1997年8月

2015年07月29日/ 1997年新聞記事

1997年8月
1997年8月1日 沖縄タイムス
核心評論
攻守逆転
大田知事の決断促す
首相、沖縄に〝返球〟
→普天間飛行場移設

1997年8月1日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン 128万人の選択 10
否定された県の要望=一国二制度
研究者の視点
原田誠司 長岡短期大学教授 上
10年前倒しの〝実験〟
倒産、失業者増大明らか

1997年8月1日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 1 宮里松正
はじめに 一九七一年副主席に就任
忘れえぬ「あの日」
→米軍統治時代

1997年8月2日 沖縄タイムス
ANK・空自機ニアミス
「衝突の危険性あった」
運輸省 防衛庁などに改善要望
→航空機事故 自衛隊 那覇空港

1997年8月2日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 2 宮里松正
米軍基地 戦後アジアの激変で固定化
新たな接収始まる

1997年8月2日 琉球新報
論評 新崎盛暉沖大教授
知事は原点に戻れ
不可解な県の調査容認
→普天間飛行場移設

1997年8月2日 琉球新報
動き出した海上基地 ボーリング調査許可の波紋 上
固く口閉ざす知事
県幹部 国と地元にげた預ける
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年8月2日 琉球新報
政治人類学 一期生たちの夏 5
春名真章氏(共産)
唯一の野党
党名変えては前進ない
国会は国民生活から遊離
風頼みの党と違う パートナー不在

1997年8月3日 沖縄タイムス
「平和世創人ちむどんどん」公演
思い熱く
問い直す平和

1997年8月3日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン 128万人の選択 11
グローバル経済下での沖縄企業
研究者の視点
原田誠司 長岡短期大学教授 下
優位性の形成必要
新地域産業政策の提示を

1997年8月3日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 3 宮里松正
施政権返還 米、核付き自由使用条件に
強硬な姿勢で要求

1997年8月3日 琉球新報
国連環境特別総会 参加リポート 上 砂川かおり
知られていない問題
基地がもたらす環境汚染
→環境

1997年8月3日 琉球新報
ニュースここが知りたい
嘉手納ラプコン
進入管制で基地中心に米軍が業務行う空域
→Rader Approach Control 訓練空域・水域

1997年8月3日 琉球新報
動き出した海上基地 ボーリング調査許可の波紋 中
なぜ辺野古ならいいのか
地域差別に憤る住民

1997年8月3日 琉球新報
政治人類学 一期生たちの夏 6
辻元清美さん(社民)
与党のメリット
自民単独よりは連立
ガイドライン立法化が潮時
落差はある 中曽根氏はライバル

1997年8月4日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
「基地の全面返還」打ち出す
〝交付税算定〟が引き金
町の将来 自ら切り開く
嘉手納町長 宮城篤実氏
→嘉手納飛行場 軍用地

1997年8月4日 沖縄タイムス
ズームアップ
実施なし満1年
パラシュート降下訓練
読谷、186回で停止
→読谷補助飛行場 演習その他

1997年8月4日 沖縄タイムス
海上基地だけが選択肢ではない 藤井治夫
「ノー」と言う政府に
基地使用決定は主権事項
「木更津」の条件十分 英に米地上戦闘兵力なし
→普天間飛行場移設

1997年8月4日 沖縄タイムス
揺れる「基地建設」 海上ヘリボーリング調査許可 上
区民は比較的冷静
調査後をにらむ容認派
→普天間飛行場移設 連載・基地

1997年8月4日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン 128万人の選択 12
研究者の視点
この構想 実現しないし、させてはならない
来間泰男 沖縄国際大学教授 上
現状分析せず提案
報告書、既存企業を軽視

1997年8月4日 琉球新報
国連環境特別総会 参加リポート 下 砂川かおり
新たな基地が汚染源に
環境浄化の計画づくりを

1997年8月4日 琉球新報
動き出した海上基地 ボーリング調査許可の波紋 下
合意形成への一里塚
調査許可に安どの政府

1997年8月5日 沖縄タイムス
米軍
県議会の基地立ち入り拒否
「納得できない」与野党反発
→跡地利用 普天間飛行場 要記事

1997年8月5日 沖縄タイムス
「戦争の20世紀」を総括
世界平和都市市長会議が開幕
36カ国地域から 240人広島、長崎に集う

ドーム登録はやはりエゴ
本島・前長崎市長が講演

1997年8月5日 沖縄タイムス
揺れる「基地建設」 海上ヘリボーリング調査許可 中
「再び県民投票を」
「自治事務」解釈論も

1997年8月5日 琉球新報
妹は日本軍の道案内をしていた母の背で撃たれ…
「なんとか国の補償を」
比嘉武徳さん(58)名護
新証言 本紙報道きっかけ 基に再申請
県にも協力求める
91年に申請 〝証拠不十分〟で却下
→沖縄戦

1997年8月6日 沖縄タイムス
揺れる「基地建設」 海上ヘリボーリング調査許可 下
静観決め込む知事
「申請許可は県政の合意」

1997年8月7日 沖縄タイムス
基地跡の汚染学ぶ
女たちの会が実情報告
→環境 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会

1997年8月7日 沖縄タイムス
月間報告 7月

1997年8月7日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン化は沖縄らしさを喪失する 上 金城睦
社会は弱肉強食化
地場産業に決定的打撃

1997年8月8日 沖縄タイムス
全県フリーゾーン化は沖縄らしさを喪失する 下 金城睦
地域の特性生かす
多方面からの議論必要

1997年8月8日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 宮里松正 4
民意抜き 頭越しの施政権返還交渉
基地撤去要求せず

1997年8月9日 沖縄タイムス
復帰二十五年の回想 宮里松正 5
基地提供 5年間の時限立法を制定
県民への影響黙殺

1997年8月9日 琉球新報
’97 8・15 「物語」は復権するか 上
民衆史、民俗学も歴史
埋め込まれた物語再発見を
純粋化の仕掛け 残された者の声 守るべき価値

1997年8月11日 沖縄タイムス
基地関連交付税
沖縄市、北谷町が上位
嘉手納町は7位ランク
本紙試算
騒音など指標に入らず
→航空機騒音

1997年8月11日 琉球新報
恩納村・キャンプハンセン演習場
実弾訓練が激化
「県道越え」移転後 自然破壊 深刻に
→演習事故 キャンプ・ハンセン

1997年8月11日 琉球新報
ルポ 第32軍司令部壕
保存・公開へ厚い壁
新たな作業坑必要 修復に多額の費用
→沖縄戦

1997年8月11日 琉球新報
’97 8・15 「物語」は復権するか 下
法という思想の必要性
国家への思考停止国日本
消費文化の台頭 逆転の思考 生の連続性

1997年8月12日 琉球新報
米暗号文が語る 消えた船影 上
激戦と悲劇 浮き彫りに
米軍に傍受された暗号
日本船を待ち伏せ攻撃
→連載・沖縄戦

1997年8月13日 沖縄タイムス
市民投票求め署名提出
海上ヘリポート
有権者の半数突破
名護市推進協 市選管が名簿審査
→普天間飛行場移設

1997年8月13日 沖縄タイムス
「過半数は予想以上」
海上ヘリ 市民投票請求
署名、重く受け止める県
本格論議は11月ごろ

はっきりと意思表示を
ジャーナリストで「国民・住民投票を活かす会」事務局長の今井一氏の話

著名活動を終えて
ヘリポート基地建設の是非を問う 名護市民投票推進協議会 代表・宮城康博

「市民投票」想定される流れ

→普天間飛行場移設

1997年8月13日 沖縄タイムス
「基地ノー」を数字化
解説
〝ボール〟は市議会に
自己決定権…学んだ県民
→普天間飛行場移設

1997年8月13日 琉球新報
米暗号文書が語る 消えた船影 中
米軍、出発前から監視
対馬丸 最後の「肉声」

1997年8月13日 琉球新報
第6回公開審理詳報
伊江島補助飛行場 瀬名波通信施設 嘉手納弾薬庫
→強制収用

1997年8月14日 沖縄タイムス
平和教育に求められるもの '97沖縄市親子平和大使 中
教師のジレンマ
少ない平和学習
「学力向上」で時間限られ
→沖縄戦

1997年8月14日 沖縄タイムス
若き世代の夢語り ちむどんどん沖縄公演記 上 秋吉拓史
よく分からんけど沖縄に興味
基地や戦争のこと考えるきっかけに

1997年8月14日 沖縄タイムス
署名2万人の重み 名護市民投票 上
動揺隠せぬ市、与党議員
→連載・基地 普天間飛行場移設

1997年8月14日 琉球新報
8月15日の特攻 真栄田節男
死を命令する残酷さ
認められなかった個人の尊厳

1997年8月14日 琉球新報
8・15 その日がくれば 上 徐勝
今も続く南北分断の苦痛
日本人の偏見にも問題

1997年8月14日 琉球新報
米暗号文書が語る 消えた船影 下
沈没船の書類入手
上陸前から激しい海戦

1997年8月14日 不明
夏 風景 8月
置き去りにされた民家にも 灼熱の日はふりそそぐのだ
→沖縄戦 嘉手納弾薬庫地区

1997年8月15日 沖縄タイムス
劣化ウラン弾を全面撤去
「嘉手納」から韓国へ
米国防省報道官が明言
毎日新聞報道
→環境

1997年8月15日 沖縄タイムス
署名2万人の重み 名護市民投票 中
成果
運動乗り越えた市民
「良識」の結実に満足感

1997年8月15日 琉球新報
8・15 その日がくれば 下 徐勝
日米覇権政策が抑圧生む
実現しない東アジアの平和

1997年8月16日 沖縄タイムス
ウラン不安
「鳥島で回収急げ」残りなお1300発
機密の壁に怒り

1997年8月16日 沖縄タイムス
署名2万人の重み 名護市民投票 下
八方ふさがり
那覇軍港の二の舞?
「知事再結団」のケースも

1997年8月16日 沖縄タイムス
わしたシマ1番 33 金武町
英語の看板が集中
Aサインライブで活性化を


タコライスの生みの親
儀保松三さん(68)
苦しい中でアイデア

この逸品
一人で食べきれない
チキンバラバラ

1997年8月17日 琉球新報
「日独平和フォーラム」に寄せて 川満信一
戦争防ぐ市民の力
歴史認識を沖縄から問う

1997年8月17日 琉球新報
ニュースここが知りたい
思いやり予算
在日米軍の経費の70%日本が負担

1997年8月18日 琉球新報
てぃるるカレッジ
戦争と女性 上 若桑みどり氏
関係が深い 戦争と美術
→沖縄戦

1997年8月19日 平和の画像 97 夏 5
平和を願って歌い続ける
大きなうねりの導火線に
→喜納昌吉氏

1997年8月20日 琉球新報
沖縄と家永教科書訴訟 教育の自由求めて 1
田港朝昭・琉大名誉教授
家永氏のテープ携え 全県に「声」届ける
支援する会、初代事務局長
→教科書

1997年8月21日 琉球新報
てぃるるカレッジ
戦争と女性 下 若桑みどり 千葉大教授
女性も戦争共犯者
男女の境界なくし平和を

1997年8月21日 琉球新報
海外初の沖縄日本復帰論 論文紹介とコメント 上 崎原貢
米に明確な根拠示す
篠田ハワイ教授が先陣
コメント 本文 コメント
→ハワイ大学人文学部歴史学科名誉教授・篠田稔博士 米軍統治時代

1997年8月21日 琉球新報
沖縄と家永教科書訴訟 教育の自由求めて 2
山吉まゆみ 県憲法普及協議会事務局
「教師と父母の連帯が重要」
家永氏の沖縄講演を実現

1997年8月22日 琉球新報
きょう対馬丸撃沈から53年
遺族会、沈没地点の特定求める
新たに2カ所浮上

きょう慰霊祭
小桜の塔
→沖縄戦

1997年8月22日 琉球新報
海外初の沖縄日本復帰論 論文紹介とコメント 下 崎原貢
復帰の理論的基礎提供
運動史に光あてたい
本文 本文 コメント 本文
→米軍統治時代

1997年8月23日 琉球新報
反戦地主の島袋善祐さん(沖縄市)
基地内所有地立ち入り
昨年秋と年末 キャンプ・シールズ
収用委調査同行は拒否
「国が手落ち隠すため?」
→強制収用

1997年8月23日 琉球新報
基地機能強化への懸念も
海上基地建設に関する名護市議アンケート
住民投票条例制定 15人が「議会制度の否定」

海上基地問題に関する名護市議アンケート

解説
地域振興策が絡む
名護市議会 過半数は制定否定派
→普天間飛行場移設

1997年8月23日 琉球新報
宮古島配置の陸軍海上挺進第四戦隊の戦史記録抜粋
平良市総合博物館紀要に掲載
従軍記録や体験記…
千円の棺桶 激しい宮古空襲 敵の動きの情報も 調査、保存・記録を
→沖縄戦

1997年8月23日 琉球新報
八重山平和祈念館が完成
〝戦争マラリア〟末代まで継承
収集の物品も展示
→沖縄戦

1997年8月23日 琉球新報
沖縄と家永教科書訴訟 教育の自由求めて 4
新城俊昭・陽明高教諭
独自の歴史教科書作る
「社会の検定受けた」

1997年8月25日 沖縄タイムス
基地内立ち入り延期
県収用委
地主の同行、不可欠
米軍に拒否理由求める

解説
実質審理の姿勢
→強制収用

1997年8月25日 沖縄タイムス
焦点インタビュー
安里進氏 名護市議会新政会会長
市民投票より振興策が前提
→普天間飛行場移設

1997年8月26日 沖縄タイムス
ハンセン内に今秋 苗木5千本余植樹
岡本首相補佐官が報告
→キャンプ・ハンセン 島田懇談会

1997年8月26日 沖縄タイムス
代理署名は国の直接事務
米軍用地強制使用手続き
土地明け渡し代執行も
県、関係首長ら反発
地方分権委方針

分権委第3次勧告の要旨
→強制収用

1997年8月26日 琉球新報
グラフ’97
広大な黙認耕作地
読谷村喜名 「旗すがし」で旧集落しのぶ
→嘉手納弾薬庫地区

1997年8月26日 琉球新報
沖縄と家永教科書訴訟 教育の自由求めて 5
金城重明 沖縄キリスト教短大名誉教授
敵がい心植え付けられ
集団自決の素地に

1997年8月27日 沖縄タイムス
思潮97 新崎盛暉
二つの韓国
基地に不安の民衆視野に
反米軍運動 全国に拡大
米軍犯罪の糾弾 将来への不安 反基地の運動

1997年8月27日 沖縄タイムス
第32軍司令部壕
平和施設の拠点に整備
沖縄戦、実相を後世へ
中枢部分の一部公開も
検討委が県に基本計画
→沖縄タイムス

1997年8月28日 沖縄タイムス
若き世代の夢語り ちむどんどん沖縄公演記 秋吉拓史 下
一緒に平和を考えてほしい
思っていることを そのままぶつける

1997年8月28日 琉球新報
ロケット砲訓練激しく
キャンプハンセン 騒音被害変わらず
金武町
→キャンプ・ハンセン 演習被害

1997年8月29日 沖縄タイムス
日米防衛協力指針の見直し
米、那覇港使用を要求
周辺有事 全国十数カ所

解説
与党内協議に影響
米提示のリスト

前田哲男東京国際大学教授(軍縮安全保障論)の話

1997年8月29日 沖縄タイムス
「陣中日誌」は軍が焼却処分
八重山・戦争マラリア
参謀長の遺族が証言
犠牲者援護会篠原武夫会長 「思いがけない形で判明」
→沖縄戦

1997年8月29日 沖縄タイムス
秘密のファイル 日米関係の裏面史 下 第2部 祖国との訣別
山本長官機の撃墜
暗号解読で二世に勲章
「わな」かと疑う 人種差別の批判

勝敗決した〝Z文書〟
ヤマダらの翻訳で裏をかく
終戦1年早める 作戦変更せず
→日本語技術文献責任者ヨシカズ・ヤマダ三等技術軍曹、ジョージ・ヤマシロ二等軍曹

1997年8月29日 沖縄タイムス
OSSの日系要員
日本兵の心に訴えたビラ
共産党員たち 発光キツネ
→OSS:米戦略事務局

1997年8月29日 琉球新報
旧日本兵の酒井さん「山下寅雄」死去
「忘れられない波照間」
戦争マラリア
疎開は〝軍命〟と証言
「犠牲は個人の責任でない」
援護会の篠原会長 遺族の思いを代弁
→沖縄戦

1997年8月30日 沖縄タイムス
「沖縄戦」の違法性認めず
第3次家永教科書訴訟最高裁判決
「集団自決」の記載必要
七三一部隊の検定は違法

判決骨子

裁判闘争から引退 原告の家永三郎氏の話

→教科書

1997年8月30日 沖縄タイムス
社説
問われるべき「歴史認識」
不満残した最高裁判決 継承したい沖縄戦の教訓 大きい教科書訴訟の成果
→教科書

1997年8月30日 沖縄タイムス
表層深層
第3次家永教科書訴訟で最高裁判決
リベラル派の気概押し通す
可部氏退官後に弁論 3件の違法判断 裁判長の権限

32年の裁判は不毛だった
文部省で長く家永教科書訴訟に携わった菱村幸彦・国立教育研究所所長の話
検定のずさんさ示す判決
細菌戦部隊研究者の常石敬一・神奈川大教授(科学史)の話
教科書神話が打破された
大田尭・東大名誉教授(教育学)の話
→教科書

1997年8月30日 沖縄タイムス
解説
世界史的事件に幕
行政追認にとどまらぬ判断

家永訴訟年表

判決要旨

上告審で争われた検定意見

→教科書

1997年8月30日 沖縄タイムス
第一審の原告側証人
安仁屋政昭・沖国大教授
「集団自決」はなかった
立証の事実認めず
→教科書

1997年8月31日 沖縄タイムス
26年ぶり「基地撤去」掲げず
全駐労沖縄が運動方針転換
雇用対策を前面に
→軍作業

1997年8月31日 沖縄タイムス
多事争論 筑紫哲也のかわら版
誤解
なぜ「集団自決」なのか
→教科書

1997年8月31日 沖縄タイムス
継承「沖縄戦」 家永教科書訴訟を終えて 上
判決の意味
正念場はこれから
理解訴えさらに研究を







同じカテゴリー(1997年新聞記事)の記事
1997年12月
1997年12月(2015-08-07 13:30)

1997年11月
1997年11月(2015-08-04 15:21)

1997年10月
1997年10月(2015-08-03 10:57)

1997年9月
1997年9月(2015-07-31 12:56)

1997年7月
1997年7月(2015-07-27 16:04)

1997年6月
1997年6月(2015-07-24 12:08)


Posted by 糸満のカッパ at 16:06