1996年6月

2015年08月21日/ 1996年新聞記事

1996年6月
1996年6月1日 沖縄タイムス
米軍グッズ撤去
ひめゆりの塔周辺の土産品店
なお態度保留の業者も
→沖縄戦

1996年6月1日 沖縄タイムス
りゅうきゅうねしあへの便り 辰濃和男
やわらかな抵抗
沖縄社会と文化の型

1996年6月1日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 1 上原正稔
満潮とともに出撃命令
2等兵、慶留間に上陸
→連載・沖縄戦

1996年6月2日 沖縄タイムス
パブリックアートを手掛ける
シュー・リー・チェンさんに聞く
「象のオリ」を1000本のポールで囲む
沖縄の「記憶」表現したい
フェンスの中に 沖縄の現実を米国に 進化するコンセプト
→楚辺通信所

1996年6月2日 琉球新報
普天間基地移設を逆手に 上 比嘉盛一
「移設条件」むしろ好機
大琉球経済圏築き自立
→普天間飛行場移設

1996年6月3日 沖縄タイムス
中国吉林省
旧日本軍の遺棄毒ガス弾
推定70万発、土壌も汚染
日本初の本格調査終了

1996年6月3日 沖縄タイムス
ニュース断面
基地内に貴重な〝文化財〟
自然破壊、「危急種」など絶滅の恐れ
県教育庁 来年度にも分布調査へ
先人が残した墓 御獄や洞くつも
自然 文化財
→環境

1996年6月3日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 2
訳注・上原正稔
3人を3発で仕留める
隊の先頭切って前進

1996年6月4日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 3
訳注・上原正稔
「子供殺すな」と叫ぶ
2日後、惨劇の現場埋める

1996年6月5日 沖縄タイムス
沖縄の基地存続を希望
豪ダウナー外相が発言

1996年6月6日 琉球新報
沖縄の海兵隊削減は可能
ブルッキングス研究所 マイク・望月主任研究員に聞く
有事に輸送能力限界
10万人政策は間違い もっと柔軟な戦略を

1996年6月6日 沖縄タイムス
127万人の実験 第1部 軍用地と経済 17
日米政府に意思表示
県民の選択
基地問う初の投票
県民個々人が選択すべき課題は多い
従来と異なる 意義ある機会 「各論反対」も

移設条件
二者択一論超え幅広い議論を

メモ
住民投票条例

1996年6月7日 琉球新報
晴読雨読
平良宗潤
戦艦大和 吉田満著
日本の進路に責任を

1996年6月8日 沖縄タイムス
沖縄は重要な位置
前米国防省次官補ペンドレイ氏 安全保障で講演
→安全保障問題講演会(主催・県商工会議所連合会、県工業連合会、経営者協会)

1996年6月8日 琉球新報
ブルービーチ
米兵、民間人に銃口
吉田金武町長 「許せない行為」
→演習事故 ブルー・ビーチ訓練場

1996年6月8日 琉球新報
住宅地に米軍車両
生活無視、と住民
狭い町道、壁スレスレ
金武町伊芸区
海兵隊「道に迷った」
→演習事故

1996年6月8日 琉球新報
インタビュー ペンドレイ元国防次官補に聞く
基地は沖縄のためになる
アクションプログラム 将来的に疑問感じる

1996年6月8日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 4
訳注・上原正稔
島の人々の予測超え進む事態
第3戦隊出撃できず

1996年6月10日 沖縄タイムス
沖・高教組の「平和シンポ」
歴史教育 沖縄戦だけ切り取った
教師の姿勢 「慰霊の日」のメニューに
実践の在り方 発達段階に応じ教育を
平和教育 人権抑圧や軍隊排除も

1996年6月10日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 5
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
皆で「天皇陛下万歳!」
始まった集団自決

1996年6月11日 沖縄タイムス
民間人への米兵銃威嚇
米軍、事実認め謝罪
金武町 再発防止を要請
→演習事故

1996年6月11日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 6
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
夜間、住民が突撃
伊江島上陸、激しい攻防

1996年6月12日 琉球新報
電話連絡取れず「聞き取り不能」のケースも
戦時遭難船舶遺族会が抗議
県の渡航目的調査はずさん
〝超法規〟的措置で救済を
→沖縄戦

1996年6月12日 琉球新報
米軍
空域外でヘリ訓練
漢那漁港近く 「危険」と宜野座漁協
→演習事故 訓練空域・水域

1996年6月12日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 2
戦争は知らないけれど 2
夫婦で平和メッセージ
戦跡ガイドで歴史の真実伝える
沖縄に住む意義 消えたわだかまり
→連載・沖縄戦 瀬戸隆博・小波津さつき氏

1996年6月12日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 7
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
戦闘で残ったのは6人
アーニー・パイル撃たれる

1996年6月13日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 3
戦争は知らないけれど 3
不戦の誓い次世代に
戦争の実態学び 〝追体験〟の案内役
加害の側面を知る 沖縄の〝光と陰〟伝えたい
→島袋昇氏 比嘉康裕氏

1996年6月13日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 8
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
沖縄本島へ上陸
新参兵がわが隊に配属

1996年6月14日 沖縄タイムス
業者、借地権設定で暗躍
狙われた普天間基地
跡地利用に支障
宜野湾市や軍用地主会 返還後の対策急ぐ

1996年6月14日 不明
沖縄復興の50年
土木建築行政を振り返る
最も懸命だった昭和20~35年
20年9月1日 沖縄諮詢会に公務部新設
初代・松岡政保に始まる 沖縄の土木建築行政
物のない時代 軍政府の方針 住宅計画

規格住宅の開発
住宅不足に一定の役割果たす

1996年6月14日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 4
戦争は知らないけれど 4
年間通じて平和学ぶ
どうすれば戦争をなくせるか論議したい
復帰したのに米軍が 多様な基地への思い
→勝連町立(現・うるま市立)与勝中学校

1996年6月15日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 5
体験を追う 上
沖縄戦に衝撃受ける
これからも続く歴史を紡ぐ作業
体験者の熱意に共感 軍隊への嫌悪感
→古賀徳子氏

1996年6月16日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 6
体験を追う 中
平和の尊さを次代に
稲田小児童が絵画で戦争の恐ろしさ表現
→名護市立稲田小学校

1996年6月18日 沖縄タイムス
「壕内」立ち入り禁止の看板
読谷・チビチリガマ
「み霊を静かに眠らせたい」
遺族会、理解求める
→沖縄戦

1996年6月18日 沖縄タイムス
県民投票のリスクと効果
島袋純・琉大助教授
圧倒的な投票・賛成率は基地整理・縮小に追い風
思惑はずれれば政府のペースに

1996年6月18日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 1
別離の地
姉の遺骨 探す戦後史
「生き残った者の役目」と
→連載・沖縄戦

1996年6月18日 沖縄タイムス
逆転の波紋 県議選’96 5
県の基地政策
党派超え合意形成の正念場

1996年6月18日 琉球新報
沖縄へのメッセージ 28
森田芳雄元ラサ島守備隊長
安保は「公益」にあらず

1996年6月18日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 7
体験を追う 下
平和願い固い決意
ひめゆり資料館で言葉失う若い世代
戦争のない国を 将来へ伝えたい
→ひめゆり祈念資料館

1996年6月18日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 9
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
日本兵が斬り込み攻撃
前線地区は死体が散乱

1996年6月19日 沖縄タイムス
来年度 実態を把握
基地内文化財346件
県教育庁がリストアップ

1996年6月19日 沖縄タイムス
英国人も刻銘
「平和の礎」新たに1968人
23日〝慰霊の日〟

1996年6月19日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 2
後世の道標 上
史実を掘り起こす
糸満市の綿密な戦災調査
→糸満市史

1996年6月19日 琉球新報
反戦地主の平和学 知花昌一 上
象のオリ立ち入り
当然のことをしただけ
わくわく、どきどき国との交渉

1996年6月19日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 8
伝える 上
共に感じていきたい
戦争知る創作劇で〝基地包囲〟の試み
語り部との出会い 心を揺さぶる
→宜野湾市立嘉数小学校

1996年6月19日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 10
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
ドイツ降伏後、最後の決戦
生き残るチャンスないと覚悟

1996年6月20日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 1 宮城晴美
「家」制度と「集団自決」
83%が女や子ども
座間味島の「自決者」
別の視点 正確な数は 国体観念
→連載・沖縄戦

1996年6月20日 沖縄タイムス
短信
「インヌミから」再販

1996年6月20日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 3
後世の道標 下
6月7日に村長選
南部激戦、沖縄市は復興へ

1996年6月20日 琉球新報
反戦地主の平和学 下 知花昌一
戦争を語り継ぐ責任
チビチリガマで学んだ真実

1996年6月20日 琉球新報
平和行政は今 6.23「継承」から「創造」へ 上
転換期
「平和3事案」実現に全力
歴史的事実伝える方策探る

1996年6月20日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 9
伝える 中
基地問題の情報発信
〝怒り〟のやり場をインターネットに
海外からも賛同 仲間の運動を支援

1996年6月20日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 11
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
続出する戦闘疲労症
絶え間なく襲う死の恐怖

1996年6月21日 沖縄タイムス
大型ヘリは欠陥機
米海兵隊、18機を飛行停止
→CH53E

1996年6月21日 沖縄タイムス
ニュース近景遠景
車の名義人は6200万円支払え
北谷の母子3人死亡事故
米兵の賠償責任認める
泣き寝入りに〝断〟
「慣例」 ハードル 悲しみ
→米兵事件・事故

1996年6月21日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 2 宮城晴美
監視された住民たち
全住民に目印のマーク
悲鳴、日本軍に届かず
「サ」の文字 錯乱状態 日本兵の言葉

1996年6月21日 琉球新報
平和行政は今 6.23「継承」から「創造」へ 中
ハード優先
現場の声を生かす施策を
歴史観養うことが大切

1996年6月21日 琉球新報
新たなる戦後 6・23 21世紀へ語り継ぐ 10
伝える 下
基地問題を教材化
沖縄の誇りを取り戻す活動
政治絡みでタブー視 耐えられない現実
→嘉手納町立屋良小学校 伊佐冴子教諭

1996年6月21日 琉球新報
’96 私の平和論 6・23 上 内海恵美子
重要な至る過程
「日の丸」肯定、否定 ともに平和運動で存在

1996年6月22日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 4
模索続く 平和教育
押し付けではダメ
石積みで自然体の供養

1996年6月22日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 3 宮城晴美
惨状を極めた「集団自決」
自決早い役場職員
教師も手段は異なる様相
家族単位で 役場職員の壕 戦後の苦悩

1996年6月22日 沖縄タイムス

平良宗潤さん(55)糸満高校教諭
平和の大切さ若い世代に

1996年6月23日 沖縄タイムス
6・23慰霊の日
平和の礎
新たに1968人が判明
課題は旧朝鮮出身者の刻銘

文化財に戦跡を
歴史、平和の意義重要
取り組む市町村増える

戦後処理
船舶犠牲者補償問題など まだ引きずる
粘り強い運動を展開

沖縄戦の犠牲者数―
いまだ確定できず
背景に50年余の歳月

1996年6月23日 沖縄タイムス
「不法占拠」の看板撤去
知花さんに施設局職員 「訴えるならどうぞ」
象のオリ
→楚辺通信所 強制収用 知花昌一氏

1996年6月23日 沖縄タイムス
戦世伝える砲弾池
戦跡も保存の方向
知念村・斎場御獄
→沖縄戦

1996年6月23日 沖縄タイムス
リポート96
平和教育と基地 嘉手納町
悩む教師の〝卵〟たち
どう埋める世代間ギャップ
→嘉手納飛行場

1996年6月23日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 5
生きていたあかし
短い命を礎に刻む
「戸籍なく」と遺族は安ど

1996年6月23日 琉球新報
着々進む県の平和事業
「歴史の語り部」に 軍司令部壕
80億円投じ資料館移転

主要施策の概要
第32軍司令部壕の保存・公開
平和祈念資料館の移転改築
国際平和研究所の設置
沖縄平和祭
→沖縄戦

1996年6月23日 琉球新報
平和行政は今 6.23「継承」から「創造」へ 下
ソフト面拡充
課題は人材育成
縦割り行政にジレンマ

1996年6月23日 琉球新報
’96 私の平和論 6・23 下 内海恵美子
個の主体性尊重を
大切な「積極的平和」の立場

1996年6月23日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 1
総論
基地接収で住民が分散
→強制収用

1996年6月24日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 4 宮城晴美
生き残った者の苦悩
敵につかまるよりは…
「カラサンシン」弾く祖父
のどのハンカチ 家長の戦後 戦争犯罪のしくみ

1996年6月24日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 2
沖縄市 上
再興の夢
いつかは故郷に…
ダムの底に消えた村 ダムに倉敷の名を残す

1996年6月24日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 12
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
与那原―那覇戦線で苦戦
銃弾一発が左手を貫通

1996年6月25日 沖縄タイムス
女・子ども・戦争 座間味島「集団自決」の実相 5 宮城晴美
2重・3重の自決「命令」
絶対服従の社会構図
天皇、日本軍、家長が〝死〟導く
「家」制度 銃後の「滅私奉公」 がんじがらめ

1996年6月25日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 6
メッセージ
歌で基地・戦争問う
草の根運動「だれかが…」

1996年6月25日 琉球新報
沖縄戦ショウダウン 「集団自決」を目撃した米兵士の記録 13
グレン・シアレス
訳注・上原正稔
戦友はほとんど戦死
少ない生き残りも皆負傷

1996年6月25日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 3
沖縄市 中
礎調査
〝記憶の糸たぐり〟
旧西里の地図を作成 郷友会の重み

1996年6月26日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 7
記念碑か慰霊碑か
反戦平和のシンボルに
礎刻銘は存在したあかし

1996年6月26日 沖縄タイムス
ウソの死亡告知書 大城勲
遺品のかけらもない
遺族の悲しみも倍増

1996年6月27日 沖縄タイムス
沖縄基地問題で小川和久さんに聞く
危険なあなた任せの国民性
基地は分散した上で国民の知恵で縮小を

1996年6月27日 沖縄タイムス
それぞれの礎 平和発信 8
壕の中で「命どぅ宝」
那覇市平和ガイド
修学旅行生に沖縄戦伝える
→那覇市平和ガイド 又吉恵子氏

1996年6月28日 沖縄タイムス
「10・10空襲のあと疎開希望者は増えた」
石原教授が指摘
「集団自決は軍事的他殺」
→沖縄戦

1996年6月29日 沖縄タイムス
思潮96 新崎盛暉
汚れた同盟
「日本人の誇り」とは何か
等身大でとらえたい安保論議
あいまいな決議 教科書の記述批判 事実の隠ぺい

1996年6月29日 琉球新報
96追跡
基地従業員の解雇問題
不安定な請負契約
労働者犠牲の現実浮き彫り
契約中途で従業員解雇 軍の都合で業務変更 厳しいMLC移行

1996年6月30日 琉球新報
心のふるさと 基地に消えた集落 4
沖縄市 下
次代へ
字史づくり活発に






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Posted by 糸満のカッパ at 11:14