・沖縄戦

1997年2月14日 沖縄タイムス
照射 復帰後25年の沖縄 12 吉浜忍
地域史と沖縄戦記録 下
平和教育を率先し実践
地域での実体験視座に
若者の戦争認識 発見の連続

1997年2月14日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾誤射 米海兵隊訓練の衝撃 2
主権
事故の発生をひた隠し
冷戦後も変化ない 被害は常に住民
遅れる公表 事態は異常
→連載・基地

1997年2月14日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 21 船越義彰
艦砲射撃で重傷負う
米海兵隊の手当て受け病院に

1997年2月15日 琉球新報
衝撃 劣化ウラン弾実射 中
米側の認識
通報遅れで三重の過ち
海兵隊 公表の必要性認めず

1997年2月16日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾誤射 米海兵隊訓練の衝撃 3
不信感
県民、国民全体の問題に
水産業や特養施設 なぜ犠牲強いる
海の強制使用 夜間の避難訓練 平和な時代なのに

1997年2月17日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾誤射 米海兵隊訓練の衝撃 4
危険性
放射性物質を軍事利用
安保優先 国内法では規制
湾岸戦争で使用 原因不明の病気 核兵器と紙一重

1997年2月17日 沖縄タイムス
地主たちは今〝法の空白〟から20年 1
宜保幸男さん 初代違憲共闘議長
違憲訴え全国行脚
悔しかった〝あの日〟胸に
100カ所回った 立ち入り拒否 30分の1に激減
→連載・戦後史

1997年2月18日 琉球新報
出砂島にも
〝猛爆〟の跡
→写真特集ページ

1997年2月18日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾誤射 米海兵隊訓練の衝撃 5
見解
通常兵器の施設内事故
通報すべき 県民に被害の恐れ
通報義務はない 闇に葬られた 沖縄が差別待遇

1997年2月18日 沖縄タイムス
地主たちは今 〝法の空白〟から20年 2
上原祥典さん 77年、法の空白突き那覇基地に立ち入り
返還後も自由なく
土地は平和のため使う

1997年2月19日 沖縄タイムス
象のオリに立て看板
不法占拠日数を表示、糾弾
知花さんら
→知花昌一氏 強制収用 軍用地

1997年2月19日 沖縄タイムス
地主たちは今 〝法の空白〟から20年 3
東江宗照さん 伊江村軍用地地主会副会長
見返り事業で潤い
自宅も「地料のおかげ」
戦争は当然嫌 返還に無関心 この島は複雑

1997年2月20日 沖縄タイムス
久米島 被ばくの可能性も
矢ヶ崎琉大教授まとめ 風向、風速で試算
劣化ウラン弾発射
懸念される人体、環境汚染

試算の概要

→環境

1997年2月20日 琉球新報
公開審理Q&A 高校生と教師の対話 上
土地を強制的に借り上げる手続き
収用委員会って何だろう 土地取り上げ法
→強制収用

1997年2月20日 沖縄タイムス
地主たちは今 〝法の空白〟から20年 4
真栄城玄徳さん 反戦地主
常に沖縄の視点で
再び盛り上がる大衆運動
子供らの成長 根底に父の死 満足げな表情

1997年2月21日 沖縄タイムス
国際都市形成基本計画案 21世紀のグランドデザインから 2
北部圏
自立的な圏域を形成
自然環境の保全を考慮
→跡地利用

1997年2月21日 琉球新報
久米島 慶良間 本島 放射能汚染の可能性
劣化ウラン弾事件
微粉末のウランが風で陸に、と指摘
琉大の矢ヶ崎克馬教授
「米軍の調査報告 信頼できない」
→環境

1997年2月21日 琉球新報
米海軍特殊部隊 92年から県内駐留
海兵隊と密接に連携
1小隊16人配備

ベローウッド配備とも符合
『情報公開法でとらえた沖縄の米軍』の著書梅林宏道氏の話

→ホワイト・ビーチ地区

1997年2月21日 公開審理Q&A 高校生と教師の対話 下
期限切れ確実だが…
使用期限が切れたら 法改正で解決するか
→強制収用

1997年2月21日 沖縄タイムス
地主たちは今 〝法の空白〟から20年 5
内間清子さん 反戦地主
労災認定勝ち取る
休憩わずかの基地労働
体むしばまれ 見る影ない墓 痛みこらえて

1997年2月22日 琉球新報
基地排水管にPCB
沈殿物から検出 環境基準の7万倍
キャンプ瑞慶覧
→環境

1997年2月22日 沖縄タイムス
「今ごろなぜ」「影響は」「基地管理の劣化だ」
高濃度PCBに怒りと不安
北中城村長 週明けに対応協議
→環境

1997年2月22日 沖縄タイムス
国も収用委の姿勢評価
強制使用の第1回公開審理
政府 「不法占拠状態」つくらぬ
特措法改正案国会提出 審理状況見て判断

採決申請の所有者、期間一覧

抵抗は沖縄の必要なカード
宮里政玄・独協大教授(国際関係論)の話
→強制収用

1997年2月22日 沖縄タイムス
様変わりの「審理運営」
解説
〝違憲性〟どこまで追及

ニュース断面
公正中立に期待感も
地主側「だが、幻想持たぬ」
混乱なく整然と 信頼関係は否定 これが本来の形

米軍用地強制使用手続き

→強制収用

1997年2月22日 沖縄タイムス
公開審理への期待
仲地博 琉大教授(行政法)
国民の前で建設的論議を
立法的方法は沖縄差別法
→強制収用

1997年2月22日 沖縄タイムス
公開審理傍聴記
江上能義
国に誠意感じられない
→強制収用

1997年2月22日 沖縄タイムス
制限域内の取材を拒否
外務省「調整の手違い」
→米軍の劣化ウラン弾誤射事件で鳥島射爆撃場周辺海域。環境。

1997年2月23日 琉球新報
県道との段差が10メートル以上
キャンプ瑞慶覧の返還予定地を視察
街づくりは不可能
約30% 文化財分布の緑地帯
宜野湾市議会と宜野湾市軍用土地等地主会
→跡地利用 西普天間地区

1997年2月25日 沖縄タイムス
〝増殖〟
イマイユ「売れん」
観光シーズン 影響も懸念
→米軍の劣化ウラン弾誤射事件 環境。

1997年2月26日 沖縄タイムス
米軍 ずさんな護岸工事
泡瀬通信施設
土砂流出、海を汚す
漁協 「やりたい放題」と怒る
→環境

1997年2月26日 琉球新報
今度は排水たれ流し
米軍泡瀬通信施設 護岸工事区域内
池からポンプで海へ
漁民「非常識すぎる」
土砂流出調査で判明
→環境

1997年2月26日 沖縄タイムス
「鳥島」環境調査
放射線量は異常なし
陸上の直接調査も検討
→科学技術庁の調査 環境

1997年2月27日 琉球新報
キャンプ瑞慶覧PCB検出問題
「ごく少量」強調する米軍
認識の甘さ露呈
→環境

1997年2月27日 琉球新報
台湾2・28事件と沖縄 上 又吉盛清
失業者あふれ、米飢饉も 解放後の台湾
背景に長官公署の腐敗

1997年2月27日 沖縄タイムス
大転換沖縄 第2部 きしむ制度 27
高率補助
分権への取り組みを
問われる自治体の主体性

1997年2月28日 沖縄タイムス
土砂、油 海に流出
泡瀬通信所護岸工事 県と沖縄市が調査

問われる直轄工事

→環境 泡瀬通信施設

1997年2月28日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
沖縄と韓国の交流に想う
訪沖団の若さに強い印象
新しい闘い、新しい世代が…
ほとんど20歳、30歳代 大きく変わった韓国 連帯に逆行の動きも 交流に新しい可能性

1997年2月28日 琉球新報
台湾2・28事件と沖縄 下 又吉盛清
県人の犠牲は30人以上
〝加害者〟としての側面も




  


Posted by 糸満のカッパ at 12:20

1997年1月

2015年07月13日 / 1997年新聞記事

1997年1月1日 沖縄タイムス
最大のネックは海兵隊
具体性欠く駐留根拠
沖縄全体が〝灰色の艦隊〟
規模 戦略
二者択一の重要な年に
駐留

海兵隊が撤退すると!!

1997年1月1日 沖縄タイムス
基地の整理‣縮小なお遠く
アジア‣太平洋の主な米軍駐留
米海兵隊の主な配備
特異な〝厚遇〟基地

1997年1月1日 沖縄タイムス
多国間安保 新時代
アジア安保の〝元年〟に
第一段階は合同海軍?
米の戦力見直し引き金に
沖縄の基地縮小も連動
米海兵隊は削減へ 第2弾は多国籍軍 司令部に佐世保も

当初は日米安保と並立へ 志方俊之帝京大教授(元陸上自衛隊北部方面総監)
多国間安保は歴史の流れ 中西輝政京大教授(国際政治論)

アジアの安全保障体制

1997年1月1日 沖縄タイムス
インタビュー
どう進む米戦略
梅林宏道さん 太平洋軍備撤廃運動国際コーディネーター
「前進配備」要らない
欺まん的なSACO報告

1997年1月1日 沖縄タイムス
インタビュー
沖縄基地の方向性
佐久間一さん 防衛庁顧問
冷戦時より高い軍事価値
対応誤ると日米破たんも

1997年1月4日 沖縄タイムス
新‣基地縮小論 兵力削減の行方 1
安保論議
「駐留なき安保」を模索
誇張される片務性 海兵隊撤退の壁に
削減論への反発 知事訪米の効果
→連載・基地

1997年1月4日 琉球新報
軍用地に庁舎建設
長年の夢実現 運動の成果
読谷村,4月業務開始

都市機能集積 活性化の核に
北谷町,来年3月完成

→軍用地

1997年1月5日 沖縄タイムス
新‣基地縮小論 兵力削減の行方 2
駐留の理由
説得力欠く脅威論
「異常な状態」を放置 説明しない両政府
ペリー長官の見方 第一波の役割

1997年1月6日 沖縄タイムス
新‣基地縮小論 兵力削減の行方 3
上陸訓練
小規模な紛争対応型に
ソマリアで同様の上陸作戦を実行
米民間人救出を想定 平和維持活動前面に

1997年1月7日 沖縄タイムス
めど立たない賠償
母子3人交通死から1年
「娘のうわ言が辛い」
→北谷町北前の58号線での交通事故。女性米兵の運転する車が母子3人をはね、死亡させる。米兵事件・事故

1997年1月7日 沖縄タイムス
新‣基地縮小論 兵力削減の行方 4
部隊編成
海兵隊の半減 可能
「数年のうちに」と上級司令官が証言
実態はMEU規模 格安の部隊配置

1997年1月8日 沖縄タイムス
新‣基地縮小論 兵力削減の行方 5
ビンのふた論
体制維持 日本も希望
沖縄を自由使用に健全ではない現状
自主規制する政府 駐留なき安保論も

9日 沖縄タイムス
127万人の実験 第3部 跡利用への課題 42
泡瀬ゴルフ場
反発 期待 地主に明暗
旧東恩納弾薬庫地区の一部返還 「使い道ない土地」
施設はそのまま 初の民間転用に ゴルフ場
移設が本格化 9割余が理解 とどかぬ苦悩

米軍財産 交渉しだいで払下げも

メモ
旧東恩納弾薬庫地区

→跡地利用

1997年1月10日 琉球新報
海老原さん交通死亡事故
被告米兵,転勤で帰国
遺族,損害賠償に支障と反発
→米兵事件・事故

1997年1月12日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
基地従業員の雇用対策
県は具体策示す段階
配置転換手法では限界
玉城清氏 全駐労沖縄地区本部委員長
→軍作業

1997年1月15日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 1 船越義彰
与座岳の洞窟で避難生活
突然の軍命,追い出される
→連載・沖縄戦

1997年1月16日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 1 石川真生
外人バーは今
カンコ鳥が鳴いているよ
→普天間飛行場移設

1997年1月16日 沖縄タイムス
127万人の実験 第3部跡利用への課題 43
基地行政
求められる連携 組織
従来にないパターンで
跡利用問題で密接不可欠な 国,県 市町村 地主
専門家の設置 異なる事情 国と県の課題

フィリピン視察 「跡利用の参考に」と続々

メモ
返還プログラム

→跡地利用

1997年1月16日 琉球新報
普天間返還 代替基地の波紋 1
立ち上げる辺野古区民
「自分の手で地域守る」
押し付けはいじめの構図
→連載・基地

1997年1月17日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 2 石川真生
おばさんパワー
海は辺野古の財産だよ

1997年1月17日 琉球新報
普天間返還 代替基地の波紋 2
立ち上がる辺野古区民 2
なぜ普天間の身代わりに
米軍ヘリの音は安眠妨害の凶器

1997年1月18日 沖縄タイムス
米海兵隊の県道104号越え砲撃演習
阻止行動で逮捕者も
24年間 実結ぶ反対の〝のろし〟
→キャンプ・ハンセン

1997年1月18日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 3 石川真生
クリーニング屋
街は静かな方がいい

1997年1月18日 琉球新報
普天間返還 代替基地の波紋 3
立ち上がる辺野古区民 3
住民投票で決着を
地域活性化は良い環境の保護

1997年1月19日 沖縄タイムス
普天間基地内の文化財調査(宜野湾市)
予算,人員確保が課題
文化庁も積極支援を
→普天間飛行場

1997年1月21日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 4 石川真生
車いすの青年
苦しむ人もいるんだよ

1997年1月21日 琉球新報
憲法の制定過程と沖縄 下 古関彰一
少数者の視点忘れるな
現代を未来へとつなぐ
→獨協大学教授・憲法学

1997年1月22日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 5 石川真生
豊原のウミンチュ
漁協の決定にまかせる

1997年1月23日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 6 石川真生
揺れるウミンチュ
今は何も言えない

1997年1月23日 沖縄タイムス
入居率ワースト1
嘉手納町の県営高層住宅
46.7% 「基地うるさい」と若者敬遠
町商工会報告
町のイメージ 6割が「爆音」
→航空機騒音 嘉手納飛行場

1997年1月24日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 7 石川真生
豊原の農家
ヘリの音は命を縮める

1997年1月24日 沖縄タイムス
照射 復帰後25年の沖縄 5 高嶋伸欣
教科書と沖縄 上
意義大きい沖縄戦出題
センター試験で〝事実〟提示
「復帰は運動の成果」 消えた教科書記述
→教科書

1997年1月24日 沖縄タイムス
海上ヘリ新段階へ 政府正式要請の波紋 3
地元の不信感
市長の拒否に含み
→普天間飛行場移設

1997年1月25日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 8 石川真生
おじさんパワー
反対する会をつくろう

1997年1月25日 沖縄タイムス
この人
与儀正仁さん(64)北谷町砂辺自治会長
爆音下,地域文化はぐくむ
→航空機騒音 嘉手納飛行場

1997年1月25日 沖縄タイムス
基地から大量の油
沖縄市白川 米軍が回収作業
→嘉手納飛行場 環境

1997年1月25日 沖縄タイムス
照射 復帰後25年の沖縄 6 高嶋伸欣
教科書と沖縄 下
従軍慰安婦の次は沖縄戦
拡大する「攻撃」の動き
新聞と緊密な関係 背後に政治家ら

1997年1月25日 沖縄タイムス
海上ヘリ新段階へ 政府正式要請の波紋 4
埋め立て案
業者の思惑見え隠れ

1997年1月25日 琉球新報
水上特攻艇の秘匿壕 現地保存を答申
平良市文保審議会
戦跡として貴重
下崎地区臨港道路予定地
事前協議なかった 市「計画変更は困難」
→沖縄戦

1997年1月26日 琉球新報
戦跡の史跡指定を検討
上野村 平良市 伊良部町が作業進める
地籍,地権者の同意など課題

1997年1月28日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 9 石川真生
労組の委員長
基地がすべて北部にくるよ

1997年1月28日 琉球新報
安保再定義後の米戦略
前田哲男東京国際大教授に聞く
在沖米海兵隊は不要
朝鮮有事に抑止力なし
2国間条約は多国間協力に移行 自衛隊が米軍の後方支援部隊に

1997年1月29日 沖縄タイムス
地元に言わせてよ 海上ヘリポート案 10 石川真生
建設阻止協議会
辺野古の心を一つにしよう

1997年1月29日 琉球新報
沖縄戦の実相 帝国議会速記録を読む 上 石原昌家
事実認識欠く新聞報道
沖縄放棄が根絶を回避
→連載・沖縄戦

1997年1月30日 琉球新報
沖縄戦の実相 帝国議会速記録を読む 下 石原昌家
「捨て石」は当初の方針
原爆投下の要因にも

1997年1月31日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
理念喪失の時代に 歴史に何を学ぶか
人間の尊厳守る「社会」
映画「大地と自由」が描いたもの
目指したものは何か 共感呼んだ大田語録 スペイン内戦の意義 「明日は我々のもの」

1997年1月31日 琉球新報
米海兵隊がヘリ降下訓練
ブルービーチ



1997年1月不明 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 2 船越義彰
夜明けの泥の道 糸満へ
白銀堂にひしめく避難民

1997年1月不明 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 3 船越義彰
戦場の狂気次元を体験
足元に転がる人間の胴体

1997年1月不明 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 5 船越義彰
ひた歩く沈黙の避難民
照明弾に照らされる死体

1997年1月不明 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 6 船越義彰
激しい砲撃で犠牲者
肉体を走る「死」の恐怖

1997年1月不明 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 8 船越義彰
初めての星条旗に衝撃
濃藍の海を切り裂く軍艦

1997年1月27日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 9 船越義彰
あいまいな壕での記憶
岩しずくが私の命の水

1997年1月28日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 10 船越義彰
「玉砕」を無意識に拒否
「死が怖い」と若い下士官

1997年1月29日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 11 船越義彰
「玉砕」を口にする兵士
「死の恐怖」は胸の奥に

1997年1月30日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 12 船越義彰
たち込める臭気
転がる死体に思わず合掌


1997年1月31日 沖縄タイムス
戦場彷徨19日 13 船越義彰
人間の生活ではない
顔にぶつかる青バエ




  


Posted by 糸満のカッパ at 10:29

1999年12月

2015年06月17日 / 1999年新聞記事

1999年12月1日 琉球新報
きょうから解体工事
立法院棟
県、年内撤去の方針
市民グループ 反発、座り込みへ

問題経過

1999年12月1日 琉球新報
独駐留NATO軍の環境問題
基地内の調査 浄化命令完備
県の海外調査検討委
50年残存の汚染も

1999年12月1日 琉球新報
那覇市議会
管制権の返還要請を決議
「安全確保が最優先」

1999年12月1日 琉球新報
基地従業員募集―
長~い列
雇用の厳しさ反映

1999年12月1日 琉球新報
波紋 普天間移設先決定 6
軍民共用
航空機整備場を検討
国立高専とのセット模索
「辺野古でいいか」 「机上の論理」

1999年12月1日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 7
振興策
期待感膨らむ首長ら
「基地とのリンク」と懸念も

1999年12月1日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
大田昌秀氏 前県知事
不明解な軍民共用
「ツケ」は子や孫に

1999年12月1日 沖縄タイムス
当事者が語る 普天間の実相 中
斉藤邦彦前駐米大使
米、慎重に関与避ける
稲嶺知事誕生にも冷静
日米関係 海上基地 サミット

1999年12月2日 琉球新報
岸本名護市長 受け入れ後、辞任も
「普天間」移設
再出馬で信問う
「選択肢の一つ」と明言

1999年12月2日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
「普天間」移設問題
どう選択する岸本市長
意思表示には重大な決意
最終決断時期は年末か年明けに

1999年12月2日 琉球新報
単眼複眼
「普天間」移設先発表から1週間余
市長との会談設定に迷走
県の姿勢に与党からも批判

1999年12月2日 琉球新報
平和祈念施設の在り方を考える 井上邦雄
平和祈念堂と新平和資料館
県民の悲願が結実 相互補完的運営を

1999年12月2日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 8
久辺の思い
「市長の動き」を注視
複雑な事情抱える3区

1999年12月2日 沖縄タイムス
当事者が語る 普天間の実相 下
村田直昭 元防衛事務次官
既にあったシュワブ案
米、機能維持を強く要求
移設先 基地機能 返還の意義

1999年12月3日 琉球新報
「苦渋の選択」に抗議の声
稲嶺―岸本会談
窓たたき、怒号飛ぶ
会談、10分で終了

知事の名護入りは当然
荻堂商工会長

出直し選挙に慎重
岸本市長

1999年12月3日 琉球新報
解説
北部に新たな負担
知事、遅れた現地入り
現在の基地軽減も図るべき

会談要旨

1999年12月3日 琉球新報
反対派
「姑息なやり方だ」
会場外で押し合い

「形式的」と冷静な対応
辺野古周辺

1999年12月3日 琉球新報
波紋 普天間移設先決定 7
跡利用
立法措置で知事決断促す
地主補償の「担保」に注目
政府の狙い 次回政策協に期待

1999年12月3日 沖縄タイムス
21世紀への再定義 差異と境界 上
二項対立の乗り越え模索
揺れ続けた沖縄の自己像
時計の振り子 心情的な遠心力 大陸にかかる虹

1999年12月4日 沖縄タイムス
寄稿
平良修
非暴力平和主義を知ろう

1999年12月4日 琉球新報
エッセー 風流無談
選択の重み
目取真俊

1999年12月4日 琉球新報
ガンジーの非暴力と平和憲法の理念 高良鉄美
県民が再認識すべき「積極的非暴力」の力

1999年12月4日 琉球新報
「普天間」移転候補地
15年使用に当惑の米
サミット混乱回避優先か

1999年12月4日 琉球新報
北部振興の県姿勢を確認
岸本市長一問一答
地域の意向は聞く
「普天間」十分検討したい

稲嶺知事インタビュー
理解と協力求めたい

政府
今後の協議見守る
岸本市長の動静を注視

知事と市民対話の必要性認める
名護市議会与野党

「今は見守るしかない」
比嘉宜野湾市長

1999年12月4日 琉球新報
ビエケス島米軍訓練場
「5年以内に閉鎖」
住民の反対で大統領決定

プエルトリコ知事は拒否
即時停止求める

1999年12月4日 琉球新報
解説
沖縄への波及懸念
ビエケス島射爆訓練
住民要望受け入れた米軍

1999年12月4日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
受け入れに強く踏み込む
岸本市長判断に熱視線
年内決着へ状況整う
北部の意向も重要要素に
知事 好感触に安ど感
官邸筋 「市長したたか」
融和ムード 安どする県 ハードルは下げず 

1999年12月4日 琉球新報
県議会定例会
辺野古移設が焦点
7日から代表質問

1999年12月4日 琉球新報
緊迫度高まる賛否両派
辺野古移設
市長へ撤回求める
県民会議 各区へも協力要請

移設反対再度確認
二見以北十区会

1999年12月4日 琉球新報
反対派 知事へ批判集中
名護の商工漁業関係者90人
混乱回避で動員
移設容認派

1999年12月4日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 32 我部政明
福田・ケネディ会談
日本政府の全面的負担要求
財政問題で秘密裏に事前交渉
回答の場 時価補償を主張 基地移転前向き 議会説得のため

1999年12月4日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 9
もうひとつの地元
「負担増」と渋い村長
振興より子供に未来を
県内移設のはざま 孤立の不安

1999年12月5日 琉球新報
沖縄20世紀の光芒 通年企画 48
抑圧への抗議―コザ騒動
基地、軍人優先で反感爆発
いまだ続く異常な生活
「黄色」を狙え 二の舞い危ぐ 積年の怒り 日米関係懸念 閉じた〝回路〟

コザ騒動ドキュメント

識者の視点
我部政明氏 琉球大学教授
生活者の声を政治の場に

1999年12月5日 琉球新報
ひと
人生の半分以上を労働運動に
連合沖縄会長に就任した 玉城清さん

1999年12月5日 琉球新報
「普天間」移設対談
玉城氏 毅然と日米政府に
比嘉氏 移設へ理解深まる

県の選定作業
知事訴えで基準示した 比嘉氏
県民に閉ざされた県政 玉城氏

15年期限
設定、無理ではない 比嘉氏
半永久的に置かれる 玉城氏

サミット
基地に左右されず 比嘉氏
年内決着でリンク 玉城氏

県内移設の見解
県民無視の決定 玉城氏
選挙公約の実行 比嘉氏

住民投票との整合性
危険度を除く選択 比嘉氏
無条件返還すべき 玉城氏

クロス討論 県内移設
壮大なフィクション 玉城氏
可能性求めてトライ 比嘉氏

→比嘉良彦県政策参与 玉城義和県議

1999年12月5日 琉球新報
「子供の未来が心配」
普天間移設反対集会
「拒否」訴え 熱気
反基地運動へ連帯強化
名護

1999年12月5日 琉球新報
ビエケス島射爆場閉鎖
「基地撤去は可能」
市民団体の運動に弾み

1999年12月5日 琉球新報
社説
ビエケス島
反基地運動に屈した米国

1999年12月5日 琉球新報
沖縄活性化委員会 林志行
44 基地問題を考える 1

1999年12月5日 沖縄タイムス
当事者が語る 普天間の実相
大田昌秀前知事
移設容認は無責任
通じなかった沖縄の歴史
最後の会談 首相と再会 責任回避

1999年12月5日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 10
名護市民投票
拘束されず―と県、市
「民意生き続ける」の指摘も

1999年12月6日 琉球新報
知事とヘリ基地反対協の対話調整
報道陣シャットアウト
批判の中 また〝密室〟

1999年12月6日 琉球新報
基地返還実現は安波訓練場だけ
SACO合意から3年
3施設進展、7施設は先行き不透明
「普天間」年内受け入れ焦点
「15年」の折衝も注目

SACO最終報告で返還・統合が合意された11施設の現況

1999年12月6日 琉球新報
立法院棟の解体工事始まる 占領下の政治舞台消える

1999年12月6日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 28
世紀末・沖縄とヤマト 上 新川明
お題目の「軍民共用」
米軍の後は〝日本国軍〟か
二つの事件 「無知」か「無恥」か 歴史への洞察力

1999年12月6日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 11
サミットを前に
慌ただしい経済団体
賛成、反対両派の対立再燃も

1999年12月7日 琉球新報
立法院棟
玄関など一部保存
再生の会提案 県が方針転換

1999年12月7日 琉球新報
大山朝常氏をしのぶ
市民の生活を最優先
「沖縄市」誕生に尽力

きょう 沖縄市葬

大山朝常氏の歩み

追悼
玉山憲栄
「行政は企業」を貫く

1999年12月8日 沖縄タイムス
歴史的体験と展示 県新平和祈念資料館をめぐって 上 星雅彦
沖縄戦の実相描く
平和求める心が根底に

1999年12月8日 琉球新報
県議会
資料提出めぐり空転
普天間問題 野党が一般質問拒否
→普天間飛行場の候補地選定過程資料。

1999年12月8日 琉球新報
単眼複眼
普天間移設の県答弁
選定過程は依然見えず
〝外圧〟で資料開示へ
県議会

1999年12月8日 沖縄タイムス
沖縄 戦争童話集に
忘れてはイケナイ物語り
作家野坂さん 執筆で映像化
来年夏、完成予定
→「戦争童話集忘れてはイケナイ物語り『沖縄編をつくる会』」

1999年12月9日 沖縄タイムス
歴史的体験と展示 県新平和祈念資料館をめぐって 中 安里英子
課題多く将来に不安
開館後の運営に論議なし

1999年12月9日 琉球新報
「要石」発言に原告側が反発
収用委採決取り消し訴訟
→軍用地の強制使用裁決。

1999年12月9日 琉球新報
現段階では確約できず
「普天間」代替の15年使用期限
青木長官、河野外相が表明
決定後、県、市と協議
参院予算委

1999年12月9日 琉球新報
単眼複眼
県「内部問題」と開き直り
普天間移設選定過程
県議会空転の舞台裏
資料提出要求崩さず 野党
不完全では誤解招く 与党
攻め手 生の資料は拒否

1999年12月9日 琉球新報
首里城内の文化財 宮里朝光
戦争中の文化財保護
壕などに宝物を避難
軍司令部は無関心、協力せず

1999年12月10日 琉球新報
県民に反省促す
米軍の犯罪率 2分の1と指摘
県議会で牧野副知事
事実の誤認と伊波氏が批判
→牧野浩隆副知事 伊波洋一県議

1999年12月10日 琉球新報
嘉手納弾薬庫地区域
米軍の軽飛行機 不時着
乗員4人は無事
エンジントラブル 両翼など一部損壊

極めて遺憾
稲嶺恵一知事の話

1999年12月10日 琉球新報
「住民巻き込む恐れ」
米軽飛行機不時着
飛行中止過去2度要請
憤る周辺首長ら

1999年12月10日 琉球新報
米軍軽飛行機の不時着事故
資格取得前の飛行も
周辺自治体から批判
原因調査本格化 県は再発防止要請

米軍に申し入れ
青木官房長官

1999年12月11日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 33 我部政明
一括払いか 個別払いか
金額めぐる交渉が難航
米国務省11億ドル強を要求
国会対策上の積算根拠 柏木、一括払い批判

1999年12月11日 琉球新報
米軍軽飛行機不時着事故
119人が日常的に飛行
ライセンス取得前の訓練
〝特権〟措置に批判の声

1999年12月11日 琉球新報
名護市議会の「普天間」容認決議
本会議提出見送りか
政策協日程影響 年内の「市長決断」微妙

17日に沖縄政策協開催

1999年12月11日 沖縄タイムス
「苦渋」の中身 名護からの問いかけ 上
なぜ辺野古なの?
あいまいな判断基準
与党市議も県に不信感

1999年12月12日 琉球新報
「普天間」代替
政府、北部振興で予算特別枠
100億円前後を想定
移設受け入れ後押し

1999年12月12日 琉球新報
「普天間」移設 梅林宏道氏に聞く
もっと幅広い選択可能
軍事より人権、環境が優先

1999年12月12日 琉球新報
紙面批評 新報を読んで 仲原弘哲
声上げる市民に希望
自信と誇りを演出する紙面

1999年12月12日 琉球新報
沖縄20世紀の光芒 通年企画 49
民主主義に程遠く―異民族支配
一貫した「基地維持」政策
日本が認めた米軍優先
赤い市長追放 自治は「神話」 不当な理由 基地は「作物」 「格差」今も

米国統治関連年表

識者の視点
宮里政玄氏 沖縄対外問題研究会代表
「安保」越えた論理主張を

1999年12月12日 沖縄タイムス
「苦渋」の中身 名護からの問いかけ 中
工法は? 規模は?
青写真さえ見えず
騒音への懸念も広がる

1999年12月13日 琉球新報
辺野古移設
自然環境に悪影響
WWFJ職員視察 保護団体を支援へ

1999年12月13日 琉球新報
米軍
父島、硫黄島にも核兵器
機密文書裏付け 返還後も再配備密約

1999年12月13日 琉球新報
岸本市長 「市議の議論に注目」
名護市議会
「普天間」に質疑集中
15年「いいこと」

振興策の担保必要
北部首長ら鈴木氏に要望
→鈴木宗男自民党総務局長

移設先振興策要請のため上京
牧野副知事

北部振興策 具体化急ぐ
青木官房長官

1999年12月14日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 30
「新ガイドライン法」下の臨戦下 前田哲男
「無数の普天間」への道
周辺事態の人身御供に
平和憲法・人権の最後の鼓動 5兆円の防衛予算 世紀越す〝安保植民地・沖縄〟

1999年12月14日 沖縄タイムス
歴史的体験と展示 県新平和祈念資料館をめぐって 下 新城俊昭
虐殺どう伝えるか
事実を直視するために

1999年12月14日 琉球新報
岸本市長、年内受け入れ
普天間移設
知事と非公式会談
国の振興策に手ごたえ
表明後に閣議決定へ

新法は全基地対象
跡地利用で青木長官明言
衆院沖特委

1999年12月14日 琉球新報
60年安保改定時
核持ち込みで議事録
小笠原交渉米文書指摘 沖縄返還でも援用

1999年12月14日 沖縄タイムス
ヘリ基地建設に揺れる町 1 写真・文 石川真生
家族で反対する瀬嵩の東恩納さん
孫のため、今やらんと

1999年12月15日 琉球新報
継続使用を検討
米軍旧東恩納弾薬庫
自衛隊射場など視野
施設局、前向き回答
市有地20年契約 沖縄市側の条件判明

1999年12月15日 琉球新報
普天間移設先振興策
法整備へ最終調整
政府、財源確保など柱
「新規立法」なお流動的

1999年12月15日 琉球新報
シュワブ水域内
米軍が降下訓練
県など反発 「SACO合意に反する」

1999年12月15日 沖縄タイムス
ヘリ基地建設に揺れる町 2 写真・文 石川真生
賛成派・豊原の土木建設業者の妻
若者の働く場ほしい

1999年12月15日 琉球新報
目で見る東京のなかの台湾 上 又吉盛清
植民地支配の史跡巡る
軍都中心に政策・方針決定

1999年12月16日 琉球新報
「普天間」移設で岸本名護市長
条件付きで年内表明
最終判断は工法決定後に

1999年12月16日 琉球新報
普天間代替地
久辺三区が影響当該地域
市議会で市長が初の言及

1999年12月16日 琉球新報
米軍、また降下訓練 キャンプシュワブ

パラシュート開かずに落下?
名護市民が目撃

1999年12月16日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
「辺野古」年内受け入れ
岸本市長、政府と直接交渉
振興策で確約得る

1999年12月16日 沖縄タイムス
「苦渋」の中身 名護からの問いかけ 下
振興策は?
北部の「夢」政治頼み
地元に国、県への不信

1999年12月16日 沖縄タイムス
ヘリ基地建設に揺れる町 3 写真・文 石川真生
夫婦で反対する辺野古の照屋さん
静かに暮らしたい

1999年12月16日 目で見る東京のなかの台湾 下 田村志津枝
身近にある台湾統治の影
皇太子の瑞竹、乃木総督の墓

1999年12月17日 琉球新報
普天間移設 選定資料
たったこれだけ?
名護市 賛成、反対両派が批判
「決定理由分からない」

名護市に拒否訴え
退職女教師の会

名護市の賛成2派
共同歩調取りやめ
工法めぐる食い違い

1999年12月17日 琉球新報
玉城村史編集委員
戦時中の壕跡を視察
再来年出版へ詳細な調査

1999年12月17日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 31
アジアの中の日本・沖縄 郭承敏
「戦争をする国」へ回帰
資料館問題 歴史隠す〝見え消し〟
〝君が代少年〟と〝勅語おばさん〟 皇民化中毒症 動物的忠誠心 歴史のキーワード

1999年12月17日 沖縄タイムス
元米兵、戦争語り部に
→アレン・ネルソン氏

1999年12月17日 琉球新報
具体性に乏しい内容
普天間移設選定資料公表
選外6候補地 騒音影響など懸念
産業振興 臨空港産業立地の可能性
野党反応 「納得できない資料」 あらためて県追及へ

選定資料公開を受けて 我部政明
極めてお粗末な説明

1999年12月17日 琉球新報
移設候補地の比較表
→辺野古沿岸域、津堅東沿岸域、高江北方、辺野古陸上、カタバル沿岸域、与勝沖、伊江島

普天間飛行場移設候補地の選定作業経緯
第一段階 第二段階 最終段階

「普天間」問題の経過

移設先・周辺地域の振興方針
基本認識 政策の具体化の方向 振興事業の留意事項 振興事業の枠組み確保

跡地利用促進・円滑化方針
跡利用の促進 円滑化の措置 法制の整備 軍従業員の雇用の安定

沖縄政策協・閣僚発言

県要望をほぼ採用
北部振興策の政府方針

1999年12月17日 琉球新報
軍民共用検討を表明
普天間代替
政府、県に全面回答
沖縄政策協 北部振興策を提示

基地使用協定に積極姿勢

「協定」言及は画期的 知事

岸本市長
辺野古区に協力要望
新たな基地負担と説明

1999年12月17日 琉球新報
政府シナリオと合致
解説
独自調査行われず
ぬぐえない「辺野古ありき」

気象・空域条件
沖合滑走路でクリア
辺野古沿岸の地形的障害

環境問題
不透明な適地基準
県保全指針へ言及なし

1999年12月18日 琉球新報
基地従業員
「採用は公平に」
全駐労など要求
米軍指名の再雇用15%

1999年12月18日 琉球新報
普天間移設で名護市議会
20日容認決議へ詰め
使用協定15年期限 盛り込む動きも

岸本市長
27日に受け入れ表明
知事と国に伝える

1999年12月18日 琉球新報
「日米共同宣言に反す」
普天間代替の15年期限
米国防総省次官補 明確に拒否表明

1999年12月18日 琉球新報
横風影響の調査なし
県議会軍特委 県の姿勢を追及
普天間移設

1999年12月18日 琉球新報
地元の意向反映は未知数
沖縄政策協議会
政府、受け入れ後押し

「一つの判断材料に」
知事、岸本市長の早期受け入れ期待

設置の確実な実現
文相 国立高専、創設準備を表明

県内政党コメント

1999年12月18日 琉球新報
単眼複眼
机上の選定作業明白に
県の普天間移設先決定

1999年12月18日 琉球新報
県議会軍特委詳報
選定過程 水域の環境 騒音 安全性 基地機能

1999年12月18日 琉球新報
SACO経費追加要求へ
来年度予算 沖縄関係44億円

1999年12月18日 琉球新報
北部地域の振興に関する方針

現状認識及び政策の基本方針
政策の具体化の方向

活力ある地域と産業を支える基盤整備
実現へ向けた取組方針

政府方針のポイント

1999年12月18日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 34 我部政明
「馬鹿げた」交渉 上
核撤去決定せずと圧力
米軍移転費支払いでミゾ
一括払いで攻防 政治的考慮を要求

1999年12月18日 沖縄タイムス
ヘリ基地建設に揺れる町 4 写真・文 石川真生
表に出ない声・出したい声
2年前と違う思い

1999年12月19日 琉球新報
9年前の調査引用
県、辺野古沿岸域選定で

1999年12月19日 琉球新報
単眼複眼
官邸での非礼わびる
青木官房長官、北部首長に
野中氏に託す「意尽くせなかった」

1999年12月19日 ニュース透視鏡‘99
「普天間」代替・15年使用期限
米、強い拒絶反応
展望開けない政府・県
兵力水準 強気と弱腰 本音と建前

1999年12月19日 琉球新報
沖縄活性化委員会 林志行
46 基地問題を考える 3

1999年12月19日 琉球新報
沖縄20世紀の光芒 通年企画 50
奪われた人権―占領下の米軍人犯罪
存在そのものが保障されず
「鳥、猪」と住民射殺
非公開の軍事裁判 武装グループの銃撃 「正当防衛」認めず 伊江島LCT爆発事故 戦場の影響

米軍人犯罪・事故関連年表

識者の視点
宮城晴美氏 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会会員
依然続く女性への性犯罪

1999年12月20日 琉球新報
2000年度予算大蔵原案内示
北部振興費に100億円
公共事業費前年上回る

主な沖縄関係経費の大蔵原案内示状況

1999年12月20日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
基地使用協定
米軍部説得は未知数
嘉手納普天間 騒音防止は形がい化
年内決着の切り札 運用上必要は除外

1999年12月20日 琉球新報
普天間代替
決議文一本化で応酬
きょう再協議
名護市議会与党2会派 歩み寄りも

1999年12月20日 琉球新報
「金で命は売らない」
普天間移設で久志地域住民
反対訴え決起集会
名護市議会に拒否要求

1999年12月20日 琉球新報
撤去された立法院棟
妥協案も出たが…
県議会与党が反発
丸柱は保管へ
県と「再生させる会」 主張かみ合わず
交渉 丸柱

1999年12月20日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 32
基地たらい回し対談 上

対談の2人
輿石正 真志喜トミ

言いたいこと言おうよ「被害押しつけるな」って 真志喜
振興策は幻想だよ、知事さん 輿石
どうせ基地はできる 「久志」は「後」か 悲しさをエネルギーに ヤナじんぶん ま、イイカ民主主義

1999年12月20日 琉球新報
記者の余録
斉藤学 社会部
「それでも憲法がある」

1999年12月20日 沖縄タイムス
「そこで何が起こったか」
米軍資料から検証したコザ騒動 上
相次いだ交通事故 MPの威嚇も刺激 反米感情が爆発へ
発端 「暴動」へ 首謀者はいたか 琉球警察は

1999年12月21日 沖縄タイムス
99回顧 目取真俊
県内論壇 問われた戦争の記憶と思想
歴史認識めぐり多くの警鐘
戦争できる国へ転換 体験と記録・記憶 国家幻想を超えて

1999年12月21日 沖縄タイムス
魚眼レンズ
「普天間」安売りにやきもき
→我部政明氏 琉球大学教授

1999年12月21日 沖縄タイムス
地方この一年
北部
サミット開催地に決定
「普天間」移設に揺れる
2000年サミットの開催地に決定(名護市)
米軍普天間飛行場移設で揺れる(名護市)
「象のオリ」の町内移設を容認(金武町)
→関係記事のみ抽出

1999年12月21日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 33
基地たらい回し対談 下
山原の心の豊かさ「忘んなョー市長」輿石
県内移設にワジワジー「命どぅ宝ょ」真志喜
逆格差論 山と海のつながり 比べない豊かさ キセイジジツ

1999年12月21日 琉球新報
落ち穂
喜界島の象のオリ
得本拓 喜界町図書館司書

1999年12月21日 琉球新報
住民投票から2年 受け入れ決議案提出
議場にやじ 怒号
名護市
反対派 「条例ほご」
賛成派 静観装う
議場を見つめる 受け入れ仕方ない

1999年12月21日 琉球新報
名護市民投票から満2年
再び「基地」で揺れる
反対運動の矛先は県にも

1999年12月21日 琉球新報
単眼複眼
「普天間」移設容認決議案提出
与党2会派がメンツ争い
自民県連 水面下で調整
名護市議会

1999年12月21日 琉球新報
「沖縄重視」鮮明に
非公共は厳しい査定

基地跡地利用 「普天間」跡地の調査費は満額
戦後処理 沖縄戦資料収集に3300万円
→沖縄開発庁の2000年度予算の当初内示。関係記事のみ抽出

1999年12月21日 沖縄タイムス
「そこで何が起こったか」 米軍資料から検証したコザ騒動 下
沖縄の人の〝一揆〟 中国、ソ連も関心 事件の影響地元に
何が彼らを 外国の反応 米軍が得た教訓 住民鎮圧計画 変わらぬ基地の街

1999年12月22日 琉球新報
野中幹事長代理
普天間代替の15年使用期限問題
「日米協議のテーブルに」
名護市の促進決議案受け

15年使用期限で不退転の決意
自民県連が統一見解

1999年12月22日 琉球新報
「辺野古NO」を決議
普天間の県内移設反対県民大会
「名護市長は断固拒否を」
8千人が撤回求める

きょう普天間 受け入れ決議
名護市議会が可決見通し

1999年12月22日 琉球新報
移設決議案を可決へ
名護市議会
野党議案は否決
市長の表明時期が焦点

政府方針変わらず
青木長官 普天間15年期限で

知事が予算で青木長官に謝意

1999年12月22日 琉球新報
賛否両派に緊迫感
名護市議会
野党 「無力感」にじむ
与党 容認決議へ自信

1999年12月23日 琉球新報
深夜の審議 やじ飛び交う
名護市議会傍聴席
市民不在の決議懸念
議員答弁に真剣なまなざし

「予想通りの進行」
移設先地元 決議案審議に冷静

決議案提出した与党議員を批判
ヘリ基地反対協が集会

1999年12月23日 琉球新報
「態勢整った」「民意を無視」

名護市街地の表情
複雑な思いの市民
決議案審議の行方を静観

周辺自治体の反応
松田区
反対の意思を明確に
来年1月14日に区民総会

コメント
決議に強い憤り感じる
佐久川政一氏 普天間基地・那覇軍港の県内移設に反対する県民会議共同代表
市議会の英断 拍手送りたい
知名洋二氏 21・沖縄の未来をひらく県民の会会長

1999年12月23日 琉球新報
単眼複眼
市民納得させる答弁出ず
名護市議会 移設促進決議
与党、詰めの甘さ露呈

質疑要旨

ドキュメント

識者評論 高作正博 琉大助教授
「名護市対市民」の対立軸
さらなる問題を先送りに

1999年12月23日 琉球新報
年内決着の方針に沿う
解説
「条件」の文言抜ける
市長を後押し 濃い移設促進の色彩

整理縮小の第一歩に
県、市議会の決議を評価

普天間問題に関する名護市関連年表

普天間飛行場の名護市辺野古沿岸域への移設促進決議(要旨)

1999年12月23日 琉球新報
平和祈念資料館 問題の現状と課題 1 宮城悦二郎
監修委報告
重要な館の運営主体
展示物の説明はこれから
現状 戦後部会

1999年12月24日 琉球新報
「普天間移設」を可決
名護市議会が17対10
「受け入れ」は初めて
野党抗戦で徹夜審議

今後の課題調整に全力
稲嶺県知事

名護市長の決断に期待
小渕首相

1999年12月24日 琉球新報
名護市議会の移設促進決議
閣議決定で「15年」言及へ
政府 米との交渉明記は微妙
「民意は変わった」
与党 われわれも苦渋の選択
野党 基地造りに自らが加担

賛成 反対 討論ダイジェスト

2市議退席
公明党

1999年12月24日 琉球新報
岸本市長
「重大な判断の要素」
事実上の「容認」を示唆

年内決着の作業加速
政府内に安ど感漂う

1999年12月24日 琉球新報
再び「市民二分」
反対派抗議集会
「与党の見識疑う」
屈辱感にじみ、語気強める

推進派
「いい方向に行けば…」
争い避けたい、思いも

ドキュメント

1999年12月24日 琉球新報
満月・祈り・御万人まつり
名護市瀬嵩ビーチ
平和な島の実現を願う

1999年12月24日 琉球新報
怒りと安ど交錯
名護市議会「普天間移設」可決

涙の議場
「住民投票の意思守れ」
野党、声からし反対討論

緊迫の採決
反対派
議員の入場阻止
「数の暴挙」と座り込む

1999年12月24日 琉球新報
「普天間代替」15年使用期限
前向き検討の姿勢
青木官房長官が示す

1999年12月24日 琉球新報
‘99県内回顧 3
新平和祈念資料館問題
県、無断で展示変更
平和行政に不信広がる

1999年12月24日 琉球新報
平和祈念資料館 問題の現状と課題 2 大城将保
もう一つの資料館問題
五里霧中の運営方針
県当局、いまだ明確にせず
不透明な運営問題 設置条例の問題

1999年12月25日 琉球新報
PCB検出されず
嘉手納基地
政府、調査結果を公表
「健康に影響なし」と結論

1999年12月25日 琉球新報
平和祈念資料館 問題の現状と課題 3 村上呂里
子どもプロセス展示 上
作業は「しんどい」状況
見切り発車を心配する

1999年12月25日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 35 我部政明
「馬鹿げた」交渉 中
一括方式で日本側が妥協
支払総額の引き下げ戦術
柏木財務官の提案 ワシントンの指示

1999年12月25日 沖縄タイムス
資料館特集を発行
監修委の分析や新聞記事
→「歴史の真実を歪めてはならない」

1999年12月25日 沖縄タイムス
シュワブの訓練と同じ
米軍、高校生ら救助
→米領グアムで現地高校生を救出。

1999年12月26日 琉球新報
紙面批評 新報を読んで 児玉啓子
基地に明け暮れた1年
移設シナリオに不安

1999年12月26日 琉球新報
検証2000年沖縄予算 上
「普天間」移設へ総仕上げ
年内受け入れへ 政府圧力強まる

1999年12月26日 琉球新報
単眼複眼
ヤマ場迎えた「普天間」移設
岸本市長
27日表明は確定的
環境整備積み重ね 振興策問題もクリア
「年明けでもいい」 小渕首相の指示 周辺環境整う

1999年12月26日 琉球新報
沖縄活性化委員会 林志行
47 基地問題を考える 4

1999年12月26日 沖縄タイムス
横田基地の実態知って
働く56人の声を冊子に
待遇は国家公務員並み
→「基地に働く人」(西の風新聞社・あきるの市)

1999年12月27日 琉球新報
「決断の機 熟した」
「普天間」移設で岸本名護市長
吹っ切った表情
賛成、反対の両派緊迫

1999年12月27日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
展望開けない「15年」
岸本市長
表明向け周到に条件整備
政府姿勢が決定打に
意向聴取 環境調査 通過儀礼 リコールは加速

名護市への支援を
青木長官、北部首長に要請

岸本市長一問一答
稲嶺知事との会談後
青木長官との会談後

1999年12月27日 琉球新報
再び名護市民を二分
市長 受諾表明
市民の反応
あきらめが交錯
「公約違反」と辞職迫る声も

久辺3区
行政の努力求める

反対協の動き
地元説明なしに怒り
120人が会場前で抗議集会

会場周辺
両派が続々結集

整理縮小の第一歩になる
知名洋二 21・沖縄の未来をひらく県民の会会長
住民の安全を金で売る判断
佐久川政一 普天間基地・那覇軍港の県内移設に反対する県民会議行動代表

1999年12月27日 琉球新報
経済振興とリンク
解説
歴史的転換期に
〝弱者〟へ押し付けの構図

受け入れ基本条件全文

「普天間」問題に関する年表

ドキュメント

1999年12月27日 琉球新報
合意形成は難航必至
稲嶺知事一問一答 十分誠意は尽くした
青木官房長官一問一答 市長の決断を信じる

普天間受け入れ 岸本市長表明のポイント
住民投票との整合性
基地使用協定
移設先振興策の担保
市民の合意形成

1999年12月28日 琉球新報
社説
「普天間」移設
市長判断ベストだったか
政府の責任を強く問う
条件の実効性は疑問 基地移設は国の責任

1999年12月28日 琉球新報
賛否両派の動き急
岸本市長、受け入れ表明
建設23社、事務所開き
反対協 きょう抗議集会

「ただただ敬意」宜野湾市長

辺野古区
「一任」発言を否定
命守る会 「姑息」と市長批判

1999年12月28日 琉球新報
佐敷町
町史「戦争編」が完成
180人の証言 異なる視点の体験収録

1999年12月28日 琉球新報
「糾弾」「支援」広がる
歴史的な転換迎えた名護
「よく決断してくれた」賛成派
「受諾は絶対許せない」反対派

「複雑な気持ち」
表明に戸惑う宜野湾市民

岸本市長会見をネットで中継

大田昌秀氏に聞く
受諾は「白紙委任状」
移設で基地機能は強化

1999年12月28日 琉球新報
まだまだヤマがある
普天間代替閣議決定で岸本市長
名護市職員に訓示

住民生活への配慮は重要
閣議決定を知事評価

閣議での確約 感謝したい 北部振興会の宮城茂会長(東村長)
振興策と引き換えの押しつけ 佐世保地区労など怒る

夢のある北部振興に全力
北部市町村会が声明

1999年12月28日 琉球新報
核心評論
名護市長の決断
受け入れ表明の真意は何か
努力足らない基地整理

1999年12月28日 琉球新報
課題山積の受け入れ条件
不透明な使用協定
ハードル高い環境問題
住民投票との整合性 市議会議決を判断の基準に
環境問題 厳正な保護が必要な区域
基地使用協定 条件満たすにはなお時間
市民の合意形成 一任取り付けは2区のみ
振興策の評価 移設受け入れ撤回の余地も

解説
辞職、再出馬が濃厚
岸本名護市長

北部活性化に全力を尽くす
知事、名護市議会与党に回答

1999年12月28日 琉球新報
受諾表明で稲嶺知事談話(全文)

稲嶺知事一問一答(要旨)

岸本名護市長会見(要旨)

小渕首相談話(全文)

県内各党声明
均衡発展で苦渋の選択 自民党県連・嘉数昇明会長
普天間基地は無条件返還を 社民党県連・新垣善春委員長
リコールで市長を追放 社大党・新垣重雄書記長

1999年12月28日 琉球新報
普天間代替基地建設で4工法
年明け、選定着手へ
サミット前「決定」は微妙
企業体、水面下で受注競争

1999年12月28日 琉球新報
「受け入れ」の波紋 普天間移設に揺れる名護 上
〝タテオイズム〟
受諾いつでも撤回
具体的方策 国に要求

1999年12月28日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第4部 市長受諾 1
言葉
相反した決断時期
官邸と条件でやりとり

1999年12月29日 琉球新報
「受け入れ」の波紋 普天間移設に揺れる名護 中
リコール
市長候補の人選始まる
政府シナリオ崩す出発点に

1999年12月29日 琉球新報
市長決断 普天間移設受け入れ 2
使用期限
「15年」の記述なし
政府内は「設定困難」大勢

1999年12月29日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 34
平和学習の地・沖縄 村上有慶
勉強必要な県内の若者
過去への無関心を恐れる
広島・長崎の激減 一坪反戦運動 知られざる沖縄戦 地元の子どもたちに 平和の講座

1999年12月29日 琉球新報
平和祈念資料館 問題の現状と課題 4 村上呂里
子どもプロセス展示 下
大事な〝魂入れる〟作業
運営保証する体制を

1999年12月29日 琉球新報
課題抱え 新段階
解説
期限設定阻んだ「安保維持」の壁

受け入れは重要な一歩
米政府声明

政府方針全文

1999年12月29日 琉球新報
接収、反基地運動… キャンプ・シュワブ 賃貸契約から43年

閣議での官房長官発言

1999年12月29日 琉球新報
使用協定
普天間移設の政府方針
実効性は未知数
嘉手納では順守に程遠く
東京 使用期限問題 使用協定 さらなる基地縮小 新協議機関 振興策

1999年12月29日 琉球新報
社説
閣議決定
ボールは政府の手元に
市長には「ノー」の選択も
あいまいな15年使用 始まるのはこれから

1999年12月29日 琉球新報
辺野古受諾・識者評論 中
富川盛武沖国大教授
ウェルネス・アイランドへ
基地リンク説一蹴

1999年12月29日 琉球新報
人ピープル
新資料館の展示変更問題で特集本を出版
県歴史教育者協議会

1999年12月29日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第四部 市長受諾 2
使用期限15年
政府姿勢 一致せず
年内決着急ぎ調整残す

1999年12月30日 琉球新報
市長決断 普天間移設受け入れ 3
かすむ県の姿
調整能力に疑問の声
市長 官邸と直接交渉重ねる

1999年12月30日 琉球新報
‘99 年末回顧 県内 7 論壇 屋比久収
核心射る目取真俊
軍事、国家観に大転換の年

1999年12月30日 琉球新報
辺野古受諾・識者評論 下
高良鉄美 琉大教授
「決断」に人権配慮は
使用協定、基地との共存

1999年12月30日 琉球新報
「受け入れ」の波紋 普天間移設に揺れる名護 下
意向聴取
揺れる地元久辺3区
新たな対応検討も…

1999年12月30日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第四部 市長受諾 3
決断まで
国と市、時期で攻防
長官要請を受け急展開

1999年12月31日 琉球新報
市長決断 普天間移設受け入れ 4
北部のスクラム
北部振興策引き出す
決着後、政府の熱に疑念も

1999年12月31日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第四部 市長受諾
原点
「これからが勝負」
リコールに、辞任の動き




  


Posted by 糸満のカッパ at 17:46

1999年11月

2015年06月15日 / 1999年新聞記事

1999年11月1日 沖縄タイムス
私の紙面批評 10月前半 大城冝武
免れない知事の責任
納得できぬ「移設決議」

1999年11月1日 琉球新報
米軍車両からジャッキ転落
国道58号大渋滞

1999年11月1日 琉球新報
安保条約に秘密議事録
60年の改定交渉時に密約
核持ち込み 朝鮮半島有事
事前協議の空洞化証明
琉大の我部教授ら発見

1999年11月2日 琉球新報
普天間代替
最低40年使用を
米国防総省が報告書で明示
「耐用年数は200年」
「期限」折衝、難航か

1999年11月2日 琉球新報
建設業 受注へ走り出す
旧久志村の24社
「移設」にらみJV
ゼネコンとの連携も
工法にも踏み込む

1999年11月3日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
普天間代替「40年使用」
〝半永久〟狙う
日本政府は情報把握か
知事サイド「15年」譲らず

1999年11月4日 琉球新報
目に余る業者は「除外」も
辺野古地区のゼネコン〝暗躍〟 県が異例の方針

1999年11月4日 琉球新報
インタビュー 北部振興策
上間博安北部市町村会会長
雇用創出に財政支援を
「基地絡み」考えたくない

宮城茂北部振興会会長
国に制度上の大枠望む
二極構造実現向け一致団結

1999年11月4日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 14
揺らぐ日本国憲法 上 佐久川政一
憲法改正
目的は軍事大国化
沖縄の基地強化に直結
憲法調査会設置の目的 「改憲論」の歴史的流れ 「改正」の先に見えるもの

1999年11月4日 沖縄タイムス
二見以北に補助金投入
普天間飛行場移設問題
不安の中 受け取り「怖い感じ」
揺れる「基地反対」
進む工事 異例の配慮 再燃を懸念

1999年11月4日 沖縄タイムス
風車
沖縄戦語る遺品を収集
当山盛吉さん

1999年11月5日 沖縄タイムス
大弦小弦
→ガラビ壕

1999年11月5日 琉球新報
拒否姿勢 明確にして
普天間移設で反対協
北部市町村会に要請
上間会長「自治体判断に任す」

「たらい回しはやめて」女性グループ県に要請書

1999年11月5日 沖縄タイムス
人物地帯
普天間飛行場の県内移設に反対する「県民会議」共同代表
佐久川政一さん

1999年11月6日 琉球新報
エッセー 風流無談
読むことの始まり
目取真俊

1999年11月6日 琉球新報
普天間代替で久辺振興協
「移設なら3キロ沖合」
名護で県首脳に伝える
浮体施設の視察も 辺野古区行政委ら

1999年11月6日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 28 我部政明
核抜きめぐる日米対立
撤去か貯蔵かで攻防
決裂避けて即答できず
「米国の立場」挿入 米軍の行動を論議 核に関する追加分

1999年11月7日 琉球新報
決定しないのに…なぜ?
名護市辺野古
区民から疑問の声
行政委員 メガフロート視察

久志地区企業体が発足

1999年11月9日 琉球新報
「普天間で現実対応の動き」
政府が〝沖縄マニュアル〟
県民意識変化と分析
振興策はタイミング配慮

1999年11月8日 琉球新報
「普天間」代替 名護市シュワブ案
県が市長に直接打診
「市の判断ある」と要請断る

1999年11月8日 琉球新報
企業体が3工法計画
「普天間」代替基地建設
いずれもシュワブ沖
くい打ち式 埋め立て式 海上浮体式
県の公表前に作業加速

1999年11月9日 琉球新報
「普天間移設への対処」概要

1999年11月9日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 15
揺らぐ日本国憲法 下 佐久川政一
「千年紀」の哲学に
第九条、国際レベルで浸透
ハーグ決議と「第九条の会」 全人類の宝物 〝憲法なき沖縄〟の訴え

1999年11月9日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第一部 迫る表明 2
使用期限15年
具体性を欠く構想
中間派向けのカード?

1999年11月10日 琉球新報
「3キロ沖合に建設を」
普天間代替 名護市シュワブ案
市長、受け入れ条件示唆
振興策実施も担保に
問われる住民投票の効力

リコール請求を視野に対策検討 ヘリ基地反対協

15年後に見直し
年内決着のシナリオ 国が県に提示

1999年11月10日 琉球新報
「普天間」移設 政府シナリオ

1999年11月10日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 16
地方分権一括法の成立と課題 上 前津栄健
国と地方
主従から対等・協力へ
地方の自己決定が必要
自治の理想 国のコントロールの余地 自ら問題解決する姿勢

1999年11月10日 沖縄タイムス
内部文書要約

1999年11月10日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第一部 迫る表明 3
調整不足
不透明な選定作業
県、情報開示に消極的

1999年11月11日 琉球新報
名護市長の判断尊重
9月24日の行政委
辺野古区「容認」も視野に
「普天間」で文書避ける

隣接の瀬嵩区が反対決議

1999年11月11日 琉球新報
解説
対立の構図 内包
「普天間」で県内世論二分か
「県民の会」発足

「県民の会」結成宣言(要旨)

1999年11月11日 琉球新報
県遺族連合会長ら
「銃向けた表現 看過できない」
資料館問題 副知事に訴え

1999年11月11日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 17
情報公開法の成立 下 前津栄健
全国
「知る権利」明記の動き
遅れる県内の条例判定
先行した地方自治体 民主国家の標準装備 那覇地裁は含まれず 外交・防衛情報

1999年11月11日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第一部 迫る表明 4
反対派の動き
Xデー 危機感迫る
市長リコールも視野に

1999年11月12日 琉球新報
復旧は15日
レーダー故障 影響続く
嘉手納管制塔
原因なお不明
那覇空港、始発から遅れ

1999年11月12日 琉球新報
嘉手納基地
管制塔レーダー故障
那覇空港 50便に遅れ

1999年11月12日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 18
自治と住民投票 仲地博
国家的事項の民意問う
全国に一石投じた沖縄
自治の発信地・沖縄 条例制定の回り道 三つの自治体 長・議会の世論誘導

1999年11月12日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第一部 迫る表明 5
いざ鎌倉
本音は埋め立て案
熱気が高まる県経済界

1999年11月13日 沖縄タイムス
解説
27年続く「暫定使用」
→嘉手納ラプコン

1999年11月13日 琉球新報
27時間ぶりレーダー復旧
嘉手納管制塔
150便 3万人に影響
那覇空港 宮古経由のケースも

1999年11月13日 琉球新報
嘉手納ラプコン事故で平和団体
〝普通の姿〟程遠く
航空関係者 情報不足に不満

1999年11月13日 琉球新報
修学旅行生600人足止め
航空各社旅行会社 対応にクタクタ
那覇空港

1999年11月13日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 29 我部政明
「本土並み」と基地の自由使用
事前協議の形骸化示す
米軍の極東防衛の責務認め
字句のすり合わせ 自由使用の抜け道 「イエス」のみ

1999年11月13日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第一部 迫る表明 6
宜野湾市長の立場
待ちの姿勢を貫く
「苦悩」大会にも不参加

1999年11月14日 琉球新報
紙面批評 新報を読んで 仲原弘哲
沖縄の将来見通す報道を
緊張感もたらす読者相談室

1999年11月14日 琉球新報
「普天間」ヘリ部隊 岩国移転「不可能ではない」
米議会調査局が報告書
県内移設 難航した場合

米議会調査局 報告書要旨

1999年11月14日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第一部 迫る表明 7
岸本市長の苦悩
市民と国の圧力
二分される地元に心痛

1999年11月15日 琉球新報
普天間移設問題
受け入れで揺れる 名護市辺野古
「活気再び」思い共通も…
最後のチャンス 賛成派
子や孫のために 反対派
往年の辺野古 振興 沈黙する区民 共通の願い

1999年11月15日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
「普天間」の辺野古移設問題
受け入れに高いハードル
名護市長 沖合3キロ建設求める
市長の不満 「身の処し方」 県、政府に難題

1999年11月15日 琉球新報
単眼複眼
稲嶺知事当選から1年
多くの振興策引き出す
資料館問題で批判 「普天間」最終局面

1999年11月15日 琉球新報
普天間基地
「辺野古移設に反対」
宜野座 松田行政委が決議

1999年11月15日 琉球新報
在沖米軍の実弾砲撃開始
宮城県の王城寺原演習場

1999年11月15日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 19
記号としての日の丸・君が代 上 大城冝武
名実とも「国旗国歌」に
天皇制核の国家再定義か
美しい日本の旗… 絶対天皇制のシンボル 従順な国民育てる 〝神〟と〝人〟の両義性

1999年11月15日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第一部 迫る表明 8
サミットと市民
建前は「交換条件ない」
基地とのリンクに懸念

1999年11月16日 琉球新報
韓国の宗教・文化フォーラムに参加して 平良修
開放策後第1号歌手に
喜納昌吉氏 歓喜の熱唱、歴史の幕開け


1999年11月16日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第一部 迫る表明 9
錯そうする地元
「県全体の問題だ」
受注に向け業者も活発化

1999年11月17日 琉球新報
立法院棟が語るもの 消えゆく歴史建造物 宮城悦二郎
戦後史体験の象徴
米軍占領の事実を後世に

1999年11月17日 琉球新報
「新空港」の整備明記
県、「北部振興策」まとめる
定住20万人を目標
国際交流の促進なども示す

1999年11月17日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 21
ナショナリズムの混迷 上 小熊英二
国旗国歌法の不快
権威への従属深める強制
「権威主義」と「国民主義」 受動的な「賛成」 権威への同調の強制

1999年11月17日 沖縄タイムス
軍事演習場を自然公園に ―ドイツの自治体と住民―
水島朝穂(早稲田大学教授・ボン大学で在外研究中)
「民間利用」の決議が相次ぐ

1999年11月18日 沖縄タイムス
軍事演習場を自然公園に ―ドイツの自治体と住民―
仲地彩子(慶応大学生、ドイツ・ボン大学留学中)
穏やかで優しい平和運動の形

1999年11月18日 琉球新報
普天間代替
軍民共用 受け入れへ
政府、米側の内諾得る

1999年11月18日 琉球新報
刻刻 知事表明 「普天間」移設候補地 1
「辺野古」明記に逡巡
指導力に不安の声

1999年11月18日 琉球新報
単眼複眼
北部地域振興案
「新空港」の位置付け不明確
あいまいな県の態度

結論出せない
岸本・名護市長

1999年11月18日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 22
ナショナリズムの混迷 下 小熊英二
冷戦終結による流動化
「反米」と「親米」 崩れていくバランス
対米従属を示すガイドライン 対米従属と反米指向の矛盾 冷戦下で保たれていたバランス 悪循環の発生を恐れる

1999年11月19日 琉球新報
知事、唇結び「苦渋の選択」
普天間県内移設表明
重大決断に笑顔消える
閣僚、官僚も険しい表情

跡利用推進に期待 宜野湾

1999年11月19日 琉球新報
口閉ざす名護市幹部
岸本市長登庁せず 反対派は拒否訴え

1999年11月19日 琉球新報
解説
政府、県要望に最大配慮
知事の「指導力」焦点

知事発言(要旨)

閣僚発言(要旨)

政府の取り組み方針

1999年11月19日 琉球新報
立法院棟が語るもの 消えゆく歴史建造物 下 小橋川茂
記憶装置としての空間
「歴史の積み重ね」を尊重する視点重要

1999年11月19日 琉球新報
刻刻 知事表明 「普天間」移設候補地 2
ゼネコン
〝大型公共事業〟に魅力
し烈な受注争奪戦

1999年11月20日 琉球新報
「屈辱」「前進」賛否が交錯
県内移設表明
促進協 現実対応と喜ぶ
反対協 阻止署名に全力

受け入れ拒否要請
県民会議と名護市職労

1999年11月20日 琉球新報
3者協議機関を歓迎
政府の振興策で北部市町村長ら
「全体の底上げに」
県内移設には慎重姿勢

1999年11月20日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第二部 それぞれの選択 1
県民大会
基地なくなる日を確信
軍隊のない平和な島返して

1999年11月20日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 30 我部政明
「核抜き」返還の舞台裏
再持込みの密約に署名
事前協議の日本回答「イエス」
密使のメモ 軍部の検討 

1999年11月20日 琉球新報
刻刻 知事表明 「普天間」移設候補地 3
県内建設業
大手の代理戦争
工法の指定迫る

1999年11月21日 琉球新報
沖縄20世紀の光芒 通年企画 46
振興の落とし穴―海洋博
閉幕後「戦後最大の不況」
観光発展の基点にも
期待は幻想へ 逆流する投資 外れた思惑 倒産の陰に国 多くの教訓

識者の視点
鎌田隆氏 沖縄国際大学教授
総合的な政策こそ重要

海洋博関連年表

1999年11月21日 琉球新報
移設受け入れれば…
市長リコールも
名護
知事にも要請行動
ヘリ基地反対協 緊急幹事会で決定

1999年11月21日 琉球新報
普天間移設問題
もう一つの地元・二見以北
「さらに基地背負うのか」
岸本市長が言った「宝」で地域おこし
見えない爆音 反対だが… 自然が宝

1999年11月21日 琉球新報
刻刻 知事表明 「普天間」移設候補地 4
情報開示
透明度ゼロの選定作業
検討委設置も立ち消え

1999年11月21日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第二部 それぞれの選択 2
返還合意
県内移設に思い複雑
喜んでもらえると信じている

1999年11月22日 琉球新報
「勇気持って拒否を」
普天間代替の名護市
反対派が呼び掛け
街頭に7台の宣伝カー

緊急集会への参加を訴え
ヘリ基地反対協

表情硬く終始無言 稲嶺知事

記者の質問に一切答えず
口元結ぶ岸本市長

糸口みえてきた
宜野湾市長「県は苦渋の決断」

1999年11月22日 琉球新報
「移設は基地縮小」
県内世論割れる
反対派
阻止に向け行動強化
来月、1万人の県民集会

基地強化は容認できない
渡久地連合会長が談話

「負担軽くして」と訴え
講演などで大田前知事

賛成派
「知事は苦渋の決断」
「県民の会」に激励の電話

ドキュメント

識者談話
実態は国の押し付け 前田哲男東京国際大教授(軍縮・安全保障論)の話
間違いなく大きな前進 志方俊之帝京大教授(国際関係論)の話

「普天間」に関する知事語録
県外移設 現実的でない 軍民共用、15年が条件 県民財産が前提

1999年11月22日 琉球新報
実力阻止と反対派
地元住民の表情
名護市東部
闘い強化に決意
賛成派は市長決断に期待

宜野湾
反対派「幅広い運動で逆転」
推進派「真の整理縮小に」

「命より金」の考え批判
伊江島反戦地主の謝花悦子さん
「基地と幸福相いれない」

1999年11月22日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
県の候補地発表前倒し
地元の混乱回避狙う
〝駆け込み表明〟の色濃く
無人の県庁 反対運動拡大前に

1999年11月22日 琉球新報
「普天間」問題経緯

1999年11月22日 琉球新報
普天間移設問題
急展開、一気に緊迫
普天間代替きょう正式発表

名護市
慎重姿勢崩さず
「理由聞いて判断する」

稲嶺知事
TV収録で〝フライング〟

反対協
抗議行動を繰り上げへ
緊急幹事会で決定

対応策
市長、支持者と協議

1999年11月22日 沖縄タイムス
知事の「辺野古」表明 識者評論 1 江上能義
対話の姿勢が欠如
県民世論、未知の領域に

1999年11月22日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第二部 それぞれの選択 3
県民投票
沖縄の複雑な断面浮上
県民意識尊重し解決努力したい

1999年11月22日 琉球新報
刻刻 知事表明 「普天間」移設候補地 5
名護市長
「決断時には支援を」
本心は一切明かさず

1999年11月23日 琉球新報
識者評論 我部政明
結局は振興策に依存
地元住民は「かや」の外

1999年11月23日 琉球新報
単眼複眼
県民間の亀裂に危ぐも
副知事の〝隠密〟行動
不透明さ印象付ける
反対派との対峙避けた?

県内政党コメント
歴史的一歩と評価 自民党県連・嘉数昇明会長
アジアの平和遠のく 社民党県連・新垣善春委員長
知事の責任重い 社大党・新垣重雄書記長
民主主義への挑戦 共産党県委・赤嶺政賢委員長
決断を県民は支持 新進沖縄・外間盛善幹事長
ベターな対応も選択肢 公明党県本・高良政彦代表
強行なら不測の事態 民主党県連・上原康助代表
歴史に大きな汚点 自由連合沖縄・金城浩代表

確実な整理縮小望む 労働団体

大田昌秀前知事に聞く
県外移設こそ現実的
危険性は辺野古も同じ

識者評論 真栄城守定
公約の粛々たる実施
本島二極構想への布石

稲嶺知事会見要旨
岸本市長会見要旨

1999年11月23日 琉球新報
市長、終始硬い表情
反対派住民座り込み 抜き打ち要請に騒然

受け入れ拒否求めアピール
ヘリ基地反対協

1999年11月23日 琉球新報
声震わせ「基地いらない」
「普天間移設」で名護市長会見
迫る決断、住民直訴

県庁へ怒りのこぶし
県民会議が緊急抗議集会

ビデオ撮影めぐり騒動
警察官と市民団体

1999年11月23日 琉球新報
知事 青ざめ、ため息も
会見前
反対派にもみくちゃ

「解決へ一歩前進」
比嘉宜野湾市長が会見

県民の声

1999年11月23日 琉球新報
だまされて死にたくない 第3回国際シンポジウムに寄せて 西尾市郎
米軍の予算確保
仮想敵国で危機あおる
民衆の交流通し真実知ろう

1999年11月23日 琉球新報
安全、環境 どうクリア
「普天間」の辺野古移設
解説
再び名護市長決断へ
受け入れになおハードル

選定過程は明かさず 知事表明

ドキュメント

1999年11月23日 琉球新報(23)
普天間飛行場移設 知事会見全文
県民のみなさま
1 経緯と背景
2 移設への取り組み
3 県の基本的考え方
4 候補地の選定
5 移設の整備条件

1999年11月23日 琉球新報(23)
「普天間」移設の県見解(全文)

1999年11月23日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 24
北朝鮮問題と東北アジアの秩序づくり 李鍾元
有効でない軍事的圧力
地域全体の信頼と軍縮を
外交の季節へ 不要な「核とミサイル」戦略 脅威論による危機の長期化 試金石の六者会談構想

1999年11月23日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第二部 それぞれの選択 4
決断
今と将来に揺れる住民
すべての課題を変えるチャンス

1999年11月24日 琉球新報
普天間代替
15年期限で調整可能
非公式折衝 政府、米から感触
1月の安保委で正式提起

米国防総省は否定的
軍民共用には同意表明

1999年11月24日 琉球新報
普天間移設
「市長は基地拒否を」
名護市役所 反対協が座り込み

県庁前でも座り込み

1999年11月24日 琉球新報
知事の〝隠密行動〟許せん
名護
基地反対協が抗議
「常識外れ」と怒りの声

1999年11月24日 琉球新報
名護市長との面談 見送り
「辺野古沿岸域」選定
稲嶺知事
「できるだけ早く…」も調整つかず
首相にあす報告

青木長官
「15年」前向きに検討
「知事要請」受け、米と協議

「日米防衛首脳会談開きたい」
「普天間」で瓦長官

日本側の移設案 検討が先行する
柳井駐米大使が見解

1999年11月24日 琉球新報
緊迫再び 候補地決定 揺れる名護市 1
異例の発表
「庁議? 聞いてないよ…」
移設地決定知らぬ県部局長も
首脳、一部幹部で秘密裏に筋書き

1999年11月24日 琉球新報
波紋 普天間移設先決定 1
シナリオ
にじむ政府の影
「年内決着」へ水面下の攻防
まずシュワブありき 説き伏せられた知事

1999年11月24日 琉球新報
米軍主導による日米合同委員会 SACO合意に異議あり 中間報告 1 真喜志好一
「整理・縮小」逆手に基地機能を強化
真相説明できない日米両政府

1999年11月24日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 25
強者の論理・弱者の論理 宮里政玄
沖縄
自己主張を世界へ
「パワー」論理越える理念
現実主義と力の政治 理念なきリアリズムの腐敗 力持つ沖縄の理念 現状認識への挑戦

1999年11月24日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 1
急がされた県
年内決着に二人三脚
地元受諾までなお曲折

1999年11月24日 沖縄タイムス
知事の「辺野古」表明 識者評論 2 我部政明
将来も沖縄を拘束
期限設定できない日本

1999年11月25日 琉球新報
これ以上の〝戦場〟イヤ
「普天間」移設
ヘリ基地反対協 名護市長にアピール文手交
岸本市長 「決断前、知事と会う」

1999年11月25日 琉球新報
大山朝常さん死去
基地経済から脱却願い
「自立」の気概、常に

1999年11月25日 琉球新報
公安庁が市民運動調査
破壊団体扱い、全国に指示
96年度内部文書
報道関係団体も対象

解説
公安調査庁内部文書
「法の乱用」と反発も
「批判よそに調査」裏付け

識者談話
調査権限の乱用を危ぐ
奥平康弘・東大名誉教授(憲法)の話

1999年11月23日 琉球新報
大山朝常氏を悼む 町田宗徳
コザ、沖縄市の大恩人
米政権下で市政の礎築く

1999年11月25日 沖縄タイムス
遺跡として保存
旧西原村役場の壕跡
50年余り荒れ放題
戦火から戸籍守る

1999年11月25日 琉球新報
「15年」の実現要請
稲嶺・小渕会談
着実な基地整理縮小も
「辺野古沿岸域」選定を伝える
首相 全面的支援を表明

知事発言と要請要旨

1999年11月25日 琉球新報
まやかしの北部振興策 「普天間移設」の条件 上 来間泰男
経済でなく政治の発想
実現疑わしい北部新空港

1999年11月25日 琉球新報
米軍主導による日米合同委員会 SACO合意に異議あり 中間報告 2 真喜志好一
33年前に作成された那覇軍港の移転計画
機能強化、機密保持狙い

1999年11月25日 琉球新報
波紋 普天間移設先決定 2
15年期限
三者三様 もろ刃の剣
足並み そろわぬ国と県

1999年11月25日 琉球新報
緊迫再び 候補地決定 揺れる名護市 2
抜き打ち要請
「知事は来ないんですか」
突然の副知事来訪
不信感の増幅 招いた県対応

1999年11月25日 沖縄タイムス
知事の「辺野古」表明 識者評論 3 梅林宏道
説得力欠く県内移設
「15年期限」に法的拘束力を

1999年11月25日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 2
シナリオ追従
進むサミット前合意
国、県の計算違いも露呈

1999年11月25日 沖縄タイムス
オスプレイ沖縄配備 上 真喜志好一
「辺野古」移設は周到な強化計画

1999年11月26日 琉球新報
基地建設の促進決議へ
名護市議会 与党が確認
12月定例会に提出

知事
早期会談を模索
日程空け名護市と調整

1999年11月26日 琉球新報
識者評論
小川和久(軍事アナリスト)
普天間飛行場移設
展望なき工法論議
岸本市長 知事提案拒絶すべき

1999年11月26日 琉球新報
普天間代替 米軍住宅と隊舎移転
米、長期運用で打診
非公式に政府へ 大型機の離着陸も

1999年11月26日 沖縄タイムス
9種の動植物が絶滅危ぐ
環境庁レッドリストに記載
移設先の辺野古沿岸域

1999年11月26日 琉球新報
まやかしの北部振興策 「普天間移設」の条件 下 来間泰男
移設のため〝過剰宣伝〟
実現性ない空港、鉄軌道

1999年11月26日 琉球新報
波紋 普天間移設先決定 3
逡巡
「泥を被る決意」に疑念
「辺野古」明記避ける県 筋書き狂い慌てた政府
野中氏の〝不快感〟 待ち受ける最難関

1999年11月26日 琉球新報
米軍主導による日米合同委員会 SACO合意に異議あり 中間報告 3 真喜志好一
誘導された普天間返還とシュワブ
米軍のマスタープランを分析

1999年11月26日 琉球新報
緊迫再び 候補地決定 揺れる名護市 3
地元の気持ち 上
基地で再び活気づく
活性化訴える賛成派
「沖合」「埋め立て」工法めぐり対立も

1999年11月26日 沖縄タイムス
知事の「辺野古」表明 識者評論 4 五十嵐暁郎
市民投票こそ地元判断
覆せば亀裂修復できず

1999年11月26日 沖縄タイムス
オスプレイ沖縄配備 中 真喜志好一
「普天間返還」は米軍の事情

1999年11月26日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 3
県の選定
限界前提にした作業
「最適地」は自然保護区

1999年11月27日 琉球新報
知事追及に手ぐすね
普天間移設 対話実現で反対協
「15年期限などただす」
〝通過儀礼〟を警戒

市民の声聴けと訴え 県庁前で抗議集会

1999年11月27日 琉球新報
「辺野古移設」
知事の協力要請を配布
名護市が55区、22団体に

1999年11月27日 琉球新報
平和求める理念大切に
東アジア国際シンポが開幕
大田昌秀前知事が講演

1999年11月27日 琉球新報
米軍主導による日米合同委員会 SACO合意に異議あり 中間報告 4 真喜志好一
隠された狙いはオスプレイパッド
強化される北部訓練場

1999年11月27日 琉球新報
緊迫再び 候補地決定 揺れる名護市 4
地元の気持ち 下
基地の見方 変わった
無関心から反対へ
自然との共生で地域おこし図る
→東恩納琢磨氏

1999年11月27日 沖縄タイムス
オスプレイ沖縄配備 下 真喜志好一
新たな基地ノー

1999年11月27日 沖縄タイムス
知事の「辺野古」表明 識者評論 5 比屋根照夫
〝歴史不在の選択〟
国策に迎合せず主体性を

1999年11月27日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 4
使用期限15年
県民感情を懐柔
政府、県与党内にも溝

1999年11月27日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 31 我部政明
基地の自由使用
明白な保証求めた米国
真の「取り決め」は依然なぞ
大統領に決断を 「核」の事前協議 軍部の最終要求

1999年11月28日 琉球新報
記者座談会 普天間基地移設
不透明な選定の経緯

ドタバタ発表劇
「対じ」避けた知事
反対派の行動への思惑も

政府の関与
サミット開催でシナリオ
野中発言が流れ変える

振興策で〝軟着陸〟模索
焦点は名護市長判断
「年内決着」はなお流動的
選定理由と透明度 小渕政権の支援

「15年期限」は波乱要因
自然保護問題も絡む
賛否両派の動き 岸本市長の胸中 今後のポイント

1999年11月28日 琉球新報
紙面批評 新報を読んで 児玉啓子
札束の前にひれ伏す
県首脳の姿浮き彫り

1999年11月28日 琉球新報
21世紀へ 伝える・継ぐ 46
くすぬち平和文化館 沖縄市
真栄城夫妻が私財投じ建設
平和を発信する空間
希望の持てる未来 子供たちへ託す
亡き祖母の思い 21世紀の主役に託す

1999年11月28日 琉球新報
波紋 普天間移設先決定 4
振興策
「リンク論」を否定せず
県の「別問題」に疑問視
リンクを黙認 見えない辺野古振興策

1999年11月28日 琉球新報
緊迫再び 候補地決定 揺れる名護市 5
市民の胸中
うずく2年前のしこり
残る住民投票の対立
重大局面に複雑な思い

1999年11月28日 沖縄タイムス
知事の「辺野古」表明 識者評論 6 島田晴雄
北部発展の契機に
国の配慮、主体的に活用

1999年11月28日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 5
スケジュール
国と県各自に進行表
条件にらみせめぎ合い

1999年11月29日 琉球新報
反戦地主23人
陳述参加を拒否
「嘉手納」地籍不明地却下不服審査
非公開の聴取に反発

1999年11月30日 琉球新報
日米政府のシナリオ通り
「普天間」移設で県内主要各党座談会
出席者
翁長政俊 自民党県連政調会長
平良長政 社民党県連書記長
喜納昌春 社大党副委員長
赤嶺政賢 共産党県委員長
外間盛善 新進沖縄幹事長
糸州朝則 公明党県本幹事長
司会 嘉数武政経部長

知事表明への見解
苦渋の選択をした知事 翁長氏
県民や地元に相談なし 平良氏
条件なしの返還が当然 喜納氏
偽りの論理で押し付け 赤嶺氏
実行型の決断高く評価 外間氏
選定のプロセス見えず 糸州氏

住民投票との整合性
民主主義と自治の否定 平良氏
歴史的な投票への侮蔑 喜納氏
投票は「海上案」と認識 外間氏

譲れない「15年」と跡利用
経済振興策とのリンク
経済政策に認識の浅さ 赤嶺氏
振興策は両政府の責任 糸州氏
基地の負担軽減が政治 翁長氏

選定作業の透明性
経過は後の説明で十分 外間氏
限りなく〝ゼロ〟に近い 平良氏
対話行政をなおざりに 喜納氏

「15年期限」への見解
県民総参加の論議必要 糸州氏
使用期限の設定は当然 翁長氏
県内移設は基地固定化 赤嶺氏

1999年11月30日 琉球新報
辺野古移設
県、対話集会に難色
面談の意向 反対協の協議見守る

説明会なら会う必要ない
反対協、対話要求へ

1999年11月30日 琉球新報
ひと
基地を憎み人を信じる
第3回沖縄市戯曲大賞を受賞した 上里和美さん

1999年11月30日 琉球新報
波紋 普天間移設先決定 5
〝白紙委任〟
辺野古は希少生物の宝庫
県は環境問題を軽視 国へ配慮求める
県の作業に「制約」 規模拡大か

1999年11月30日 沖縄タイムス
当事者が語る普天間の実相 上
梶山靜六元官房長官
非公式で「返還」提起
不可避だった特措法改正
サンタモニカ 殉教者 継続使用

1999年11月30日 沖縄タイムス
知事の「辺野古」表明 識者評論 7 富川盛武
官製でない振興策を
不明瞭な軍民共用の内容

1999年11月30日 沖縄タイムス
動くか「普天間」 第三部 ハードル 6
跡地利用
新法制定の必要強調
地主要求は国の全面支援



  


Posted by 糸満のカッパ at 21:32

1999年10月

2015年06月05日 / 1999年新聞記事

1999年10月1日 琉球新報
八重山祈念館問題
金城文化局長が陳謝
県議会一般質問 「十分な説明なされず」

1999年10月1日 琉球新報
「謝罪を」「問題はない」
資料館問題 与野党議員間で怒号も
県議会

監修委は秘密保持に反する 与党側が会見
問題にすること自体が圧力だ 監修委が反論

1999年10月1日 琉球新報
県議会代表質問
普天間代替、年内選定へ
稲嶺知事強い意欲 複数なら北部以外も

1999年10月1日 琉球新報
ヘリ基地
陸上案、埋め立て案とも反対
名護市豊原区が決議

1999年10月1日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 5
平和憲法の理念と危機的現況 下 高良鉄美
歪められる憲法原則
再び「戦争の惨禍」の恐れ

1999年10月2日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 23 我部政明
共同声明案をめぐる交渉
事前協議制めぐり難航
「あいまい表現」に落ち着く
日本側のコメント 日米間の争点

1999年10月2日 琉球新報
県議会一般質問
たじたじ答弁に終始
金城文化国際局長 野党、資料館で追及

県の内部資料 事前提示に抗議
与党が監修委に

「実相伝える展示を」
石垣市議会 祈念館問題で決議

1999年10月2日 琉球新報
排水溝から大腸菌
キンザーと嘉手納基地
1998年
→牧港補給地区 嘉手納飛行場

1999年10月2日 琉球新報
エッセー 風流無談 目取真俊
検証と責任

1999年10月3日 琉球新報
普天間・軍港の県内移設反対県民会議
佐久川政一氏に聞く
現県政は日米政府に従属
国策への迎合すべきでない

1999年10月3日 琉球新報
沖縄 20世紀の光芒 通年企画 39
米軍統治下の出版禁止―「愛唱歌集」回収問題
民主主義の建前と本音
希薄だった検閲基準
手続きの不備 基準のない検閲 占領の正当化 反米という視点 「人民」裁判

識者の視点
占領の正当化図る
門奈直樹氏 立教大学教授

「出版物検閲」関連年表

1999年10月3日 沖縄タイムス
追跡―沖縄ごみ事情 33
米軍基地内のごみ処理
ティビス・空軍汚染予防課長に聞く
全軍で月平均1930トン
一般ごみは民間業者が引き取り
6種類分別でリサイクル留意

1999年10月4日 琉球新報
証拠隠滅図る
新資料館問題で県
「文書廃棄するので返却を」
発覚後、業者に指示

文書一覧を今週中に提出
業者が県に

1999年10月4日 琉球新報
平和資料館問題
「人権」変更に触れず
監修委「なぜ説明避ける」

1999年10月4日 琉球新報
資料館問題
「虚偽答弁、看過できぬ」
見え消し文書公開 野党要求で県議会空転

1999年10月4日 琉球新報
環境浄化に質疑相次ぐ
9月定例県議会
地位協定見直しも
稲嶺知事 「日米の責任で解決を」

1999年10月5日 琉球新報
沖縄戦の真実 新平和祈念資料館展示変更問題 5 星雅彦 上
悲劇の本質
天皇制守るための画策
日本軍の残虐性は明確に

1999年10月5日 琉球新報
県、5月に変更作業
平和資料館問題
内部文書で虚偽裏付け
県が繰り返し存在を否定 作業時期にズレ

「証拠隠滅ない」知事

1999年10月5日 琉球新報
「変更要求」
業者、メモに明記
「対処に苦慮」

真相究明やぶの中
県に誠意ないと野党欠席
県議会

→平和資料館問題

1999年10月5日 琉球新報
空転めぐり与野党会見
虚偽答弁に抗議声明 野党
本会議欠席は無責任 与党
→平和資料館問題

1999年10月5日 琉球新報
野党 連日の欠席
県議会、混乱続く
友寄議長 県に要求 「前進した見解を」
→平和資料館問題

1999年10月5日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 6
「靖国」法人化と憲法 高作正博
負の歴史を法制化
「戦争する国」への転換

1999年10月5日 沖縄タイムス
普天間川への油流出
給油機バルブ開きっぱなし
米軍が町に説明
→米軍が北谷町に説明

1999年10月5日 琉球新報
またも人為ミス
基地油流出事故の原因 米軍、北谷町に報告

1999年10月5日 琉球新報
嘉手納基地PCB投棄
町長同行し政府調査
きょうからボーリング
→嘉手納町長ら

1999年10月6日 琉球新報
ガマ模型に知事が難色
新資料館問題
銃向けるん日本兵の図案
「政府を刺激する」

変更指示ではない
「反日的」発言で知事

1999年10月6日 琉球新報
「記憶を抹消するな」
資料館変更問題
県三役の関与指弾
労組員が抗議集会 「歴史改ざん」に怒り

1999年10月6日 琉球新報
論壇
大西照雄(名護市、高校教師)
「牧野哲学」を検証
沖縄の苦難と悲劇の歴史再現
→牧野浩隆氏

1999年10月7日 琉球新報
沖縄戦の真実 新平和祈念資料館展示変更問題 6 星雅彦 下
蝋人形の展示手法
人工物の創造性リアリティー
県と監修委の信頼回復を

1999年10月7日 沖縄タイムス
米軍基地からの嵐 オフ・リミッツの策謀 1 津野武雄
住民間の対立も生む
地元の生活をほんろう

1999年10月7日 琉球新報
現県政に沿う館に
新資料館展示変更
3役の関与認める
サミットの参観を意識

前県政と認識異なる 牧野副知事

1999年10月7日 琉球新報
新資料館問題
「ガマに難色」を否定
稲嶺知事「記憶がない」

1999年10月7日 琉球新報
「見え消し」の全容判明
41ページにわたり細目記す
「天皇メッセージ」も削除
県発言また覆る

関係文書を提出
県議会きょう集中審議

1999年10月7日 琉球新報
新県平和祈念資料館の全体の展示変更案を記した「見え消し」(要旨)

新県平和祈念資料館の展示変更問題の経緯(琉球新報取材)
八重山平和祈念館の展示変更問題の経緯(琉球新報取材)

1999年10月7日 琉球新報
変更案で人形制作
新資料館問題
ガマ内部の日本兵
問題表面化後、取り壊す

県庁内、慌ただしい動き

県議会
不透明感 一掃を
配布資料手に野党議員

1999年10月7日 琉球新報
県、関連文書を提出
県議会文教厚生委 石川副知事が陳謝

1999年10月8日 琉球新報
知事発言で変更
平和資料館問題
職員〝指示〟と解釈
石川副知事 全般見え消し認める

1999年10月8日 琉球新報
依然不透明な検討過程
平和資料館問題
解説
なぜ事実ひた隠し
与党からも執行部批判

1999年10月8日 琉球新報
「県の答弁 矛盾多い」
新平和祈念資料館問題
文教厚生委
これまでの発言はうそ?
傍聴席からはやじも

知事
県三役の関与認める
責任問題は即答せず

1999年10月8日 琉球新報
「変更意図の説明を」
県内の平和、労働団体
県民の信頼裏切る
知事に謝罪求める

歴史改ざん許さない
県庁前で考える会座り込み

県側発言の変遷

1999年10月8日 琉球新報
ちぐはぐ答弁、募る不信
新資料館問題
傍聴席から厳しい視線
「県は堂々と論議を」
県議会文厚委で追及

1999年10月8日 琉球新報
公述記録の公表など確認
監修委 県への不信感あらわ

県庁激震
新事実の発覚に衝撃

1999年10月8日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 7
平和意識の変容と沖縄の位置 和田進
弱められる「軍事拒否」
重い役割担う沖縄の訴え
少ない「国民の抵抗」 「非武装平和」揺らぐ 米・軍事覇権の秩序 「加害」拒否する沖縄 資料館問題に見る意識の弱化

1999年10月8日 沖縄タイムス
米軍基地からの嵐 オフ・リミッツの策謀 2 津野武雄
対象は特殊地区へ
業種の別なく店舗ごと適用

1999年10月9日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 24 我部政明
日米共同声明案
核、財政で大きな隔たり
「朝鮮有事」に強い姿勢
利益の相違点 日本のメンツ 米側の期待感

1999年10月10日 沖縄タイムス
対論 平和資料館

討論者
翁長雄志氏(自民党会派代表)
伊波洋一氏(結の会、文教厚生委員)
進行役・諸見里道浩本社論説委員(社会部長)

認識の相違から発展
問題の所在
個人の歴史観が発端 伊波氏
監修委の在り方疑問 翁長氏

沖縄戦の実相
「行き過ぎ」の意見も 翁長氏
反映されぬ客観事実 伊波氏

県の密室作業が要因
監修委員会
「中立性」に疑い持つ 翁長氏
県政の認識足りない 伊波氏

行政の責任
職員のモラルに影響 伊波氏
一貫性のなさを露呈 翁長氏

クロス
質問権の放棄は遺憾 翁長氏
読み返して「沖縄戦」 伊波氏

今後の課題
「信頼関係」が大事 伊波氏
素直に意見交換を 翁長氏

1999年10月10日 沖縄タイムス
嘉手納基地
航空管制態勢を改善
新任曹長 大事故の恐れ指摘で
要員増やし業務量削減

1999年10月11日 琉球新報
沖縄戦の真実 新平和祈念資料館展示変更問題 7 大城立裕
平和祈念の思想
加害と被害の普遍化を
「過剰な遠慮」脱け出して

1999年10月11日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
与党の普天間 県内移設促進決議案
知事の最終決断へ地ならし
気脈通じ用意周到…
公明の対応 焦点
絶好のタイミング 整合性で激論か 公明に打診

1999年10月11日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 8
軍事大国化の内的要因 渡辺治 上
背景に企業の海外進出
軍事力で権益守る
政治の転換 財界の要請 

1999年10月12日 沖縄タイムス
米軍基地からの嵐 オフ・リミッツの策謀 3 津野武雄
政治弾圧で住民分断
土地闘争は分極、沈静化

1999年10月12日 琉球新報
「平和行政後退」と批判
新資料館問題 記者座談会

議会の追及
野党の主張で資料提出
与党は監修委の中立性突く

県政への打撃
県民から厳しい目
「不透明さ」絶えず指摘

今後の課題
不十分な県の〝自己検証〟
ガラス張り県政で再出発を

知事自ら県民に釈明を
変更の事実
銃持たない日本兵製作
「見え消し」業者に渡る

三役の関与
始まりは知事発言
責任は現場に押し付け?

県の対応
二転三転した説明
証拠隠しと取れる行動も

1999年10月12日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 9
軍事大国化の内的要因 渡辺治 下
戦争加担の実感希薄
「国際平和」うたい軍事介入
戦前と異なる軍国主義 自由な市場秩序 国民経済を破壊 大企業の不満 沖縄の運動

1999年10月13日 沖縄タイムス
米軍基地からの嵐 オフ・リミッツの策謀 4 津野武雄
軍の秩序維持へ強権
調査官が店舗をチェック

1999年10月13日 琉球新報
県「変更前に戻す」
新資料館問題
内部文書群も提出
監修委 全会議録を公開へ

1999年10月13日 琉球新報
「ヘリパッドの見直し要望」
日本鳥学会が決議
→東村高江 北部訓練場

1999年10月13日 琉球新報
屈辱的で不平等な日米地位協定
名渡山兼治
抜本的見直し望む
加害者の所在確認措置を

1999年10月14日 沖縄タイムス
米軍基地からの嵐 オフ・リミッツの策謀 5 津野武雄
政治的な報復色濃く
市民同士の対立構図生む

1999年10月14日 琉球新報
三役の変更指示を否定
新資料館問題で知事会見
責任明確にせず
行政上の不備を謝罪

1999年10月14日 琉球新報
県議会
「数の暴挙」と怒り
普天間県内移設促進案 200の傍聴席埋まる

1999年10月14日 琉球新報
「批判 遺憾に思う」
資料館問題知事会見
平和観の違い強調
報道に反論 「立派な資料館造る」

1999年10月14日 琉球新報
「わだかまり残ったまま」
監修委の不信感消えず

問題の本質 認識がない
八重山の監修委員

1999年10月14日 琉球新報
渡名喜村
米軍ヘリが緊急着陸
9月24日 役場に連絡なし

1999年10月15日 琉球新報
早期県内移設を可決
普天間飛行場
与党25人の賛成多数
県議会、徹夜の審議

政府としても真摯に取り組む
小渕首相

早期解決に意欲
青木官房長官

候補地選定を加速
稲嶺知事 国の支援策を要望

1999年10月15日 琉球新報
やまぬやじに退場命令
「普天間」県内移設決議
傍聴席も混乱
「反基地の歴史覆す」と非難も
県議会

宜野湾
市民に「賛否」交錯
「現実的対応を」「県内はだめ」

北部
反対派住民
「新たな犠牲生む」
誘致派は「当然だ」と歓迎

名護市大浦区
ヘリ基地建設反対を決議
20日に久志13区で意見表明

1999年10月15日 琉球新報
未明の議場 騒然
県議会決議
採決
「沖縄の未来売るのか」
基地の〝固定化〟懸念
傍聴人
「犯罪的行為」と糾弾
公明党
県民の合意を得るのは困難
2議員採決時に退場

「解決の糸口に…」
比嘉盛光宜野湾市長
移設先には口重く

区民投票で意思示す
名護市辺野古区

移設作業の断念を要請
名護市議会有志

決議を重く受け止める
宮城茂北部振興会長

ベターな選択としての判断
宮城篤実嘉手納町長

基地が残れば前進ではない
親泊康晴那覇市長

1999年10月15日 琉球新報
渡名喜村での米軍ヘリ緊急着陸
韓国基地所属と判明
油漏れが原因 県、週明けに抗議

1999年10月15日 琉球新報
「県内移設」未明の可決
「普天間決議案」で県議会軍特委
与党の賛成多数
会期を1日延長 「県内」明記は初

知事、来月にもシュワブに決断

1999年10月15日 琉球新報
正念場迎えた普天間移設
解説
整理縮小の根拠見えず
水面下の支援策調整は加速

1999年10月15日 琉球新報
識者評論
江上能義 琉球大学教授
世論二分、苦悩深まる
振興策だけでは暗礁に

1999年10月16日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 25 我部政明
日本は沖縄次第
基地機能は損なわれない
マイヤー駐日大使の「結論」
「本土並み」の抜け穴 「核」での進言

1999年10月16日 琉球新報
秒読み知事決断 「普天間」県内移設決議 上
高まる緊張
政府に期待と不安
振興策で県サポート

1999年10月16日 琉球新報
核心評論
普天間県内移設決議
名護市議会の否決、資料館…
シナリオ狂わせる
試される政府、県の状況判断

1999年10月16日 琉球新報
新聞週間 10月15日~21日 記者の取材ノートから 2
国旗国歌
語ることは本当に自由か
実名報道で試行錯誤

1999年10月17日 琉球新報
秒読み知事決断「普天間」県内移設決議 中
正念場
年内決着へ歯車回る
最難関は県民の合意形成

1999年10月17日 琉球新報
普天間代替使用期限 「15年にこだわらず」
稲嶺知事
実質的な公約変更か
候補提示の時期、明言せず

1999年10月18日 琉球新報
秒読み知事決断「普天間」県内移設決議 下
揺れる名護
広がる反発、反目
サミット協力拒否の動きも

1999年10月19日 琉球新報
嘉手納弾薬庫で沖縄市
市有地を再提供へ
最長の20年間契約
基地の一部 共同利用を条件に

文化、交流施設を検討
第二ゲート周辺共同利用

→仲宗根正和沖縄市長

1999年10月19日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 10
政治潮流・県内 福島良一
サミットのアメとムチ
「国策」優先と沖縄の選択
国策の奔流 「懐柔」と「操作」 「巻き込まれ」の危険 基地と金

1999年10月19日 琉球新報
新聞週間 10月15日~21日 記者取材ノートから 4
情報源の秘匿
新聞社の生命線

1999年10月20日 琉球新報
エンジン1基停止
嘉手納に緊急着陸
米軍機
→EP-3機

1999年10月20日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 11
政治潮流・揺らぐ座標軸 新崎盛暉
基地と共生・共存へ
「沖縄的」を投げ捨てる
ヤマトゥになりきれない… 日本の一県 銃剣とブルドーザー 革新の変質・保守の変質

1999年10月21日 琉球新報
親川公室長
「機能強化でも縮小なら前進」
普天間移設 統一連の反対要請に

1999年10月21日 琉球新報
返還前 沖縄に1200発の核
米機密文書公開で判明

1999年10月21日 琉球新報
解説
核基地だった日本
沖縄に時代超えた負担
米国の核配備

沖縄、日本本土に配備された核兵器(関連兵器を含む)

核抑止の重要拠点を裏付け
沖縄の核問題に詳しい我部政明・琉球大学法文学部教授(国際政治学)

月日 不明
情報の死角
核兵器と安保条約
最大の問題は〝持ち込み〟
米外交文書で明らかに
40年前の安保改定交渉
岸信介首相 マッカーサー二世大使 安保条約 非核三原則

「寛容」だった首相ら
世論に押されて
非核三原則表明

核と安保めぐる主な経緯

1999年10月22日 琉球新報
米軍パラシュート降下訓練
日米合同委で合意
伊江島移転が正式決定
時間枠、大幅に拡大
救助艇経費など日本負担

伊江村長「安全確保を」

→読谷補助飛行場、伊江島補助飛行場

1999年10月22日 琉球新報
降下訓練の伊江島移転
県や周辺自治体「当然」
読谷村、跡利用急ぐ

飛行場返還に道
瓦防衛庁長官

解説
日米政府の調整残る

1999年10月22日 琉球新報
宮城東村長
ヘリパッド受け入れ
振興策3点の実施条件
→高江ヘリパッド

1999年10月22日 琉球新報
移民100周年 当山久三記念碑
米揚陸艦でハワイへ
ホワイトビーチ

1999年10月23日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 26 我部政明
愛知・ロジャース第2回会談
「公式的保証」回避に固執
米軍の戦闘作戦に対し日本
準備交渉第1弾 財政で米、強硬な要求

1999年10月23日 琉球新報
資料館問題 5割が展示変更に疑問
「沖縄戦の実相伝えるべき」
6割「知らない」
高教組が「高校生の意識調査」
国旗国歌は「反対」32%

1999年10月24日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
政府、「1万人」に驚き
〝振興策リンク〟に不信感
サミット反対の動きも
→普天間基地、那覇軍港の県内移設反対県民大会

1999年10月26日 琉球新報
非核証明書運動で連携
先島自治研究集会 平良市で政策座談会

1999年10月26日 琉球新報
嘉手納周辺は大幅増
県が航空機騒音を調査 普天間も高レベル

1999年10月26日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
普天間跡地利用議員立法の波紋
他の基地の場合は…?
知事、評価を留保
県の要望は軍転法ベース
長官の積極姿勢 調整作業に追われる 「普天間だけでは」

1999年10月26日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 12
危機の日本政治 上 山口二郎
詐術と二重思考の国会
手続き空洞化 野党の「脆弱」著しく
チェック機能の低下 新言語と二重思考 全体主義の一歩手前

1999年10月27日 琉球新報
ヘリパッド移設
東村高江区代表ら村長へ
反対決議の尊重を
「地域振興とは別」強調
→高江ヘリパッド

1999年10月27日 琉球新報
ヘリパッド移設問題 村長意向に待った
東村高江区総会
全会一致で反対
「水道敷設とのリンク疑問」

地元意向尊重する
宮城茂東村長の話

1999年10月27日 琉球新報
返還予定のキャンプ桑江北側地区
埋蔵文化財事前調査へ
施設庁方針 速やかな跡利用向け

地主の不安解消に前進
北谷町

1999年10月27日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 13
危機の日本政治 下 山口二郎
市民の民主能力高まる
永田町と異なる政治空間
市民社会のうねり 野党の低迷 義務と愛国心の国民統合 自己決定権の拡大

1999年10月28日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
普天間代替「15年期限」
県、譲歩せず
「県民合意に不可欠」
政府との対立の火種にも
三役一致 政府内に異論強く 世論対策

1999年10月29日 琉球新報
戦争のむごさ忘れるな
元日本兵の松村静夫さん
平和ガイド講座で体験語る

1999年10月29日 琉球新報
普天間代替
シュワブ案を非公式打診
県が名護市幹部に接触
来月下旬、正式決定へ

1999年10月30日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 27 我部政明
返還への財政問題
米資産の算定資料欠如
「通貨交換」に米の関心
四つの分野で検討 交渉進展への期待

1999年10月31日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
ヘリパッド移設に反対した高江区
外れた 村当局の読み
「これ以上の騒音 嫌」
受け入れに含み残す村長
厳しい台所事情 水源地の悲哀 白紙に戻る?



  


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1999年9月

2015年06月02日 / 1999年新聞記事

1999年9月1日 琉球新報
歪められる「平和」 資料館展示変更問題 1
県への反発の発端
知事に説明後 変更
「虐殺」を「犠牲」に 日本兵の銃も外す

1999年9月1日 琉球新報
「国策に反しないように」
県平和資料館展示内容 知事、内容変更指示

1999年9月2日 琉球新報
歪められる「平和」 資料館展示変更問題 2
視点の変化
「住民」から「国」へ
「行政の立場で点検を」

1999年9月2日 琉球新報
「辺野古地区」が最適
「普天間」代替地
知事後援会政策委が提言
埋め立て案有力視
稲嶺知事 「検討材料にする」

1999年9月3日 琉球新報
歪められる「平和」 資料館展示変更問題 3
県の追加提案
「不戦の決意」修正
国連紹介は三役の意向

1999年9月3日 琉球新報
瀬名波通信所
1筆を地主へ返還
米軍用地強制使用 使用期限切れで

1999年9月4日 琉球新報
歪められる「平和」 資料館展示変更問題 4
体験者の証言
模型の図案の基に
なかったことにする?

1999年9月4日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 19 我部政明
韓国に関する議事録
事前協議の適用か否か
「一方的宣言」で日米応酬
日本側提案を拒否 食い違うプレス対応

1999年9月4日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
名護市の住民投票 解釈めぐり新たな対立
普天間基地の移設問題
代替施設すべて反対 反対派
問うたのは海上基地 公室長

1999年9月4日 琉球新報
普天間基地移設地選定
9月議会明示は困難
県、シュワブ軸に詰めの検討
政府は当面静観 側面支援に全力

1999年9月4日 琉球新報
沖縄市が「コザ反米騒動」資料入手
米国民政府 騒乱罪適用に消極的
「緊張高める」と懸念

「米兵逃がし」を裏付けるもの
保坂広志琉大教授の話

1999年9月4日 琉球新報
沖縄の空は危険
米軍の管制員は人手不足で疲労
「いつ事故起きてもおかしくない」

1999年9月5日 琉球新報
歪められる「平和」 資料館展示変更問題 5
議員、副知事…
前県政への疑問も
「見直し」支える知事周辺

1999年9月6日 琉球新報
歪められる「平和」 資料館展示変更問題 6
マラリア祈念館
遺族に憤り
「犠牲者に合わせる顔が…」

1999年9月6日 琉球新報
平和資料館問題
「国策批判の展示いかがなものか」
知事、発言を全面否定

1999年9月6日 琉球新報
「本当の姿を伝えて」 批判 平和資料館展示変更 反発
本紙読者からの意見相次ぐ
歴史の隠ぺいおかしい
醜い部部きちんと直視
少数ながら支持の声も

1999年9月7日 琉球新報
歪められる「平和」 資料館展示変更問題 7
行政の独断
不信感が増幅
否めない監修委の軽視

1999年9月7日 琉球新報
米国の基地汚染
地下水浄化に30年
県議会の視察団帰沖 跡利用で公社設立

1999年9月8日 琉球新報
米国から見たコザ騒動 米国立公文書館資料から 1
「琉球警察は無力」
不満、不信に満ちる報告書

1999年9月9日 琉球新報
米国から見たコザ騒動 米国立公文書館資料から 2
〝扇動〟信じる米軍
住民の怒り、不安が限界に

1999年9月9日 琉球新報
基地内通行を許可へ
三者協
救急、消防など対象
航空機騒音も協議

1999年9月9日 琉球新報
県議会の米国基地視察
高良政彦団長に聞く
浄化制度確立は不可欠
深刻な飛行場跡地の汚染

1999年9月10日 琉球新報
米国から見たコザ騒動 米国立公文書館資料から 3
外出禁止で、さやあて
自警団は「単なるポーズ」

1999年9月10日 琉球新報
私は見た
目撃者の仲田さん出版
伊是名島の虐殺
日本兵の「事実」曲げられない

1999年9月10日 琉球新報
各種法案成立に思う 山﨑浩一
遠ざかる本質的論議
政治を語る言葉が虚構的
民意を素通り お約束の図式 二重の脅威

1999年9月10日 琉球新報
新平和祈念資料館
米軍統治施策を追加
監修委戦後部会 「軍事優先前提に」
委員が初視察

1999年9月11日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 20 我部政明
事前協議の米公文書
基地権の変化を指摘
日米間で詳細に取り決め
対等性を強調 重要な配置変更とは 琉球作業班

1999年9月11日 琉球新報
平和祈念資料館
久手堅さんが資料引き揚げ
私の意図に反する
今後は個人で展示会

1999年9月11日 琉球新報
平和資料館展示問題で県に要請
日本婦人会議県本部

1999年9月11日 琉球新報
三連協 事故原因の具体的説明を
ハリアー機の訓練再開
周辺住民の不信感懸念

1999年9月11日 琉球新報
「普天間」跡利用で政府に8項目要請
宜野湾市の保守系議員

1999年9月12日 琉球新報
朝鮮人、住民の動員削除
八重山平和祈念館 県が説明文大幅変更
「歴史改ざん」との指摘も
かすむマラリアの悲劇

1999年9月12日 琉球新報
八重山平和祈念館の説明文変更
本館との整合性強調 「県の権限でやる」
行政主導に監修・専門委ら反発

1999年9月12日 琉球新報
紙面批評 新報を読んで 前利潔
「資料館」報道で考えたこと
うやむやにされてはいけない

1999年9月12日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
共同使用提案 目的は米軍の権限留保
米軍泡瀬通信所の保安水域解除問題
新たな基地提供と批判も
米軍管理下での海浜開発が課題
難航した交渉 沖縄市の姿勢 反発

1999年9月12日 琉球新報
米国内基地の環境浄化対策  上 伊波洋一
地域再開発公社を設立
費用は国防総省が負担

1999年9月13日 琉球新報
米国から見たコザ騒動 米国立公文書館資料から 4
緊張が緩和し、新年会
ランパートが本国に書簡

1999年9月13日 琉球新報
米国内基地の環境浄化対策 下 伊波洋一
汚染個所の特定が重要
返還前の立ち入り調査不可欠

1999年9月13日 琉球新報
米軍基地の環境問題 ドイツの場合 上
空軍基地
危険物研究所を設置
ドイツの厳しい環境基準を適用
基地内廃水施設 危険物の対応

1999年9月13日 沖縄タイムス
基地跡利用の課題 県議会米国視察報告 中 幸喜勝
跡利用
法整備し制度確立
政府の責任で財政支援

1999年9月13日 琉球新報
沖縄戦の真実 新平和祈念資料館展示変更問題 1 安仁屋政昭
「国体護持」のための戦争
「皇軍玉砕」の道づれに
基本的な認識が問われる

1999年9月13日 琉球新報
知事 報告受けたが問題整理へ
八重山平和祈念館説明文変更
特命事項で調査指示
太田次官 「5月に監修委に説明」

1999年9月13日 琉球新報
北部地域振興は積極的な対策へ
稲嶺知事

1999年9月13日 琉球新報
「怒り心頭」「許し難い」
八重山平和祈念館説明文変更
監修委ら県に抗議へ
韓国人関係者も失望

識者の視点
文部省の教科書改ざんと同じだ 徳武敏夫氏(家永裁判支援全国連絡会常任委員)
平和希求する心 内外から疑問視 高嶋伸欣氏(琉球大学教育学部教授)

1999年9月13日 琉球新報
三連協連協 舞台裏を探る
米軍自身の意向目立つ共同声明
四軍調整官の思惑働く
環境、騒音問題の新しい改善策なし
堅いガード 被害実感とずれ

1999年9月14日 琉球新報
米国から見たコザ騒動 米国立公文書館資料から 5
反米でなく「反米軍」
日米両政府に教訓

1999年9月14日 琉球新報
米軍基地の環境問題 ドイツの場合 中
ボン補足協定
独政府に立ち入り権
事前通告なくても基地内調査が可能
FGS 協定

1999年9月14日 琉球新報
沖縄戦の真実 新平和祈念資料館展示変更問題 2 中山良彦
資料館の展示手法 上
惨禍を〝モノ〟が語る
平頂山事件アウシュヴィッツ 実物がもつ迫力

1999年9月14日 琉球新報
八重山平和祈念館問題
変更説明聞いていない
監修委員 県に対し反発

八重山平和祈念館の経過

県は私たちをすっぽかした
知事発言に委員憤る

1999年9月14日 琉球新報
政策参与に事実関係の「整理」指示 混迷した内部事情を露呈
平和祈念館問題で知事が異例措置

1999年9月15日 琉球新報
米軍基地の環境問題 ドイツの場合 下
騒音対策
離着陸を厳しく制限
周辺住民に対し14億円の補償金
住民担当アドバイザー 騒音ゾーン

1999年9月15日 琉球新報
沖縄戦の真実 新平和祈念資料館展示変更問題 3 中山良彦
資料館の展示手法 中
蝋人形の過剰な演出
独立記念館 リアルな拷問シーン

1999年9月15日 琉球新報
新資料館の壕復元模型変更
県、事務的ミスを強調
平和発信部会

1999年9月16日 琉球新報
沖縄戦の真実 新平和祈念資料館展示変更問題 4 中山良彦
資料館の展示手法 下
プロセスをガラス張りに
改ざん許さぬ平和運動を

1999年9月16日 琉球新報
旧軍の強制収用ない
読谷、嘉手納飛行場で政府
地元の跡利用計画は尊重

支払めぐり再提訴も検討
嘉手納権利期成会

1999年9月17日 琉球新報
監修委ら猛反発
「避難」あり得ぬ
八重山平和祈念館書き換え問題 「国の責任薄める」

1999年9月17日 琉球新報
八重山平和祈念館
「強制退去」を「避難命令」に
県、根幹部分を変更指示

1999年9月17日 琉球新報
戦跡詳細分布調査
4人の識者に委嘱状
報告書は平和学習で活用

1999年9月18日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 21 我部政明
隠されてきた事前協議の全容
密約を否定する日本政府
日米の「対等」性アピール
米軍側の本音 4つの原則が存在 核搭載艦の寄港

1999年9月18日 琉球新報
「偏向部分、説明していない」
八重山平和祈念館問題
県「了解得ず」認める
元監修委員ら抗議

1999年9月18日 琉球新報
八重山祈念館問題
県「他意ない」繰り返す
「避難命令」認めず
元監修委員と金城局長 話し合い平行線

1999年9月18日 琉球新報
監修委と県副知事のやりとり
強制退去は軍命令 監修委
慰謝事業の一つ 副知事

1999年9月19日 琉球新報
事実のわい曲は歴史に反逆
平和資料館問題でシンポ
県への決議書採択
内容変更の公開要求

1999年9月19日 琉球新報
平和資料館問題シンポ
沖縄戦の基本認識欠如

パネリスト
宮城悦次郎氏 県平和祈念資料館監修員会長代行
潮平正道氏 八重山平和祈念館元監修委員
中山良彦氏 博物館展示総合プロデューサー
安仁屋政昭氏 沖縄国際大学教授

中山良彦 中国での残虐行為の延長
安仁屋政昭 国体護持の観点忘れずに

1999年9月20日 琉球新報
全般にわたり大幅変更
平和資料館問題
〝見え消し〟資料入手
「最終案」と業者に指示

1999年9月20日 琉球新報
「監修委の承諾得ず」
八重山平和祈念館問題
知事、前言を撤回
展示内容の変更見直す
県資料館 監修委任期延長へ

1999年9月20日 琉球新報
社説
平和行政
本当に他意はないのか
→八重山平和祈念館、県平和祈念館問題

1999年9月20日 琉球新報
倉庫に眠る「証言ビデオ」 新資料館で県に問う 上 森口豁
変転する県の予算発言
策を弄した結果か
戦争証言の価値 不可解な県の対応

1999年9月21日 琉球新報
倉庫に眠る「証言ビデオ」 新資料館で県に問う 下 森口豁
不明確なコンセプト
監修委員会に諮られず
仕上げの提言 映像の力

1999年9月21日 琉球新報
解説
県は「勉強会」強調
監修委軽視の姿勢露呈

1999年9月21日 琉球新報
県との溝、一層深まる
平和資料館問題
監修委 6時間審議で疲労の色

消えない警戒感 八重山の関係者

望む文書出ず不満 監修委の会見

1999年9月21日 琉球新報
県平和資料館展示変更問題
県、資料提出を拒否
監修委「大きな力働いている」

1999年9月21日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 1
てい談 上

出席者
宮里政玄氏 沖縄対外問題研究会会長・国際政治学
新崎盛暉氏 沖縄大学教授・沖縄現代史
高嶺朝一 琉球新報社編集局長

社会全体が総右傾化 宮里
「戦争できる国」に 新崎
安保の新枠組みなし 高嶺
北朝鮮に最も強硬 「国境を超えた義務」 アメリカの補助勢力 進まぬ実質的改革

1999年9月23日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 2
てい談 中
問題は「従属」からの脱却 宮里
沖縄の「分極化」を懸念 新崎
対等でない日米関係 高嶺
東アジアの在沖基地 日本政府の操作

1999年9月25日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 22 我部政明
隠されてきた事前協議の適用除外
「核持ち込み」日米で了解達せず
米側解釈に依拠する日本
五つの存在 一方的な解釈 大平・ライシャワー会談

1999年9月25日 琉球新報
4月の米軍ヘリ墜落 原因は「操縦ミス」
米軍報告書
整備の過失はなし
県、外務省報告受け公表

1999年9月25日 琉球新報
「普天間」移設
陸上、埋め立て両案に反対
辺野古区行政委可決 13対1の賛成多数

コメントできぬ
県首脳の1人

1999年9月26日 琉球新報
沖縄20世紀の光芒 通年企画 38
生存権求めて―土地闘争
踏みにじられた「民意」
米軍、銃と重機で追い出す
偽りの理由 削られた補償 婦人が反旗 孤立した32戸 古里は遠く

識者の視点
「無抵抗の抵抗」を堅持
石原昌家氏 沖縄国際大学教授

土地闘争関連年表

1999年9月26日 琉球新報
ニュース透視鏡'99
普天間移設 県の作業に影響必至
辺野古区行政委が「埋め立て」「陸上」に反対
〝頭越し〟の選定に不信感
危機感 隣接区に拡大も 口重い県首脳

1999年9月26日 琉球新報
新たに地主会を設立
米軍嘉手納弾薬庫地区
跡利用に向け作業着手へ

1999年9月27日 琉球新報
「批判は事実反映せず」
資料館問題で知事
調査結果基に見解
「情報公開不足」を強調

1999年9月27日 沖縄タイムス
いま語る
平良修さん
市民運動 信仰が意味持つ
「良心の闘い」を

1999年9月27日 琉球新報
米軍弾道ミサイル観測機
今年3回目の飛来
嘉手納基地
→RC135S

1999年9月27日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 3
てい談 下
ナショナリズムの克服 高嶺
アジアとの友好関係を 宮里
国際的な連携視野に 新崎
一国覇権主義 戦略研究センター 国民の生き方の問題

1999年9月28日 琉球新報
政府PCB調査始まる
県内環境企業に委託
嘉手納基地

1999年9月28日 琉球新報
監修委抜きの変更は枝葉
八重山平和祈念館問題
「調査外」と参与
業者「県の瑕疵を無視」

「県側にも問題」
比嘉参与が弁明

八重山
「監修委批判」に強い憤り
議事録公開にも疑問

「監修委に責任」
比嘉参与

1999年9月28日 琉球新報
県、責任逃れに終始
解説
程遠い真相究明
知事、疑問に十分答えず

「監修委の意見尊重を」
大浜石垣市長

調査結果受け監修委員談話
宮城悦次郎氏 県庁内部の調査を
石原昌家氏 何か裏があるのでは

1999年9月28日 琉球新報
平和資料館問題
監修委、県に抗議へ
調査結果に強く反発 「行政内部は調べず」

1999年9月28日 琉球新報
自民県連
新平和祈念資料館問題
県に情報公開求める

1999年9月28日 琉球新報
社説
沖縄戦展示変更
釈然としない調査報告
不透明な内容に一層疑問
なぜ「事実反映しない」 誰が歪めた戦争の実相

1999年9月29日 琉球新報
いま語る
平良修
良心の闘い
沖縄に譲れぬ一線がある
たまる怒りのマグマ

1999年9月29日 琉球新報
新報文学 新城郁夫
川村湊他「戦争はどのように語られてきたか」
生き方としての〝再定義〟
新たな戦争の「語りなおし」

1999年9月30日 琉球新報
県の説明 二転三転
資料館問題
会見3時間、疑問そのまま
比嘉参与「頭冷やす」

1999年9月30日 琉球新報
平和祈念館 内容変更問題
知事ら三役も把握
会議録と県の全資料公開へ
比嘉参与 一部 再調査を表明

1999年9月30日 琉球新報
まーんかい日本 沖縄の針路 4
平和憲法の理念と危機的現況 上 高良鉄美
「智による平和」築け
国民脅かす安保の変容

1999年9月30日 沖縄タイムス
思潮99 加勢俊夫
怯むことは何もない
歴史の真実に反逆不可能
物語りに名を借りる利権追求
正しい過去、歪んだ過去 沖縄に来たくないなら



  


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1999年8月

2015年03月17日 / 1999年新聞記事

1999年8月

1999年8月2日 沖縄タイムス
茶のみ話
普天間基地
田場由二(78)

1999年8月2日 琉球新報
定着していますか 日の丸・君が代の今 1
理由は「言えない」
人気歌手が歌う君が代

1999年8月3日 琉球新報
定着していますか 日の丸・君が代の今 2
これが私たちの国旗
6年生50人が制作

1999年8月3日 琉球新報
落ち穂
記念碑の意味
安里陽子(国際NGO勤務)

1999年8月3日 琉球新報
ニュース透視鏡 ‘99
普天間返還促進協設置の背景
市の県内移設容認狙う
跡利用制度確立を明確にすることも
県、国は評価 地主の不安解消を 市長の戸惑い

1999年8月3日 琉球新報
SACO合意の不備露呈
米兵事故損害賠償訴訟
所在不明で判決文戻る
宙に浮く補償手続き

1999年8月4日 琉球新報
定着していますか 日の丸・君が代の今 3
映像は場所不明
NHK、‘53年から放送

1999年8月4日 琉球新報
〝写真の鎖〟で基地表現
名護出身大学生山城さんが個展
2100枚、「沖縄の不安」
北谷町役場

1999年8月4日 沖縄タイムス
米軍偵察機が緊急着陸
嘉手納基地 無線装置に障害
→RC135V

1999年8月5日 沖縄タイムス
民間地域に米軍車両
宜野座 故障で空き地占領

1999年8月5日 琉球新報
おばぁが笑ってV 第423話
平和の礎、うちはもう行かないよ。
あっち行ったら、…さびしいのに。
玉城マツさん

1999年8月5日 琉球新報
定着していますか 日の丸・君が代の今 4
日の丸のない宮殿
君が代も限られた機会

1999年8月6日 琉球新報
定着していますか 日の丸・君が代の今 5
富士を背景に掲揚、斉唱
青年の家でトラブルも

1999年8月6日 沖縄タイムス
それぞれの心風景 日の丸・君が代 1
今新たな「戦前に」
旗ふり戦場へ送った 戦意高揚と皇民化象徴
アジアへ謝罪ないまま使われて
中村文子さん(85)1フィートの会事務局長

1999年8月6日 琉球新報
落ち穂
YHで考えた戦後平和教育
新垣正美 神戸大学大学院生

1999年8月6日 沖縄タイムス
茶のみ話
軍事民政官
照屋英一

1999年8月7日 琉球新報
「普天間」移設 検討地概要

1999年8月7日 琉球新報
定着していますか 日の丸・君が代の今 6
法制化でも売れません
日章旗の業者は期待薄

1999年8月7日 沖縄タイムス
それぞれの心風景 日の丸・君が代 2
踏み絵だよね
考え方モロに 自身は「遠い存在」
レンズ越しの「被写体の旗」
石川真生さん(46)写真家

1999年8月7日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 15 我部政明
米政府内での組織的対応
「占領」は〝G-3〟の管轄
統治の全権限を弁務官に
実施機関の米民政府 IG/EAが推進役 共同声明作成グループ

1999年8月7日 琉球新報
普天間移設
県内候補地は12カ所
シュワブ沖を有力視
県 3、4カ所に絞り込みへ

1999年8月7日 琉球新報
解説
野中長官発言
「日の丸」の後は「靖国」
戦後総決算へ強い思い

憲法に抵触するか見守る
清水睦中央大教授(憲法)の話

1999年8月7日 琉球新報
エッセー 風流無談
「ひ」と「ふ」 目取真俊

1999年8月8日 沖縄タイムス
それぞれの心風景 日の丸・君が代 3
違和感はない
自然に口ずさんだ 政治とは無関係
スポーツの世界そのもの
平仲信明さん(35)元プロボクシング世界チャンピオン

1999年8月8日 琉球新報
ニュース透視鏡’99
米兵損害賠償訴訟判決文の不送達問題
「事故に加え二重の苦痛」
やりきれなさ 過去にも不送達 ギャップ

1999年8月8日 琉球新報
判決文 不送達問題
県、3者協幹事会に提起
現地解決可能か協議
本会議の来月開催を確認

1999年8月10日 琉球新報
戦争と平和を考える 上 大月隆寛
現状肯定に堕した平和論
価値と有効性の再点検を

1999年8月10日 琉球新報
「皇国」の捨て石 南洋群島慰霊の旅 上 今泉裕美子
おきなわの塔
68年建立 帰還者の願いかなう
30回目の慰霊祭 衰えない参加者数
サイパン
群島へ毎年の慰霊 琉球政府による建設 苦しみと絶望の死

1999年8月11日 琉球新報
米軍ヘリが不時着
油漏れ 村営グラウンドに
東村平良

1999年8月11日 琉球新報
戦争と平和を考える 下 中西新太郎
尊厳への渇望満たす道を
戦争に対する想像力が変化

1999年8月11日 琉球新報
「なぜ」、不信感募る
新平和祈念資料館の展示変更
史実基づくのは責務
内容の公開求める声も
→県平和推進課が監修委員の承諾を得ないまま模型の一部を変更。

1999年8月11日 琉球新報
米軍基地の環境立ち入り調査
約4割が制度化求める
県の地主意向調査 返還望むは過半数

1999年8月11日 琉球新報
「戦争資料 引き揚げる」
新平和祈念資料館
所有者が県に通告
展示方針に強い不信感
水筒、衣類など150点

1999年8月11日 琉球新報
新しい平和祈念資料館
「ガマでの惨劇」の模型 日本兵消える
自決強要の兵士 住民に向いた銃 一部内容を無断変更
監修委が疑問の声

1999年8月11日 琉球新報
表層深層
施行に向けて動き出した国旗国歌法
政府
啓発活動を本格化
教育現場に強い懸念も
要請 従来通り 無力感

1999年8月11日 沖縄タイムス
日本を考える 下 石田英敬
記憶の封印と歴史の忘却
日の丸・君が代法制化
第3基国民国家へ 国家の不道徳 スポーツの効果

11日 沖縄タイムス
それぞれの心風景 日の丸・君が代 5
戦争とは無縁
国々で特別な思い 自然な形で覚えた
デザイン明瞭な国旗
桑江良逢さん(77)元陸上自衛隊第一混成団団長

1999年8月11日 琉球新報
「皇国」の捨て石 南洋群島慰霊の旅 中 今泉裕美子
地上戦と玉砕
犠牲強いられた沖縄人
南洋群島 本土防衛の「捨て石に」
日本統治下サイパン群島の沖縄人 南洋群島戦での死者たち 「玉砕」の実感

1999年8月12日 琉球新報
「皇国」の捨て石 南洋群島慰霊の旅 下 今泉裕美子
解放記念日
日米と異質な視点
共通の体験を未来に
慰霊祭 「解放記念日」(Liberation Day) パレードへの参加

1999年8月12日 琉球新報
県、変更を示唆
平和祈念資料館の展示問題
監修委「筋違い」と抗議

1999年8月12日 琉球新報
新平和祈念資料館
「展示内容は検討中」
無断変更で稲嶺知事 監修委開き決定へ

1999年8月12日 琉球新報
米兵に緊張感なし
米軍ヘリ不時着
子供らに機内見学
地域住民 感覚のズレに不信感

「怖い 命が危ない」
住民に不安感 比嘉市長も懸念表明
宜野湾市

1999年8月12日 琉球新報
解説
米軍ヘリ不時着
「普天間移設」にも影
異常な事故頻発
問われる再発防止策

1999年8月12日 琉球新報
東村議会
居住地での飛行禁止を
ヘリ不時着で抗議決議

県が「移設に影響」と抗議

基地問題改善で要請活動展開
軍転協が米軍などへ

1999年8月12日 琉球新報
米国・セラピー事情
戦争の恨みは克服できるか
岩田万里
世代超え 続く苦悩
人種・民族間の亀裂埋める

1999年8月12日 琉球新報
落ち穂
留魂之碑
山根頼子(八重山商工高校図書館司書)

1999年8月12日 レキオ
おばぁが笑ってV 第424話
徳田マツさん
孫だちがいるから、息が、長生きする
赤ちゃん入ったから、沖縄に帰ってきたの。
自分の精神は、子供と一緒だから

1999年8月13日 琉球新報
基地から油流出
普天間川河口 米軍が回収作業
北谷町北前

1999年8月14日 沖縄タイムス
茶のみ話
終戦と逃亡兵
池間金蔵(75)

1999年8月14日 琉球新報
沖縄戦証言記録映像
編集作業2年も放置
予算計上されず
新平和祈念資料館展示予定 「間に合うか」と懸念

「一方的変更するな」
新資料館展示問題 民主団体が県に抗議

1999年8月14日 琉球新報
「私が指示」
平和祈念資料館の展示物変更で太田文化国際局次長

1999年8月14日 琉球新報
平和への祈り 南洋群島墓参・親善の旅 中 伊波秀雄
戦争は人類最悪の惨劇
「おきなわの塔」で合同慰霊祭

1999年8月14日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 16 我部政明
事前協議の形骸化
秘密裏に口頭了承
米、実質的な「イエス」要求
米側の懸念 日米関係の「虚像」 一片の紙切れ

1999年8月15日 琉球新報
平和への祈り 南洋群島墓参・親善への旅 下 伊波秀雄
住民が「おきなわの塔」清掃
今は亡き肉親思い胸熱く

1999年8月15日 沖縄タイムス
沖縄県駐留軍用地等地権者意向調査 学識経験者の見解 1
富川盛武 沖縄国際大教授
基地縮小、産業創出と並行で

1999年8月15日 琉球新報
日曜評論
大田朝章 沖縄弁護士会会長
復帰前の沖縄弁護士会

1999年8月15日 琉球新報
‘99追跡
新平和祈念資料館の展示物変更問題
県政交代が背景
「大幅変更も」と関係者が疑念

1999年8月16日 沖縄タイムス
沖縄県駐留軍用地等地権者意向調査 学識経験者の見解 2
仲地博 琉大教授
地主主体の跡利用計画必要

1999年8月16日 琉球新報
ナショナリズム形成の怠惰 下 川満信一
サミット前に法律量産 ターゲットは沖縄?
思想風土 思い責任

1999年8月16日 琉球新報
「沖縄戦の実相伝える」
平和祈念資料館展示変更問題
知事が指示を否定
最終案、監修委に提示へ

1999年8月16日 琉球新報
ニュース透視鏡’99
那覇港一部事務組合設立作業
打開策なく、こう着
西海岸開発に確証求める浦添市
県、調査結果前の方向性示せず
〝ボール〟はどこ? 「国際都市」を追及 影落とす軍港移設問題

1999年8月17日 琉球新報
米軍ヘリ不時着
「予防着陸」と米軍
外務省も「事故に該当せず」
→東村営グラウンドに着陸したヘリ。

1999年8月17日 琉球新報
ひと
「満州事変」当時の状況に似る
日本の針路に警鐘鳴らすオーストラリア人日本学者
ガバン・マコーマックさん

1999年8月17日 沖縄タイムス
沖縄県駐留軍用地等地権者意向調査 学識経験者の見解 3
保坂広志 琉大教授
「基地内環境」が新たな問題

1999年8月17日 沖縄タイムス
魚眼レンズ
佐原真さん
考古学から「戦争」へ深い考察

1999年8月18日 沖縄タイムス
沖縄県駐留軍用地等地権者意向調査 学識経験者の見解 4
池田孝之 琉大教授
計画策定で地主の意見欠く

1999年8月18日 沖縄タイムス
ニュース近遠景
相次ぐ米軍の油漏れ
施設管理の甘さ露呈
周辺環境への影響大
米軍は気付かず 「再発防止」むなしく 「少量」に不信感

1999年8月19日 レキオ
おばぁが笑ってV 第425話
屋宜ツルさん
戦にわーって逃げているのに、お家の心配するか。自分が元気であったらいいよ
もう大変であったよ、その時代は
みんな燃えて、みんな焼き払いよ

1999年8月19日 琉球新報
平和のデッサン 漫画家から 下
かわぐちかいじさんに聞く
真実を見抜く市民感覚を
国際司法裁判所の創立も

1999年8月20日 琉球新報
〝危険知っているから苦痛〟
宜野湾市議会
緊迫の駆け引き
傍聴券に100人余 「県内」反対の集会も
→「米軍基地普天間飛行場の移設先早期決定に関する要請決議・意見書」の審議。

1999年8月20日 琉球新報
爆音禍125デシベル
普天間基地周辺 市民から苦情

きょう宜野湾市議会で審議
「県内移設」めぐり綱引き
傍聴多数想定し整理券

1999年8月20日 琉球新報
平和資料館
「敵味方ない図案に」
展示内容変更指示で太田次長 県職労に説明

1999年8月20日 琉球新報
あしゃぎ
かなしみ繰り返さないで…
→「忘勿石」を刻んだ元校長 識名信升氏の妻・清氏。

1999年8月20日 琉球新報
日本を考える 下 石田英敬
日の丸君が代
問われる国家の記号
記憶の封印、歴史の忘却
第3期国民国家へ 国家の不道徳 スポーツの効果

1999年8月21日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 17 我部政明
基地自由使用の保証
日本側の「一方的な宣言」
愛知・マイヤー会談 事前協議の継続主張 「定石」持ち出し説得

1999年8月21日 琉球新報
「県内容認」を可決
普天間移設で宜野湾市議会
可否同数で議長採決
県の候補地選定が加速

早期返還へ全力尽くす
稲嶺恵一知事の話

重く受け止める
比嘉盛光宜野湾市長の話

米軍基地普天間飛行場の移設先早期決定に関する意見書案(抜粋)

1999年8月21日 琉球新報
「県民間で基地押し付け」
未明の攻防、やじと怒号
ヘリ基地反対協 「怒り覚える」
宜野湾市議会が「普天間」決議可決

極めて残念
ヘリ基地反対協

1999年8月21日 琉球新報
平和祈念資料館展示問題で声明
国旗国歌推進県民会議

1999年8月22日 琉球新報
ニュース透視鏡’99
「県内移設」を可決した宜野湾市議会の攻防
「シナリオ通り」と野党
与党側には「意外」な結末
「決議だけでいい」 足並み 可決

1999年8月22日 琉球新報
普天間「県内容認」決議 識者に聞く
江上能義氏
問題の難しさ象徴 北部ではさらに緊迫

1999年8月22日 琉球新報
沖縄 21世紀の光芒 通年企画
危険な戦争の遺物―不発弾
経済復興と背中合わせの悲劇
鉄くずブームで死者続出
10年で500人死亡 予想された惨事 収入の道なく 復興の財源に 終わりなき撤去

識者の視点
輸出の6割占めた重要品目

爆発事故関連年表

1999年8月23日 琉球新報
帰国米兵の不明問題で論議
「所在確認は可能」
社会保障番号使い 政府は責任ある対応を
米軍人・軍属事件被害者の会

1999年8月23日 沖縄タイムス
返還時の米軍討議資料「沖縄内における施設の移転可能性」 上 我部政明
地位協定を新たに解釈

1999年8月24日 沖縄タイムス
返還時の米軍討議資料「沖縄内における施設の移転可能性」 中 我部政明
飛行場可能地は2カ所

1999年8月25日 沖縄タイムス
返還時の米軍討議資料「沖縄内における施設の移転可能性」 下 我部政明
日本政府の財産支援

1999年8月25日 沖縄タイムス
ミッドウェー環礁に思う 下 宮城晴美
進む〝戦争体制準備〟
従順からの脱却を
逆流しだした歴史

1999年8月26日 沖縄タイムス
新局面 「普天間」移設 4
地ならし
苦慮する革新市長
凍結による事故が不安

1999年8月26日 琉球新報
開発庁概算要求に沖縄戦の調査経費
資料集めでは不十分
研究者 「せめて現場調べて」

1999年8月26日 琉球新報
米軍泡瀬基地の保安水域問題
来月にも埋め立て申請
日米共同使用で正式合意へ
新たな基地提供と反発も
米軍泡瀬通信基地
東部海浜開発計画

1999年8月26日 琉球新報
在沖米軍基地
半数が整理縮小に賛成
駐留軍離職者対策センター
元基地従業員対象に調査

1999年8月27日 琉球新報
新平和祈念資料館の壕模型
「銃持つ日本兵」復活
住民に自決強要の衛生兵も
監修委員会 部会で確認 県、製作に着手

製作当初やはり銃なし
本社、写真を入手

1999年8月27日 琉球新報
県平和祈念資料館
「展示内容の公開を」
県内平和3団体が再度要請

1999年8月28日 沖縄タイムス
沖縄の施政権返還とは何だったのか 18 我部政明
日米安保条約第7条とは
事前協議制の欠陥
日本に「拒否権」はあるのか
自由使用の拡大 公海上での攻撃

1999年8月28日 琉球新報
残虐性薄めるよう指示
新県平和祈念資料館
「18項目」の展示内容を変更
「残虐」を「犠牲」に書き換え
県幹部らが見直し

1999年8月28日 琉球新報
県平和資料館展示変更問題
「沖縄戦の史実隠ぺい」
市民団体が厳しく批判

1999年8月28日 琉球新報
県平和祈念資料館問題
「戦後の展示」でも変更指示
「米軍統治良い面も」
監修委の承諾得ず作業

1999年8月28日 琉球新報
沖縄戦の実相 骨抜きに
新平和資料館 展示内容変更
不信感募らせる監修委
「白紙撤回は当然」

1999年8月29日 沖縄タイムス
核心評論
稲嶺県政の明白な失策
守るべき聖なる使命

1999年8月30日 沖縄タイムス
明言避ける稲嶺知事
平和祈念資料館問題
いらだち隠せず
「最終的に監修委に任せる」

1999年8月30日 琉球新報
展示変更は選択肢のひとつ
新平和祈念資料館問題
「検討段階」を強調
稲嶺知事 「基本方針変わらず」

1999年8月30日 沖縄タイムス
基地従業員の実相 離職者アンケートから 上 宮国忠広
特殊な就労形態
再就職を妨げる要因に

1999年8月30日 琉球新報
いま語る 目取真俊
沖縄と私
「最悪の選択」を考える
編み出したい独自の文章

1999年8月31日 琉球新報
「集団自決」の写真外せ
県、マラリア資料館へ指示
担当者は否定

1999年8月31日 琉球新報
「実相隠し」石垣でも
マラリア資料館
監修委から反発
写真説明変えて展示

1999年8月31日 琉球新報
「消防法」理由に変更指示
八重山祈念館問題
県、開館前に突然要求
地元消防「問題ない」

1999年8月31日 琉球新報
県の姿勢に「断腸の思い」
遺族会が怒り
八重山祈念館展示内容変更
抗議や要請も検討

1999年8月31日 琉球新報
平和資料館
「国連の役割」追加展示案
監修委全体で検討

1999年8月31日 琉球新報
基地従業員の実相 離職者アンケートから 下 宮国忠広
雇用への不安反映
整理・縮小に「反対」26%




  


Posted by 糸満のカッパ at 21:40

1999年7月

2015年03月13日 / 1999年新聞記事

1999年7月

1999年7月1日 沖縄タイムス
二十世紀の瞬間
沖縄戦で負傷の「LIFE」誌カメラマン撮影
サイパンから本土空襲
米軍、マリアナ諸島制圧

1999年7月1日 沖縄タイムス
投稿 
盗聴法案 奪われる国民の基本権

1999年7月1日 琉球新報
沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 石原昌家 1
政府の責任
忘れ去られた戦争犠牲者
問われる調査法や対象枠
あいまいな家族員数 存在が消えた人々 「平和の礎」の補充を

1999年7月1日 琉球新報
インタビュー 日の丸君が代 法制化 3
米国への抵抗で掲揚運動
元沖教組委員長 福地曠昭氏
国体時に政治が介入

1999年7月2日 琉球新報
インタビュー 日の丸君が代 法制化 4
敬意を表すのは当然
元自民党県連幹事長 平良哲氏
戦前、利用されただけ

1999年7月2日 琉球新報
沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 2 石原昌家 2
「援護法」の問題
軍への「協力」が基準
歪められた住民犠牲の真実
戦没認定の時期 厚生省の文書 記録の二重構造

1999年7月2日 琉球新報
陸上自衛隊 緊急即応部隊を計画
「国境の島」防衛
朝鮮半島、尖閣にらむ
400人規模、2001年度編成

1999年7月2日 琉球新報
今晩の話題
「基地汚染」

1999年7月2日 琉球新報
新たに騒音測定器
嘉手納町が屋良地区に
独自の調査体制確立

1999年7月3日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 10 我部政明
核兵器の撤去
貯蔵と通過権の獲得
米軍の行動の自由が条件
四つの基本方針 説得力ある判断 取り決めの利点

1999年7月3日 琉球新報
インタビュー 日の丸君が代 法制化 5
軍国主義教育の象徴
海邦国体で日の丸焼いた知花昌一氏
押し付けの危ぐ現実に

1999年7月3日 琉球新報
エッセー 風流無談
記録された声 目取真俊

1999年7月4日 琉球新報
沖縄21世紀の光芒
幻の沖縄・台湾併合―南洋道
「置き去り」策に危機感噴出
自立的発展の手だてなく
はだしと靴 〝暴言〟黙殺 不心得千万 奈良原批判も かぎを手に

南洋道関連年表

識者の視点
又吉盛清氏 浦添図書館長
中央の動向で浮き沈み

1999年7月5日 琉球新報
論壇 国旗・国家法制化 小熊英二
不明確な「愛国心」
理念、目的説明されず

1999年7月5日 琉球新報
沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 3 宮城晴美
朝鮮人「慰安婦」・軍夫
人数と経緯解明を
不明の強制連行犠牲者ら
刻まれぬ名前 消息不明 何のための調査か

1999年7月5日 琉球新報
論壇
許されない強制
危険な立法「日の丸・君が代」

1999年7月6日 沖縄タイムス
迫りくる 国旗国歌法 4 高良鉄美
「愛国心」教育 軍事と並行
国家総動員体制の積み上げ

1999年7月6日 琉球新報
沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 4 宮城晴美
調査の視点
集団自決は〝美談〟か
真実の検証と不戦の誓いを
国家責任の回避 県独自の整理を
参議院・照屋寛徳氏へ

1999年7月6日 琉球新報
「採決前の通過儀礼だ」
平和団体
国旗国歌法案沖縄公聴会
国民的論議尽くせ
教職員組合 再度反対を表明

法制化強行するなと要望書
「広島県民の会」

早期の立法化を 賛成派
県内6氏の意見陳述人
それぞれの立場で主張
賛否に意見が分かれる

「賛成」「反対」渦巻く 明治以来、法制化の外
日の丸君が代
日の丸は幕府が採用 君が代の元歌は古今集 教育では既に国旗国歌

1999年7月6日 琉球新報
評論
君が代法制化の動きに 中西新太郎
国家がつくる一体感の変化
問われる客観的な無自覚さ

1999年7月6日 琉球新報
6月県議会一般質問
「環境浄化は返還前に」
米軍基地で稲嶺知事
日米政府の責任
制度、財産措置が必要

1999年7月6日 琉球新報
日の丸・君が代への心模様 国旗国歌法案 1
戦争の記憶
賛否下せず 思い複雑
憲法改正の動き懸念
兄弟失わせた軍国主義

1999年7月6日 沖縄タイムス
論壇
国旗国歌法制化は慎重に
平良修

1999年7月7日 琉球新報
日の丸・君が代への心模様 国旗国歌法案 2
復帰のシンボル
掲揚を推進した教組
「矛盾」総括されず
憲法上、法制化には反対

1999年7月7日 琉球新報
質疑 わずか2時間で幕
国旗国歌法案沖縄公聴会
評価 失望 もどかしさ
賛成派にも複雑な胸中
陳述人 傍聴人

届いたか 沖縄の訴え
二田委員長
「貴重な意見あった」
内閣委会見
十分な審議後の可決強調
委員の発言
「国の利益のために」三沢委員
「戦争時に似ている」辻元委員

1999年7月7日 琉球新報
基地所在市町村が反発
周辺事態法の解説書案

1999年7月7日 琉球新報
「否定される平和、人権」
国旗国歌法案公聴会
性急な法制化に危機感
他府県と異なる歴史背景

識者傍聴記
高良鉄美(琉球大学教授)
国民と懸け離れた国会
脅かされる憲法の精神

1999年7月7日 琉球新報
「敬意を表すのは当然」
解説
複雑な県民感情反映
「沖縄の声」国会審議に

沖縄公聴会 意見陳述要旨
不要な議論もなくなる 米村幸政氏(自民・自由推薦)
国民の合意が絶対条件 福地曠昭氏(民主推薦)
諸悪の根源は指導要領 比嘉良彦氏(公明推薦)
天皇は政治的に清らか 鳩間昇氏(自民・自由推薦)
文化と誇り踏みにじる 安仁屋政昭氏(共産推薦)
「国民に定着」にも疑問 平良修氏(社民推薦)

1999年7月8日 沖縄タイムス
迫りくる 国旗国歌法案 安仁屋政昭
天皇制と侵略のシンボル
国民に強制すべきではない

1999年7月8日 琉球新報
日の丸・君が代への心模様 国旗国歌法案 3
揺れた卒業式
卒業式掲揚を疑問視
生徒らはボイコット
「何で強制的に行うのか」

1999年7月8日 琉球新報
ハリアー機墜落 至近距離に従業員
コザ労管 報告せず
連絡体制に不手際
「緊張感を欠く」と批判

1999年7月8日 琉球新報
沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 5 古賀徳子
南風原町の戦災調査
13年かけ全戸を調査
全滅一家の実態把握困難
衝撃的な死 現在と沖縄戦結ぶ

1999年7月8日 琉球新報
ファインダー越しにカデナを見る人たちがいる。
飛行ルート教えます カデナからは目が離せない

1999年7月8日 琉球新報
6月県議会・一般質問終了
「議場の秩序」で基準協議求める
「万歳空転」で友寄議長

一般質問を振り返る
リンク論に微妙な変化
質問者、答弁の壁崩せず
配慮にじませる 問われる議会の秩序

1999年7月8日 琉球新報
ケルンから沖縄へ サミット視察記 9
基地とのリンク論
政府
普天間移転問題に焦り
県、サミットとの関連を警戒

1999年7月8日 琉球新報
落ち穂
私的6月23日
得本拓

1999年7月8日 沖縄タイムス
「無言館」と沖縄
窪島誠一郎
「反戦」の旗印にはためらいも
「戦没画学生・祈りの絵」展
恒久平和への礎にせねば
青春の証 声明の残滓

1999年7月9日 琉球新報
日の丸・君が代への心模様 国旗国歌法案 4
代表の誇り
表彰台であふれた涙
平和交流の象徴にしたい
沖縄の心情大切に

1999年7月9日 琉球新報
沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 6 安仁屋政昭
事実認識
地域で異なる戦闘時期
国内の硫黄島でも地上戦

1999年7月9日 沖縄タイムス
ニュース断面
分権に逆行 新たな過重
再改定特措法成立
一括法に反対できず 社民
無力感 毒まんじゅう 危ぐ

県収用委 当山会長 審理尽くしたか

駐留軍用地特措法改正・手続き概略図

自治基本条例制定を求める
自治労が見解

1999年7月9日 琉球新報
再改正特措法が成立
「沖縄弾圧の改悪法」
反戦地主会など4団体が抗議声明
異議封じ込めに怒り
今後も反対運動継続

1999年7月9日 琉球新報
基地の過重負担黙殺
稲嶺知事
「法の適切な運用を」
県民生活への影響で要望

主な基地所在市町村 首長談話
県民にとり過酷な改正 宮城篤実・嘉手納町長
最後のとりで崩された 喜屋武薫・北中城村長
議論されず極めて遺憾 親泊康晴・那覇市長

1999年7月9日 琉球新報
国民的論議尽くさず
再改定特措法が成立
周辺事態法と関連
島袋氏照屋氏 新規接収も可能
「法律の適正な運用努めたい」 北原那覇防衛施設局長
問題提起の機会失った 仲宗根・沖縄市長

識者評論
井端正幸(沖国大助教授)
中央集権の強化めざす
軍事優先政策に加担する

大田昌秀氏インタビュー
明治からの強制収用 歴史背景理解されず

1999年7月9日 沖縄タイムス
識者評論
実質審議欠く数合わせ
議会制民主主義が形骸化
新崎盛暉・沖縄大学教授

再改定特措法 要旨

沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 7 安仁屋政昭
疎開の実態
戦時遭難船舶
機密保持が徹底
厚生省 いまだ全面公開せず

1999年7月10日 琉球新報
日の丸・君が代への心模様 国旗国歌法案 5
音楽指導の現場から
誇りの持てる国歌を
切り離せない沖縄戦
児童が判断する材料提供

1999年7月10日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 11 我部政明
返還交渉の米戦略文書
米国主導の術策記す
譲歩引き出す手段に「核撤去」
NSDM-13に基づく 米政府の「リーク」


1999年7月12日 琉球新報
嘉手納基地内でのPCB入り油投棄
米側の調査から8カ月余…
結果報告まだなし
外務省 迅速な公表要求

1999年7月12日 琉球新報
インタビュー
嘉手納基地PCB油投棄問題
下地幹郎政府調査団長に聞く
情報公開が最も大事
「遅れ」が不信感につながる

1999年7月12日 琉球新報
陸事の銃弾1発不明
東恩納弾薬庫 訓練前の点検で判明
沖縄市

1999年7月12日 沖縄タイムス
三者協
過去16回、一定の成果あるが…
戦闘機騒音進展なし
F15曲技飛行は中止

三者連絡協議会の議題と協議結果

1999年7月12日 沖縄タイムス
ハリアーと米軍のウソ体質 石川巌
嘉手納常駐 公然の秘密

1999年7月12日 琉球新報
記者の余録
松永勝利(社会部)
理解するための作業

1999年7月12日 沖縄タイムス
過去から未来へ 旧立法院棟問題を考える 上 新城栄徳
敗戦の苦闘中の建物
主体性なき県の対応

1999年7月12日 琉球新報
沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 8 安仁屋政昭
戦没者の実態と援護法の適用
正確でない一般戦没者数
「援護法」適用枠は拡大

1999年7月12日 琉球新報
論壇
特措法は必要悪
再改正もやむを得ない措置

1999年7月13日 琉球新報
「米兵侵入」で15日臨時議会
国頭村、抗議決議を採択
→先月20日、国頭村奥間で米兵が住居に侵入して物色し逃走した事件。

1999年7月13日 琉球新報
再開した三者協
問題解決の道筋見えず
問われる国、県の折衝能力

三者協再開で知事会見(質疑要旨)

協議・合意内容

1999年7月13日 琉球新報
弾薬庫地区の一部返還など
きょう閣議決定

1999年7月13日 琉球新報
沖縄戦の実相 「政府実態調査」への提起 安仁屋政昭 9
戦後補償の問題点
ねじ曲げられた真実
国の責任で住民被害の調査を

1999年7月13日 琉球新報
過去から未来へ 旧立法院棟問題を考える 中 屋比久収
解体撤去ではなく再生を
戦後史体現する歴史建築物

1999年7月13日 琉球新報
連日 100デシベル以上を記録
長時間で難聴にも
嘉手納町屋良区
午前中に集中
深夜から早朝も70デシベル余

1999年7月14日 琉球新報
今なぜ国旗国歌法案 上
自民・阿部晋三氏
教育現場の対立に決着
広島のような事件減る

1999年7月14日 琉球新報
過去から未来へ 旧立法院棟問題を考える 下 洲鎌朝夫
解体前にもう一顧を
「建築の記憶性」を消す

1999年7月15日 琉球新報
今なぜ国旗国歌法案 中
社民・浜田健一氏
数国会かけ議論を
憲法改正への思い見え隠れ

1999年7月15日 沖縄タイムス
従軍慰安婦
国家関与は明白
台湾学者が公文書発見

1999年7月16日 沖縄タイムス
古波津英興氏をしのぶ
反核・平和運動に取り組む
福地曠昭

1999年7月16日 琉球新報
土壌からPCB検出
嘉手納基地での米軍環境調査
廃油投棄認める
最大値6.25PPM「人体へ影響ない」
日米合同委で報告

全調査結果の報告を
PCB研究者 「高濃度投棄は明らか」

1999年7月16日 琉球新報
解説
環境浄化が今後の課題
ずさんな化学物質管理
説得力欠く米側調査報告

基地PCB問題・年表

1999年7月16日 琉球新報
「県民だます調査結果」
嘉手納基地PCB検出
米軍、数値示さず
住民、再調査と浄化要求

1999年7月16日 琉球新報
「事実は重く受け止める」
嘉手納基地PCB検出
宮城嘉手納町長
残存に憤り隠さず
国の反応 政府は再調査を検討
県の反応 詳細さ欠け、慎重に対応
嘉手納町の反応 「調査方法に疑問」 戸惑いや不安表す

1999年7月16日 琉球新報
嘉手納基地 PCB検出
政府が県に報告
補完調査の実施表明

1999年7月17日 琉球新報
嘉手納基地PCB調査
報告書、2月に作成
結果公表5カ月遅れる
米軍 当初の内容を見直し

1999年7月17日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 12 我部政明
返還交渉の米戦略文書
日本の要求は核抜き
米、抑止力の重要性強調
日本の立場探る 柔軟性はあるか 72年実現を提案

1999年7月17日 琉球新報
日の丸・君が代を語る 1
作家 小田実さん
君が代は天皇賛美
過去の罪払拭する努力を

1999年7月17日 琉球新報
熱帯夜 窓を開ければ 爆音 不快指数上がりっぱなし
普天間基地周辺住民

1999年7月18日 琉球新報
日の丸・君が代を語る 2
スポーツライター 増田明美さん
考え、教えるいい機会
小旗に励まされたことも

1999年7月18日 沖縄タイムス
反戦の情熱受け継ぐ
沖縄民権の会
古波津さんしのぶ
市民150人が集会

1999年7月18日 琉球新報
日曜評論
大田朝章(沖縄弁護士会会長)
弁護士の使命

1999年7月19日 琉球新報
論壇
サミットを利用しよう
ピカソの「ゲルニカ」掲げよ

1999年7月19日 琉球新報
寄稿
「君が代」は沖縄文化問題
杉本信夫
問答無用の法制化
風土にそぐわぬ歌詞、曲調

1999年7月19日 琉球新報
「普天間」の県内移設容認
土地連が初方針
軍転法改正など条件に

1999年7月19日 琉球新報
戦争マラリアへの証言 上 篠原武夫
強制疎開の命令認める

1999年7月20日 琉球新報
日の丸・君が代を語る 3
歴史研究者 網野善彦さん
国名から議論すべき
軍事力背景に沖縄を併合

1999年7月20日 琉球新報
戦争マラリアへの証言 中 篠原武夫
生前、一級資料書き残す

1999年7月20日 琉球新報
「普天間」移設問題
名護市の東部域 政府内で再浮上
「年内決着」へ動き急

1999年7月20日 琉球新報
弾薬庫地域返還地
地主、受け取り合意
「安全性確認できた」

1999年7月20日 琉球新報
解説
土地連の「普天間」県内移設促進要請
跡利用制度の確立狙う
政府の意向色濃く反映

1999年7月21日 沖縄タイムス
戦争マラリアへの証言 下 篠原武夫
犠牲に心痛めた元軍人

1999年7月21日 琉球新報
「普天間」移設
名護の陸上・沖合に
アーミテージ元米国防次官補 早期解決促す

1999年7月22日 日の丸・君が代を語る 4
フランス文学者篠沢英夫さん
明治以来の過去背負え
「君」は天皇でも構わない

1999年7月22日 琉球新報
表層深層
懸念広がる教育現場
どう守る「内心の自由」
あいまいな強制と指導の境
幼稚園も視野 境界線 続く混乱

1999年7月23日 琉球新報
政治と宗教 上
野崎勲・創価学会副会長
どの宗教とも等距離
「自自公」の批判は筋違い

1999年7月23日 琉球新報
核心評論
国旗国歌法案の衆院通過
法制化はちょっと待て

1999年7月24日 琉球新報
「普天間」移設 急展開の周辺 上
筋書き
「振興」条件に機運づくり
「本来は県民のため」 よいタイミング

1999年7月24日 琉球新報
沖縄施政権返還は何だったのか 13 我部政明
「軍事、財政、交渉日程」を討議
返還交渉の作業が具体化
軍事と財政の問題提起 裏と表の取り決め 米国の利益を最大化

1999年7月25日 琉球新報
沖縄 20世紀の光芒 通年企画 29
「ジュリ」が集められた街―辻遊郭
空襲で焼失、従軍慰安婦に
政財界人らの一大社交場
貧困と辻売り 女だけの社会 有力な財源として 廃娼運動 それぞれの出発

識者の視点
外間米子氏 沖社協売春対策協議会会長
上からの制度、下から支え

辻遊郭関連年表

1999年7月25日 琉球新報
「普天間」移設 急展開の周辺 中
日米の思惑
〝政治日程〟にサミットの影
「年内決着」が基本線 宜野湾市議と面談

1999年7月26日 琉球新報
那覇空港に米軍輸送機
台風の影響受け着陸

1999年7月27日 琉球新報
解説
コーエン発言
沖縄に強まる圧力
米、「普天間後」うかがう

粛々と進めるだけ
県民黙っていない
県、反対協など反応さまざま

コーエン国防長官発言要旨

1999年7月27日 琉球新報
那覇港一部事務組合
設立促進を可決
浦添市議会が賛成多数で

解説
軍港問題の決断迫る

1999年7月28日 琉球新報
政論時論 比嘉良彦
呪縛からの解放を
新時代を開く発想の視座

1999年7月28日 琉球新報
「普天間」移設 急展開の周辺 下
宜野湾市議会
「県内移設」の文言 綱引き
与野党で調整続く
個別に意見交換 微妙な揺れ

1999年7月29日 琉球新報
「うない」ヒストリー PartⅡ 7 比屋根美代子
「大陸の花嫁」 上
沖縄女性
地縁血縁などで渡満
「純血保持」の国策事業

1999年7月29日 琉球新報
C130機
ごう音たて低空飛行
琉大周辺 住民から不安の声相次ぐ

1999年7月29日 琉球新報
核心評論
「防衛白書と沖縄の基地」
見当たらない問題の所在
政府の反応は具体的に

1999年7月29日 琉球新報
教科書検定の結果公開
沖縄戦犠牲者数の書き換えなど展示
県民ホール 来月11日まで

1999年7月30日 琉球新報
「日の丸焼き捨て」事件裁判長 宮城京一氏(沖国大教授)に聞く
「判決は国旗認定ではない」
国民に定着なら立法化必要ない
訴因特定に限定 掲揚は自由意思

1999年7月30日 琉球新報
無料使用で決着
防衛施設局発表 民間の催し、従来通り

1999年7月30日 琉球新報
嘉手納町
米軍大型車両50分立ち往生
町道、一時全面通行止め

1999年7月31日 琉球新報
通信傍受法案めぐる議論 東浩紀
情報化への未整備を露呈
想像力超えるデータ操作
アナログ的前提 技術が支える条文 データビース化

1999年7月31日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 14 我部政明
返還交渉の戦略目標
緊急時の核再配備要求
すべての財政負担を日本に
基地を自由使用に 駆け引きの材料 ドル流出を防ぐ




  


Posted by 糸満のカッパ at 18:37

1999年6月

2015年02月02日 / 1999年新聞記事

1999年6月

1999年6月1日 琉球新報
語り継ぐために マラリア平和祈念館オープン 中
国の慰藉事業対象は6割
課題は後継者の育成と適用拡大

1999年6月1日 琉球新報
泡瀬通信施設保安水域返還
米軍、共同使用を打診
埋め立て部分37.4ヘクタール
沖縄市、受諾の可能性も

1999年6月1日 琉球新報
解説
泡瀬通信施設の保安水域共同使用
米軍 将来へ機能維持確保
沖縄市 迫られる〝政治判断〟

1999年6月1日 琉球新報
落ち穂
いろいろな六月
伊敷勝美(沖縄市役所市史編集担当)

1999年6月1日 沖縄タイムス
嘉手納町の「燃える井戸」
もう燃えません
県が水質調査
油分などは検出されず

1999年6月2日 琉球新報
語り継ぐために マラリア平和祈念館オープン 下
朗読会各地で反響呼ぶ
県外で確かな動き 育つか地元の〝芽〟

1999年6月3日 琉球新報 レキオ
おばぁが笑ってV
今でも夢に戦争の面影が立って。だから、戦やねーんしぇーましどー。
比嘉カメさん
南洋は沖縄人いっぱい 子供三人も亡くして 何もないところから始めたよ

1999年6月4日 琉球新報
沖縄市長が受け入れ
泡瀬保安水域一部解除問題 共同使用で決着へ

1999年6月4日 琉球新報 レキオ
(米兵に)ノー、アイドンノー。ゲラリーヒアーんでぃ。これだけ知っているわけさ
新垣カマドさん
兄弟いないよ、私は こんなしてからさ、生きてきた 飲むよぉ。毎晩飲んでいる!

1999年6月5日 沖縄タイムス
ハリアー機墜落、炎上
嘉手納基地
離陸時にトラブル
3連協など週明け抗議へ
乗員は脱出

1999年6月5日 琉球新報
30メートル上昇、エンジン出火
嘉手納基地 米軍ハリアー機 離陸直後墜落、炎上
滑走路は閉鎖、事故調査中

相次ぐ事故に県議会決議へ

1999年6月5日 琉球新報
〝爆弾〟を抱えた生活
住民知らず、対処のすべなく
米軍 ハリアー機墜落炎上事故
200メートル先に小学校
「民家だったら」と戦々恐々

火を噴きながら滑走
米軍が報道陣に事故状況を説明

事故率高い機種
航空評論家の青木謙知氏

1999年6月5日 沖縄タイムス
嘉手納基地に実質常駐
スミス司令官記者会見
30メートル上空で異常確認
直後、一帯の大気調査も

訓練増えれば当然
垂直離着陸はメニューにない

嘉手納基地の主な米軍機事故

1999年6月5日 琉球新報
エッセー 風流無談
盗み聞き法 目取真俊

1999年6月5日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 我部政明 6
朝鮮半島有事と自薦協議
韓国への攻撃時は適用除外
国連軍支援を目的に日米密約
在日米軍への攻撃想定 日米の交換公文

1999年6月5日 琉球新報
旧日本軍が使った取水場見つかる
地元のお年寄り 「日露戦争当時のもの」
佐敷町新里

1999年6月5日 沖縄タイムス
米軍が特殊部隊など訓練
スハルト前政権へ軍事協力
国防総省文書で判明
民主化弾圧に間接加担

1999年6月5日 沖縄タイムス
論壇
政府の沖縄戦実態調査を
照屋寛徳

1999年6月6日 沖縄タイムス
米軍と管制システム連結へ
嘉手納基地→那覇航空 横田基地→東京航空
ニアミス防止に効果

1999年6月6日 沖縄タイムス
ニュース断面
ハリアー機墜落事故
サミット控え異例の対応
外務省―発生を即時通報
基地内で玄葉説明―米軍
横の連携奏功 最大限の努力 司令官が自ら

1999年6月6日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
サミットの成否にも影響
相次ぐ米軍の事件・事故
国と県 振計ピリピリ
皮肉 町長のため息 配慮

1999年6月7日 沖縄タイムス
報告・土地連との意見交換 1 来間泰男
手取り合える提案も

1999年6月8日 沖縄タイムス
報告・土地連との意見交換 2 来間泰男
丁寧に立場示し聴取

1999年6月8日 琉球新報
ハリアー墜落
「生命脅かす重大事故」
沖縄市議会抗議決議 米軍の管理体制糾弾

1999年6月8日 琉球新報
「象のオリ」移設に反対
宜野座村城原区長ら 施設局へ陳情書

1999年6月8日 琉球新報
「日本軍の暗号は解読されていた」
沖縄戦
住民スパイ説否定
保坂琉大教授が論文発表

1999年6月8日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
ハリアー機炎上事故
〝実質常駐〟に疑問わく
県内での訓練に厳しい対応迫る
県議会軍特委
海兵隊遠征部隊と一体 垂直離着も

1999年6月8日 琉球新報
在沖米海兵隊 民間機で移動
東富士での実弾砲撃演習
「新指針」実行段階に
一般乗客戸惑う 民主団体から批判

1999年6月8日 沖縄タイムス
論壇
日本の属国化を懸念 川端光善

1999年6月8日 沖縄タイムス
沖縄戦の米軍戦車「出土」
基地建設で埋める? 宜野湾市遺跡現場
50年たって今ごろ 区民は複雑

1999年6月8日 沖縄タイムス
SACO合意から2年半
施設、返還のめど立たず
実現したのは1カ所

1999年6月9日 沖縄タイムス
報告・土地連との意見交換 3 来間泰男
高い賃料が悪影響

1999年6月10日 沖縄タイムス
報告・土地連との意見交換 4 来間泰男
行政区の地料の弊害

1999年6月9日 琉球新報
キャンプ桑江北側部分
地権者の意向調査まとまる
返還跡地利用の期待大
北谷町、計画具体化へ

1999年6月9日 琉球新報
絵の声 死者の声 現代を撃つ「戦没画学生展」 森口豁
絵筆を銃にかえた青春
不毛の戦争から歪んだ今へ
騒々しい空の下で 死者たちへの謝罪

1999年6月9日 琉球新報
被災の模様 生々しく
宮森小米軍機墜落
米軍側文書を入手
石川市の宮里さん 賠償、医療報告2000枚

行政が責任持ち翻訳を

1999年6月9日 琉球新報
遺跡から米戦車
沖縄戦当時の砲塔 宜野湾市の伊佐交差点脇

1999年6月9日 琉球新報
戦没者遺骨 18万3031柱収集
「最後の1柱まで…」
壕周辺の開発で年々困難(6月1日現在)
5105のみ霊 いまだ山野に

1999年6月9日 琉球新報
基地の重圧を実感
糸満高平和学習 沖縄の現状を確認

1999年6月9日 沖縄タイムス
論壇
サミットの真の目的は 名護宏英

1999年6月10日 琉球新報 レキオ
おばぁが笑ってV
「今ここを出されたら死んでしまいます」 ひざまずきして願ったのに 日本兵は聞いてくれなかった
山城タツさん
泣きたくても、声は出せない 「太陽を見てから死のう」と…

1999年6月10日 琉球新報
本隊、民間機で移動
在沖海兵隊 実弾演習移転 銃器を積み込む
嘉手納基地

1999年6月10日 琉球新報
嘉手納基地⇔那覇航空管制部
米軍とオンラインで連結
ニアミス防止図る
運輸省が今秋

1999年6月10日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
「象のオリ」移設で3首長が支援要請
政府は柔軟な対応用意
あくまで撤回要求の近隣区
5項目 アンケート調査

金武町と同様の支援を
周辺住民への配慮求める

1999年6月10日 沖縄タイムス
沖縄戦の資料をCD-ROM化
東京の出版社が近く発売
日米の公文書中心に収録
写真も2000点 住民の姿克明に
聞き取り調査盛り込み実相に迫る

1999年6月10日 琉球新報
米軍の制服兵士が巡回
オフリミッツ 来月9日解除
地位協定上問題も

国や県に事前連絡なし
日米警察管轄権に波及か

県民感情刺激する
県警

1999年6月11日 琉球新報
通信傍受法案 忍び寄る盗聴社会 上
拡大適用へ募る不安
犯罪と無関係な通信が監視下に

1999年6月11日 琉球新報
展評 石川真生写真展
「ヘリ基地建設に揺れる町」 上原政幸
徹底した取材と密着
誘致、反対 それぞれの顔

1999年6月11日 琉球新報
特措法再改正案の衆院特別委可決
県民世論を無視
「沖縄を狙った骨抜き法」
反戦地主ら怒りの声

1999年6月11日 琉球新報
アジア・太平洋フォーラムに参加して 仲地清
沖縄の実情を世界に
米の政策立案への反映も大切 研究員らが助言

1999年6月11日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
米軍用地特措法の再改定案
一括法案で論議低調
地方自治体の〝伝家の宝刀〟奪う

1999年6月11日 沖縄タイムス
今晩の話題
「百分の一論」
上地兼恵

1999年6月11日 琉球新報
「自由の侵害」「押しつけ」
国旗国歌法案
県民に募る危機感
反対運動強化の声も

海邦国体機に強制が恒常化
県内

「君」は象徴天皇 政府が答弁書

1999年6月12日 沖縄タイムス
沖縄の施政権返還とは何だったのか 7 我部政明
日米安保の改正か継続か
一定期限延長など3案検討
米政府、「廃棄」選択肢から除外
米国の利益に 駆け引きの梃子 政治的扇動避け

1999年6月12日 琉球新報
通信傍受法案 忍び寄る盗聴社会 中
表現の自由が危機に
普通の会話すらできなくなる?

1999年6月12日 琉球新報
特措法再改正案が衆院通過
かき消された反対の声
基地問題に「政治」見えず
ギャップさらに深く

知事が懸念表明
「県民生活に多大な影響

一括法案では賛成やむなし
社民幹事長

県関係衆院議員のコメント
前県政の責任 仲村正治衆院議員(自民)
基地移設に道 嘉数知賢衆院議員(自民)
沖縄の声届く 下地幹郎衆院議員(自民)
集権そのもの 上原康助衆院議員(民主)
運用面を監視 白保台一衆院議員(公明)
憲法29条破壊 古堅実吉衆院議員(共産)

主な基地所在市町村首長コメント
時間欲しかった 岸本建男名護市長
強権的で問題 吉田勝広金武町長
目的と異なる 安田慶造読谷村長
情けない 宮城篤実嘉手納町長
カード取り上げた 仲宗根正和沖縄市長
手法の一つ閉ざされた 辺土名朝一北谷町長
所有権の侵害 比嘉盛光宜野湾市長
沖縄への差別法 宮城健一浦添市長
憲法上の権利に反する 親泊康晴那覇市長

1999年6月13日 琉球新報
通信傍受法案 忍び寄る盗聴社会 下
人権侵害の考え欠落
県警は組織犯罪摘発に効果期待

1999年6月13日 琉球新報
沖縄 20世紀の光芒 通年企画 23
命より重い写真―御真影奉護隊
天皇へ 忠誠の果ての沖縄戦
多大な犠牲の後の目覚め
危険冒さず 恐れ多くて… 銃なく命拾い 軍国主義と決別 不変の真理

識者の視点
大きい学校教育の責任
吉浜忍氏(県文化振興会史料編集室主幹)

御真影奉護関連年表

1999年6月13日 琉球新報
戦争は弱者標的に
高校教諭らがフィールドワーク
愛楽園を訪ね被害証言聞く

1999年6月13日 琉球新報
沖教組那覇支部
自衛隊基地で学習
親子ら50人参加 平和事業として初

巡り来る「慰霊の日」

1999年6月13日 琉球新報
突出する事故率
ハリアーは欠陥機?
共産党中央委が資料入手
昨年10月から墜落など4件

1999年6月14日 琉球新報
反戦・平和の継承へ
沖縄民権の会代表 古波津英興氏をしのぶ
東京

1999年6月14日 琉球新報
亡き父の胸中いかばかり…
旧海軍司令部壕で慰霊祭 大田中将の遺族ら参列

1999年6月14日 琉球新報
特措法再改正
新垣盛暉氏(一坪反戦地主会代表世話人)に聞く
「基地に異議」封じる
軍事優先政策露骨に

1999年6月14日 沖縄タイムス
沖縄を愛した民権運動家
古波津英興さん 川崎市で追悼集会

1999年6月14日 沖縄タイムス
故郷の現状 訴えてみたい
大分大で学ぶ山城さん 8月に個展
基地を撮る

1999年6月14日 琉球新報
SOS 平和学習
ガイド不足 あなたはどう?
ボランティアガイド友の会
養成講座も打ち切られ
修学旅行は年々増加

1999年6月15日 琉球新報
原因公表遅れに強い不満
県、不手際認める
昨年の米軍ヘリ墜落 宜野座
宜野湾など2市村に報告
「納得しない」 宜野座村に動揺

1999年6月15日 沖縄タイムス
保存と活用、どう両立
南風原陸軍病院壕群 池田教授が指摘
→池田栄史琉球大学教授

1999年6月15日 琉球新報
中城村に日本軍の陣地跡
90歳の米須さん 保存望む当時の石工

1999年6月15日 沖縄タイムス
沖教組那覇支部自衛隊見学
「適切でなかった」
本部が取り組み批判

1999年6月15日 琉球新報
情報収集衛星の受信局建設
沖縄も候補地に
防衛庁事務次官が会見

1999年6月15日 琉球新報
昨年7月23日米軍ヘリ事故
原因は操縦ミス
日米合同委で調査報告

1999年6月15日 沖縄タイムス
戦後処理の在り方 エジプト運河町と沖縄 上
エルサムニー・イブラヒム
戦争体験共通の地域
本土化でゆがむ沖縄の優しさ

1999年6月16日 沖縄タイムス
戦後処理の在り方 エジプト運河町と沖縄 下
エルサムニー・イブラヒム
領土、国民意識に差
偏見をなくす努力も必要

1999年6月16日 琉球新報
ホームページきょういく 平和教育
世代交代の時期訪れる
若手の葛藤
聞き取りは面倒 見えにくくなる基地

若い教師は試行錯誤
教員目指す学生
体験が大きな説得力
「答え」は学生に答えさせる 毎週末を平和学習に

沖縄戦に関する高校生の知識と意識調査

ベテランの思い
重要な体験掘り起こし

1999年6月16日 琉球新報
恩納村議会
象のオリ移設に反対
全会一致で意見書可決

1999年6月16日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
米軍ヘリ事故の原因公表遅れ
国、県の〝不備〟露呈
緊張欠いた? 事務的ミス
墜落と断定 6カ月以内 「配慮欠き、反省」

1999年6月16日 琉球新報
「平和賞」サミットで発表を検討
礎の刻銘は毎年続けたい
稲嶺知事表明

1999年6月16日 琉球新報
失われた故郷 復元
旧小禄飛行場に接収の大嶺集落
金城さんが精密模型で
後世へ貴重な資料

1999年6月17日 琉球新報
在沖海兵隊の大半 北海道に移転を
NRAが調査報告で提起
負債抱える「苫東開発」救済
地元、政府内外で論議か

1999年6月17日 沖縄タイムス
視座
平和の礎 柴田健
追加刻銘に継続的施策

1999年6月17日 琉球新報
NIRAの在沖米海兵隊基地移転案
普天間返還に新たな道
安保、基地議論に広がりも

1999年6月17日 琉球新報
基準超える爆音禍
嘉手納基地周辺 県が現地調査 最高値99デシベル

1999年6月17日 琉球新報
沖縄戦を考える視点
儀間比呂志『戦争と平和展』に寄せて 新川明
「戦時」への回帰の波
軍隊、基地の非人間性描く

1999年6月18日 沖縄タイムス
追われた故郷 54年目の記憶 1
宜野湾市新城区
収容所から帰ると基地に
区民のほとんど近隣へ散在

1999年6月18日 沖縄タイムス
次代につなぐ 沖縄戦継承のいま 1
「平和大使」
草の根で伝えたい
被爆者とも連携
戦争は身近に残っている

1999年6月18日 沖縄タイムス
論壇
追加刻銘で示す沖縄の心
髙嶋伸欣

1999年6月18日 沖縄タイムス
今晩の話題
「盗っ人呼ばわり」
→米軍用地特措法

1999年6月18日 琉球新報
県内移設方針に変更なし
野中長官 NIRAの普天間報告で

1999年6月19日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 我部政明 8
在日米軍基地の再編計画
基地の日米共同使用検討
日本政府の防衛責任増強狙う
本土基地は整理・統合 三つの選択肢 困難な要求抱える

1999年6月19日 沖縄タイムス
次代につなぐ 沖縄戦継承のいま 2
本土劇団
地元の「心」演じる
全国へ平和伝える役目担う

1999年6月19日 琉球新報
6・23慰霊の日 それぞれの〝終戦〟 1
伊江島
米軍だけの島で皇軍の不敗信じ
伊江島 佐次田秀順さん
木の上に隠れ2年

1999年6月19日 沖縄タイムス
追われた故郷 54年目の記憶 2
本部町豊原
土地返せ、監視活動続く

1999年6月19日 沖縄タイムス
県外移設は可能か NIRA中間報告を読む 上
我部政明
左右する財政問題
道内の合意が最大課題

1999年6月19日 沖縄タイムス
沖縄市で電波障害
米軍のTV影響

1999年6月20日 沖縄タイムス
県外移設は可能か NIRA中間報告を読む 下
前田哲男
政治決断でクリア
再配置議論のたたき台

1999年6月20日 沖縄タイムス
次代につなぐ 沖縄戦継承のいま 3
教師たち
自ら平和教育探る

1999年6月20日 琉球新報
6・23慰霊の日 それぞれの〝終戦〟 2
山田有昂さん(89)
屋嘉収容所
最大7000人の捕虜 すさみ慰めた三線
一足早く戦後迎える

1999年6月20日 琉球新報
周辺事態から有事へ 沖縄戦と戦争協力 1
本土へ1万7000人徴用
飛行場建設など県内動員へ移行
「大舛大尉に続け」 本土へ動員 後方支援基地

1999年6月20日 琉球新報
日曜評論
宮城悦次郎(琉大非常勤講師)
危険な年

1999年6月21日 琉球新報
米軍のハリアー機
「派遣中、岩国展開なし」
嘉手納の拠点化裏付け

1999年6月21日 沖縄タイムス
いくさを描く世代をつなぐ 1 仲本賢
「Art」は語る 上
少ない反戦テーマの作品
平和の実感乏しい若者たち
教育の現場 政治に無縁

1999年6月21日 沖縄タイムス
次代につなぐ 沖縄戦継承のいま 4
地域史
戦争考える力養う
調査した住民が「語り部」に

1999年6月21日 琉球新報
6・23慰霊の日 それぞれの〝終戦〟 3
真栄田ミヨ子さん(71)
白梅学徒看護隊
捕虜収容所を脱走 石川の家族と再開
愛国心の怖さ訴える

1999年6月21日 琉球新報
周辺事態から有事へ 沖縄戦と戦争協力 2
第32軍創設
警察通じ強制的動員
輸送課、動員課を新設 矛盾 「軍事秘密」

1999年6月21日 沖縄タイムス
追われた故郷 54年目の記憶 3
嘉手納町千原
エイサーが結束の象徴

1999年6月22日 沖縄タイムス
追われた故郷 54年目の記憶 4
北谷町上勢頭
飛行場拡張で消えた岩山

1999年6月22日 沖縄タイムス
迫りくる 国旗国歌法 1 新崎盛暉
「国家主義」を強制注入
法制化は権威をはぎ落とす面も

1999年6月22日 沖縄タイムス
次代につなぐ 沖縄戦継承のいま 5
インターネット
身近になった「現実」
メール交換で意識が高まる

1999年6月22日 琉球新報
点から面へ 沖縄戦の記録 ‘99慰霊の日 上 吉浜忍
他県を圧倒する刊行数
身近な戦跡歩き追体験を
住民の視点 「浦添方式」全戸調査 21世紀への継承

1999年6月22日 琉球新報
沖縄連行の朝鮮人軍夫は2815人
名簿を韓国遺族会が発見
生還者650人 賃金未払い訴訟検討
本紙入手 厚生省は非公開

1999年6月22日 琉球新報
「ほとんど戦死か」
朝鮮人連行名簿を入手
推測にとどまる記述
犠牲の実態闇の中
遺族会、日本に公開求める

1999年6月22日 琉球新報
最前線で食糧もなく…
解説
過酷な処遇浮き彫り 沖縄連行の朝鮮人軍夫

1999年6月22日 琉球新報
「慰霊の日」知事インタビュー
「寛容の精神」が大切
平和賞は国際的なものに

1999年6月22日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
普天間飛行場の移設・返還問題
進展求める米大統領
県、サミットとの関連に警戒
布石 外堀 県は予防線

1999年6月22日 琉球新報
NHK
全戦没者追悼式を中継
沖縄から平和の尊さを発信

1999年6月22日 琉球新報
沖縄戦の基礎資料に
戦時記録や写真のCD-ROM刊行
日米の公文書も収録
戦争の実相を後世に
監修は宮里元琉大教授 我部政男・山梨学院大学教授

1999年6月23日 沖縄タイムス
追われた故郷 54年目の記憶 5
石川市楚南
残る集落跡、帰還に悲願

1999年6月23日 沖縄タイムス
迫りくる 国旗国歌法 目取真俊
息苦しい時代の予感
「自自公」の暴挙許すな

1999年6月23日 琉球新報
周辺事態から有事へ 沖縄戦と戦争協力 4
飛行場強制接収
「軍は全くの問答無用」
「航空要さい」 6万3009人 特措法の〝原形〟

1999年6月23日 琉球新報
点から面へ 沖縄戦の記録 ‘99慰霊の日 恩河尚
沖縄市の沖縄戦と平和事業
住民の3分の1戦没
自決の要因に軍命の存在
上陸初期に戦没多発 美里で多数の自決者 平和を継続する力

1999年6月23日 沖縄タイムス
いくさを描く 世代をつなぐ 新城郁夫 3
「文学」は語る 上
小説通し沖縄戦問い直す
戦争を媒介、体験や苦しみ共有
戦後から80年代 「沖縄」の確認

1999年6月23日 沖縄タイムス
「主体性持ち闘おう」
那覇軍港移設反対市民の会の講演
山内さん熱弁でエール
→山内徳信氏

1999年6月23日 沖縄タイムス
国際反戦集会
地球上から基地撤去を
比嘉宏

1999年6月23日 沖縄タイムス
論壇
「礎」を泣かさない政治
池村正義

1999年6月23日
復帰後28回目の慰霊の日
沖縄から平和メッセージ発信
「平和の礎」
300人余を追加刻銘へ
稲嶺知事 遺族の気持ちに配慮

平和祈念資料館
ソフトの充実が課題
国際平和研究所は先送り

補償求める声届かず
戦時遭難船舶遺族会 県へ取り組み要求

1999年6月23日 琉球新報
命令で小屋に手りゅう弾  中には負傷兵が…
片山省さん(76)
きょう慰霊の日
54年目 重い口開く
自分責め続ける毎日

1999年6月23日 琉球新報
声 6月
「慰霊の日」特集
涙で食べた黒砂糖
戦争体験は風化している
せんそうはいやだ
故郷へ向かう特攻隊
セミになりたい
平和を祈り、捨て屋敷に合掌
県民のスパイ扱いは軍命
山は黙して語らず
散華した学友悼む

論壇
嘉数幸清
世界平和の願い込め
意義深い戦争体験記の発刊

1999年6月23日 琉球新報
社説
慰霊の日
平和の道を求め続ける
強制連行のつめ跡も刻もう
加害者の視点も大事 不信感を除く努力を

1999年6月24日 沖縄タイムス
迫りくる国旗国歌法 3 洲鎌朝夫
ざわめきはじめた琉球弧
国の大事 なぜそう急ぐのか

1999年6月24日 琉球新報
声 6月
「慰霊の日」特集
コソボの子どもたち
肉声の記録も残そう
首都防衛戦線の体験
生き残った者の使命
再び忍び寄る暗黒時代
だれのための戦争だった?
脳裏に焼きついた沖縄戦
恨みを超えた伝道師の愛
証言記録の検証を
ヤンバル避難中に出産
戦争の悲劇語り継ごう
おばあの笑顔の裏に

論壇
名護宏英
容認できない暴挙
声をあげ、行動する時期

1999年6月24日 琉球新報
社説
飛ばそう心のたんぽぽ

1999年6月24日 沖縄タイムス
いくさを描く 世代をつなぐ
新城郁夫
「文学」は語る 下
難しくなった記憶の共有
沖縄戦感じ取る想像力必要
現在への問い 当事者性の獲得

1999年6月22日 琉球新報
周辺事態から有事へ 沖縄戦と戦争協力 3
県外疎開
作戦遂行のため強行
日本軍のおごり 多くの犠牲生む
援護室設置 強いられた犠牲 食糧問題

1999年6月23日 琉球新報
周辺事態から有事へ 沖縄戦と戦争協力 4
飛行場強制接収
「軍は全くの問答無用」
「航空要さい」 6万3009人 特措法の〝原形〟

1999年6月24日 琉球新報
周辺事態から有事へ 沖縄戦と戦争協力 5
戦場行政
軍の作戦と表裏一体
地上戦の中 機能は消滅
敵手に入る北部へ 臨戦態勢

1999年6月23日 琉球新報
6・23慰霊の日 それぞれの〝終戦〟 5
田底敏さん(76)
語り部としての責任痛感
マラリア
軍命に逆らえずに有病地の山へ避難

1999年6月24日 琉球新報
点から面へ 沖縄戦の記録 ‘99慰霊の日 比嘉豊光
濃縮された戦争の記憶
傷や苦しみをリアルに表現
死ヌシン一回 戦線をさまよった日常 いかに語らせるか

1999年6月24日 琉球新報
野中長官
「沖縄戦資料を整理」
サミット 基地とのリンク否定

野中官房長官の会見要旨

1999年6月24日 琉球新報 レキオ
おばぁが笑ってV
もう十分苦労しましたが、今まで元気です
桃原ウシさん
嫁さんはこれしかいない 英語はできんけど物は売る

1999年6月24日 沖縄タイムス
平和宣言にも県政交代を反映
「沖縄の心」世界に
周辺事態法など表現消える

1999年6月25日 沖縄タイムス
追われた故郷 54年目の記憶 6
豊見城村瀬長
戦争なければ住んでいた

1999年6月25日 琉球新報
消えぬ恨の記憶 沖縄戦の朝鮮人 1
宮古島へ強制連行された徐正福氏
200人の同胞海の底へ…
日本兵から日常的に暴力受ける

1999年6月25日 沖縄タイムス
いくさを描く 世代をつなぐ 5 比嘉要
社説は語る
「過去」で完結させず
厳しい社会状況を反映
加害者の視点 平和の発信地

1999年6月25日 沖縄タイムス
当世希人列伝 15
歌手・俳優 武田鉄矢さん
団塊世代へのバラード
揺れる中年エッセーに

1999年6月25日 沖縄タイムス
俳句時評 県内 6月
連発される法と俳句弾圧事件
野ざらし延男

1999年6月25日 沖縄タイムス
ニュース断面
返還基地の有害物質汚染
ぬぐえぬ地主の不安
調査報告の在り方に課題
「隠すつもりない」 ほかに影響なし 不利益与えぬ

1999年6月25日 琉球新報
沖縄から遺品 歴史告発
韓国の慰安婦歴史館
軍票や避妊具展示
初証言ペさんの遺影も

1999年6月25日 琉球新報
文部省が教科書検定結果公表
沖縄戦犠牲者数を変更
琉球王国の歴史、住民投票も

ご都合主義で恣意的
髙嶋琉大教授が指摘

1999年6月25日 琉球新報
落ち穂
「コザ」の街
伊敷勝美(沖縄市役所市史編集担当)

1999年6月25日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
伊良部町長の「カジノと自衛隊誘致」構想
のぞく離島の苦悩
空港利用で財源確保狙う
税収入150億円超 法整備がネック 反発必至

1999年6月25日 琉球新報
嘉手納弾薬庫地区返還地
鉛 一部で基準の12倍
六価クロムも検出
施設局「汚染ではない」

土地の受け取り拒否
地主側、再調査を要求

1999年6月26日 琉球新報
立法院棟を解体撤去
県、サミット控え年度内にも
「景観損ね、管理上も問題」
跡地に駐車場など整備

1999年6月26日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 8 我部政明
日米関係の再構築
アジアの安定にらむ
「責任ある日本」の出現期待
日本ナショナリズム もうひとつの選択肢 日本側の最大関心

1999年6月26日 琉球新報
消えぬ恨の記憶 沖縄戦の朝鮮人 2
阿嘉島に強制連行された姜仁昌さん
稲穂所持で12人が銃殺
犠牲者は身元不明 「敵は日本軍」

1999年6月26日 沖縄タイムス
追われた故郷 54年目の記憶 7
玉城村玉城1区
終戦直後に米軍が接収

1999年6月26日 琉球新報
お年寄りの記憶頼りに
埋没不発弾情報
2500人から聞き取りへ
不発弾等対策協 なお2700トンが地中に

1999年6月26日 沖縄タイムス
基地問題を「生涯学習」に
平良研一

1999年6月27日 沖縄タイムス
追跡 沖縄ごみ事情
基地ごみ処理
金武町 宜野座村 返還地になお廃棄物
米軍ごみ引き受け 中城・北中城清掃事務組合
建設費獲得に苦渋の選択

ワンポイント
廃棄物 年3万6千トン基地外へ

1999年6月27日 沖縄タイムス
記憶の故郷 図板に再現
宜野湾市野嵩友の会
戦禍逃れた純農村地
きょうお披露目

1999年6月28日 琉球新報
ハリアーの訓練再開 嘉手納基地

1999年6月27日 琉球新報
消えぬ恨の記憶 沖縄戦の朝鮮人 3
台湾に強制連行された季貴分さん
将校専用「慰安婦」に
戦後生きるため「こじき」装う

1999年6月29日 琉球新報
消えぬ恨の記憶 沖縄戦の朝鮮人 4
女性国際戦犯法廷を開く 伊貞玉さん
日本の加害責任を問う
「従軍慰安婦」の深層を究明

1999年6月30日 琉球新報
消えぬ恨の記憶 沖縄戦の朝鮮人 5
ナムルの家 人間回復と記録の場
「従軍慰安婦」らが生活
今も心の痛み抱き続ける

1999年7月2日 琉球新報
消えぬ恨の記憶 沖縄戦の朝鮮人 6
韓国2万5000人の遺族で組織 太平洋戦争犠牲者遺族会
生死確認と補償求める
日本政府へ不信感根強い

1999年6月29日 琉球新報
インタビュー 日の丸君が代 法制化 1
民主主義、平和に逆行
海邦国体時の読谷村長・山内徳信氏
国民的議論させず

1999年6月29日 沖縄タイムス
追われた故郷 54年目の記憶 8
浦添市城間
治水整った豊かな村だった

1999年6月29日 沖縄タイムス
いくさを描く 世代をつなぐ 6
映画は語る
書き直し続ける脚本
「不在者」の魂にスポット
つきまとう娯楽性 驚くべき事実 悲しみも笑いも

1999年6月29日 琉球新報
新指針、特措法改正に賛成する公明党
中央にいら立つ県本
「沖縄の実情知っていない」

県本部の見解

1999年6月30日 沖縄タイムス
思潮 99 加勢俊夫
無力感からの出発
「民」が断つ「軍」の論理
人として当然なことの実践を
ふたつの映像 いま、どこにいる?

1999年6月30日 沖縄タイムス
平和運動家のキャロリンさん米国へ
県内女性に勇気与えた

1999年6月30日 沖縄タイムス
米国レポート 基地・沖縄への見方 進む国内基地閉鎖 1
サミットまでに
年内に県プランを
「普天間」解決とリンク

1999年6月30日 琉球新報
インタビュー 日の丸君が代法制化 2
国際性育てるため指導
県教育長(84-87年)務めた米村幸政氏
抵抗感ない教師も

1999年6月30日 琉球新報
核心評論
国旗国歌法案審議入り
苦しい政府の理由付け

1999年6月30日 琉球新報
政論時論 比嘉良彦
サミットと基地問題
いら立つ日米両政府
危うい稲嶺県政の対応力



  


Posted by 糸満のカッパ at 17:24

1999年5月

2015年01月15日 / 1999年新聞記事

1999年5月

1999年5月1日 琉球新報
沖縄サミット始動 2
超党派スクラム
〝オトーリ〟で勢い
新鮮だった沖縄の議員団結

1999年5月1日 琉球新報
変容する日米安保 下
海外の目
北朝鮮と中国に〝矛先〟
台湾は手放しの歓迎

1999年5月1日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 1 我部政明
日米安保の中で
紛争抑止を担わされた島
日米両政府が位置付け
安保の核心 日米の狙い 有事駐留 朝鮮半島の危機

1999年5月1日 沖縄タイムス
憲法と沖縄 特措法改正 上 吉川純
地方の抵抗を排除
分権化は「隠れミノ」に

1999年5月1日 琉球新報
エッセー 風流無談
正義の戦争 目取真俊

1999年5月1日 琉球新報
核心評論
初の地方開催
高度な政治判断、対米戦略
基地問題進展の可能性も
→サミットの開催

1999年5月2日 沖縄タイムス
憲法の風景 4
反対派は「村八分」
基地強化で揺れる喜界島

1999年5月2日 沖縄タイムス
憲法と沖縄 情報公開法案 中 奥津茂樹
法の積極的利用を
問題点を指摘し改善へ

1999年5月2日 琉球新報
沖縄サミット始動 3
緊張感増す県
態勢強化はこれから
残務整理が一転、準備に忙殺
「ぼう然」の知事 外務省と調整へ

1999年5月2日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 9
火種
基地へのテロ想定
新指針視野に米軍
北朝鮮が激しい反応示す

1999年5月2日 琉球新報
サミットが來る 取り組みと課題 3
市民の対応
名護市は花の街づくり先行
すべてはこれから

1999年5月2日 琉球新報
沖縄 20世紀の光芒 17
〝苦闘〟400年―マラリア克服した八重山
最大の悲劇 軍命で多数犠牲に
強制疎開で地獄の苦しみ
戦いの歴史 今後、再侵入も 根絶への道 防圧に全力 平和教育へ

識者の視点
戦後の流行、行政にも責任
村上秀親氏 八重山保健所長

マラリア関連年表

1999年5月2日 琉球新報
混迷野党 揺らぐ軸足 3
共産躍進
連立政権を意識
惨敗、色あせる土井社民
現実路線に自信 「社共共闘」に警戒心

1999年5月2日 沖縄タイムス
権力者を縛るクサリ 憲法から視る 佐髙信
尊重擁護義務を明記
99条は日本国憲法の要諦

1999年5月3日 琉球新報
きょう「憲法記念日」
ガイドライン法案への識者の視点
憲法の規定を超えた事態も 高良哲美琉大教授
米国の戦争をバックアップ 井端正幸沖国大助教授
米国と一体の軍事行為に 佐久川政一沖大教授
国民の幸福追求権に反する 高作正博琉大助教授
防衛について議論深める時期 伊志嶺恵徹琉大教授

1999年5月3日 琉球新報
サミットが来る 取り組みと課題 4
海外メディア
期待される「痛み」の視点
どう映る〝基地の島〟

1999年5月3日 琉球新報
揺らぐ憲法 沖縄から問う 上 新崎盛暉
生存権脅かす基地誘致
ユーゴ空爆 銃乱射事件 暴力の論理に共通性
安直な「正義」 社会の荒廃招く 良心の証を

1999年5月3日 琉球新報
沖縄サミット始動 4
基地とのリンク
普天間打開に期待も
県は警戒感を強める
「切り札」 「戦略が大事」

1999年5月3日 琉球新報
佐髙信に聞く
沖縄は〝憲法番外地〟
米国で知られていない九条

1999年5月4日 琉球新報
憲法講演会
基地国家化危ぐ
佐髙氏 ガイドラインを批判

護憲派集会に危機感
「時代の要請」と改憲派

1999年5月4日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 10
情報
機密性高い対潜水艦作戦
中国の脅威視野に
住民への情報公開は置き去り

1999年5月4日 琉球新報
揺らぐ憲法 沖縄から問う 伊波洋一
憲法に優越する米軍
「政府、国会」を国民の手に
有事法制化にらむ 沖縄の危機感 憲法のらち外 主権意識の欠如 憲法の復活

1999年5月4日 琉球新報
27年を見る 米軍統治・復帰・いま 2
社会資本
道路整備、全国水準超える
統治下の名残 滑走路を次々延長

1999年5月4日 琉球新報
落ち穂
コザ暴動
伊敷勝美(沖縄市役所市史編集担当)

1999年5月4日 琉球新報
記者席
母のつぶやき覚えている
→新垣清徳中城村長

1999年5月5日 琉球新報
27年を見る 米軍統治・復帰・いま 3
財政援助
増え続ける依存財源
県債残高も増大 将来負担へ危機感
補助金 依存の本質

1999年5月7日 琉球新報
27年を見る 米軍統治・復帰・いま 4
行政組織
職員増加から削減へ 見直し作業進む 新たな「激変」の兆しも
激変緩和措置 行政改革

1999年5月7日 琉球新報
揺らぐ憲法 沖縄から問う 下 高嶋伸欣
国旗、国家法制化発端は沖縄
天皇制との関連議論を
生徒の処罰も予定 国体開会式に向けた強制 天皇制と沖縄の議論

1999年5月7日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 11
自衛隊
支持の一方で不安も
「沖縄へ強まる圧迫感」
活動内容の説明不足が一因

1999年5月8日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 2 我部政明
日米同盟存在を再定義
極東有事と日本有事を結合
軍事の抜け穴 新指針への流れ 戦争を想定

1999年5月8日 琉球新報
27年を見る 米軍統治・復帰・いま 5
米軍基地
整理縮小は大きな流れ いまだ振興阻害
専用施設の7割集中
「絶対悪」に反響 現実対応の壁 基地固定化に懸念

1999年5月8日 琉球新報
ハンセンで火災
砲弾が引火

1999年5月8日 琉球新報
7日成立した情報公開法
提訴地の早期見直しを
沖縄弁護士会
「米軍基地も知る権利」
例外項目を批判

1999年5月10日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟 沖縄の今を問う 1 野村浩也
日本人になること 上
「日本人」への欲望
同化させるため差別
言葉の撲滅 「学問」の罪 単一民族指向

1999年5月11日 琉球新報
27年を見る 米軍統治・復帰・いま 8
労働運動
本土系列化進む
質的転換迫られ 緩やかな枠組みへ
労働法 布令を形がい化 一地方支部

1999年5月11日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟 沖縄の今を問う 2 野村浩也
日本人になること 下
殺戮に加担する沖縄 基地集中する「悪魔の島」
日本の異常さ 差別者への同化 醜い自画像

1999年5月11日 琉球新報
核心評論
復帰27年 転機の沖縄 上
複雑化した基地問題
経済基盤の弱さ変わらず

1999年5月11日 沖縄タイムス
27年を重ねて 世替わり沖縄5.15 1 写真家 山田實さん
激動の中 庶民に笑顔
戦前、米軍統治、復帰後…故郷は変わったか
心に焼き付けた原風景

1999年5月12日 琉球新報
核心評論
復帰27年 転機の沖縄 下
サミットは懐柔策
逆手に取り脱基地目指せ

1999年5月12日 琉球新報
小波津英興氏をしのぶ 福地曠昭
戦前、治安維持法で投獄
〝反戦供養〟の人生を貫く

1999年5月12日 琉球新報
復帰27年日本の中の〝異国〟 沖縄の今を問う 3 安里哲志
基地とオキナワ
「基地的社会」からの離陸
経済誘致の〝欲望〟を超えて
アメリカ世の置き土産 世界一の米軍 〝敵〟を仮想しない精神

1999年5月12日 琉球新報
八重山平和祈念館28日に開館
マラリア被害後世に
「援護会」解散、「遺族会」へ

1999年5月12日 琉球新報
周辺事態
沖縄が最も大きな影響
防衛庁長官 参院特別委で答弁
自治体への協力依頼 県内への集中示唆

1999年5月12日 琉球新報
「県民ないがしろに」
県内反響 政府を痛烈に批判

1999年5月13日 琉球新報
1999「5・15」 状況と視座
<復帰>幻想のゆくえ 仲里効
沖尚優勝とサミット決定
「日本」になるための通過儀礼

1999年5月13日 琉球新報
21世紀に向けて 沖縄はいま 上
サミットに広がる警戒感
基地問題とのリンク懸念

1999年5月13日 沖縄タイムス
ジャーナリストは見た 27×27=沖縄 1 新川明
消えたヤマトへの卑下
秘めた「したたかさ」に希望
最近の状況 暗黒時代を生きる 魂の彷徨 不敵な明るさ

1999年5月13日 琉球新報
おわびと訂正 繰り返し答弁
野呂田長官 不用意発言
ガイドライン特別委で政府

1999年5月13日 琉球新報
原島沖縄大使 離任インタビュー
「沖縄問題」心境は複雑
サミット開催は将来に希望

1999年5月13日 琉球新報
振興策は基地の対価
琉球フォーラム牧野氏が講演 負担軽減訴えを

1999年5月13日 琉球新報
低周波音 最高値 普天間第二小 沖国大
窓閉めても効果なし
頭痛、不眠の原因にも
普天間基地周辺で調査

1999年5月13日 琉球新報
爆音むしろ悪化
97年94.5デシベル→98年98.4デシベル
防止協定どうなった
北谷町砂辺

1999年5月14日 沖縄タイムス
ジャーナリストは見た 27×27=沖縄 2 国吉永啓
基地を取り巻く意識 上
米心理作戦の展開
手段選ばぬ抑え込み
謀略専門部隊を再配備
米心理作戦の展開 1400余件の法令 〝解放意識〟で軍政 弁務官資金で操作

1999年5月14日 琉球新報
1999「5.15」 状況と視座
新ガイドライン法と沖縄 我部政明
基本的な安保論争の欠如
県民も米軍支援の責任

1999年5月14日 琉球新報
21世紀に向けて 沖縄はいま 中
公文書から進めるなぞ解き
復帰時の密約も明らかに

1999年5月14日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟 沖縄の今を問う 5 ましこ ひでのり
「第2ヤマト世」と歴史意識
講義で教科書を「訂正」
ナイチャー教師の挑戦
教科書にない日琉関係史 アジア差別と沖縄基地 日本民族は実体か

1999年5月14日 琉球新報
23年ぶり町史発刊
東風平町 「平和教育に活用を」

1999年5月14日 琉球新報
新指針法案
213議会が「意義あり」
沖縄県は12自治体 反対や危ぐ表明

1999年5月14日 沖縄タイムス
27年 復帰前復帰後 の対比
県人口 消費者物価指数 県の財政 米軍基地面積 軍用地料 投票率

8割近くが依存財源 県財政の推移
復帰後に低下 96年は60%台

復帰27年 市町村長アンケート

復帰27年県内主要各党声明
自民党県連 振興開発計画で着実に発展した 嘉数昇明会長
社民党県連 アジアの平和 交流の要石に 新垣善春委員長
社大党 基地問題という山は必ず動く 新垣重雄書記長
共産党県委 米軍出撃基地として危険性増す 赤嶺政賢委員長
新進沖縄 経済自立基盤は依然として弱い 外間盛善幹事長
公明党県本 外交・安保の危険負わされた 高良政彦代表
民主党県連 サミット開催は絶好のチャンス 島尻昇幹事長
自由連合沖縄 雇用不安など解消する政治を 金城浩代表

識者分析
仲地博 琉球大学法文学部教授
公立補助が機能
自治行政は格段に充実

1999年5月15日 沖縄タイムス
ジャーナリストは見た 27×27=沖縄 4 国吉永啓
基地を取り巻く意識 下
行き場のない〝非戦魂〟
日米の絆に縛られ、より最悪に
一体化施策の作為 米兵日本法におびえ 永田町の住民対策 画一表現で全国へ

1999年5月15日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 3 我部政明
核持ち込みの密約
有事には持ち込み是認
今なお存在する貯蔵疑惑
密約文書 世論の中心 宣伝効果

1999年5月15日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟 沖縄の今を問う 6 ましこ ひでのり
「第2ヤマト世」と歴史認識 下
「日本史」からの解放
内なる植民地主義の克服
真理の司祭 裁判ゲームの「推定無罪」 権力装置の教科書

1999年5月15日 琉球新報
政府、核査察を放棄
沖縄返還交渉で条件のむ

1999年5月15日 琉球新報
交渉の裏側 明らかに
沖縄返還時の核査察放棄文書
米、核戦略の崩壊懸念
日本 国会乗り切りに苦心

1999年5月15日 琉球新報
県民不在の軍事戦略
解説
核の極秘撤去計画
事前通告の空洞化狙う
原潜寄港

1999年5月15日 琉球新報
極秘輸送、生々しく
核撤去と原潜に関する内部文書
反基地の高まり懸念
本土の〝沖縄化〟も視野に
核兵器輸送計画 原潜寄港の24時間前通報

1999年5月15日 琉球新報
1999「5.15」 状況と視座
復帰27年と沖縄の環境 宇井純
自然食いつぶした経済開発
行政の前例主義の改革を

1999年5月15日 琉球新報
復帰記念 座談会
アジア平和に貢献を 沖縄の〝特性〟で勝負

出席者
仲宗根悟さん(元沖縄県祖国復帰協議会事務局長)
松島朝義さん(陶芸家)
中江裕司さん(映画監督)
砂川かおりさん(沖縄環境ネットワーク)
司会・宮良健典琉球新報編集局次長

復帰に何を期待したか 基地問題の打開策 沖縄を意識するか

仲宗根悟さん
民族的な運動勝ち取った
基地問題解決には米への意思表示必要

松島朝義さん
民主主義求めることに意味
憲法適用と同時に日米安保の枠内へ

砂川かおりさん
本土との線引きは無意味
問題となっている 構図が見えにくい

中江裕司さん
〝個〟に魅力、素晴らしい
境界線存在は現実 とっても意識する

新しい沖縄づくり
融和と共生の時代に 仲宗根さん
音楽は世界に通用する 中江さん

1999年5月15日 琉球新報
進まぬ基地整理縮小

新たな沖縄振興策の展開スキーム(試案)
統計でみる沖縄県のすがた
米軍基地の状況
米軍専用施設の返還状況(施設面積)
沖縄開発庁予算および沖縄振興開発事業予算の推移(補正後ベース)
沖縄関係経費の累計額

1999年5月15日 琉球新報
ハーグ平和会議
基地が土地奪っている
大田前知事 整理縮小と軍縮訴え

1999年5月15日 沖縄タイムス
占領27年復帰 名残と変化
「アメリカ」消えず
946ミリパック
機械も容器もガロン単位の米国製
1ℓ可能も「牛乳は難しい」とか

高等弁務官道路
「帝王」の面影薄れ

1999年5月16日 沖縄タイムス
27年を重ねて 世替わり沖縄5.15 6
原点に戻ろう
金武町長 吉田勝広さん
理想どう結実させる

1999年5月16日 沖縄タイムス
ギンバル訓練場
北側海岸浸食 金武町議会の調査委が視察
地主間に混乱予想
原状回復 国に求める方針

1999年5月17日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟 沖縄の今を問う 7 仲間恵子
復帰のかたち
大阪に二つの復帰記念碑
次世代に継ぐ「5・15」検証
屈辱のパスポート 「沖縄が帰ってきた」 暗黙のメッセージ

1999年5月17日 沖縄タイムス
ジャーナリストは見た 27×27=沖縄 4 由井晶子
女性たち 上
芸能、工芸守り下支え
生き生きとした活動始める
群衆の一角から 復興期の黒子たち 独自の運動を展開

1999年5月17日 琉球新報
解説
那覇軍港
基地問題で県内首長アンケート
「普天間」に比べ柔軟姿勢
軍民共用で論議必至

普天間移設 軍民共用空港 那覇軍港移設

1999年5月17日 琉球新報
沖縄同様韓国を知ることが重要
宜野湾 「女性と基地」ツアー報告会

1999年5月18日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟 沖縄の今を問う 8 池田緑
「沖縄独立論」をめぐって 上
〝自立〟のグローバリゼーション
「自分のことは自分で決める」
多数派と少数派 秩序の〝解体〟と〝再編〟 日本を相対化する視点

1999年5月18日 沖縄タイムス
ジャーリストは見た 27×27=沖縄 5 由井晶子
女性たち 下
国際的視野で運動を展開
意識改革への主張、緒につく
戦後育ちのリーダー 人権侵害に取り組む 海外への活動拡大

1999年5月18日 琉球新報
金武町
土砂流出 浸食進む海岸
2001年返還予定のギンバル訓練場
議会が視察 原状回復要求へ

1999年5月18日 琉球新報
動き始めた佐世保基地再編
軍民すみ分けで経済振興に期待
岸壁の返還など本格検討

1999年5月18日 琉球新報
「琉球警察軍」の全容判明
「極東軍文書」を荒助教授が入手
米軍朝鮮派遣部隊の肩代わり
全員がカービン銃で武装

1999年5月18日 沖縄タイムス
いま語る 大田昌秀さん
平和思想
「非武の文化」広げ、友好を
軍事解決は暴力まん延反映

1999年5月19日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟 沖縄の今を問う 9 池田緑
「沖縄独立論」をめぐって 下
〝沖縄発〟の提起に期待
世界が共有する「自立・自決」問題
繰り返される自決要求 問い直される「国家」 自立への追い風

1999年5月19日 琉球新報
ジャーナリストは見た 27×27=沖縄 6 川満信一
表現の軌跡 上
冷静な客観視点必要
危ない民族主義の正当感
異常なフィーバー 常に臨戦態勢

1999年5月19日 琉球新報
落ち穂
毒ガス移送
伊敷勝美 沖縄市役所市史編集担当

1999年5月19日 琉球新報
新指針法案 きょう那覇公聴会
沖縄の心伝えてほしい
セレモニーにしないで
「防衛の問題大切」の声も

伊佐氏(沖駐労委員長)公述に全駐労の思い複雑
「誤解与えかねない」と危ぐ

1999年5月19日 琉球新報
朝鮮有事で那覇空港提供
防衛庁 米軍からの要請で検討
94年、那覇港なども
関係者「新指針の基に」

1999年5月19日 琉球新報
新たな基地提供も検討
防衛庁 朝鮮有事の対応想定
「後背地の確保不可欠」
米軍が管理権行使

前田哲夫(東京国際大学教授)に聞く
労務提供も要求 沖縄への影響大

指針公聴会 公述人の意見要旨

1999年5月20日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟沖縄の今を問う 10 新垣誠
万国津梁の民
国際社会への自己像
日本の「内」と「外」で揺らぐ沖縄

1999年5月20日 琉球新報
「沖縄守る」基地「戦争招く」
新指針法案沖縄公聴会
「武力必要」「平和大切」
公述人、安保でも意見対立

1999年5月20日 琉球新報
県民、参院に厳しい目
いずれも貴重な意見
井上委員長 論議深める意向

小渡亨・県議 抑止力を高める
比嘉良彦・政治アナリスト 徹底審議が条件
伊佐真一郎・沖駐労委員長 早い法制化必要
新垣勉・弁護士 再び戦場にせず
高良鉄美・琉大教授 特に慎重審議を
新崎盛暉・沖大教授 有事防ぐ努力を

質疑要旨

1999年5月20日 琉球新報
法案の不明確さ露呈
新指針法案公聴会
解説
生活への影響懸念
不安ぬぐう国会論議を

公聴会を傍聴して
宮里政玄氏 沖縄対外問題研究会代表
憲法改正論に驚き 議論の高まり期待

1999年5月20日 琉球新報
社説
沖縄公聴会
どう生かす「県民の声」
今こそ示せ参院の存在意義
沖縄でしか見えぬ現実 全国民の問題「安全保障」

1999年5月21日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟沖縄の今を問う 11 新垣誠
万国津梁の民 下
問われる沖縄の心
国際理解の場は日常の中に
沖縄社会の〝よそ者〟 まなざしの暴力

1999年5月21日 琉球新報
ジャーナリストは見た 27×27=沖縄 8 川満信一
表現の軌跡 下
倫理の根源見失うな
同化と精神のボーダレス
シビアな反省意識 主題の喪失

1999年5月21日 琉球新報
野中長官
「沖縄戦の実態、整理が必要」
政府の調査示唆

1999年5月21日 沖縄タイムス
〝基地開放〟ですか?
泡瀬通信施設フェンス50メートル破損中
アンテナは近づくと危険
米軍「遊び場ではない」

1999年5月21日 沖縄タイムス
歌い継がれる「さとうきび畑」
心に解け込む〝平和な歌〟
作詞・作曲 寺島尚彦さん
戦争の悲しみを淡々と

1999年5月22日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 4 我部政明
米国の利益NssM-5
核貯蔵と直接出撃に価値
返還後も基地保有可能と判断
米の新たな対日政策 自由な基地使用ありき 米国の利益を優先

1999年5月23日 琉球新報
基地跡利用の促進 事件・事故防止を
基地所在市町村長が要望
外相「可能なものから対応」

外相懇談会での基地所在市町村長の発言要旨

知事・外相会談要旨

1999年5月24日 琉球新報
表層深層
サミット 開催に潜む思惑
基地問題 切り離して取り組みたい県
基地問題 促進剤期待の日米両政府
サミット効果 沖縄に警戒感 あけすけな発言

外相記者会見要旨

1999年5月24日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟沖縄の今を問う 12 冨山一郎
国民であること、国民を選択するということ 上
復帰は選択できたか
「絶望的なノン」の問いかけ
日々の人民投票 新たな政治空間 国民共同体への剥離感

1999年5月24日 琉球新報
いま語る 大田昌秀
平和の礎
「構造的暴力」解決を
沖縄は非武の文化大切に

1999年5月25日 琉球新報
国民不在に怒りと失望
「慎重審議せず暴挙」
沖縄公聴会公述人の声 「喜ばしい」と歓迎も

「有事への備え必要」国境の島 与那国町

「悔しい、悲しい」
元ひめゆり学徒の宮良さん
戦争の危機を訴える

県民の反応
抵抗感の薄れが怖い 立法化後も検証を 平和築けるのか疑問

1999年5月25日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟沖縄の今を問う 13 冨山一郎
国民であること、国民を選択するということ 下
「新しい市民権」の可能性
国家を問題化する思想
正しい思想 剥離感の保持 還元不可能な関係性

1999年5月25日 琉球新報
基地の島の辛苦さらに
新防衛指針法成立
航空 管制返還ますます困難
物流 「食卓犠牲にするの」 車両提供の余裕はない
港湾 「悔しい」と唇かむ
基地従業員 ベトナム戦争想起 軍隊と共に紛争地派遣も
平和団体 2団体が抗議集会
労働団体が抗議声明

1999年5月25日 琉球新報
基地縮小の足かせに
解説
求められる憲法論議
次は有事法制、国際貢献

県出身国会議員談話
平和外交で事態発生抑制 仲村正治衆院議員(自民)
日米の信頼 関係強固に 嘉数知賢衆院議員(自民)
基地縮小に大きな役割 下地幹郎衆院議員(自民)
欠陥だらけの成立、残念だ 上原康助衆院議員(民主)
徹底した平和 対話強く主張 白保台一衆院議員(公明)
再び戦争の犠牲明白だ 古堅実吉衆院議員(共産)
自治体や国民 戦争に総動員 照屋寛徳参院議員(社民・護憲)
沖縄への影響大きく、懸念 島袋宗康参院議員(二院ク・自由連合)

地域の自治権侵される 吉田勝広金武町長
要請あれば協力 蔵当真徳勝連町長
協力要請の拒否あり得る 仲宗根正和沖縄市長
負担増ないか 厳しく見守る 宮城実篤嘉手納町長
残念であり不安である 比嘉盛光宜野湾市長
性急すぎる極めて遺憾 親泊康晴那覇市長
明確な方策示すべきだ 宮城健一浦添市長
市民生活への不利益を懸念 伊志嶺亮平良市長
市長権限の及ぶ所は拒否 大浜長照石垣市長

1999年5月25日 琉球新報
沖縄へさらなる重圧
解説
新指針が成立
公聴会はアリバイ
県民の疑問に答えず

自治体協力の解説書作成 来月公表

中国
台湾問題を注視
日本の軍事大国化批判

日米同盟が軍事的に機能
米政府

政党談話

県内政党談話
日本の安全一層確実に 自民党県連・翁長雄志幹事長
皆で反戦の声上げよう 社会民主党沖縄県連合・新垣善春委員長
法案の大半 やぶの中 社大党・新垣重雄書記長
憲法違反の法律は無効 共産党県委員会・赤嶺政賢委員長
平和のため慎重運用を 新進沖縄・外間盛善幹事長
人道支援をさらに提唱 公明党県本部・高良政彦代表
性急すぎる審議に懸念 民主党県連・島尻昇幹事長
尽くされぬ国民的論議 自由連合沖縄・金城浩代表

1999年5月25日 琉球新報
新指針関連法(要旨)

1999年5月25日 琉球新報
核心評論
新指針法成立
虚構振りまき、論議回避
あまりにも寂しい政治の姿

1999年5月25日 琉球新報
21世紀の安保戦略 上
アジア紛争に関与
軍事面で米の一翼担う

1999年5月26日 琉球新報
復帰27年 日本の中の〝異国〟沖縄の今を問う 14
「沖縄像」再考
国民国家の暴力を否定
反復される平和への願い
「復帰」を問うということ 問われる「沖縄の心」 「内なる他者」の声

ましこひでのり氏インタビュー
「沖縄の今を問う」を終えて
〝植民地主義〟の再検討必要
被害者、加害者にならない選択を

1999年5月26日 琉球新報
ガイドラインの影 周辺事態と沖縄 上
温度差
大きい本土とのギャップ
公聴会、通過儀礼にすぎず
構造的な差別 「日本人は魂が抜けた」

1999年5月26日 琉球新報
SACO交付金
「基地受け入れとは別」
4町村 振興策に活用強調

1999年5月26日 琉球新報
21世紀の安保戦略 中
次の標準は有事法制
不透明な国際平和貢献

1999年5月26日 琉球新報
砲撃演習廃止2年 〝傷〟いえず ブート岳
金武町

1999年5月27日 琉球新報
21世紀の安保戦略 下
警戒感強める中国
予防外交が信頼得る道

1999年5月27日 琉球新報
ガイドラインの影 周辺事態と沖縄 中
基地縮小との矛盾
重要性増す在沖米軍
新たな役割担う恐れも

1999年5月27日 琉球新報
政論時論 比嘉良彦
サミット
「沖縄開催」の当惑
問われる構想力と実行力

1999年5月29日 沖縄タイムス
沖縄施政権返還とは何だったのか 5 我部政明
米国の目標・軍事権確保
秘密協定の締結を勧告
核搭載艦の寄港は事前協議外
具体的な要件 核兵器の自由使用 通常兵器の直接出撃

1999年5月29日 琉球新報
ガイドラインの影 周辺事態と沖縄 下
沖縄の課題
粘り強く基地縮小の声を
求められる地域の主体性

1999年5月29日 沖縄タイムス
新ガイドラインから見えるもの
新崎盛暉
戦争への道着々と
有事法制整備の動き一斉に

1999年5月29日 沖縄タイムス
軍隊のない国 コスタリカの平和主義
一貫して中立的立場
自衛権と交戦権 憲法で認める
でも軍隊組織 一度もない
軍隊を廃止 「不可能ではない」

1999年5月30日 沖縄タイムス
歴史に学ぼう
米軍基地 沖縄戦が背景に
呉屋悟

1999年5月30日 沖縄タイムス
ニュース断面
再改定特措法審議入り
奪われる基地カード
地方分権法に隠れ 論議低調
普天間移設を想定? 盛り上がらぬ論議

1999年5月31日 琉球新報
記者の余録
宮里努 嘉手納支局
嘉手納町の知恵

1999年5月31日 沖縄タイムス
不発弾爆発の悲劇検証
LCT事故描いた「伊江島の戦中・戦後体験」刊行
あらためて9人の目撃証言
石原教授「全容解明できた」

1999年5月31日 沖縄タイムス
ニュース断面
泡瀬通信施設
もたつく制限水域解除
米軍の抵抗で難航
リゾート開発に支障
2年前から交渉 電波障害の可能性

1999年5月31日 沖縄タイムス
浦添地先
〝豊かな海〟を確認
軍港移設反対の決意新た
「市民の会」独自で初調査

1999年5月31日 琉球新報
語り継ぐために マラリア平和祈念館オープン 上
「ねぎらいの言葉もない」
地元関係者 展示内容変更や館長不在に反発






  


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1999年4月

2013年10月28日 / 1999年新聞記事

1999年4月
1999年4月1日 沖縄タイムス
70年のコザ騒動
鎮圧に武装兵招集
沖縄市入手 米資料で判明

1999年4月1日 琉球新報
SACO交付金支給
政府
「象のオリ」受け入れで
金武町適用対象 吉田町長、跡利用で要請へ

解説
吉田町長の「苦渋の選択」
国の財政支援が不可欠

吉田町長 北原局長やりとり要旨

1999年4月1日 沖縄タイムス
記者 私論
又吉健次
「軍隊」 「沖縄の心」抜きの議論は危険

1999年4月1日 琉球新報
〝準公務員〟は魅力 半数以上が有識者
98年度 基地従業員に1万1035人が応募

1999年4月2日 沖縄タイムス
今晩の話題
戦後処理と新時代

1999年4月3日 琉球新報
エッセー 風流無談
死ぬのは奴らだ 目取真俊

1999年4月3日 琉球新報
丸木夫妻の「沖縄戦の図」 近田洋一
画面から立ち上がる悲劇
修学旅行の必見コースに

1999年4月4日 琉球新報
「基地」受け入れ相次ぐ
動き出すSACO合意
4町村に多様な事情
返還加速させる狙いも

降下訓練 伊江村
背景に厳しい財政事情
ハリアー事業 打ち切りが痛手に

象のオリ 金武町
町長、急決断に戸惑いの声も

米軍住宅 北谷町・北中城村
「基地強化ではない」
辺土名町長 町内施設の統合、強調

国の財政支援 条件に
政府
「実現の道見えてきた」
地元理解得られ歓迎ムード

「普天間」にも好影響
県、整理縮小進むと評価

吉田金武町長に聞く
ぎりぎりの許容範囲
大方の町民、条件付き賛成

1999年4月4日 沖縄タイムス
軍用地返還と跡利用 上 来間泰男
取り組み遅らせる軍転法改正

1999年4月5日 沖縄タイムス
軍用地返還と跡利用 中 来間泰男
補償限度額撤廃に問題

1999年4月5日 琉球新報
新ガイドライン関連法案
辺見庸氏インタビュー
安保の枠組み完全に破る
菌糸のような全体主義危ぐ

1999年4月6日 沖縄タイムス
軍用地返還と後利用 下 来間泰男
地主委任の「公」機関設定を

1999年4月7日 沖縄タイムス
基地の町 街頭で一新
金武町で点灯式 島田懇事業第1号

1999年4月7日 沖縄タイムス
人物地帯
那覇市特命参事に就任した 真栄里泰山さん

1999年4月7日 琉球新報
嘉手納は補完訓練場
降下訓練で米政府関係者
伊江島の安全性危ぐ

1999年4月7日 琉球新報
「他へ迷惑掛けない」
象のオリ移設問題 金武町長、城原区に説明

1999年4月7日 琉球新報
清明祭の立ち入り 今年は一カ所
普天間基地
→例年は三カ所のゲートから出入り。

1999年4月7日 琉球新報
タイヤから白煙上げる
F15、嘉手納基地で

1999年4月8日 琉球新報
ニュース透視鏡’99
軍港移設で揺れた浦添市議会
市構想図に質疑集中
当局と与党の不協和音も
議会対策に懸命の市 市、軍港を強く否定

1999年4月8日 沖縄タイムス
魚眼レンズ
高田清恵さん
戦時の朝鮮人問題掘り起こす

1999年4月8日 琉球新報
嘉手納 普天間基地
騒音防止協定締結から3年
静かな夜まだ遠く

嘉手納町
深夜、早朝の騒音増
イラク空爆時、特に激しく

宜野湾市
市民を常時悩ます
眠れず、飛び起きる幼児

北谷町
協定の効果表れず
抜本的見直し要請を検討

1999年4月9日 琉球新報
前県出納長の山内徳信氏
「平和の種まき塾」開設へ

1999年4月9日 琉球新報
落ち穂
九月七日
伊敷勝美 沖縄市役所市史編集担当

1999年4月11日 沖縄タイムス
前読谷村長の山内さん
自宅に平和研究所開設
「民間から問題提起したい」

1999年4月11日 琉球新報
「普天間」返還合意から3年
県政の取り組み本格化
政府 海上基地にこだわらず 県の提案重視へ
宜野湾 地主の不安ぬぐえず

知事、宜野湾市長インタビュー
稲嶺恵一知事
誘致の動きに感謝
国が最終的に移設先特定

比嘉盛光市長
固定化許されない
関知はできない移設先

焦り、いらだつ宜野湾
津堅島 賛否で割れる島 願いは架橋実現で一致
名護 再誘致の動き活発化

軍事評論家・青木謙知氏
管理・管制権が課題
有事には民間使用制限も

野中長官の会見要旨

1999年4月11日 琉球新報
沖縄20世紀の光芒 通年企画 14
軍隊の論理―沖縄差別史観
根底に強い偏見と不信感
軍備と「自力郷土防衛」求める
本土の防波堤 尚武の精神 国体観念乏し 事大主義 県会の意見書 県民スパイ説

識者の視点
大城将保氏 県立博物館館長
疑心暗鬼の県民スパイ視

沖縄の軍備関係年表

1999年4月13日 琉球新報
象のオリ正式受け入れ
吉田金武町長が表明
「政府が行財政支援約束」

1999年4月13日 琉球新報
全基地で厳重警備
特別防災訓練開始 テロ攻撃を想定
米海兵隊

1999年4月13日 琉球新報
金武町長が象のオリ受け入れ正式表明
町民に期待と批判
賛成派「ドジャース」誘致を
反対派「裏切り行為」と反発
吉田町長 涙ぬぐう場面も

1999年4月14日 琉球新報
平和への対話 沖縄ティーチインに寄せて 上 波平恒勇
心に刻む〝戦争責任〟
ワイツゼッカー前独大統領
誠実な姿勢で歴史を直視

1999年4月14日 琉球新報
日本復帰27年 新旧県知事に聞く
稲嶺恵一知事
経済自立で発言権
SACO合意を着実実施
大田昌秀前知事
国民守る安全保障を
復帰後、利己主義の風潮

1999年4月14日 琉球新報
ニュース透視鏡’99
金武町の象のオリ移設容認
受け入れの流れ進む 地域振興条件に
ヘリパッドでくぎ 一石二鳥 楚辺の不安 盲点

1999年4月15日 琉球新報
平和への対話 沖縄ティーチインに寄せて 下 波平恒勇
寛容と共生の思想説く
〝言葉の政治家〟ワイツゼッカー前独大統領
権力追及の「政党国家」を批判

1999年4月17日 琉球新報
降下訓練 今後も実施へ
在沖米軍が可能性示す
→嘉手納飛行場での降下訓練。

「SACO合意に反する」
政府高官が批判
他の移設問題への影響懸念

「伊江島移転に協力したい」
外務省沖縄事務所

中止要請に対し降下訓練を容認
北原防衛施設局長

早急に伊江島整備
野中長官強調 「今後は回避に努力」

強い不満を表明
稲嶺知事「訓練中止求める」

1999年4月17日 琉球新報
ワイツゼッカー氏を迎え「沖縄の未来」でティーチイン 名護市・名桜大学
寛容が平和への道
グローバル化大事 ワイツゼッカー氏
経験から戦争拒否 東江学長

1999年4月17日 琉球新報
嘉手納で降下訓練
3軍100人
県の中止要請無視
復帰後2度目地元反発

訓練実施は誠に遺憾
稲嶺知事

北富士など移転対象に

SACOの合意に反する
周辺3市町が抗議声明

1999年4月17日 琉球新報
政府、一貫性ない対応
解説
米軍の嘉手納基地降下訓練
中止要請考慮されず
県、日米両政府に不信感

我部政明琉大教授に聞く
合意に詰めの甘さ 弱まる移設の根拠

1999年4月18日 琉球新報
きょう浜下り
→ギンバル訓練場

1999年4月18日 琉球新報
沖縄20世紀の光芒 通年企画 15
〝国籍〟のない琉球―第一球陽丸銃撃事件
日本でも、米国でもなく…
あいまいな地位の犠牲に
SOSを無視 意の如くにならず 用なさないD旗 貿易にも打撃 日の丸と併用

識者の視点
佐久川政一氏 沖縄大学教授
〝人権の砦』なしが27年

琉球船舶旗年表

1999年4月18日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
米軍パラシュート降下訓練
地元要求に冷や水
〝抜き打ち〟に政府思惑も
「差し控えていた」 虚突かれた三連協 SACO2

1999年4月19日 琉球新報
「抜き打ち的再開に怒り」
降下訓練
嘉手納、北谷両町議会
全会一致で抗議決議

1999年4月19日 琉球新報
評論企画 普天間合意の行方 上
問題の最深部に「自治」
自立への試金石
県民世論再構築し「真の繁栄」確立へ

1999年4月19日 琉球新報
嘉手納基地・降下訓練
「絶対容認しない」
周辺3市町 相次ぎ抗議決議へ

1999年4月20日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 1
ベトナム戦争当時 上
ベトナムで艦船修理
県人潜水夫を派遣
「他人に話すな」と米軍が命令

1999年4月20日 琉球新報
評論企画 普天間合意の行方 中
県からの提議がカギ
政治の責任
憲法などプラスの知恵絞れ

1999年4月20日 琉球新報
核心評論
降下訓練
反感無視して友好ない 軍事的要素強める米軍

1999年4月20日 沖縄タイムス
ガイドライン 関連法案と沖縄 識者に聞く 1
新崎盛暉 沖縄大学教授
強いられる軍事的負担

1999年4月20日 琉球新報
「公共工事同率補助を」
象のオリ移設容認
金武町長説明に恩納村長

1999年4月20日 琉球新報
米軍人らが奉仕作業
沖縄こどもの国

1999年4月20日 琉球新報
テロ対策で警備厳重
普天間基地内の清明

1999年4月20日 琉球新報
300台以上を24時間態勢で
米軍がトラック確保打診
1997年夏
ガイドライン念頭に独自に民間対応調査

危険性を示す動き
狩俣連合沖縄副会長

1999年4月20日 琉球新報
3遺体収容、1人不明
米軍ヘリ墜落
国頭沖、夜間訓練中
普天間合意後初の死亡事故

再発防止と原因究明を申し入れ
政府、米軍に

県、早急に原因究明要請

安全管理の徹底強く求めたい
稲嶺知事コメント

1999年4月20日 琉球新報
ぞっとする もし陸上なら…
米軍ヘリ墜落
「基地の危険性を再認識」
安全対策の徹底訴え

津堅島の住民も衝撃

1999年4月21日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 2
ベトナム戦争当時 下
放射能の海で潜水作業
米原潜が放出
体に不調も関連否定

1999年4月21日 琉球新報
宜野湾市が飛行中止要請
CH53ヘリ 普天間に15機
四六時中、頭上に恐怖

原島大使が申し入れ

東村高江区が訓練中止要請

施設庁が遺憾の意

1999年4月21日 琉球新報
インタビュー ガイドライン法案 上
石垣市長 大浜長照氏
反対 憲法の枠超える
自民党県連幹事長 翁長雄志氏
賛成 安保の有効運用

1999年4月21日 琉球新報
評論企画 普天間合意の行方 下
「内政干渉」の印象避ける
米政府の危ぐ
県側から解決策が示されるのを待つ

1999年4月21日 琉球新報
普天間飛行場から黒煙
ヘリ事故の直後なのに…
「無神経」と市民

1999年4月21日 琉球新報
落ち穂
グロリア
伊敷勝美 沖縄市役所市史編集担当

1999年4月22日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 3
拡大
守備範囲に歯止めなし
〝地球規模〟視野に
在沖米軍アフリカにも対応

1999年4月22日 琉球新報
インタビュー ガイドライン法案 中
前県出納長 山内徳信氏
封建的発想見える
琉大助教授 高作正博氏
日本の脅威各国に

1999年4月22日 琉球新報
海上基地ベストでない
普天間代替でキャンベル氏 地元の意見を尊重

1999年4月23日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 4

「トラック300台確保可能か」
米軍人が協会訪れ調査
〝民間協力〟に戸惑う業者も

1999年4月23日 琉球新報
沖縄復帰27周年 識者に聞く
詩人・高良勉氏
日本は自らの弱さ直視を
自立・独立論は共通認識
作家・大城立裕氏
沖縄ローカルにこだわるな
大城文学超えてほしい

1999年4月23日
日米合同委
返還期限の延長合意
ハンセン、桑江の一部土地

一部返還
「区の運営が心配」
地元・名護では不安と動揺

1999年4月23日 琉球新報
「軍民共用あり得ない」
米国防総省部長が回答
→那覇軍港の浦添移設に関して。

1999年4月23日 沖縄タイムス
那覇市立教育研究所
「戦前の学校」など三資料発刊
教育史の積み重ねに有用
子供たちにも役立てて

1999年4月24日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 5

〝名目〟は経済活動
軍事輸送担う民間
「拒否すれば解雇」の状況も

1999年4月25日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 6

いつでも基地に転用
機能有する下地島
常態化していた米軍機給油

1999年4月25日 琉球新報
インタビュー ガイドライン法案 下
軍事評論家 佐藤守氏
民間の協力当然だ
自治労県本委員長 狩俣吉正氏
拒否はできず危険

1999年4月25日 琉球新報
戦世のあわり、二度とゴメンです
ガイドライン法案を廃案に!
→意見広告

1999年4月25日 琉球新報
21世紀へ 伝える・継ぐ 16
ヌチシヌジガマの語り部・山城武子さん 石川市
児童らに命の尊さ訴え
戦争、いじめは防げる
暗夜の中で3カ月 生存体験を後世へ

1999年4月26日 琉球新報
降下訓練、ヘリ墜落、原潜…
「極めて遺憾」
副知事ら施設局に

1999年4月26日 琉球新報
ガイドライン 憲法解釈で与野党対立
本紙が県出身国会議員アンケート

1999年4月26日 琉球新報
原潜、通告なく出港
県、科技庁 放射能測定できず
ホワイトビーチ

1999年4月27日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 7
宮古・八重山の懸念
国境の島に警戒感
港湾の軍事利用を危ぐ

1999年4月27日 琉球新報
47年目の4・28 「沖縄デー」に思う 上 宮里政玄
戦前の県庁がモデルに
「代行機関」の沖縄政府

1999年4月27日 沖縄タイムス
点検・ガイドライン 住民生活の現場で 2部 5
給水
軍事と生活 どちら優先
不安定な水事情「影響避けられぬ」

1999年4月28日 琉球新報
憲法の風景 3
「基地実態知る権利」
国に異議を唱えた元市議

1999年4月28日 琉球新報
47年目の4・28 「沖縄デー」に思う 下 宮里政玄
補助金依存から脱却を
知事に戦略的助言必要

1999年4月28日 琉球新報
忍び寄る影 ガイドライン関連法案 8
医療
追い出される住民
入院は負傷兵優先
「過去の戦争で明らか」と医労連

1999年4月28日 沖縄タイムス
牧野副知事迎え基地問題講演会
豊見城村「ジャーガル塾」

1999年4月28日 琉球新報
県出身議員
賛成、反対に割れる
新指針法案 白保氏は党方針に反し退場

国から要請 適切に対応
新指針で稲嶺知事

県内の基地関連首長談話
新たな負担危ぐ/論議不在の異常事態/人道的協力は拒否できない

1999年4月28日 琉球新報
軍事大国化を危ぐ
アジアの目冷ややか
県内で学ぶ留学生ら 戦争支持につながる

福州市との関係を懸念
親泊那覇市長

1999年4月28日 琉球新報
地域紛争に常時対応
野戦病院のコンテナ降ろす
那覇軍港

1999年4月28日 琉球新報
沖縄の運動全国に
新指針法案衆院通過
「強行採決」に怒り
平和運動センター 集会、デモで訴え

県連絡会が反対署名活動

傍聴席から悲鳴のような声
採決の瞬間、衆院本会議

1999年4月29日 琉球新報
政論時論 比嘉良彦
「4・28」は安保の日
例年と違う平和論考えよう

1999年4月30日 琉球新報
今晩の話題
基地内の役場
→北谷町役場

1999年4月30日 琉球新報
私が見たワイツゼッカー博士 東江康治
絶えず平和に関心を
若者に積極的参加を訴える

1999年4月30日 琉球新報
サミットが来る 取り組みと課題 1
警備
緊張走る 県警、11管
2万人以上の空前規模に

1999年4月30日 琉球新報
識者評論
江上能義氏
国際都市形成の弾みに
首脳が基地直視する好機



  


Posted by 糸満のカッパ at 17:24

1999年3月

2013年04月11日 / 1999年新聞記事

1999年3月
1999年3月1日 琉球新報
嘉手納基地降下訓練計画
知事、中止を要求
米軍が日程を公式に認める

1999年3月2日 琉球新報
嘉手納基地降下訓練計画
3軍合同訓練が明白に
県議会、抗議決議採択へ

1999年3月2日 琉球新報
解説
普天間・軍港対策室発足
県の主導権発揮に焦点
透明性が高い作業が必要

1999年3月5日 琉球新報
バラシュート降下訓練延期
SACO合意
ずさんな一面露呈
米軍、軽率な言動
軽率発言 続く地元の警戒

1999年3月5日 琉球新報
在沖米軍
降下訓練を当面延期
駐日大使が高村外相に伝達
継続実施の必要性も強調

「今後も伊江島以外であり得る」 野中長官

各レベルでの尽力のおかげ 稲嶺恵一知事

1999年3月5日 沖縄タイムス
今晩の話題
非核三原則

1999年3月6日 琉球新報
代理署名 公告縦覧 国が直接執行
新規強制使用・収用
首相に「代行決裁」権
「法的空白」生じさせず 沖縄の〝関与〟排除

米軍用地特措法 改正案の骨格判明

1999年3月7日 沖縄タイムス
沖縄 20世紀の光芒 9
時代とともに「意味」変化―日の丸
復帰運動では抵抗のシンボル
戦争の歴史踏まえぬまま
各家庭に配布 集会から消え 掲揚反対論も 琉球藩に下賜 初の司法判断

識者の視点
中村文子 沖縄戦記録フィルム 1フィート運動の会事務局長
法制化論議、納得いくまで

日の丸関連年表

1999年3月7日 琉球新報
糸満市史―資料編7 糸満市史編集委員会
戦争を問う 批判と反省

1999年3月9日 琉球新報
軍港の移設に追い風
政府反応
「現実的解決に前進」
ハブ化向け省庁間で調査

西海岸開発促進に関する意見書・同要請決議(全文)

1999年3月9日 琉球新報
市民の会、住民投票へ動き
「議会の対応は拙速」
中身が分からないと抗議

反対ネットが受け入れに抗議

1999年3月9日 琉球新報
市長「公約に反しない」
那覇軍港の浦添移設
審議10時間、疲労の色
浦添市議会 式典一転、怒号とヤジ

「一歩も二歩も前進」と歓迎
浦添商工会議所

1999年3月9日 琉球新報
浦添市議会意見書可決
機能強化には歯止め
解説
物資搬出入に限定
反対決議から促進へ 理由はっきりせず

市議会与野党反応
与党 慎重に対応すべきだった
野党 西海岸の開発事業が促進

稲嶺知事
「ハブ港湾へ一歩前進」
連携して検討作業に反映

我部政明琉大教授
需要見通し明確に
港湾管理主体どうする

1999年3月9日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
強行するなら市民投票
反対派「具体的に討議」
新議場に重い緊迫感 賛成議員は減 政府に戸惑いも

1999年3月9日 琉球新報
降下訓練
「廃止は困難」
首相、嘉手納実施に含み

1999年3月10日 琉球新報
軍用地特措法改正案を了承
自民、ほぼ政府案通り
仲村氏は異論展開 今月下旬に閣議決定

解説
「分権」逆手に改正
安保の義務履行を優先

米軍用地特措法改正案の概要

1999年3月10日 琉球新報
浦添市議会の意見書可決歓迎
外務省の原島大使

1999年3月11日 沖縄タイムス
沖縄戦時の米軍機密資料
日本軍司令部壕を細かく分析
「貴重、研究に役立つ」 県公文書館宮城館長
県平和推進課が入手

1999年3月11日 琉球新報
新局面 那覇軍港移設 上
浦添議会
機能不明確なまま論議
かみ合わぬ与野党 基地強化には反対
情勢変化で意見書提出 軍港機能では防戦

1999年3月11日 琉球新報
落ち穂
湖底の陣地壕
伊敷勝美 沖縄市役所市史編集担当

1999年3月12日 琉球新報
ディーゼル油 川に流出
キャンプ瑞慶覧内 自動車整備場から
北谷町北前

1999年3月12日 琉球新報
変革の波 21世紀の沖縄 17
地方分権
軍用地強制使用 国の直接執行に
自治より軍事優先
「地元の声届かない」と懸念
日米安保に重きを置く 雇用責任体制に不安

1999年3月12日 琉球新報
米軍のごみ、自治体が処理
中城村北中城村清掃組合 対象はキャンプ瑞慶覧
焼却施設老朽化 改修への補助前提に

1999年3月12日 琉球新報
新局面 那覇軍港移設 中
現実的対応で西海岸開発
「ギリギリの線」と苦悩する浦添市長
港湾整備を急ぎたい 市の意向を尊重

1999年3月13日 琉球新報
新局面 那覇軍港移設 下
住民投票 現実味帯びる
反対派にとっては「もろ刃の剣」にも
政府自民党は警戒感 判断材料が不明確

1999年3月13日 琉球新報
ヘリパッド移設候補地
国頭、東両村に7カ所
施設局が米軍に提示

1999年3月14日 琉球新報
紙面批評 新報を読んで 喜納勝代
降下訓練は県民感情逆なで
社説に沖縄の心の叫び見る

1999年3月15日 琉球新報
変革の波 21世紀の沖縄 18
特別自治構想
県民世論の喚起狙う
自治労 「政策提言」2次案作成へ
火付け役 分権先取り

1999年3月16日 琉球新報
「こんな所で…」
戦死した桜井貢さんの遺族 糸満市「和田隊の壕」
父最期の地で手合わせる
54年目、印鑑も娘に返る

1999年3月16日 沖縄タイムス
茶のみ話
アンガ―高等弁務官 大島修

1999年3月19日 琉球新報
事業費、政府が9割補助
「象のオリ」受け入れ条件に
吉田町長 財政支援策明らかに
金武町議会

19日 沖縄タイムス
平和は 9条のおかげ? 安保の効果?
成人式配布の「ザ・けんぽう」
憲法めぐり論争
沖縄市議会

1999年3月20日 琉球新報
非核港湾条例の波紋 波立つ港 1
高知の挑戦
国が予測超える反応
非核3原則運用のあいまいさを突く

1999年3月21日 琉球新報
非核港湾条例の波紋 波立つ港 2
新潟の論理
地方の立場で「窓」開く
旧ソ連、北朝鮮と独自の交流展開

1999年3月21日 琉球新報
ガイドライン関連法案座談会
座談会出席者
高良鉄美氏(琉球大学教授)
小渡亨氏(自民党県連幹事長代理)
喜納昌春氏(社大党副委員長)
司会・幸地光男琉球新報政経部長

安保の是非も問うべき
憲法上からも問題 高良氏
本来は有事法制から 小渡氏
情報極めて不充分 喜納氏

安保より範囲拡大 高良氏
日米の連携が必要 小渡氏
「周辺」定義明確に 喜納氏

「憲法の枠内」か議論を
後方支援も「軍事」 高良氏
経済的にも不可欠 小渡氏
沖縄は戦争状態に 喜納氏

移設で新指針適用 高良氏
軍港の使用は当然 小渡氏
一部使用は裏目に 喜納氏

1999年3月22日 琉球新報
非核港湾条例の波紋 波立つ港 3
神戸の静観
「安全守る」が原点
なし崩し危ぐも
国の硬化を懸念

1999年3月23日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
転機迎えたSACO最終報告
日米合意に〝ほころび〟
「着実な実施」唱えるも
外務省、防衛庁にズレ
嘉手納での降下訓練やヘリパッド移設問題
米の抵抗 火種

1999年3月24日 琉球新報
非核港湾条例の波紋 波立つ港 5
国境の島
平和港湾目指す石垣
国との緊張関係 回避したい県政

1999年3月25日 琉球新報
波立つ港 非核港湾条例の波紋 6
高知県知事インタビュー
問われる国の説明責任
「非核港湾化」に予想超えた反応

1999年3月25日 琉球新報
情報公開法案の行方
不服申し立てに〝制約〟
県民には不利益 権利保障を

1999年3月25日 琉球新報
聞こえない騒音
沖縄環境ネット 普天間基地「低周波」調査
98デシベル
ジャンボ機上回る 健康被害の指摘も

1999年3月26日 琉球新報
非核港湾条例の波紋 波立つ港 7
北岡伸一・東大教授 安保は地方外交の対象外
新藤宗幸・立教大教授 外交・防衛の一元化は危険

1999年3月26日 琉球新報
落ち穂
自決
伊敷勝美 沖縄市役所市史編集担当

1999年3月26日 沖縄タイムス
二十世紀の瞬間
太平洋戦争最大の上陸作戦
悲惨だった沖縄戦

1999年3月26日 琉球新報
瀬名波通信施設を返還
日米合同委で合意 今月9月までに手続き

1999年3月26日 琉球新報
特措法改正案決定
沖縄の声が無視される
民主団体など反発
成立阻止へ闘争を強化

異議申し立ての道閉ざす

1999年3月27日 琉球新報
特措法改正案閣議決定 宮城徳実町長に聞く
県民に過酷な改正
抵抗手段すべて奪われる

1999年3月27日 琉球新報
解説
軍転法見直し
跡利用実施帰還を新設
地主補償7年に延長要望

1999年3月28日 琉球新報
沖縄 20世紀の光芒 12
徴兵嫌悪が爆発―本部騒動
「貧困」「命」「差別」が根幹に
新たな戦時体制に警戒感
忌避者が続出 挑発に対抗 改善の好機 サーベル村長 警戒の目

識者の視点
仲地哲夫氏 沖国大教授
自然発生的な民衆の怒り

徴兵制関連年表

1999年3月28日 琉球新報
米軍嘉手納弾薬庫の一部返還
屋良・読谷村軍用地等地主会長に聞く
地主は今後の生活に不安
跡利用計画 村とも協議し互いに有益に

1999年3月29日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
伊江村の降下訓練受け入れ
ごみ処分場整備など要請
嘉手納にこだわる米軍説得がカギ
「SACOに協力」 基地収入が頼り 嘉手納は依然警戒

1999年3月30日 琉球新報
基地の騒音 健康に悪影響 裏付け
県まとめ 嘉手納、普天間を4年間調査し判明
高い低体重児出生率/血圧も上昇
聴力障害も 三者協で改善要求へ

1999年3月30日 琉球新報
金武町議会
「象のオリ」移設容認へ
特別委で陳情採択 反対姿勢を変更

1999年3月30日 琉球新報
政論時論 比嘉良彦
稲嶺県政の100日間
揺らぐ「安保」「民意」の原点
解決のプロセス見えず

1999年3月31日 琉球新報
象のオリ移設容認
金武町議会陳情採択 経済振興条件に

1999年3月31日 琉球新報
ニュース透視鏡‘99
金武町議会 象のオリ容認
政府補助金が無言の圧力
住民の不安解消されず
「施設局から給料を」 議会も新たな要求




  


Posted by 糸満のカッパ at 16:39